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GG KICKERのブログ一覧

2013年03月17日 イイね!

【イェーイ~君を好きでよかったぁ♪】

【イェーイ~君を好きでよかったぁ♪】
『イェーイ~君を好きでよかったぁ♪』

『このままぁ~ずぅーっと♪ずぅーっと死ぬまでHappy~♪』

20年前の歌謡曲を口ずさみ愛機のバッテリー充電作業中の…どーも【KICKER】ですっ♪

春ですねぇ~風はまだちょっぴり冷っこいですが…
待ちかねたシーズン到来♪


嫌なことがあっても…
人からどぉ思われようと…
それでも自分を信じ踏ん張ればそれでイイのさぁ♪


ストレス溜まった時は…愛車【Qちゃん】をゴシゴシ…ピカピカ…ツルツル♪
【今朝一番…ガレージでリフト上げオイル交換&磨き済み♪】

イライラした時は…愛機【Vちゃん】をカチャカチャ…ピチャピチャ?ブォンブォン♪
【昼前には…充電完了し1人鴨蕎麦食いにRUN-RUN-RUN♪】


世田谷基地でブルメタ 【'70トランザム】 転がす名物叔父さんも言ってました…
『俺は俺!貴様は貴様!うるせぇ排気音が俺様の証♪』

オヤズになってもズズゥになっても宝物転がして死ぬまでHappy~ってなぁ♪



にしても…Vちゃんのバッテリーの位置…うぅ~ん♪微妙♪


Posted at 2013/03/17 15:30:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | ツーリング バイク ride | 日記
2013年03月11日 イイね!

【回顧録⑥・・・復興】

【回顧録⑥・・・復興】こんばんわ 【KICKER】 です。

さて、明日であの日から2年が経過します…。

明日の PM 14:46 ~ 16:00頃はどうか皆さんも僅かな瞬間で良いので…黙祷し…
震災慰霊へ対し安らかな祈りを捧げてあげて下さい…

今日で回顧録は最後となりますが…

我が故郷東北沿岸…東北人の踏ん張りぶりは今後もお届けして参りますのでよろしくです…

それではお届けします…忘れてはいけない…あの日…  そして…復興…






【2011y 3/17 ~ 4/11 みんカラ開始当日】

AM 9:50 頃…陸上自衛隊の霞の目航空隊駐屯地から自衛隊ヘリ2機が…
福島第一原発3号機へ冷却作業の海水投下を始めた頃…

いよいよ自分自身も…やれることを始めようと復旧へ向け徐々に立ち上がった…

復旧作業として第一に取り掛かったのは被災車両の排除からだった…

警察や保険会社、自動車販売関連業からの依頼でのレッカー排除の補助と車両搬送だ…

17日の午前、県警本部から最初に排除依頼が入った先は多賀城市の国道45線沿いだった…

建物に重なる全損車両をレッカーのウインチやクレーンで引き出し…積載車に載せ…臨時置場へ搬送する作業をこの日の午前から毎日夕方4時頃まで数百台排除した…

それは経験した事がない…地獄の約45日間…

大空には…低空飛行する何機ものヘリ…US-NAVYの義勇軍が爆音をあげていた…


多賀城市の国道…産業道路…仙台港周辺…宮城野区蒲生地区…若林荒浜地区…

仙台近郊には数日後、徐々に全国各地のナンバーを付けたレッカー車や積載車が復旧支援に駆けつけてくれた…
その彼らから何本もの差し入れの缶コーヒーと煙草を頂戴した…

その数日後…最も被害が大きかった…石巻市内に突入し…
泥とヘドロにまみれ…被災車両を引き出しては…運びを…繰り返していた…

そして…

何人もの…

犠牲者を…   発見した…

その度に作業を一時中断し…鑑識の到着を待ち…現場検死…
終了後に担当した警察担当官、自衛隊隊員と共に…黙祷を捧げ…
車両排除を迅速に行ない…次の現場…次の現場を…排除を…繰り返した…

