2011年04月22日
昨日、横浜から友人(ウッチー)が仙台へ震災見舞い兼ね今後の打ち合わせに来てくれました。
ウッチーとは1993年~からのお付き合いで当時、横浜にあった新車の並行輸入車を取り扱う企業の同僚で共に切磋琢磨しUSカスタマイズの先駆者としてアメ車ブームを1999年頃まで盛り上げていたこともありました。ちなみに私は1994年にアメリカCAのカスタマイズショップ(AUTOHAUS)の協賛でシボレーサバーバンをいち早くカスタマイズし日本へ運び当時の横浜ホットロッドショーやイベントを盛り上げていたんですよー♪今では考えられないぐらいバリバリ稼いでましたー(笑)
そんなウッチーは現在、地元横浜で輸入車業界専門のWEBクリエーターとして活躍している。
なので現在の私の仕事関係でも良き相談相手であったりパートナーシップを継続している。
話しは本題となりウッチーへ今回頼んでいたことは今震災で被害にあったFX(詳細は以前の回顧Blogにて)を出来るだけ高価で引き取ってもらえる業者を探してもらうこと、そこからお願いした。
FXの復活にはまず乗せ換える新しいエンジンが必要だったが…ご存知のように日本にディーラーも無い為、完全復旧は無理に等しかった。ところがさすがウッチー…My-FXをレストアしてみたいと手を上げた方を探してくれた。それも震災から10日で…。彼の行動力やコネクションはハンパない!
今回の来仙は今後の仕事でのミッションミーティング(こちらは決まり次第ご報告予定)とこの度のお礼。
そんな訳で今月8日に私のFX(丸4年の付き合いでした…)は名古屋へドナドナ…運ばれていった…先週買取入札額が決定し、ようやく私は当初から唾(よだれ?)をつけていた、展示車をハンマープライス!(←懐かしい言葉でしょ?)【ご契約】しました!
納車は…26日の火曜日!INFINITIが~横浜港北区から~仙台へ~やって~くるぅ~(←ザキヤマ風で)
車好きな方でこの度の震災で私のように愛車が被害にあった皆さんへ…是非あきらめずにへこたれずに、次のお車を探してみて下さい。世の中では車の価値が高騰しておりますが…それは軽自動車や低燃費車が中心の話しです。もちろんあせらずに、ゆっくり時間をかけて探してみて下さい。あなたを待っているお車が必ずあると私は思います。イメージしてみて下さい…復興後の街を駆け抜けるあなたと愛車の姿を…。
それじゃ納車日にまたご報告させて頂きます。←当PCの画像処理トラブルを早く解決せねば…
今回はウッチーの愛車を以前保存した画像でUPしちゃいまーす♪ウッチーマシーンはこれだぁー123…
Posted at 2011/04/22 11:03:13 | |
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ツーリング バイク ride | クルマ
2011年04月21日
さてさて回顧録も今夜でひとまず最終回となります。
本日【2011-0420】現在、今震災でお亡くなりなった方は…岩手宮城福島3県で14,000人。
宮城県だけで8,500人、不明者は3県で13,870人と発表されました。
恐らくこの東日本大震災で命を奪われた方は28,000人以上となることでしょう…悲しい現実です。
私個人的にも知り合いが1人ご遺体で発見され、現在安否不明の方もまだ数人おります…。
そして車ごときではありますが私の愛車INFINITI FX35も津波の犠牲となりました。そして仕事も福島原発の影響で不安定状態…これが続けば家族を路頭に迷わせてしまう危機感もあります。
しかし私は命があり、生かされています。今の自分に何が出来るのか…生かされているもの同志とこのようなBlogを通じて共に考え行動し…決して犠牲者達のことを忘れずに…次に来る困難に立ち向かいたい…と今は考えています。
ですのでこれからもBlogをでるだけ毎日更新したく考えております。極力、復興へ向け役立つ情報や前向きな考えを記載できるよう努めて参りたく思います。それでは回顧録最終章に入りますね。
【2011-0328】
本日は宮城運輸陸運支局へ愛車FXの抹消手続き。そして仕事として今後の宮城支局の業務予定を確認。仕事関係でカーディーラー、各自動車販売店や関連業者さんとのお取引も多いのでここ支局がフル稼働しないと車検や登録関係が進まない。今後、甚大な被害がでた沿岸部の方へ取引を再開するにあたってもまずは宮城運輸陸運支局の復旧はネックにもなるだろう。
しかし来月(4月)中旬には完全復旧を目指しているとのことで一安心した1日だった。
そしてこの日は震災後初ラーメンDAYでもあった♪友人が3月10日の震災1日前に新規オープンしたラーメン屋…その名は『田蛇デンジャー』。田舎の暴走族みたい♪が第一印象(笑)
友人2名は震災の翌々日には店を開けてたらしい。どこより早く復旧OPENしたらしくこれは仙台市内でも有名になった噂話…。ちなみに今は閉店した宮城県一こってりしたラーメン屋の味を継承したので現在こってり度は宮城1番のはず。天下一品ラーメンも私は大好物だが…ここのこってりは最強なので一度ご賞味あれ!場所は仙台市青葉区北四番丁地下鉄駅付近ですよ!
