「ツルマルツヨシ」は、1995年4月6日に生まれたサラブレッドです。
父:「シンボリルドルフ」、母:「スィートシエロ」で、北海道の「シンボリ牧場」で生まれました。
1998年5月2日、京都競馬場の第1レース(未勝利、ダート・1,400m)のデビュー戦を勝ち、その後の活躍が期待されましたが、本格的にレースに出れる様になったのは、翌年の夏以降でした。
1999年9月12日、阪神競馬場の「第50回朝日チャレンジカップ」(GIII、芝・2,000m)が、重賞初勝利でした。
1999年10月10日、京都競馬場の「第34回京都大賞典」(GII、芝・2,400m)では、「メジロブライト」(2着)、「テイエムオペラオー」(3着)、「ステイゴールド」(6着)、「スペシャルウィーク」(7着)と、有名どころを抑えての1着でした。
続く、期待された1999年10月31日、東京競馬場の「第120回天皇賞(秋)」(GI、芝・2,000m)は、レース間隔がタイトであったことが影響したのか、残念ながら8着に終わりました。
リベンジを狙った、1999年12月26日、中山競馬場の「第44回有馬記念」(GI、芝・2,500m)は、一歩及ばない4着でした。
この時、足に故障が発生し、翌年秋まで休養します。
2000年10月8日、京都競馬場の「第35回京都大賞典」(GII、芝・2,400m)が復帰戦となりましたが、結果は、6着
そして、2000年12月24日、中山競馬場の「第45回有馬記念」(GI、芝・2,500m)で、左前繋靭帯を断裂と言う大きな怪我をし、競争中止
これが最後のレースとなりました。
怪我が治った後、2002年から京都競馬場で誘導馬として活躍し、2007年に引退
その後については、知らなかったのですが、末席にてお世話になっている
「NPO法人引退馬協会」の情報で、誘導馬引退後は、宮崎の乗馬クラブで余生を送っていたこと、馬主さんが、昨年、お亡くなりになったこと、現役時代に厩務員を務められていた方が中心となって、「ツルマルツヨシの会」と言う、みんなで少しずつ費用を出して「ツルマルツヨシ」の世話をして行く会が出来たことを知りました。
我が家は、
「エガオヲミセテの弟」等でブログアップしている「エガオヲミセテ」を応援していて、同じ頃、活躍していた「ツルマルツヨシ」が、男の子では応援していた馬でした。
4月6日の「ツルマルツヨシ」の誕生日に合わせて、「ツルマルツヨシの会」に入会しました。
全部の引退した競争馬の命を全うさせてやることは出来ませんが(馬主、最後まで面倒を見ろよ、JRA、会議の昼食の仕出し屋への注文で1,500円の幕の内じゃ安過ぎるなんて言っているなら補助金をカットするナ)、少しでも気になる子、想い出に残る子が居たら、こう言う支援のあり方も良いと思います。
もし、「ツルマルツヨシの会」に興味があれば、関連情報URLを参照願います。
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Posted at
2012/04/08 02:21:04