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2024年12月18日 イイね!

空港の空弁三昧 / 札幌千歳空港

空港の空弁三昧 / 札幌千歳空港

 札幌千歳空港に初めて来ました。

 お土産屋さんとお弁当屋さんの数に驚きました。

 以下、その一部です。

























































 おそらく世界で一番お弁当屋とお弁当の種類が多い空港だと思います。

 さて、私はどれを買ったでしょうか?(^^)

 (クイズではありません^^;;)


Posted at 2024/12/18 00:11:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | 世界の港から | 日記
2024年12月11日 イイね!

小樽の栄光と時代の痕跡2

小樽の栄光と時代の痕跡2

 小樽で自転車曳きの人力車に乗りました。

 往路は運河沿いの説明を受けて、復路は運河より一つ内陸の通りを走ります。






 小樽が栄えていたのは明治時代から昭和初期。

 その時代に建てられたらしき木造建築。

 小樽の繁栄の歴史を調べたら、

 1.明治初期からの北海道開発の窓口、日本海側の物流の拠点

  北海道入植者、開発の玄関口の港だった。

  酒田、新潟、敦賀、下関などの日本海側の物流拠点。

 2.大正から昭和初期にかけてのニシンの大豊漁

  肥料から食料、搾油まで様々な用途があり、世界の経済に影響を与えるほどの漁獲量。

 3.明治末期からの海外への窓口、輸出港

  空知石炭の搬出、輸出。樺太開発への窓口。





 ガラスが多い贅沢な作りです。

 知らべて見ると1904年に建てられた商店の建物のようです。

 その前年の小樽大火を経験し、木造で防火を考慮した建物のようです。

 そして120年生き残りました。

 この商店だった会社は今も小樽でビジネスをしているようです。





 先ほどの古い建物の前の区画は取り壊されて駐車場になっています。





 1906年に建てられたレンガ作りの建物。

 小林多喜二や村松友視の小説の舞台にもなったそうです。

 この辺の内容は人力車の兄さんに教えてもらったのではなく、あとでネットで自分で調べました。





 創業100年以上の飴菓子屋さん。

 バター飴やその他の飴を売りに来ます(^^;;

 断り切れずに一つ購入(^^;;





 1933年建設の旧小樽商工会議所。





 1930年建設の旧安田銀行ビル。

 運河から一本山側の色内大通りは当時の小樽の金融官庁街だったようです。

 明治時代から昭和初期まで北海道で一番栄えた都市。

 大正時代には、横浜、神戸に次いで3番目の港町だった小樽。

 大正から昭和初期までのニシン大豊漁で日本有数の金融街になり、北海道開拓、樺太開拓、空知石炭の輸出などで窓口となった小樽には、日本中の銀行や運輸倉庫業などが集結したそうです。





 港から高台までまっすぐに伸びる道路。

 かつては高台にある漁師の家から港に戻ってくる船が見えたそうです。

 写真に写っているのは他の自転車人力車の人。





 ニシン景気でお金持ちになった漁師や網元は高台に家があったそうです。





 1922年建設の旧三菱銀行小樽支店。





 1927年建設の旧三井銀行小樽支店。

 小樽で最後の都市銀行として2002年まで営業していたそうです。





 1924年建設の旧第一銀行小樽支店。

 金融機関の建物の数々、いかに大正時代に小樽の経済が大きかったかがわかります。

 ここで自転車人力車のツアーは終わり。

 歴史的に詳細な説明は自分で調べましたが、これらの歴史的建造物のあるエリアを短時間で回るには個人では無理だったです。

 若いバックパッカーの時代には自分で資料を調べて歩いてめぐったかもしれませんが、還暦を過ぎたいまの年齢だときっとこれらの場所に行くのは無理だったと思います。

 そういう意味で少しお金は掛かりますが、勉強にもなり、効率的で人力車ツアーはお勧めです。今回は依頼して良かったです。

 年齢によって旅の仕方も変わることを実感しました。





 観光客でごった返すお土産物商店街の入り口で人力車を降り、商店街を通り抜けましたが、アジアを中心とした外国人観光客であふれた土産物店の列。

 正直言って興味を惹かれるものは何もありませんでした。

 「北海道」は中国、台湾、シンガポールを含めたアジアの人に人気のトレンドなので、驚くほど多くの観光客がいました・。

 この建物は1915年建設のもと米穀商の建物。





 1926年建設の富山の商店の建物。





 洋菓子屋さんルタオの本店だそうですが、歴史的建築物かどうかはわかりませんでした。

 ・・・・

 小樽の歴史、人力車に乗ったり自分で調べたりしないと分からなそうです。

 運河やお土産物商店街の景色だけだとその良さはよくわかりませんでした。

 日本の明治から昭和初期までの歴史、繁栄と衰退と観光業としての再興。

 小樽に行かれる方はぜひ下調べしてからいかれたほうが良いと思います。

 私は下調べしませんでしたが、人力車に乗って良かったです。

 景色だけだと大したことはないです(^^;;


Posted at 2024/12/11 00:02:31 | コメント(3) | トラックバック(0) | 世界の港から | 日記
2024年12月10日 イイね!

