もう3年…まだ3年…人によって取り方はかわりますが、あの日から3年たちました。
幸い私の家族は無事でしたが、私自身が仙台港にいたので…
目の前には火柱…道路は液状化で冠水…
津波から逃げる間、死を覚悟し、遺書を携帯に残したほどでした。
結果としては…土地勘があったため無事にげることができました。
某取引業者の駐車場に逃げ込みましたが、そこから海側100メートルまで波がきました。
間一髪でした。
なんとか家族にショートメールで無事をしらせ、すぐに帰りたい気持ちはあったものの、渋滞でガソリンを減らすのも不味いとおもったので22時まで待機し、1時間かけていえにつきました。
道という道が水でふさがれ、なんどももどったりしながらかえりました。
数名の遺体もみました…
橋もほとんど段差ができて通れなくなってました。
電柱は倒れ、電線はちゅうずりになってました。
もうなにもかも終わりだ…そう考えてかえりました…
いえに帰ると妻と生まれたばかりの娘が出迎えてくれた…
あ…俺…生きてる。そう感じた瞬間。
あの日から町が、景色が、気持ちが、すべてがかわった。
でもあの日に教えてもらったこと…
家族の大切さ。
家族がいるからがんばれるって本当だとおもった。
娘も今年で4歳。
もう少し大きくなったらあの日のこと。
忘れてはいけないってこと教えてあげたいとおもう。
そしてこの場をかりて一言言いたい。
当事者でもない人が震災のことについてブログとかかかれてると正直腹立たしいです。
ニュースでみた話、ラジオの話。
知り合いから聞いた話。そんなんばっかり。
自分の目でみた話。自分の耳で聞いた話。
それをはなしてほしいとおもいます。
新港付近。

被災した嫁のワゴンR
地震時、嫁と娘がいた部屋…

当時の愛車…
当時の娘…

現在…

おっきくなったね♪
さぁこの娘のためにこれからもがんばろう!!
Posted at 2014/03/11 21:48:57 | |
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