ここ1カ月以上 走りました( ゚Д゚)
アルではなく仕事でもないですけど
たくさんの『想い』を見て 受け止めました
たった数人の小さなコミュニティからスタートした ほぼ暴走に近いというか 全疾走マラソンの第1歩を無事に踏み出し とりあえず今現在の『答え』が出たんだろうと思います
メディア関係者の方々にも感謝する部分と メディアの汚い部分 日本の腐れ切った政治家共 熱い仲間 そして何よりも被災地より北海道へ来ていただいた仲間
良いも悪いも ホワイトもダークも 感じることが出来ました
そしてその中心部分に自分の存在できる 場所があったことに感謝せねばなりません
とある憎たらしくかわいい後輩のとてつもない行動力のおかげで
第1回 第2回 「ようこそあったかい道」実行委員会への参加を通じ日に日に自分の中で 同じ日本人としての「運命」「宿命」を どこかで感じ
第3回で 札幌市と北海道がついに動き出し バックアップをしていただき
そして一つの区切りでもある 本郷通商店街主催の「さくら祭」への
「みちのくあったかい道」屋台出店へと向かい
被災地から北海道へ来られた人々が
自ら立ち上がり始めたんです
多少なりとも世論を動かしメディアを動かしたこの1カ月
きっと僕の長いマラソンのスタートが切られたんだと思います
ボランティアとは何だろうか?
ボランティアの『ボ』の字も知らなかった僕は必死に考え毎日葛藤しました
たかが小さな焼き鳥屋ですよ 僕…
こんな自分じゃ何も出来ないと思ってました
ただ数点 僕が心に誓った事
「ボランティアとは人に奉仕してあげるんじゃなく 人様に奉仕をさせていただく事」
「自分はこれだけの事をやったのだから満足」とかどこかで思う可能性があるのなら最初からやらない
「自分がどん底に落ちた今年の一連の被害を絶対に忘れてはならない」
「仕事も自分の会社も潰れるかもしれないという事を腹に据える」
想像以上でした色々と
ぶっちゃけ被災地の方の顔を見るのが辛い自分が居て
何度も何度も夜中ベットで涙を流し
「俺は何なんだろう?」
と毎日自問自答を繰り返し
すでに始まっているんですよ
「震災の風化」
「自粛ムード」を解決しいつも通りの生活をする事と
「震災の風化」はまったく別物です
今後風化されてはならないのです
お祭り2日目にとある男性に突然声をかけられました
「藤崎さん 家族がとても世話になって申し訳ありません」
恥ずかしながら 誰かわからず
次の日お祭り終了後の打ち上げで
南相馬より避難されてきた方に情報をいただき
僕はまた一つの現実を見ました
「藤崎さん 昨日手伝いに来ていた福島の方で今日のお祭りに来てなかった人居たでしょ?」
「今日その旦那さん福島に向かって出発したんだよ」
そして僕は福島に旅立った方の名刺を見せて頂きました…
見せて頂いた瞬間 先日僕が色々とさせていただいた 一家の方と同じ名字
思い出せば その時旦那さんは居なかった…
旦那は日雇いで今仕事に行ってるんで今日は来れないんですと言われた時の家族だと確信
嫌な予感が走りました
旦那さんの名刺の住所 会社 仕事内容を見た瞬間 僕は手が震えました
旦那さんが おばあちゃん 奥さん 子供を北海道に残し向かった先は
福島原発だと確信しました
その瞬間僕が今やらなくてはならない事がまたひとつ見つかったんです
実際自分では もう手が回らない場所へと来ています
しかし同じこの北海道に住んでいる一人の人間として僕はやります
会社潰れようが それは人生
倒れたら 自分の家族を支えるために またやり直せばいいじゃないですか…
やり直せる状況にあるんですよ 僕たちは
「自分の仕事が収入があるから支援できるんじゃないの?」
言われたことあります
もちろん正論です
「あいつはどうせ売名行為だから」
実際に言われています
どんどん言ってください
どんな批判でも受けて立ちますよ
しばらくアルも弄ってないんで そろそろ時間があるときにでも
洗車&弄りでもしようかと…
PS
NHKの取材中 名前は伏せますがw蝦夷アルのとある方に捕まりましたが(-。-)y-゜゜゜
今週金曜日UHBニュースと NHKで放送されるようです
NHKは19:30からです
Posted at 2011/05/11 11:22:01 | |
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