小樽の栄光と時代の痕跡1

小樽の栄光と時代の痕跡1

 初めて訪問する小樽。

 JR小樽の駅から港(運河)の方に坂道を下っていきました。






 途中で(待ち構えて?)いた自転車人力車のお兄さん。

 トークと説明と愛想が良かったので1時間のコースを頼みました。





 難いがよく真っ黒に日焼けした愛想のいいお兄さん。

 小樽で生まれ育ったそうです。





 お土産物街のない観光客が殆どいない旧運河の西側を中心に案内してもらいます。

 第二次大戦後に整備された小樽の港。

 近代的な港が整備されて運河の必要性がなくなりました。





 運河の西の端の入口近く。

 1923年、大正末期に完成した小樽運河。第二次大戦後に港が整備されてからは実用性がなくなりました。

 この写真を撮った場所は、石原裕次郎と寅さん映画での浅丘ルリ子の映画での立ち位置だったそうです(^^;;

 石原裕次郎は小樽を愛し小樽にたびたび訪問していたようです。

 寅さん映画も小樽で2度撮られたようです。

 これは人力車のお兄さんのとっておきの定番ネタのようでしたが、裕次郎も寅さんも主要ファン層は私の親世代。

 もう80代後半に差し掛かっているのではないかと思います。。(^^;;

 裕次郎のお墓がある横浜の総持寺も、かつては石原軍団が毎年節分の豆撒きを行っていたのですが、石原軍団も解散し、数年前に総持寺の豆撒きも行われなくなりました。

 この人力車のお兄さんのネタもあと数年でほぼ時代遅れになって使えなくなるのでは、、





 旧北海製缶倉庫。

 一連の倉庫は大正後期から昭和初期にかけて建設された日本最初期の鉄筋コンクリート倉庫だそうです。





 この建物は比較的近年まで利用されて、維持のために補修されたようです。

 今後は観光資源としての価値ですね。





 運河の東側を望んで。

 小型のクルーザーや観光船が係留されています。





 左側の建物も大正から昭和初期に建てられた製缶会社の工場。





 運河の反対側にはこんな元倉庫風の建物。





 このオースチン1300は売り物だそうです。

 調べてみたらこのカフェの前に同年代の別の英国車が止められている写真がいろいろ出てきます。英国旧車専門店が展示しているのかな?





 日本郵船の船着き場を埋めた運河公園。





 この奥に野口雨情の「赤い靴」の童謡の像があるそうです。

 横浜にもある「赤い靴」の銅像。近くに住んでいたのにどこにあるのかよく知りません(^^;;





 放浪癖のあった野口雨情は小樽の新聞社にも勤務していたことがあったそうです。

 こんな辺鄙な(失礼)ところに? と思うかもしれませんが、当時は小樽は日本有数の経済都市だったのです。

 つづく・・


Posted at 2024/12/10 05:26:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 世界の港から | 日記
2024年11月26日 イイね!

ずっと以前から来てみたかった港3 / 坊津 【修正追加版】

ずっと以前から来てみたかった港3 / 坊津 【修正追加版】


 かつて古代から中世、江戸時代の中期までの貿易港だった坊津。



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 明の時代には、安濃津(三重県津)、博多津と並んで日本三津と呼ばれていました。


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 享保の時代に幕府に密貿易を厳しく取り締まられてからは坊津での表面的な密貿易?は大っぴらには行われなくなり、漁港として栄えたようです。


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 明治中後期にはブリ、かつおの漁業が盛んで、日本で最初の発動機付き漁船を導入し、日本有数の売り上げを誇ったそうです。


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 そんな漁業も大正時代には衰退し、静かな漁港となった坊津エリアですが、1960年代に一時的に賑やかになった出来事がありました。