時には…我々に語ろうとしてくる…ご遺体との対面には… 

ボロボロ泣けて…車のフックにウインチを掛けて…大声上げて…鉄の塊りを押し出した…

なんで…逃げ切れなかったのかな…    なんで…俺は逃げ切れたのだろう…

自問自答を繰り返しては…ご遺体を…みつめていた…





そんな現場から疲れて…帰宅すると…その晩、女房と大喧嘩になる日々もあった…

普通の生活に戻れない状態が何日も続き…互いにストレスが爆発する日々…

燃料不足の時は女房から… 『並ぶの嫌なら自分の被災車両からガソリン抜いてきたら…』

そんなことを言われて…ブチきれたこともあった…


ようやく…震災7日目の早朝に電気復旧…通電が開始されテレビからの情報…

しかしニュースを観て…改めて…愕然とした…

岩手・宮城・福島の3県で亡くなった方々の数…今日現在で6911人…

行方不明者数 10754人…    ショックに…言葉がない…

そして…今朝の新聞…行方不明者欄に知り合いの名前…

結果、数日後…ご遺体が発見された…

昔から世話になっていたオートボディーショップの社長だった…

それも…18歳になったばかりの息子さんの名前も…隣に…親子で…

2人の訃報を確認した数日後…仕事関係の仲間だけで…10名を…超えた…




大阪ガスの方々が支援で県内に入り…我が地区の都市ガスが再開され…

風呂に入れたのは…震災から…17日目の昼…

温かさに癒され風呂に長い時間つかり…人間らしさを徐々に取り戻し…考えこんだ…

このままじゃのスピードじゃダメだ…生き残った人達の為に何かせねば…

何か爆発的なアクションを起こさなければ…故郷も…いずれ自分自身も破滅に進む…

仕事的にも福島のベースオフィスは…結果…一時閉鎖を決断するしかなかった…

職場からは…東京の本部へ入り東日本の復興対策室の立上げに尽力するよう指示が出された…





その後…勤務先の関係各位に交渉を重ね…迅速な復興に対する支援と資金を段取り…

復興対策室の室長を命じられ…東京をベースに自治体・企業・ボランティアの支援を受け…

何とか5月には震災後初の気仙沼…南三陸に入り現場責任者としてスタッフと汗を流す日々…

全国のオートオークション会社や各カーディーラー、販売店、大手金融会社と連携を取り被災車両の代替え支援で新車のリースやマンスリーレンタル、中古車の安定した流通支援等々…

復興型カーシェアリングの立上げ…各整備工場・ガソリンスタンドの再建へ精を出し…

そして今から1年少し前に国・地方自治体直系の本格的な復興支援業務に籍を移し…加速…

臨時老人福祉施設や仮設住宅と病院を行き来きで使用する福祉車両の運営であったり…

社会福祉施設の再建を中心に…復興を目的にした各地方事業再建、共済事業に現在は携わって…

明日で震災から2年が経過し…復興から3年目を迎えようとしている…

今年の夏からは政府を軸としたバックアップ体制が整い次第、正規の復興請負人の一員として仕事とは又別の角度、立場で故郷を支援していければと計画中だ…

そうやって一歩一歩…故郷の海を取り戻して行こうと…みんなで…踏ん張っている…



亡くなった同胞の死を無駄にせず…仕事も家族もそして趣味も…
全力で楽しみもがきながら…明日からも踏ん張って行こうと思う…そう、肩の力を抜きながら…

2013年3月11日…風が強い深夜…明日の1日の為にそろそろ寝る準備を…

おしまい。。。


東日本大震災回顧録…漢。完。






2013年03月09日 イイね!

