Dodge Challenger
1970モデル
86の前に。古いオートバイに乗っていた頃。
街角の駐車場に停まっていた、黒いダッヂ・チャレンジャーが今でも思い出されます。
1980年代の当時としては、少し前の時代のマッスルカー。
国産車が、1972年のオイルショックと昭和53年排出ガス規制で規制された、燃費の改善と排出ガス規制から、やっと立ち直り、トヨタは5M系や1Gや4A系。日産はVGやRBとCA系。ホンダが乗用車用のDOHCを開発し、マツダは13Bが生き残った頃ですから。
古いアルバムのセピア色の写真の頃ですね…。
200馬力
200㎞/h
当時の国産車が目指した壁。
価格は。
当時は300万円が一般的な国産乗用車の上限でした。
トヨタのソアラ2800GT
170PS(グロス)の5M-GEUを搭載して、211㎞/h前後だったでしょうか。
当時の雑誌の表紙とグラビアを飾った国産車のヒーローでした。
(ポルシェを抜く国産車)
930系の911ターボが、圧倒的なポテンシャルを見せつけていた時代。
数多くのチューナーが、試行錯誤しながらL型・ロータリー・18R-Gを、チューンしながら谷田部のテストコースでトライアルを続けていた記事が、各雑誌に毎月連載されていました。
チューニングショップ
プライベーター
数々の挑戦が繰り返されて、一番最初に300㎞/hの記録を樹立したのは、V8のLS7を高度にチューニングしたミッドシップカー。
5M-GEUをチューニングしたセリカXXが300㎞/hを更新したのは数年後の事でした。
今では
市販車のままで、300キロ出せる国産車も、市街地を自由に走行していますが。
日本の自動車メーカーが、レースに出場しない時代に、市販車のエンジンとボディをベースに数多くのチューナーとオーナーが、毎晩のように情熱をかけて熟成され続けたスピードとパワーへの思い。
家族を乗せて、軽快な音楽を聞きながらアウトバーンを300キロで快適に移動できる4人乗りのスーパースポーツセダン。
案外、日本車のチューンの歴史が海外のスーパーカーの技術を生み出したのかも知れませんね…。
日本の自動車メーカー。
メーカーが作り出すクルマと、乗り続けるユーザーとチューナーがいて、新しい時代のスピードを競う技術が進歩するのでしょうね。
1970年代の国産車現役で新車を一蹴する姿が世界中で見られますね
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2010/10/23 23:08:38