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GG KICKERのブログ一覧

2011年04月19日 イイね!

【東日本大震災回顧録10:卒業編】

子供の時から雨の日は嫌いじゃない…特に屋内の窓から眺める雨の日の外風景は落着き感じられ癒される…。ブログ作成しながら外を眺めていると近所の娘さん(昨年高校卒業)が来客。『○○ちゃんもあっとゆーまに大人の女性って感じやねー』と褒めてあげた。用件は次女にオサガリの高校の制服を持ってきてくれた。明後日からは次女も高校生活スタートだ♪


【2011-0319~0325:卒業編】
3月18日の石巻市入りをかわきりに私は友人レッカーマンの要請で日々被災車両の撤去をサポートしていた。仙台市宮城野区蒲生・仙台港エリアを訪れた際は先日ご遺体で発見されたカーボディショップの社長の工場付近まで足を運んだが以前あった場所が解らないほどの壊滅状態。
多賀城市・仙台港エリアでは数多くの大型トレーラーからコンテナが散乱。それに潰されている自家用車たち…その中に友人トラッカーマンのダイハツミラは巨大倉庫の奥の奥のほうにチラッとみえた。
トラッカーマンは『バイク(CBX400FⅡ)自宅に置いてて良かったー』と言っていた。本来はここの職場のガレージに保管していたが運良く自宅に持ち帰っていた。でなければ愛車CBXも犠牲になっていたはず。

仙台市若林区荒浜地区にはさすがのレッカー車もまだ入っていけない状態…ご遺体が多数あるらしい…。
そんなある日、若林区の住民依頼で田んぼから被災車両(外装はまったくダメージがない車両)を撤去準備に入っていると一人の娘さんが自転車でかけよってきた。
『おじさん、ちょっと待ってーお母さんの荷物取らせて下さーい』と言ってきたので作業を停めた。年を聞くとうちの三女と同じ学年だった。娘さんは車内からドンドン紙袋へ入れていく姿をみつめていた。
『あれ…ないなーないなー』と娘さんはあわて始めた。『なに探しているの?』と聞いてみると…
『お母さんが大事にしている指輪付きのネックレスなんだけど…ここのミラーにいつもかけていたんだけど…』 『…まさか盗まれたのかなー』と娘が片を落とした。
この子が『お母さんが大事にしている…』と発言したのを確認した私は『このまま待っているからお母さんに聞いてきてみたら?』と、しかし娘さんは無言…。その素振りでハッとした私は『ごめん…』と頭を撫でた…。なんてデリカシーのない発言をしてしまったのか悔やんだ…。

『お母さんが大事にしていたネックレス』の言い間違い…それがその答えだった。彼女の中でまだお母さんを亡くしてしまった現実が受け入れられるはずはない…。今日もまたショックを受けた…。



遅れ遅れてようやく23日が次女、25日が三女の卒業式。小学校は震災の影響で使用できなかったので隣接する中学校を利用し無事卒業式を迎えられた…。
『あの子も今頃…卒業式だよな…』晴れ渡る空を見上げ願った…『どうかあの子が二度と非情な思いをしないように…』と。







2011年04月19日 イイね!

【東日本大震災回顧録9:出動編】

【2011-0419】
本日は本降りの雨の為…MyWorkは在宅にてデスクワーク中。

昨日、震災後初出勤&打ち合わせで福島入り…だがしばらくは本格的な営業やコンサル業務は難しそうであると結論。案の定、福島県は(宮城県も同様)特にクライアント先も気落ちして元気がない…(カラ元気がほとんど)震災津波被害はもちろんだが、なんと言っても原発の風評影響がある…最悪だ。
当サテライトオフィスはWEB製作のシステム技術者達が稼動しなければ仕事にならない。
が、大半は出勤出来ない現状…なぜなら退避エリアや近辺から出勤してた仲間も多く、本人達が関東などへ避難している。もちろんノートPCでのやり取りも可能だが…限界がある。通常稼動当面無理だな…。

落ち込んでられない…がこれが現実。さておき明日ようやく注文していたデジカメが届く~♪…(カラ元気)


【2011-0318 東日本大震災回顧録9:出動編】
震災から一週間経過。朝、友人のレッカーマンから着信『暇だろ?付き合え!石巻へ出動すっつお!』
レッカーマンは数日前から多忙(多賀城市内R45エリアの被災車両撤収作業)であった。
さすがに石巻市となると単独では行けず所有のレッカー2台&積載車(←私が担当)1台でフル出動と決めたらしく私にも応援依頼が入った。

レッカーマンとは石巻市内で合流予定だったので私は単独で三陸自動車道の鳴瀬インター(緊急車両の為通行可)で降り、震災当時の現場を回ってみた。
案の定そのエリアは瓦礫の山だった…。あの小学生3人を降ろした場所は役場関係の出張所だったことはその日知った。1F付近には浸水の後があったが彼らは建物の上部へ避難したはずなので恐らく無事だったろうとホッとした。役所勤務の方に聞いてみた『この付近に何時何分頃に津波到着したかご存知ですか?』と、瓦礫処理中でドロドロになっていた方が『第2波3波が酷くて…記憶では3時40分は過ぎていたと思う…』と言った。私のFXが犠牲になったのは確実に第1波であったが、自分の記憶の時計とは約20分も違っていた。本震から津波到達まで約50分らしい…私は30分以内で退避エリアに移動した記憶。
どれほどパニックになっていたのかと、自分の行動を改めて回顧しながら石巻へ積載車を走らせた。

その後、東松島市矢本地区から石巻までは迂回路を走行したのでさほど衝撃を受けなかった私も石巻市内の港付近のエリアに到着すると絶句した…。奥へ進みトンネルを抜けての一言は『まじかよ…』
一週間経過している光景じゃない気がした…今さっき津波が襲った現場であると錯覚した。
真っ黒い一面…車やトラックは黒い鉄の塊り…大型船は潰れ固まった住宅の頭上に…その黒い光景の先は…何ひとつ建物がない…そこはまさにTVでみた戦場跡地のようだった。
涙がポロポロと流れた…涙と砂ぼこりで目がヒリヒリして目を開けられなくなり積載車を停めた…。
『この瓦礫の中に一週間前に生きて笑顔をみせてた人たちが何百人いるんだろう…』

この地獄の光景を携帯で写真に収め笑っていた県外ナンバーの二組のカップルが馬鹿騒ぎしている。

俺は無言で積載車の窓から空き缶をその車に投げつけ『…消えうせろ…』と恫喝した。

俺には絶対この光景を写真になど収められない…今この段階ではこの土地以外の人間はファインダーを覗いてはいけない気がした…プロのカメラマンは仕事だから仕方ない…だが素人がこの光景を画像に納め、まして公開するなどもってのほかだ…だから今の日本人はくだらないと世界で笑われるんだ。

なぜなら…『この真っ黒い世界に何千もの笑顔が埋まってしまったんだぞ…』 今もあの光景を思い出すと泣けてしまう…。           私がブログをはじめ伝えていこうとしたきっかけがここにある。


プロフィール

「話し…長っ
会議…眠っ

寝ようかな〰

いやいや…

ヤバイヤバイ…

足の裏がポカポカ…

眠😪💤💤」
何シテル?   05/15 16:48
東日本大震災発生 地元復興をと みんカラをスタート?? 単車の鼓動 四輪の爆音 浜風の匂いとガソリンの匂い わがまま気ままなモーターライフ?? 永...
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