大変私的な話題で恐縮ですが、我が親友のケムール霜鳥こと霜鳥由明さんが9月27日午後2時22分に永眠しました。

何故、私の親友の死をここで書くのかと言うと、彼は1980年代に言わばRCカーのトレンドリーダーのひとりとして活躍したと言っても過言ではないのです。
当時、私が編集させていただいたRCカー専門雑誌「月刊ラジコンカー スーパーマシーン」(これが正式名称です)で、彼に連載記事をお願いし、彼は当時のRCカー少年達に人気でした。
信じられないかもしれないですが、当時RC関係のイベントに彼が居ると、なんとサインを求めるRCカー少年に囲まれる事態すら起きました。
彼は単に表面的に人気があっただけではなく、RCカーの製作、セットアップ、そしてドライビングまでハイレベルでこなす実力者でした。
第1回のRC電動オフロードの世界選手権にも参加、その後第1回目の全日本選手権にも参加。
また、当時TV東京系で放映されていた「タミヤRCカーグランプリ」にも積極的に参加したりと、メディアへの露出も多く、当時まだ未成熟だったRCカーを、より楽しく深く楽しむ方法を伝えていたと思います。
彼は元々多趣味であり、近年ではRCから遠ざかることが多くなっていましたが、去年は久しぶりにRCカーのレースに出るなど、相変わらずのドラテクを魅せてくれていました。
そんな彼でしたが、昨年末に体の異変を感じ検査したところ、直腸がんが発覚。
その部位は手術で切除されたのですが、がんは肝臓に転移しており、その治療のために先日まで入退院を繰り返していました。
肝臓がんは抗がん剤治療の甲斐もなく、彼の体力を奪っていきました。
元々細身の彼でしたが、体重が20kgも落ち、足の筋力も低下して最近は自力で立ち上がることすら困難でした。
そんな彼は、自分はもう助からないと。せめて体力があるうちにまたRCカー、それも仲間といっしょにレースに出たいと。
それを目標に彼はリハビリをし、自宅に帰っている間にRCカーの製作をしていたのですが、9月半ばに病院に緊急搬送されてしまい、ついにそのRCカーは完成に至らず、レース参加を断念することに。
9月27日はそのレースが開催される長野県の斑尾高原に向かう日だったのですが、私は彼が行けないのであればそのレースに参加するつもりはなく、東京に残りました。
たまたまその週末は、有明のビッグサイトでプラモデルやRCの新製品が一堂に展示されるホビーショーがあり、午前中にホビーショーへ行き彼の代わりにいろいろと見て回り、パンフレットなどを仕入れてお見舞いにいきました。
通常、面会は午後2時からなので、病院に着いたのが2時15分くらいだったと思います。
面会受付で案内された病室番号が彼から聞いていたのと違っていたので、嫌な予感がしつつ病室に向かいました。
その病室はドアが閉じられており、すぐ横にあったナースステーションで確認しようとしたら、「現在、処置をしてますので、しばらくお待ちください」と。
しばらく同じフロアのラウンジで待っていたのですが、我慢できなくなり再び病室へ。
そこで看護師さんから、彼が先ほど亡くなったと聞かされた次第です。
また、RC談義でもしようとお見舞いに行ったのに、まさかその時に冷たくなった彼と対面することになるとは。
彼の冥福を祈ります。合掌。
Posted at 2014/10/01 12:13:03 | |
RCカー | 日記