【0329】
先日のイタリアセリエAクラブチームインテルの長友、そして世界のフットボールサポーターからのメッセージに感謝感動した私。そして今夜…今震災後に唯一楽しみにしていた、JFAチャリティーマッチの日がやってきた。あえて私はサッカーと呼ばない…なぜなら日本代表も世界基準に既にあるからあえてフットボールと私は呼んでいる。その世界基準のALL-JAPANが今夜大阪長居に集結する…全ては東日本の為に。
放送開始…サポーターがベガルタ仙台コール…様々な応援メッセージボード…国歌斉唱…黙祷時の選手達の立ち振る舞い…男気ある我らの満男(鹿島アントラーズ:大船渡市出身)のがむしゃらな気迫…あの長友のサイドを駆け上がるスピードまさに韋駄天…職人遠藤のフリーキック…ゴール後駆け寄る代表メンバーは皆で天を指差す…そして金色の空がそこにあった『You”ll Never wolk alone』三浦カズのゴールシーン…涙はピーク…止まらない。
青き伝道師達…夢にまで見た日本を支えるフルメンバーでのフットボールゲームだった。
人間、そうそう本気で感動はしない…長女が生まれた時と同様の感動がそこにはあった。
【0331】
感動をありがとう…F1開幕戦も感動した。『がんばろう、日本!がんばろう東北!』フォミュラーワンのレーシングドライバーからのメッセージ…ありがとう…この企画をGPDA(グランプリドライバー協会)に掛け合った山本左近と小林可夢偉…ホントにありがとう。
INFINITI…知らないうちにRedBull(エアレース最高!)のスポンサードありがとう。(←関係ないか…)
NHKの生放送で本気で政界へ向け被災者の代弁をして頂いたソフトバンクグループ創業者の孫さん…ありがとう…あなたは本気でこの日本の危機を伝えてくれてましたね。
長渕剛さん…屈強の地獄をみた被災者達の気持ちをそのまま詞に作り…ありがとう。
ここには書ききれませんが…本気でこの震災復興に力を貸してくれているみんな…ありがとう。
本気の感動は…我々を少し前に押してくれる…そしたらみんな上を向いて歩こうよ…暗闇だって恐れることはないよ…嵐の中でも踏ん張っおい…そしたらその先には金色の空あっからよ…歩こう風の中を、歩こう雨の中を…たとえ今は夢が砕け吹き飛ばされようとも…歩こう歩こう希望を胸に…あなたは決して独りぼっちじゃないのだから…いつかつながるさ…『You”ll Never wolk alone!!!!』
Posted at 2011/04/21 00:24:40 | |
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東日本大震災 回顧録 復興 | 日記
2011年04月20日
【2011-0420】
今日、今後の仕事の行方流れが上向きとなりそうな第一報が東京から届いた♪
そしてプライベートでは新しいカーライフが楽しめそうな朗報も横浜から届いた♪
両方ともまだ決定的な状況では無いが…楽しみ♪詳細取れ次第ブログにUPしますねー♪
今夜は震災の中、うれし涙…を流した少しハッピーな回顧録ですよ♪
そうだ…デジカメが手元にきたので早速フォトUP…と思いきや、PCとの愛称が悪いのか圧縮できないよー
誰か助けておくれ!微妙にPC苦手なんだよなー(泣)
【2011-0326~0327】
震災15日目。東北3県で死者は10,000人を超え不明者は17,000人…今朝の新聞発表。
震災後は悲しい現実に気持ちが落ち込んでいた…若干グダる。
私が好きなスポーツはフットボールサッカーとモータースポーツレーシング。
そんな中、最初にフットボールの世界から私は感動のメッセージを受けた。日本代表の長友…FC東京でプレーし現在はインテルのサイドバック。
これは今から10日前ようやく自宅に電気が通りTVから流れてきた光景…
UCL(チャンピオンズリーグ)インテルvsバイエルンの試合前に日本へ向けてメッセージ…か…(泣)
そして最も感動したシーンは試合終了後…長友が日本国旗を持ち…そこには…
『You"ll Never wolk alone』 …の文字 そしてサポーターがこの歌を大合唱している♪
♪嵐の中を歩くとき 上を向いて歩こう 暗闇だって恐れることはない♪
♪嵐が過ぎたその先には金色の空が広がり ひばりの囀る声も聞こえてくるだろう♪
♪歩こう風の中を 歩こう雨の中を たとえ、夢が砕け吹き飛ばされようと…♪
♪歩こう、歩こう…希望を胸に あなたは決して独りぼっちでないから…♪
♪歩こう、歩こう…希望を胸に あなたは決して独りぼっちではないのだから…♪
『You”ll Never wolk alone』 私が大好きなElvisプレスリーも歌ったあの曲だ…
『You”ll Never wolk alone』 イングランドへ行きあのホームスタジアムで聞いて私も大合唱した感動が甦った…大好きなフットボールチーム★リヴァプールFC★のアンセム(愛唱歌)だ…
この歌をアンセムにしているクラブチームは世界にも多く…大勢のサポーターが愛してやまない曲だ…
鼻の奥がツンとして涙が止まらない…家族の前だが遠慮なくボロボロ涙がでる…
東北のみんな…聞いてくれ!『You”ll Never wolk alone』俺達は決して独りぼっちじゃないぞ!
