数日降り続いた雨は次第に弱まり、
ロードスターのガレージに当たる雨音も優しさを帯びている。
今日は相棒が来てから1ヶ月。
まだ相棒と言う程知り得た訳ではないけれど、
こう呼ぶと心なしか嬉しそうに見えるのは、私の気のせいだけだろうか。
元来からのロードスター乗りでなかった私には、
あの時までは只の気になる車の1台でしかなかった。
年齢も徐々に重ね、
今さら二座のオープンカーを愛車の選択肢に入れるのは
あり得ないと思い至っていたからだ。
以前にMR2を所有していたから、
その手の車が持つプリミティブな走りの良さは知っていたし、
同時に移動手段としての不便さも身に染みていた。
歴代ロードスターオーナーの悲喜交々なカーライフも、憧憬こそすれ他人事だった。
彼ら彼女らは特別な存在なんだと。
一つの車に乗り続ける事は、ある種の奇跡だろう。
それが可能な環境や乗り手の確固たる意思もそうだが、
アクシデントと無縁で、
或いは乗り越えてその車とのカーライフを継続出来た事は、
この交通過密社会に於いて、幸運無くしては困難に違いない。
そして昨年9月、運命の時を迎えた。
ロードスターの発表日。視線と心はPCモニターに映る1台に奪われた。
近年忘れていた感覚、身震い、早鐘を打つ鼓動。
居ても立っても居られない衝動。
雑誌や情報サイトの予想画像と一切違う、
根源的普遍的なデザインは、
斬新や古典といった時系列を超越していた。
もうその姿だけで充分過ぎた。
神は細部に宿る。
何千何万と量産される車種でこれだけの姿を実現しているんだ。
メカニズムやスペックで存在の是非を推し量るのはナンセンスだろう。
渇望にも似た情熱は醒める事がなかった。
私が先行商談を済ませて契約書に判を押したのは、
最早必然だった。
納車され、その走行感覚を味わう。
過不足なぞ介在しない、私の一挙一動に忠実な反応。
そして、一切気負わせない包容力。
人馬一体とは良く言ったものだ。
美しい肢体は軽快に、そして確実に路面を捉え、走り行く。
他者を気押す事無く乗り手を非日常に誘うそれは、
いとも容易く日常世界に溶け込む。
手元にあるロードスターのメインキー。
未だ甚だ実感は得られないが、
あの壇上にあった車の所有者である証が、
確かにここにある。
誰かが言った。
良く出来た車は鏡の様な存在だと。
ああ、そうか。
相棒と言って喜んだロードスターは、
翻って、相棒に出来て喜ぶ私自身なんだと。
そして、特別な存在であったロードスターのオーナーに、
今、私はなっている。
「このクルマを手に入れるほんの少しの勇気を持てば、きっと、だれもが、しあわせになる。」
昔に見たロードスターのキャッチコピー。
相棒と共に、末長く在りたい想いは、日常生活にも活力と潤いを与える。
ずっととは言えない、汚れた大人の自分が悲しいけれど、
もうこれでいいと、思える車と出逢えた幸運に感謝したい。
これからも、一緒に歩もう。なぁ、相棒。
共に、まだ見ぬ場所へ。
共に、まだ逢わぬ人達の元へ。
共に、未来へ。
※長いので三行。
ツーシーターオープンカーなんて諦めてた!
ロードスターめちゃくちゃカッコいい!楽しい!大好き!
迷ってる貴方、思いきっちゃいましょ!(*´∇`*)
1ヶ月経過雑感でした♪
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ロードスター | 日記
Posted at
2015/07/10 02:51:40