2011年03月14日
ガソリンと地方都市とディーゼルエンジンの皮肉な関係?
マイデミです。
今日になって再度スタンドへ出向き現状を聞くことができた。
場所によってまちまちだろうが一日おきの営業販売しかできないというとんでもない事態に発展している。
それ以前に地方都市と車の関係というものを少し話さなければならない。
東京などの大都市は自分の足がなくとも距離が近いし電車やバスもある。
そのために足というものが大して必要ない。
ところが一風変わって地方都市と呼ばれる場所は、バスや電車の普及が何十年に及んでなされていなかったり路線の開発から発展したまちではない。
いくつもの集落が集まってできた町というのが正しいかな。
そこに幹線の鉄道やバス路線を設計した。
そのためにそれ以前から普及していた自動車やバイクの存在で交通網の赤字経営で路線設計ができない。
そのためにあとで敷かれたバス路線そのものは近郊に住むものにとってはとても便利であるが。
さらに山間部に行けば行くほど路線の数は減り不便になる。
そのために自ら自分の足として自動車やバイクを自家用に持つこととなる。
それがいつの頃からか完全定着してしまい。
車に乗れることが当たり前になる。
当たり前になれば当然通勤の事も会社の人事は当然あるものとみなされる。
そこにきてこのガソリンがない騒ぎ。
実際にどうなのかと問うとガソリン枯渇で群馬県内の経済自体が破綻しかねない。
商品を作りたいが燃料なしで通勤できない。
販売したいが販売員がいないので開店できない。
もっと進めば買いたくても買いにいけない。
人件費削減どころのはなしではない。
強制的に削減されてしまう。
金があっても入れられないということは消費の悪循環を意味する。
どの程度の影響が出るのかといえば。
農家や個人の酒屋、電気店などで使っている軽トラは動かない。
新聞配達店にも少なからず影響が出るだろうし。
場所によっては郵便などにも影響が出る恐れすらある。
東京電力の輪番停電も脅威ではあるがそれ以上に自宅から出られなくなってしまう事さえ考えられる。
良いか悪いかわからないがディーゼル規制の影響で一般にディーゼルエンジンの車が少ないことなどもかなり影響している。
極端に法改正をして技術進化をあおったが規制クリアできる車が少なくなったのも影響される。
そのために13日の日は面白く軽油、灯油はあります。
という看板が目立った。
10年一昔というがあのころであればそれでも多少配分が違ったかもしれない。
エネルギーの集中管理をするということは何かの供給がなされなくなった場合甚大な被害を被ることになる。
どんなに設備投資して良い工場を作っても最終的に管理する人間がいなければ生産はできない。
また、運休などの影響で代替燃料として普段使用されないものが使用されるということがここまでの被害を出していることも学ばなければならないのかもしれない。
被害損失がないように見える農村や地方都市こそ隠れた被災地なのかもしれない。
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Posted at
2011/03/14 22:36:12
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