2009年06月02日
BDRエンジンのルーツ「FVAエンジン」
BDRエンジンが好きな方へ。
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1960年代、フォードのエンジンは、多くのカテゴリのレースで支配的な地位を占めていたが、グランプリレースの最高峰であるF1のエンジンとフォードの量産車用の高性能エンジンの間に何らかの技術的なつながりがあると消費者に理解させることができれば、市場での販売実績につながると考え、F1エンジンへの出資計画を立てていた。
この計画に際し、フォードは、F1での協力体制が不可欠と考えていたロータスのコーリン・チャプマンからコンパクトで効率の高いエンジンの構想を聞いていた。ロータスもまた、この頃、新たなエンジンを製作してくれるメーカーを探していたため、両者の思惑が一致した形となった。そのエンジンがV8レイアウトだった。
フォードとしては、自分の名前をつけたF1エンジンはV8でなければならなかった。
それは、そのようなシリンダーレイアウトが、軽量でコンパクトなエンジンを求めていたチャプマンの要求にかなっていたという理由からだけではなく、米国フォードの生産する車の大部分はV8だったため、世界各地で開催されるレースにおいて、このレース用V8エンジンとフォードの名前を結びつけることは、販売促進上軽視できないものだった。
このレース用エンジンの設計者として白羽の矢がたったのがコスワースエンジニアリングのキース・ダックワースだった。彼は、ロータスの元エンジニアであり、フォードの量産エンジンのレース仕様に最も精通した人物だったため、このプロジェクトの設計者としては、彼を置いて他は無かった。
同じ頃、新しい1.6ℓの4気筒F2用エンジンも必要とされていた。
フォードは、F1エンジン開発の中間段階として、コーティナのブロックにDOHCと4バルブを組み合わせたF2エンジン開発を提案した。
コスワースから見て、新しい設計のシリンダーヘッドをV8に載せる前に4気筒のブロックでテストできることは合理的だった。フォードとしても、計画中のF1エンジンとベストセラーのコーティナを無理なく結びつけることができることが可能だった。
F1エンジン開発にあたってのフォードとコスワースの契約書の草案には、以下の条項が含まれていた。
1.フォードからコスワースに総額10万ポンドを報酬として支払い・・・国際イベントにおけるレース用の・・・コスワース社とダックワースは「フォード」エンジンと呼ばれるF2およびF1エンジンの設計および開発を請け負うものとする。
2.この契約が適用されるエンジンは、(a)1967年の国際F2レース用に設計され、フォード120Eのシリンダーブロック(注:最終的にベースブロックは116Eとなる)と軽合金製4バルブシリンダーヘッドを使用する「FVA(Four Valve-A)」と命名された1600ccの直列4気筒エンジン、および(b)1966年より施行されるレギュレーションによる国際F1レース用の、前記のFVAと基本的に同じか、もしくは改造したシリンダーヘッドを使用する90度V型8気筒3000ccエンジン、以上の2種類である。
3.コスワース社とダックワースはF1エンジンの設計・組立・開発を行い、1966年中にFVAエンジンを開発し、1967年にレース用として最低5基を製作する。
また、この契約中にも、その後のF1エンジンの開発は、FVAエンジンの結果次第であったことから、中断に関する条項が設けられていた。
もちろん、このFVAが成功を収めたことは言うまでも無く、DFV(Double Four Valve)と名づけられるこのFVAから派生するF1エンジンは、155勝というとてつもない記録を打ち立てた。
このプロジェクトの推進者である英国フォードのウォルター・ヘイズは、後にこう回想している。「本当のことを言って、キースのエンジンがこんな途方もない成功を収めるとは思いもしなかった。だが、それも当然だと感じてきた。彼はそれまでにもずっと好結果を残していたし、我々も彼がどういう状況にいたかを知っていた。アングリアで初めて採用し、その後のコーティナやエスコートといった他のクルマにも使用した『ケント』エンジンは、古今東西を通じて優れたエンジンのひとつと言ってもいいと思うが、キース以上にこのエンジンとそのポテンシャルをよく知っているものはいなかった。だからFVAと後のBDAを設計し、その後の『ダブルFVA』の形でV8エンジンの設計を行うのに、彼以上にふさわしい人物はいなかった。」
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BD系エンジンのヘッドの「FORD」の文字にはこういうヒストリーがあるんです。
また、「テンロク」にも意味があるんです!(負け惜しみ)。
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Posted at
2009/06/02 23:00:01
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