
最近、ネタ切れでブログ更新もなかなか進まないのですが、今回は過去のブログに対して頂いたコメントに端を発して、最近考えていることを書いてみたいと思います(写真は以下の内容とは直接は関係ありません。象徴的な意味での関連性はありますが)。
先日、
話題として ThinkPad を取り上げて、かつての魅力を失ったこと、それはノート PC としての進歩の限界「右の壁」に近づき、競合他社の製品との差異が失われつつあるのだとの趣旨のことを書きました。そして、 Apple の PC には、いまだに something different なものを期待すると。
その後、ブログを読んでいただいた方から、それは PC における「コモディティ化」の進行であって、そういったトレンドの中では、ThinkPad も MacBook も本質的な差異はないだろうと、また、PC の世界でもうひとつの大きな流れとして「クラウド化」の進展があり、この二つを背景に、いわゆる個人の持つ情報端末機器の重要性は今後も低下し続けるであろうとのご指摘を受けました。振り返って再考すると確かにご指摘のとおりであり、自分の視点は低く、蒙を開かれた思いでした。
主要な価値の実態はクラウドに存在し、技術的な差別化も難しいとすると、端末の意義はユーザーの用途に合わせた、いわゆるインターフェースとしての使い勝手の良し悪し、デザイン、個人の所有欲を満足させる道具としてのいい物感、などに限定されてくるのでしょう。それはそれで、脱コモディティ化であり、その中からイノベーティブな何かが現れるのであれば、それも良しなのだと思います。
さて、上のブログの後半では、「クルマの世界ではどうなるのか」、について問いかけるかたちで終わらせましたが、幸いなことに PC の世界ほどには、コモディティ化は進行していないようです。またクルマの一義的な存在理由が、「移動手段」であり、例えば、バス、鉄道、航空機といった、他の交通機関に対するパーソナルな移動手段としての総合的な優位性を考慮すると、クラウド化もそのままの形ではクルマの世界には当てはまらないのではと思われます。
ただ、これもブログ読者の方からの指摘をきっかけに考え始めたのですが、「個人の所有物としてのクルマ」という側面は、PC 業界におけるコモディティ化とクラウド化のアナロジーとして、今後、長いスパンでは希薄化していくことはあり得るのだろうなと思います。すなわち、
・省エネルギーに対する社会的要請の強まり
・技術的な洗練度が増すことによるコモディティ化の更なる進行
・交通インフラの整備による移動手段としての優位性の減少(特に都市部では)
・ステイタスとしての存在意義の消失
といった状況から、個人で1台から数台のクルマを所有するメリットやモチベーションが低下する一方で、では、必要な時に用途にあったクルマをサービスが高度化した未来のレンタカー会社より借りる、あるいは、それなりの規模のカーシェアリング組織の一員として、共有車を使用する、ことで十分じゃあないか、との認識が浸透したクルマ社会が到来するのではないかと思うのです。
こう書くとクルマ好きには面白みのない社会のようにも思われるのですが、例えば、個人では所有できない高性能スポーツカーや輸入車などを、(他人との共有を受け入れられるのであれば)、乗りたい時に、いろいろ乗れるというようなメリットの実現もその利用形態からは予想できます。また、利便性の面でも祖父母との旅行ではその時だけミニバンを借りるなどといった、今もレンタカーを借りることで行われていることがより簡単安価にできるようになるかもしれません。こうすることで、「必要な人が、必要な時に、必要なクルマを、必要な分だけエネルギーを消費して乗る」ことになり、省資源・省エネルギーに対する、ある種の解答にもなるのではないかとも思います。
当然、現在のインフラではこのような社会は達成は当面は困難でしょうし、そのような社会になっても、「個人所有車」が裕福層やマニア層のステイタスとなったりするのだろうと予想はされますが、個人的にはどうも、このブログで描いてみたような未来像に向けて、時代がゆっくりと進んでいくのではないかなと思うのです。
Posted at 2011/09/10 16:53:00 | |
トラックバック(0) |
クルマの話題 | クルマ