こんな夢のようなスキー場が日本にあったら
ヨーロッパのスイス、フランス、イタリア国境のスキー場に負けなかった?
のかなぁ。って久々に思ってしまう。今日この頃。(^^;
もちろん、つながってるだけで滑れないのでヨーロッパのそれとは厳密には違うんですが。(^^;
正確にコクドからの発表が無いので以下は全て個人的憶測です。(^^;
そもそも、キーとなるのは
焼額山(志賀高原スキー場)、長野オリンピック、コクド(堤義明氏)の三つ。(^^;
1960年代にコクドが苗場スキー場を作ってすぐに志賀高原など開発が始まります。
しかし、国立公園だったりする志賀高原は戦前に開発されてエリア以外は森林伐採の許可などが思うようにすすまず、なんと開業は1983年になってしまう。(^^;
しかし、これが結果壮大な計画へと発展する。(^^;
札幌以来の冬季オリンピック地候補として長野が立候補する。
もちろん、コクドが絡んでいる。(^^;
コクドの計画はこうだ。(っと思う)(^^;
思うように開拓出来なかった焼額山だけでは全てのアルペン競技は出来ない。
なので、正面の岩菅山を開拓してコースを作っちゃえ!だ。(^^;
っと、
とにかくアクセスが悪すぎる!麓の湯田中駅まで繋げちゃえ!さらに長電も買収だ?かな。(^^;
っと言うことで1980年代に長野が冬季オリンピックに立候補して、1987年にごりん高原スキー場がオープンするわけです。(^^;
このごりん高原はオリンピックの五輪ではなく、五輪山から来てるっぽいです。(^^;
しかし、岩菅山の開発は大きな反対に遭います。
なんと言っても決定的だったのは札幌オリンピックの時に手稲山がFISの規格に不足していたため、オリンピックのために恵那岳にコースを造ってそれが未だに環境破壊だ。っと揉めてる。ことでしょうか。(^^;
っと言うわけで、コクドは長野オリンピック招致には成功しましたが、肝心なアルペン競技のDHとSGSの2競技を八方尾根でやるしかなくなるわけです。
残念。(^^;
もし、岩菅山が開発出来ていれば、稜線沿いにゴンドラやロープウェイで繋げることも出来たかも?
的なウワサが出てきたのもわかる気がします。
難工事でしょうけど。(^^;
一方で関係あるのかないのかわかりませんが、苗場と田代みつまたはドラゴンドラで結局つながりました。
そして、昔から謎だった三国スキー場もごりん高原スキー場的な計画の一部だったのか?っと思うとこれまた楽しい。(^^;
三国、ごりんどちらももう閉鎖されてますが。(^^;
っと言うわけで、スキー場に限らずこのような話は日本中にあるんでしょうけど、
またこういうワクワクする世の中にはならないのかなぁ。的な。(^^;
もっともっと書きたいけど気持ち悪くなるから以上。(^^;
Posted at 2019/02/13 11:30:30 | |
トラックバック(0) |
RX450h | 日記