このアンセム(愛唱歌)を被災者のみんなに届けたい…届けばいいな……
27日のお昼に突然『お待たせしましたー大阪ガスいいますー』来客だ…大阪ガス??
震災16日目にしてようやくガスが自宅にやってくるー『ようやく風呂に入れるぞー』大喜び♪
『大阪ガスさん、ホンマオオキニ~♪』関西弁で礼を言うと『へったくそな、関西弁でんなー』と大笑い!
全国のガス局の皆さん本当にありがとうございました。予定より数週間も早くライフラインが全て復旧しました。早速、昼間っから16日振りの風呂に入った…『あーーーーあったけーーーーきくーーーー』
風呂場で大声で歌った… 『You"ll Never wolk alone』 ♪歩こう、歩こう…希望を胸に…♪
Posted at 2011/04/20 21:30:04 | |
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東日本大震災 回顧録 復興 | 日記
2011年04月19日
子供の時から雨の日は嫌いじゃない…特に屋内の窓から眺める雨の日の外風景は落着き感じられ癒される…。ブログ作成しながら外を眺めていると近所の娘さん(昨年高校卒業)が来客。『○○ちゃんもあっとゆーまに大人の女性って感じやねー』と褒めてあげた。用件は次女にオサガリの高校の制服を持ってきてくれた。明後日からは次女も高校生活スタートだ♪
【2011-0319~0325:卒業編】
3月18日の石巻市入りをかわきりに私は友人レッカーマンの要請で日々被災車両の撤去をサポートしていた。仙台市宮城野区蒲生・仙台港エリアを訪れた際は先日ご遺体で発見されたカーボディショップの社長の工場付近まで足を運んだが以前あった場所が解らないほどの壊滅状態。
多賀城市・仙台港エリアでは数多くの大型トレーラーからコンテナが散乱。それに潰されている自家用車たち…その中に友人トラッカーマンのダイハツミラは巨大倉庫の奥の奥のほうにチラッとみえた。
トラッカーマンは『バイク(CBX400FⅡ)自宅に置いてて良かったー』と言っていた。本来はここの職場のガレージに保管していたが運良く自宅に持ち帰っていた。でなければ愛車CBXも犠牲になっていたはず。
仙台市若林区荒浜地区にはさすがのレッカー車もまだ入っていけない状態…ご遺体が多数あるらしい…。
そんなある日、若林区の住民依頼で田んぼから被災車両(外装はまったくダメージがない車両)を撤去準備に入っていると一人の娘さんが自転車でかけよってきた。
『おじさん、ちょっと待ってーお母さんの荷物取らせて下さーい』と言ってきたので作業を停めた。年を聞くとうちの三女と同じ学年だった。娘さんは車内からドンドン紙袋へ入れていく姿をみつめていた。
『あれ…ないなーないなー』と娘さんはあわて始めた。『なに探しているの?』と聞いてみると…
『お母さんが大事にしている指輪付きのネックレスなんだけど…ここのミラーにいつもかけていたんだけど…』 『…まさか盗まれたのかなー』と娘が片を落とした。
この子が『お母さんが大事にしている…』と発言したのを確認した私は『このまま待っているからお母さんに聞いてきてみたら?』と、しかし娘さんは無言…。その素振りでハッとした私は『ごめん…』と頭を撫でた…。なんてデリカシーのない発言をしてしまったのか悔やんだ…。
『お母さんが大事にしていたネックレス』の言い間違い…それがその答えだった。彼女の中でまだお母さんを亡くしてしまった現実が受け入れられるはずはない…。今日もまたショックを受けた…。
遅れ遅れてようやく23日が次女、25日が三女の卒業式。小学校は震災の影響で使用できなかったので隣接する中学校を利用し無事卒業式を迎えられた…。
『あの子も今頃…卒業式だよな…』晴れ渡る空を見上げ願った…『どうかあの子が二度と非情な思いをしないように…』と。
Posted at 2011/04/19 17:29:31 | |
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東日本大震災 回顧録 復興 | 日記
