君は、世間ではよく“ナナコ”と呼ばれているらしい。
中には“ナナオ”という人もいるらしい。
だけど、自分はどちらもしっくりこなくて、君のことをこう呼んでいた。
“セブン”
2008年11月。小学6年生の頃に憧れ、大学生になって手に入れた車、フェアレディZの致命的な不具合が発覚し、買い換えを決意した。挙がった候補車の中で、一番実用性がなさそうで、燃費も悪そうで、この機会を逃すと二度と乗ることのなさそうな車を選んだ。知り合いのディーラーマンに無理を言って、全国の在庫車を探してもらい、納得がいく車が出てくるまで待ち、最終的に広島本社から陸送してもらった。それが君との出会いだった。
乗り換えた当初は、Zと同じ280馬力とは思えないトルクの細さに四苦八苦しながら乗っていたが、ちょっとしたコーナーでも垣間見える俊敏さに、徐々に魅せられていった。試しに走ったワインディングで、車がこんな速度で曲がっていくものかと、ある種の恐怖感が芽生えたことを今でも覚えている。そしてその思い通りに操れる感覚はまさに“人馬一体”という言葉がピッタリだった。
車好きは性別を問わず、愛車を彼女や彼氏のように感じることが多い。RX-7はその曲線に包まれた外見から、男性のみならず女性からも“ナナコ”と呼ばれているのをよく聞く。でも自分にとっては、君は中性的な相棒という感覚だった。だから、シンプルに“セブン”と呼ぶようになった。
世間一般的にはケチをつけたくなる箇所はあったかもしれない。だけど自分にとっては非の打ち所のない、最高の相棒だった。世界で唯一、マツダのみが実用化できたロータリーエンジンは燃費が悪く、低回転時のトルクは細かったが、その軽い車重と相まって、ある程度以上アクセルを踏むとロータリーロケットの異名に違わぬ加速を見せた。後継とされるRX-8はノンターボ車で、ロータリー+ターボの組み合わせは恐らくRX-7で最後だろうと思い、いつまでも、何十年先までも一緒に過ごしていこうと思っていた。
もはやディーラーでも触れたことが少なくなった車種のため、自分で知識を蓄えて整備の方向性を決めていく必要があった。幸いにしてインターネットの普及した時代、多くの情報を手に入れ、情報を取捨選択し、長く乗るために本当に必要な整備を行ってきた。納車前にリビルドエンジンに載せ替えてもらい、一から育てたエンジンは本当に調子がよく、平均コンプレッションは前後ともに9.0以上とロータリー乗りなら垂涎の数値を出していた。
これからも、現存する最後のRX-7になるまで、乗り続けよう。そう思っていた。
2013年4月。アメリカへの留学話が持ち上がった。それも年単位の話。まさに青天の霹靂だった。自分のキャリアには留学なんてないものだと思っていた。実をいうと千葉県への転勤は考えていた。千葉なら“セブン”も持って行けるし、首都高だって走れる。
年単位での“セブン”の保管はできるのか。信頼しているショップにも問合せ、ディーラーにも一般的な車での長期保管方法を尋ねた。1年程度ならできなくもない。だけど2年になると難しいかもしれない。それに、車に詳しくない親にも迷惑をかける。
学生の頃、恐らく誰もが留学や海外赴任を一度は想像してみたと思う。自分だってそんな時期があった。
だけど、果たして今の自分にとって、留学は“夢”なのだろうか。
留学を熱望している方々には申し訳ないが、当初はそんな思いがあった。確かに“憧れ”であることは間違いない。だけど、いまや自分が自分であるための誇りであり、魂の一部のようにすら感じる“セブン”と別れてまで、選ぶべき道なのか。葛藤が体中を駆け巡っていた。
別れを決断したのはいつだっただろうか。はっきりと覚えていない。
仮に2年間、親に預けていったとして、だけど親に運転させるわけにもいかないから、現実的には不動のままとなる。九州は高温多湿だから、動かさなければ目に見えるところも目に見えないところも傷んでいくだろう。それは、憐れだ。
留学資金を貯めるにあたって、仕事を貪欲にこなした。筑後、甘木、唐津など片道1時間の勤務先もあったが、日に日に少なくなっていく“セブン”との時間を過ごすのに良い機会でもあった。走れば走るほど別れが惜しく思えた。
2014年3月9日。福岡は朝からすっきりと晴れていた。早起きして洗車をし、ドライブへ出かけた。福重、今宿を抜けて二見ヶ浦を通り、糸島半島外周を一周。到るところで停めては写真を撮った。少し加速したとき、いつもと同じはずの咆哮が淋しそうに聞こえた気がした。いよいよ別れの時が近付いていた。
2014年3月21日。出来れば乗りたい人に個人売買でと考え、方々に当たってはみたものの、結局は業者に買い取ってもらうことになった。夕暮れの中、キャリアカーへと乗せられる“セブン”は檻に捕らわれた獣のようだった。最後にフロントフェンダーを触って見送った。キャリアカーのガチャガチャとした音が遠くなる代わりに胸を押し潰すような寂寥感が襲ってきた。
人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。
何かを得るためには同等な代価が必要になる。
次の日から息つく暇もなく忙しい日々だった。たくさんの人々と会い、送別と祝福の言葉をもらった。留学は何も自分だけのためではない。多くの方々の手助けの上に成り立ち、多くの期待を背負っていることを再認識した。
やるべきことは山ほどある。
きっと今の胸が締め付けられる様な感覚は薄れていってしまうのだろう。
だけど、君と過ごした5年余の想い出は何年経っても色褪せないと思う。
さようなら。
そして、ありがとう。

Posted at 2014/03/30 13:48:15 | |
トラックバック(0) | 日記