忌まわしい『地下鉄サリン』から15年。毎年3月20日が来ると、背筋が凍る。職場に行くのに7時47分発の丸の内線に池袋から毎日乗っていました。あの日、仕事の準備のためいつもより早目に出たため事件の発生した電車の2本前に偶然乗ったのが幸いでした。事件発生の日の記憶が昨日のTV番組を見ていて又思い出したのですが、事件発生を知ったのが、銀座駅の丸の内線から銀座線への連絡通路を歩いていた時でした。蜂の巣をつついたように駅員事務室から駅員が飛び出し、走り回っている様子が奇異に見えた。しばらくして「霞ヶ関駅でガス(爆発?)事故が発生のため、日比谷線全線運転を見合わせております」とのアナウンスが流れ、ホームにつくと、続いて千代田線、丸の内線も相次いで止まり、原因もわからず騒然としていました。職場に着き、築地方向を見ると上空をヘリが飛び交い、救急車、パトカーのサイレンが鳴り響き、何事かと慌てて事務所のテレビを見ると、築地駅、日比谷駅の様子が流れ、まるで戦場のようなだった。しばらくして、昼前だったと思うが、『サリンらしい物質が撒かれた様子』との報道に唖然とした。あの日、いつもの通り、7時47分初の3両目に実行犯の広瀬健一と乗り合わせていたらと思うと・・・。いつもの通り乗っていたら、何も判らないままひょっとしたら死んでいたかも知れない。判らないのは今もって、本当の犯行の理由が何であったか?松本死刑囚が供述をしないまま今に至っていることに、大きな怒りを感じる。