
1973、74年、父が宇都宮に単身赴任していた時分、父から紹介されて、私がよく遊びにお邪魔した方の墓参りができた。懸案だった。
この方は49で早逝されたが、それを知ったのはかなり後のこと。その時は既に家業も畳まれ、ご遺族は転居されたと聞いた。2005年夏に他界した父は、晩年この方の墓参りをしたがっていた。闘病が長い父のこの願いを私は叶えてやることが出来なかった。
父から僅か4年で母も他界し、この方の消息を探す手だても失われていた。
古い街も様変わりした。夏になると地元の方が縁台を出し、私も平気で自転車を駐めていた狭い通りも、4車線の街路に化けていた。その方の御宅、間口の広い酒屋も、マンションに変わっていた。
そこで私が取った方法は、昔打った篠塚、もとい昔とった杵柄、聞き込み取材であった。そして数時間の取材の甲斐あって、お墓も、ご遺族の連絡先も見つける事ができた。
その方がなぜ私を可愛がってくれたか…。私と歳の近いお子さんは、日舞を趣味とするスレンダーなお嬢さん、息子さんは当時まだ幼児で遊び相手にならなかった。そしてその方の趣味は、鐡道模型だった。蔵の奥にある10畳を超える趣味部屋には、カツミ金属道床のレールが敷き詰められ、581、485、451、165といった電車のほか、EF57牽引の雑型客車、EF65千番台の牽く貨物列車など、当時の東北本線直流区間が再現されていた。中学生の私には、白日夢のような光景だった。
あの方とは、あちら側でまたレール遊びをしたいものだ。今度は、小生好みの「乗れる」模型もご一緒したい。
Posted at 2012/02/15 20:28:44 | |
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