2011年04月19日
【2011-0419】
本日は本降りの雨の為…MyWorkは在宅にてデスクワーク中。
昨日、震災後初出勤&打ち合わせで福島入り…だがしばらくは本格的な営業やコンサル業務は難しそうであると結論。案の定、福島県は(宮城県も同様)特にクライアント先も気落ちして元気がない…(カラ元気がほとんど)震災津波被害はもちろんだが、なんと言っても原発の風評影響がある…最悪だ。
当サテライトオフィスはWEB製作のシステム技術者達が稼動しなければ仕事にならない。
が、大半は出勤出来ない現状…なぜなら退避エリアや近辺から出勤してた仲間も多く、本人達が関東などへ避難している。もちろんノートPCでのやり取りも可能だが…限界がある。通常稼動当面無理だな…。
落ち込んでられない…がこれが現実。さておき明日ようやく注文していたデジカメが届く~♪…(カラ元気)
【2011-0318 東日本大震災回顧録9:出動編】
震災から一週間経過。朝、友人のレッカーマンから着信『暇だろ?付き合え!石巻へ出動すっつお!』
レッカーマンは数日前から多忙(多賀城市内R45エリアの被災車両撤収作業)であった。
さすがに石巻市となると単独では行けず所有のレッカー2台&積載車(←私が担当)1台でフル出動と決めたらしく私にも応援依頼が入った。
レッカーマンとは石巻市内で合流予定だったので私は単独で三陸自動車道の鳴瀬インター(緊急車両の為通行可)で降り、震災当時の現場を回ってみた。
案の定そのエリアは瓦礫の山だった…。あの小学生3人を降ろした場所は役場関係の出張所だったことはその日知った。1F付近には浸水の後があったが彼らは建物の上部へ避難したはずなので恐らく無事だったろうとホッとした。役所勤務の方に聞いてみた『この付近に何時何分頃に津波到着したかご存知ですか?』と、瓦礫処理中でドロドロになっていた方が『第2波3波が酷くて…記憶では3時40分は過ぎていたと思う…』と言った。私のFXが犠牲になったのは確実に第1波であったが、自分の記憶の時計とは約20分も違っていた。本震から津波到達まで約50分らしい…私は30分以内で退避エリアに移動した記憶。
どれほどパニックになっていたのかと、自分の行動を改めて回顧しながら石巻へ積載車を走らせた。
その後、東松島市矢本地区から石巻までは迂回路を走行したのでさほど衝撃を受けなかった私も石巻市内の港付近のエリアに到着すると絶句した…。奥へ進みトンネルを抜けての一言は『まじかよ…』
一週間経過している光景じゃない気がした…今さっき津波が襲った現場であると錯覚した。
真っ黒い一面…車やトラックは黒い鉄の塊り…大型船は潰れ固まった住宅の頭上に…その黒い光景の先は…何ひとつ建物がない…そこはまさにTVでみた戦場跡地のようだった。
涙がポロポロと流れた…涙と砂ぼこりで目がヒリヒリして目を開けられなくなり積載車を停めた…。
『この瓦礫の中に一週間前に生きて笑顔をみせてた人たちが何百人いるんだろう…』
この地獄の光景を携帯で写真に収め笑っていた県外ナンバーの二組のカップルが馬鹿騒ぎしている。
俺は無言で積載車の窓から空き缶をその車に投げつけ『…消えうせろ…』と恫喝した。
俺には絶対この光景を写真になど収められない…今この段階ではこの土地以外の人間はファインダーを覗いてはいけない気がした…プロのカメラマンは仕事だから仕方ない…だが素人がこの光景を画像に納め、まして公開するなどもってのほかだ…だから今の日本人はくだらないと世界で笑われるんだ。
なぜなら…『この真っ黒い世界に何千もの笑顔が埋まってしまったんだぞ…』 今もあの光景を思い出すと泣けてしまう…。 私がブログをはじめ伝えていこうとしたきっかけがここにある。
Posted at 2011/04/19 15:13:24 | |
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東日本大震災 回顧録 復興 | 日記