【回顧録⑤・・・仲間】

【回顧録⑤・・・仲間】おはようございます。

今朝の宮城県内は暴風警報発令中。
風が強すぎて明後日の追悼式典のテント設営が午前中は延期…時間空けばBlogを更新と…

ここからの 【回顧録】 は震災翌々日から約一週間ごとに起きた出来事の記憶をたどってみる…

当時のブログとは若干内容も異なり前後しますが…そこはご勘弁を。何より伝えることが大事…





【2011y 3/13 ~ 3/15】

3月13日、日曜早朝…震災3日目の行動…。

早朝から単車2台連ねてレッカー屋の友人と利府町という宮城県の沿岸部手前にある山間の町の親友の自宅へ向かってみる。

まずは1件1件訪ねてみようと考えた…携帯電話が利用再開となるまでは…

訪ねた彼とは小学4年の時に出会い…いわゆる親友と呼べる間柄…兄弟のような関係。

彼の仕事は全国駆け回るトレーラーの運転手。

彼と震災当日11日の昼前に携帯で連絡をとったのが最後だった。

震災が発生しなければ、その晩は仲間内での飲み会を予定していたのでその件で電話を入れていた。

私の最悪の予想…津波到達時に空港線と呼ばれる海沿いの街道をトレーラーで走行中かも…
運送会社のベースも仙台港にある…もしかすると津波に呑まれた…

仙台空港も仙台港も想像を超えた状況になっていることはワンセグで知っていた。

彼の自宅前……
泥まみれのトレーラーヘッドが停まっていた。

『朝からうるせーよ、おめーら』 と彼が笑って玄関から出てくる。

嬉しかった…。親友が目の前に立って生きていたことが…

本震直後大渋滞にはまり途中で荷台を切り離しトレーラーヘッドで爆走…家族が心配で自宅に直帰したとのこと。
あのまま海沿いを走っていれば…映像のようなマズイ状況だった…と顔を引き攣らせて話す。

彼から、もう1人の仲間の無事も知らされた。
運ちゃんの2人は震災発生後にトラックの無線で連絡取り合え互い無事を確認したとのこと。

人の生死には…運命と偶然的な部分が重なりあう…

ちなみに仙台港の勤務先に止めていた愛車は津波に流され…後日、レッカー車で置場まで引き上げた。

私の愛車 【FX】 の隣に親友の愛車 【MB】 も並んだ…被災車両として…





震災…4日目…ここにきてようやくメール送受信が回復…電話機能も若干の回復傾向。

岩沼市の妹夫婦とようやく安否確認が取れた。家族全員無事。

沿岸から直線で5~6キロの自宅は一階部分は浸水した…全壊らしい。

『生きてなんぼだ…数日中に避難所へ行くから…今は夫婦一丸踏ん張れ!』 とメール送信。



私達夫婦は季節外れの雪の中…臨時開店前のスーパー量販店の列に並んでいた。

並び始め…3時間が経過…列は多分300人~400人の人々…

朝7時に並び始め入店出来たのは11時過ぎだった。

『お1人様10~15品限定で販売しておりますのでご了承下さい!』 と店員が言う。

こんな日が来ることを多分、誰も想像していなかっただろう…この状況なら仕方ない…と我慢。

しかし入店後、常識から外れた奴らに遭遇した…

非常識で自己中な腐れ人間はこの数日あちこちに現れた…その度に俺は暴れた…



カーラジオから 『福島第一原発の爆発に関して…』 と伝える。

今の記憶ではそれが最初の爆発なのか何回目の爆発なのかの記憶があいまいだ。

ちなみに我が家に新聞が届いたのは3月16日…震災5日目

震災前の私の拠点は横浜の本部に籍を置き、東日本の輸入車マーケティングを主に管理。

北関東、東北、北陸を動き回る仕事のベースオフィスは福島県にあった。

私は単身で郡山市に半居住し仕事をこなしていた。
大震災当日は偶然にも家族の住む宮城県内にいれた偶然を今は神様に感謝している。

しかしその福島の原発が放射能漏れとなると…今後の業務にも不安を感じてくる。

震災から4日目まで福島の事務所スタッフ全員と連絡不通だった。

私にとって福島は第二の故郷…

社会に出て累積10年近くは福島県に滞在しており仕事関係はもちろんのこと私的な付き合いを続けている仲間も親戚も大勢の関係を持つ方々が住んでいる。

そこが放射能汚染…ショックだった…

『健康にただちに害はない…』 と…政府の第一声に何の根拠も無いことを知っていた。。。

あの日から数週間の震災対応…被災者支援救援…

そして原発に対する政府の対応の遅れを俺は忘れない…



2013年03月09日 イイね!

