まともなブログを書くのは何年振りでしょうか…。
最近は訳あって何シテル等の更新もお休みしておりました。
これから書くことはとっても長いです。
簡潔に出来ない、したくない内容です。
基本、文章構成が下手くそです。
ノンフィクションなのでお見苦しいかもしれません。
以上を理解して頂いた上で読んでいただければありがたいです。
実は、3月31日に私の父親が病気で他界してしまいました。
享年53歳…同月23日に誕生日を迎えたばかりでした。
生前、普段から体調が悪そうにしていました。
家族が病院へ行く事を勧めても頑なに拒み続け、同月30日までは普段と変わらず一緒に生活をしていたんです。
事の発端は30日のお昼頃。
母親からの電話で『ちょっとお父さんの様子おかしいから帰って来れないか?』と半ば動揺した感じで言われました。
私『父さんの意識は?苦しんでるの?』
母『普段通りベッドで休んでる。会話は普通に出来るけど、口内が乾いた血だらけで…』
私は仕事を早退して、自宅にて父親と対面。
私『父さん、大丈夫か?』
父『おぅ、大丈夫だよ。』
私『病院行くぞ。』
父『明日行くから大丈夫だよ。』
私『いや、大丈夫に見えないから縛ってでも連れて行くから。』
父『…わかった。今準備する。』
これがまともな最後の会話でした…。
いざ準備を始めると身体を起こす事すら出来ないほど衰退しており、ちょっとした動作で息切れを起こし、何とか抱き抱えてベッドから座椅子へ移しましたが身体を支えてないと倒れてしまう状態。
さらに、一切瞬きもせず一点を見つめた状態で呼吸も荒く弱々しくなったのを見てすぐ救急車を手配しました。
そのまま約12時間後の31日0時14分、最後のお別れとなってしまいました…。
昨日まで、さっきまで一緒にいた人がこんな簡単に…。
私たち家族が状況を把握する前に現実を突き付けられてしまい、その瞬間は涙が出ませんでした。
ちょうど去年の今頃、父親は長年勤めていた会社を辞めて事業を立ち上げたんです。
私自身も同会社で部下として勤めていましたが、今年の3月いっぱいで退職し、これから協力して頑張って行こうと言っていた矢先の出来事。
それに向けて私は新車を買いました。
しかし、納車された車も見せる事が出来ないまま、次の日にこんな結果に…。
正直な所、父親としては嫌いでした。
しかし、仕事の上司・師匠として頼れて誇れる自慢の『親父』でした。
あの背中…あの声…。
とにかく世話焼きで子供が大好きな人だったので、親族関係で子供が産まれれば我先に抱っこをしたがる人でした。
そんな父親に孫の顔を見せられなかった…。
『おじいちゃん』と呼んであげられなかった事が一番の後悔です。
その報いとして、せめて母親には孫を抱かせてあげたいです。
また、父親が少しずつ揃えてきた道具や資材はしっかりと使ってやらなきゃいけません。
私自身も起業にあたり去年から色々と準備を進めてきましたが、独りになってしまった事による『喪失感・不安』で正直押し潰されそうです。
でも、親父の意志は確かに受け継ぎました。
一歩の前進が難しくても、半歩でも前に。
立ち止まる時があっても気持ちは前を向いて。
地道に、確実に、歩んでいきたいと思います。
もうすぐ秋田も桜の季節です。
普段からお付き合いのある方はわかると思いますが、私、桜が大好きなんです。
私服も、アクセサリーも、愛車にも桜要素を取り入れるくらいです。
出合いがあれば、別れもある。
始まりがあれば、終わりもある。
桜は全てを語ってくれます。
私が経験した今年の春は、何年分の春だったのでしょうか。
移りゆく季節のなかで、私は今、何を想うのか。
変わりゆく時代のなかで、私は今後、何をしたいのか。
そんな事を本気で考えた2015年、春。
人生を愉しめ。自分を信じろ。時代を築け。
今はまだ芽が出たばかり。
何年後、何十年後、いつか必ず花は咲く。
そう信じて、これからの一歩を愉しみながら歩んで行こうと思います。
Posted at 2015/04/12 21:04:29 | |
トラックバック(0) | 日記