鈴鹿ストリートナショナルズの会場でまたいつもの質問を沢山人たちから受けた。20人くらいいたかなあ。私自身『またかい』という感じでインターネットの情報浸透力の限界を感じた。『なんでアメフェスは二つになったんですか?』というやつである。
HPにアップしているのですが、改めてHPにアップしているものをこちらにアップします。
いまだにたくさんの方からお問い合わせをいただいております。7年前にイクラ君にはイメージキャラクターを降りてもらったのですが、いまだにどうしてなんですかというお問い合わせをたくさんいただいています。今の状況を理解していただくため、改めて簡単にこれまでの歴史を書いておくことにしました。27年前私はイクラ君がリードヴォーカルをやっていたムーンドッグスというグループのプロデュースとマネージメントをしていました(18年前にやめました)。どこのイベンターも相手にしてくれないので、自分がイベントを仕掛けてライブをやらせるしかないと思っていました。それが川崎のクラブチッタでやっていたビートポップショーであり、スーパーアメリカンフェスティバルだったのです。クラブチッタあたりは使用料が100万もしなかったので問題なかったのですが、スピードウェイは1300万位でした。スピードウェイがどこの馬の骨とも分からない事務所に黙って貸してくれるはずもなく、ほとんどの人がそんなの開催無理だよと言う中、当時の私の全財産の800万を前金で払って借りる事が出来てイベントをスタートすることができました。スーパーアメリカンフェスティバルの名前もプログラムもすべて私が決めました。基本的なイベントのフォーマットはこれまでほとんど変わっておりません。当初、イクラ君も共同主催者として発表したのも、彼を売り込むため、こんな大きなイベントを主催する人間ということにするためのハッタリでした。費用を負担して企画プロデュースしたのが主催者である事は誰が考えても分かっていただけると思います。それが7年前、自分がすべてやるから、一切口をださないでくれといってきました。自分が始めた思い入れがいっぱいのイベントです。何でそんな申し入れに納得出来るでしょう。自分で好きにやりたいのだったら、自分でやるしかないんじゃないのという事で降りてもらう事になりました。スーパーアメリカンフェスティバルという名称は私が商標登録をしているのですが、こっちはけんか別れのつもりではなかったので、好意で使用許可しました。そうしたら皆さんご存知の状態になった訳です。妨害工作も多々見受けられるようです。でも本当にこんな事はみなさんには関係のない、まったくハズカシイ低レベルの内輪もめとしか見られないでしょう。でも楽しめるイベントが一つ増えたとご理解いただけると嬉しいです。ただわかっていただきたいのは、自分が考えてる事は、好きなアメ車ハーレードラッグレースがもっともっと盛り上がって、昔のパワーを取り戻してもらいたいという事なんです。外車雑誌がまたどこのコンビニでも買えるようになってもらいたいんです。そのためにもアメフェスをもっともっと楽しんでもらえるようにする事で、アメ車ってカッコ良い、ハーレーってシブい、ドラッグレースってスゴいって思ってもらいたいんです。だから彼にも頑張ってほしいし、すべてのイベントが盛り上がってほしいです。カッコ良すぎるんじゃねえのって思われるかもしれません。人生の半分以上過ぎて、自分の夢はドラッグレースの専用コースを実現させて、そこでアメフェスをやる事なんです。日本にポモナをつくる事なんです。現在自分の力のなさを感じている所ですが、これからも実現に向けて頑張って行くつもりです。これからも皆さんにより楽しんでいただけるよう頑張ります。皆さんのお力が必要です。今後とも宜しくお願いします。
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Posted at
2017/06/09 17:26:21