【回顧録④・・・現実】

続けて参ります…

にしても…年ですねぇ…夜の11時には眠くなりますわ。。。 





【2011y 3/12 AM 06:00】

愛馬 【GSX-R 1100】 に跨り…震災がやはり現実だと感じた…いくつかの違った光景…

①全ての信号が点灯していない…
②女房達が言っていた衣料量販店は爆弾が落ちたかのような状態…
③沿岸部同様に道路は凸凹波打ち地割れし路面状態が最悪…
④コンビニが開店していない…しかし朝から店前に並ぶ人々…
⑤そしてガソリンスタンドも開店してないのに車列で路肩は渋滞…

そんな光景を横目に…まずはBIKEで15分程にある実家へ向かった。

実家は自宅からほど近い場所なので昨晩訪れてみたが誰もいなかったので…メモを残してだけいた。

実家は自宅以上に家財が散乱していた。しかし親父もオフクロも怪我も無く無事だった。
親父は昨晩のうちに祖母(99歳この年の秋に亡くなった…)を介護福祉センターから自宅実家へ搬送してきたらしい。
誇らしげに俺に言った…
『昨日のドサクサの中、施設からばーちゃん誘拐してきたぞぉ♪無事だから会って声かけていけ』 と。

子供の頃の私は親父の厳しさに怯えも有ったが、実は昔から尊敬している。

バイクに乗り始めたのも親父の影響…そして昨日生き続けることが出来たのも多分…親父から譲り受けた野生感のようなものだと感じている。

魔法なのか?? おふくろは温かい味噌汁を作ってくれた…味わいながら昨日の体験を両親に報告した。




【3/12 AM 7:30】

実家から単車で5分…馴染みの共有ガレージに足を運んでみた。

案の定、昨日の夕方に会ったレッカー屋の仲間が既にコンテナ前で薪ストーブを焚いて待機していた。

彼は第一声 『お前そういえば、昨日ノーヘルで帰ったよな…??』

…そうだ…ノーヘルだ…ヘルメットをかぶることすら忘れ動揺していたようだ。

そして数分後、レッカー車で2人は昨日緊急駐車してきた 【INFINITI FX35】 の場所に到着した。

到着後、彼はFXの状態を確認し俺にサムアップ(親指をたて)一言… 『OUT!死んでます!』

俺は 『ここまで走ったことが奇跡だよな…』 と。

そそくさとレッカードーリーでピックアップし置場へ搬送準備を開始…
その数日後…この置場も水没車で満車になることは2人共に想像していなかった。

搬送移動中…

俺はレッカー車の後ろで吊り上げられた愛車を振り返り眺め…助手席で口ずさむ…

『♪ど~しちまった HEY!ヘイ!ヘイ!バッテリーはビンビンだぜぇ~♪』

隣でレッカー搬送中の友人は口笛で 【蛍の光】 を吹いていた…





【3/12 AM 10:00~夜】

置場に愛車を搬送完了し…薪ストーブの前で…しばし冷静に考える。

これから何をすべきか…誰と連絡を取り合う必要があるのか…しかし携帯は機能低下中。

あれ?今日は何曜日だ…土曜日か…この状況で月曜から仕事になるのか…
あれ?俺…職場に連絡入れてねぇ~じゃん…

あれ?今日からの食料どうすんだべ…簡易食料なんて家にないよな…
あれ?車ダメにしたけど…代わりの車は…あっ!業務用の車 【赤パッソ】 があるか…
あっ!ガソリン満タンにしたばっかだ…良し良し…

何かを忘れているような…

沿岸部…沿岸部…津波…火災…立入り禁止…

沿岸部にいる身内は… 『あぁぁぁ…そうだ…妹…』 岩沼市の沿岸部だ…

それから…それから… 『あっ…おばちゃん…』 若林区荒浜地区だ…

友達…友達は…その時…背筋がゾッとする…

頭の中にすごい数の友人や仲間や知人が…浮かんだ…取引先などの仕事関係者…

学生時代から今の今まで関係をもって携わってきた人達の名前や顔が湧き出てきた…

みんな…沿岸部じゃんかよ…

震えてきた…パニック手前で自分自身に 『冷静になれ…』 と自分の心へ指令を出す。

昨日の発生時間…PM 15:00前…津波到達まで…おおよそ20分前後だったろうか??

