
**本ブログは2015年4月7日に投稿したブログの改行、リンク切れ等を修正したものになります。
Mr. K、ミスターKこと片山豊氏・・
Zカーの父とも言われ、アメリカで240Z、
ダッツン(DATSUN)、
日本車を広めた立役者です・・
もちろんそのお名前は存じ上げておりましたが、アメリカにも日産車にもそれ程詳しくない私は、それ以上の知識はありませんでした・・
戦前に慶応大学を出て、親戚である日産創設者の鮎川氏の経営する日産に入社・・
大学時代には北米貨物船の乗組員としてアルバイトし、北米を数か月見て歩いた・・
戦時中には満州に赴任し、戦争が激しくなる前に満州への再赴任を断りそのまま終戦・・
その後、日産の広報などを担当し、1960年に北米日産に赴任・・
後の日産社長になる石原氏が推し進めるNYを本社とする日産の販売方針(総合商社経由)に対抗して、カリフォルニアからディーラーを一つ一つ訪問し、510ブルーバードを売るのに成功し、
北米DATSUN販売の基礎を作り、その後に出た240Zで北米を席巻し、のちに、Mr.K、Zの父と呼ばれるようになります。
片山氏の独自のディーラーを直接回る販売方法が成功し、二代目北米日産社長になります。
二代目と言っても、初代はNY本社で社長の石原氏は東京にいたわけで、実質的には北米日産を立ち上げ、成功させた初代北米日産の社長なわけです・・
片山氏のその後の動向はWikiや関連Web、書物でも読んで頂くこととして・・
私が片山氏をすごいと思った大きな理由の一つは、片山氏は1909年生まれ、、
つまり、北米に渡り、ディーラーを一軒一軒売り歩いたのが、51歳の時からなのです!
51歳でアメリカに渡り、本社の方針にも対抗して、今の全米に日産車を広め、1977年まで17年間、北米日産の社長を務め、現在の日本車の地位を確立したのです!
そして私がごく数日前に知った人物・・
Mr. Raymond Albert Kroc、Ray Kroc・・
マクドナルドを全世界に広めた初代マクドナルドフランチャイズの社長です・・
彼は、ミルクセーキを作る機械の営業マンとして全米を回っていた1954年、カリフォルニアの地方都市でハンバーガーショップを経営していたマクドナルド兄弟と出会います・・
そしてその効率的な調理システムに感心し、マクドナルドのフランチャイズ権を手に入れ、
1955年に初めてのフランチャイズのマクドナルドレストランを開きました・・
そのとき彼は52歳・・
その後、彼が引退する1984年までの30年間で、世界34か国で8300店舗のチェーンに広げました・・
・・・・
私は、今まである事情で少年時代にやりたかった仕事には就けなくて、その後、何の計画性もなく、行き当たりばったりで、一部自暴自棄気味に長年生きてきましたが、、
ある時、自分の年齢と立場にびっくりして、呆然となったことがあります・・
これからの人生どうして生きていこうか、と・・
しかし、この片山氏やMr. Ray Krocの業績は、50歳過ぎから始まったのですね・・
それまでとは違うことに、50歳過ぎで取り掛かって十数年かけて成功させたわけです・・
もちろん、史上最も経済的に成長していた50年代から70年代のアメリカと、
今の停滞して衰退気味の日本や先進国、背景は違うでしょうが、
この2人の業績を見て、何だか元気が出てきました・・
きっと今の時代でも、我々にできることはあるはずだと・・
退屈した、疲れた、時差ボケだ、などというのは言い訳かもしれない、と・・
・・・・
まだ月曜日のお昼過ぎなんで、もうすこし仕事を頑張ろうっと・・(^^)
@Texas州の州都Austinにて
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Posted at
2025/02/21 12:15:23