2013年11月17日
本日、無事37歳の誕生日を迎えることが出来ました。
日曜日ということもあってか、いつもよりわたわたと出かけて過ごしました。
平成24年8月9日、脳髄液減少症の手術を受けました。
手術といっても簡単なもので、自分の血液を首と背中2か所に注入するというもので、自由診療(保険適用外)のため、入院することが出来ず、即日退院、以後は安静機関として自宅でほとんど動かないように過ごすしかありませんでした。
平成23年11月23日 北海道栗山市の駐車場で休憩中、前方よりバックしてきた車が私の車の前面に衝突。
平成24年1月18日 北海道岩見沢市のスーパーにて駐車中、右の駐車帯にバックしてきた車が私の車の右に接触。
立て続けに当てられ事故にあい、2番目の事故については、体に影響がなかったものの、精神面での負担が大きく、精神科に入院と通院をするようになる。
1番目の事故より、ふらつき、めまい、吐き気などがあり、整形外科では「何の問題もない」と断定され、耳鼻科、めまいクリニックなどを数か所周り、別の整形外科で初めて「脳髄液減少症かもしれない」という病名を聞く。
1番目の事故で整形外科に通院していたが、損保会社より「今月いっぱいで通院は終わりとして下さい」と告げられ、症状が回復していない旨を話しても「当社規定で」と打ち切りを宣言される。
あまりに納得がいかなかったので、いくつもの相談窓口に電話してみたものの、最終的に返ってきた返事は「弁護士を雇って争ってください」ということだった。
交通事故の裁判で比較的有名だった法律事務所に相談に行き、着手金を支払い、争うという方向で話しが進んだが、慰謝料を勝ち取るぐらいしか手はないということで難しい展開となった。
脳髄液減少症という言葉を聞いて、弁護士に電話してみた。それなら知っている先生がいるとのこと。即、その病院に電話をし予約を取り、診断してもらう。事故の経緯、また症状から言って、まず間違いないということだった。
検査のため入院、髄液に色のつく液体を注射し、1日待ってMRI検査をする。すると、髄液の漏れた個所が画像に現れるというもの。それは見事に当たった。
病名 脳髄液減少症 となった。
治癒するのに1年2カ月。動くことが出来ないストレスも相見まって、体重もどんどん増加。好きな武道もすることが出来ず、昇段試験を見送る1年だった。仕事もできず収入もないため、何とも哀れな気持ちになった。
平成25年2月12日 起立性頭痛を含む諸症状の消失を確認。
その後、弁護士に電話し、これまでかかった病院代などもろもろの計算をしてもらう。それから今まで随分待ったと思うし、時間と気力を棒に振ってきたとも思う。
さて、木曜日に弁護士と打ち合わせの電話が、誕生日の今日かかってきた。
何という偶然。
良き結果が出ますように…。
Posted at 2013/11/17 21:14:00 | |
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