その時間、沿岸部にいる俺の知り合いは何をしていただろうか…携帯が不通の状態で…イライラする。

そしてまた大きな余震。今すぐバイクで沿岸部へ…でもこれからまた大きな地震がきたらと思うと…

今は…一番大事な家族を置いて行動はできない。

気が付くと仲間達との共有ガレージには…その仲間達が集まり…
午後から沿岸部へ行く行かないの話しをしていた…1人に 『お前どうする??』 と聞かれたが…
俺は、一度家に戻るわ…と答え…そこを後にした。

人間は自尊心がパンクしそうになると睡魔が襲ってくるらしい…眠い…ひたすら眠い。。。
俺は自宅に戻り部屋で横になる…何故か涙が…そのまま泣きながら寝てしまった。。。

多分…津波の恐怖が俺の何かを変えたのか…海へ近づくことが…怖い。。。

身内の安否を…苦しんでいるかもしれない仲間や友人、知人を助けたいが…今日は無理そうだ…




数時間寝て起きると今が何日の何時なのか…解らない…曜日感覚どころではない…

『ご飯だよ…食べな…』 と娘が言った。

こんな状況でも腹が減る…何もしていないのに…

今夜も昨晩と同様のお粥に鮭フレーク…これがあれば俺は大丈夫だが…子供達は可哀想だ…

そして…その時…ラジオの情報で福島原発の水素爆発を知った…

今度は…被爆かよ…  やっぱり…この世の終わりなのかなぁ…と真面目に感じていた。

そして…また夜の暗闇がやってくる…

女房に声をかけた… 『不安だろうけど明日も2~3時間、留守にする…大丈夫?いいか?』 

妻 『どこいくの…明日は朝からスーパーに買出しで並んでもらいたいなぁ…』

『仙台港付近まで行ってみる…でも買出し終わってから行くよ…いいだろ??』

それから後日、女房の談…あの日の夜の俺の目が異常に怖かったらしい…

震災病…この言葉も…しばらく後に知った…

2013年03月08日 イイね!

【回顧録③・・・安堵】

今週の本業務も無事終了。今週も疲れたぁ。。。

明日からの週末は3日後に執り行われる東日本大震災追悼2周忌の準備…

担当地区は東松島市…矢本地区。3月11日を何故?追悼休日にしないのだろうか…

己もあの日を忘れないよう…今夜は出来るだけBlogを更新しようと思います。





【震災当日 PM 16:30~翌日早朝 AM 05:30】

FXを緊急駐車した場所から急ぎ足で歩く。
天候がおかしい…沿岸部を襲っている大津波の影響なのか大気が異常に不安定だ…雪が止まない。

まずは約7~8㌔先のBIKEを保管してあるコンテナを目指し…大渋滞を横目に黙々と歩いた。

渋滞中の車内の人々…9割の人が携帯電話を見つめたり、何度も何度も耳へ携帯を…

自分も…家族全員に4.5回送信を試みたが繋がらないのを知り携帯での連絡のやり取りは諦めていた。
何故ならもっと多くの緊急の要件がある方々に回線を譲らなければ…と冷静に考えていた。

PM 16:55…奇跡的に携帯メールの受信音が鳴った…
『家族4人全員無事です…だから帰宅を急がなくても大丈夫…渋滞でも絶対イライラしちゃだめだよ…』
長女からのメールだった。ものすごく安心した…

コンテナガレージに到着すると…一人の仲間がちょうどBIKEを出そうとしていた所…

『疲れたぁ~、生きてたかぁ~』 と大声で彼に声をかけると

彼も安堵の顔で…『おぉ~生きったねぇ♪ あれっ?歩きかよ??』 と。

事情を軽く話しながら、2人で2台のBIKEをコンテナから引き出し…暖機を開始した。

彼はレッカー屋…なのでこれから始まるであろう沿岸部の支援の打ち合わせを軽く行なう。

明日の昼にまたここで会おうと約束し互いに愛馬に跨り…車と車の間を爆音上げながら共に帰宅した…。

雪が降り路面は濡れど…単車乗りである事を何故か誇りに感じ…自宅を目指した。

玄関のドアを開ける前に時間を確認した…【PM 17:30】だった記憶…本震から2時間半経過している。

家族4人の無事を確認…女房は脅えていたが娘達には笑顔もみえた。

妻と次女は近所の衣料量販店で買い物中に被災、建物は屋根張りが崩れてきて一瞬でガラスも割れ建物は半壊になったと私に興奮気味で話してきた。

長女は自宅部屋のベッドで昼寝中…三女は学校の体育館で本震にあったと報告してきた。

三女に…『パパはどこにいたの??』 と聞かれたが…今すぐに話しをすることは出来なかった…
何故かは今でも解らないが…
自分の体験を家族に話しをしたのはその晩の深夜…三女の寝息が聞こえた頃だった…

