昨日EJ20エンジンのことを書いていたら最初のレガシィのことも書きたくなったので本日投稿です。
みんカラのブログを書き始めた最初もBF5のことでした。
そのときの内容とかぶることや訂正など含め書きたいと思います。
大学時代に乗っていた軽の箱バンを正面衝突で全損にしてしまい、家に車庫ができるタイミングと合わせて買い換えました。
とても新卒の20代前半が買える値段ではなくスポンサーは祖父でした。
選定基準は4人乗ってスキーの荷物を積んで志賀高原に楽に行けること、MT、DOHC、ステーションワゴンでした。
排気量は高速道路で疲れない2000ccクラス。
軽自動車で白山に行ったときに、高速道路を長く走れないと痛感したからです。
最終的にレガシィだけが候補に残って購入となりました。
消去法ではなく積極的理由ももちろんありました。
結果として大正解な選択をしたと今でも満足しています。

写真は最初の頃のブログに載せたものと同じです。
車としては何もかもが電子制御になる前のアナログがいっぱいだった頃の最後。
バブルの頃に設計されていていろいろ贅沢だった最後。
スバルというメーカーで大ヒットを記録した車の最初。
商用バンのおまけではなくステーションワゴンというカテゴリーのイメージを飛躍的に向上させた最初。
ステーションワゴンの黄金時代を築いた最初。
ステーションワゴンなのに大馬力というそれまでの通念を覆した最初。
後に同じカテゴリーに参入するトヨタを退けた多分最初。
だと思っています。
今では電子制御が当たり前のスロットルはワイヤー、クラッチも油圧ではなくワイヤー。
ブレーキはABSはオプション。
ABSは今や軽自動車でも当たり前になりました。
タイヤは2000ccクラスなのに14インチ、195 65/14でした。
GTでも16インチ、扁平率65とか60でも低扁平の時代です。
出力はNA DOHCで確か145馬力だったと思います。
トルクは覚えてません・・・
が、ボクサーエンジンの特性がもろに出ていて、低速トルクはかなり不足気味。
その代わりモーターのようにストレスなく高回転まで回りました。
スバルの宿命かもしれませんが、水平対向+DOHC+4WDのため駆動ロスも大きく、低速トルクの不足と併せて燃費はNAとは思えない悪さでした。
平均すると今のBP5のターボとあまり変わらない8km/L半ばだったと思います。
当時のGTのATは6km/Lを割り込むことが結構あったようなのでましですが・・・
今の私のBP5でもMTなのに夏になると7km/Lを割ることがあります。
上記のようにスロットルがワイヤーだったので今思えばすごくダイレクトでした。
DOHC NAの特性もよく出ていてナチュラルでレスポンスがよく気持ちの良い車でした。
クラッチもワイヤーだったので10万kmを超えたあたりから踏み込むと「ギッ」とこすれた音が出ていました。
後にクラッチ板を交換するときに清掃してもらったので音はなくなりました。
車重の重さやワゴン故の剛性感の不足はあったと思いますが、あくまでも同じレガシィセダンとの比較であって、当時の他のメーカーのワゴンとは比較にならないくらいよかったと思います。
スタイリングも今とは違い直線基調のシンプルなもの。
斜め後ろから見たときの造形がとてもよく、ずっと眺めていても飽きませんでした。
斜め後ろからの・・・は今のスバル車もそうですね。

こちらの写真は拾ったものです。
リアゲートの傾斜は今でもあまり変化がありませんが、車の後ろが狭いときに開けてもあまり大きく張り出さず、なおかつ容量も不足しないようにという設計だそうです。
あとブリスターフェンダーの張り出しがかっこよかったです。
レガシィはは濃色系が似合う車で当時としては珍しいダークレッドがメインカラーでした。
トヨタをはじめ各メーカーが白ばっかりだった時代です。
6年半くらいで13万km。
まだまだ乗る予定だったのですが、転勤と婚約が決まり、引っ越す前に乗り換えました。
BH5の納車前日、「もうこの車はここに帰ってこられないのだ」と思うと自宅のベッドでしばらく泣いていました。
スバルの礎はもっと前の車ですが、倒産寸前まで追い込まれ「日産の子会社になるのでは」、と言われていたスバルを大きく回復させた立役者です。
最上級グレードのGTが一番多く売れ、1台300万円もするのに月間6000台以上という、スバルというメーカーでは、それまであり得なかった販売を記録しました。
しかもセダンよりワゴンの方が売れるという当時としては珍しい光景を生み出しました。
ワゴンの出来がよかったのはそれまでレオーネで築いてきた技術やイメージもあったと聞きます。
また、それまでのスバルのマイナーなイメージを大きく向上させました。
今でもそうですが、スバルはステーションワゴンに4ナンバーがありません。
まぁ4ナンバーはバンなのですが、いずれにしてもありません。
当時何かで読んだのですが、「自分の乗っているのと同じ型の車がペンキでべたべたとか、傷がついてもほったらかしとか、乗っている人の気持ちを考えたら出来ない」、「スバルのワゴンはあくまで乗用」
と言うメーカーの方のインタビュー記事がありました。
そういったメーカーの姿勢を知ってからなおさらレガシィが好きになり、スバルも好きになりました。
今のBP5ももちろんですが、とても多くの思い出をともにした車でお金さえたくさんあればもう一度買いたいくらいです。
今の車と比べれば古いのは当たり前ですが、スバルの技術や理念、思想が一般に受け入れられ、販売という面で初めて成功したと言える車です。
今でも町中を走っているのをたまに目にするととてもうれしくなり、またうらやましくもなります。
思い出しながら思いついたことを書いたので長くなってしまいましたが、いろいろと身の回りが落ち着かない中、書いたことでちょっとホッとしました。