自宅は家財等々が散乱していたが大きな損害は無かった。

とりあえずは娘の携帯電話を取り上げ…ニュースを見入った…最悪の現実を目にした…

『パパも自分の携帯でTV見ればいいじゃん…充電無くなるよぉ…返してよぉ…』 と言われ…
その時に自分の携帯にワンセグがあったことに気が付いた…どれだけ動揺していたのか…
ようやく我に返る…。

確かに停電しているので…充電ができない…なので情報はラジオに替えて聞き耳をたてた。

電気もガスも止まったまま…水道からは茶色い水…数時間後には断水…そして闇をむかえた…。

外も…もちろん真っ暗闇…これが震災なのだと…思った。

家族全員で外に出て星を見上げた…今までの夜空の中でも最高にキレイな満天の星空だった。

そして10分置きに轟音と共に強い余震が襲ってくる。

ストーブも動かないので…ロウソクで暖をとる…チラチラと揺れる灯りが少しロマンチックで…たまに家族で大笑いしながら…リビングに布団を集め合宿のように5人でねっ転がる。

その時インターホンが鳴った…お向かいのおばさんが一台余っていた石油ストーブを持ってきてくれた。

貸してくれたおかげで寒さもしのげた…こんなに石油ストーブが暖かいと思えたことは無い…

その暖かい宝物のおかげで夜食にお粥も作れ空腹もしのげた…鮭フレークをかけたお粥が…美味い。

そしてまた余震…平時であれば本震のような余震。
暗闇から迫ってくる余震音(P波)は今でも敏感に感じる…凄いスピードで迫ってくる。

娘が学校の授業で作成した簡易ラジオから流れ聞こえる…悲惨な沿岸部の震災情報…。

こんなクソ寒い夜空の元…外で救助を待つ人達が何千何万といると思うと胸が張り裂けそうになる…

甚大な被害情報…携帯の充電の現状で映像が見れない不安…

『戦後最悪の被害』 『世界規模最大の震災』…

ラジオでは全然伝わってこなく感じ…ストレスが溜まり…イライラする…何人が亡くなっているのだろう…結局、一睡も出来ずにラジオの緑色に光る電源を明け方までにらみつけていた…

今日のあの時間に起きた現実を何度も何度も思い返した…

東松島市矢本鳴瀬地区で…この寒さの中…服も体も濡らし…闇夜に震えていたかも知れない…

地割れ…狂った黒い波壁…あの小学生やトラックの女性ドライバーは無事だろうか…

判断をあれ以上誤れば…愛車の中で溺死したのか…

朝が静かにやってきた…

昨日のことが現実で…世の中終わったようにも思えたが…また日は昇り…今日がやってきた…

多分…被災している皆が想ったはず…朝日が昇れば…神様が…

『昨日のことは全部嘘だよ…』 って伝えてくれることを…みんな願ったはず…

しかし…現実の世界の朝が明ける…映画の世界ではないことは朝の寒さが教えてくれた…

午前 05:30 早朝…完全防備し私はBIKEのイグニッションをONに回し…セルを回す…

静まる団地…冷えきった空気…爆音上げ…冷えきった路面を…走り向かった…

プロフィール

「話し…長っ
会議…眠っ

寝ようかな〰

いやいや…

ヤバイヤバイ…

足の裏がポカポカ…

眠😪💤💤」
何シテル?   05/15 16:48
東日本大震災発生 地元復興をと みんカラをスタート?? 単車の鼓動 四輪の爆音 浜風の匂いとガソリンの匂い わがまま気ままなモーターライフ?? 永...
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