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 坊津の村にあった水神さんのような小さな神社。

 雨のため車内から撮ったので車内が写り込んでいます。


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 ショーン・コネリーと浜美枝。


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 日本を舞台にした唯一の007映画。







 主演ボンドガールに予定されていた浜美枝はロケ前のロンドン語学留学でも片言の英語が話せず、同じく英語留学したNo2だった青山高校卒の若林映子が主要ボンドガールとなった映画。

 映画宣伝シーンの中に飛行機が墜落して炎上する場面があります。


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 この時のボンドカーはトヨタ2000GT。


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 若林が免許を持っていなかったため、トヨタ2000GTはかつらを被った日本の男性レーサーが運転し、トヨタから若林に寄贈される予定だった2000GTは、免許を持っていないからと言う理由で断ったそうです。

 今考えれば本当にもったいない(^^;;


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 トヨタ2000GTと、2代目トヨペット・クラウン(1962‐67年)。

 なぜか寺院の爆破に厳島神社と富士山という日本イメージてんこ盛りですw

 1967年公開の映画でしたが、出演した丹波哲郎が、あまりにもおかしな日本のシーンは丁寧に説明して修正させたそうです。

 英語については丹波哲郎もボンドガールたちと同時に英語留学したのですが、セリフは英語で発言できましたが、発音が映画では使い物にならないレベルだったので、全編吹替になりました。


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 童友社からプラモも出ていたようです。


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 ロケ地だった坊津の秋目エリアには記念碑が建っています。

 記念碑は1990年代に建てられたようです。


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 1966年、日本でのロケを楽しむ007一行。


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 1966年3月5日。監督のルイス・ギルバート、制作者のハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ、フレディ・ヤング、プロダクションデザインのケン・アダムも搭乗する予定だった上に当該機の機長と前夜夕食を共にしていた、BOAC911便が羽田空港を離陸します。

 手前には前日の3月4日に羽田空港に墜落したカナダ太平洋航空機の残骸が映っています。

 007監督たち5人は、出発2時間前に急遽忍者の実演を見ることができることになったため予定変更により搭乗をキャンセルしました。


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 羽田を離陸した約15分後、BOAC911便は富士山上空で空中分解し墜落しました。


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 監督たち5人が搭乗2時間前にキャンセルして難を逃れた007の映画の題名は、

 YOU ONLY LIVE TWICE・・

 この5人以外の映画関係者数十人は墜落した911便に搭乗していました・・

 考えてみれば、当該機の機長は搭乗予定だった前夜食事を共にした007の監督たちに富士山を良く見せてあげようとして富士山に近づきすぎたのかも知れません。

 それを考えてみると、なんだか因果な映画です。

 BOAC911便の前日に羽田で墜落したカナダ太平洋航空403便で生き残ったわずか8名のうち数名は、日本での予定をキャンセルしてすぐに帰国するためにこのBOAC911便に搭乗していたようです。

 YOU ONLY LIVE TWICE・・


Posted at 2024/11/26 00:22:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | 世界の港から | 日記
2024年11月24日 イイね!

ずっと以前から来てみたかった港2 / 坊津

ずっと以前から来てみたかった港2 / 坊津


 遣唐使の時代からの港、薩摩藩の闇の貿易港だった坊津。








 薩摩半島の南端近く。





 枕崎の西側。

 西海岸全体が県立公園に指定されており、広義での坊津に含められています。





 坊津周辺の説明。





 坊津の中心、坊の浦。





 坊津の歴史が展示されているとても立派な公的施設。





 こんな版画の拡大写真が展示されていました。





 地域の中心だった真言宗一条院跡。





 明治維新の廃仏毀釈で取り壊されて小学校になっていました。





 訪問した日は日曜日でしたが、





 職員室。





 児童会室。





 教室の目的が書かれていますが、使用されている感じがしません。





 廃校になっている感じがします。





 西暦538年、百済より帰国した日羅という僧侶が一乗院を開きました。





 飛鳥時代から遣唐使の寄港地になり、近隣の秋目は鑑真の6回目の来日の地になりました。





 1549年のフランシスコ・ザビエル(ハビエル)の来日時の最初の上陸地になりました。





 そんな歴史がある坊津の中心だった一乗院跡。





 当日は6月の梅雨の豪雨でした。





 寺院跡の運動場に降る雨。

 左のFITは私が乗ってきたレンタカーです。

 廃校になった史跡なので中まで乗り入れることができました。





 一乗院跡の説明。





 遺構の一部が展示されています。





 元境内から見る坊津の海。





 古代からの海外の窓口になっていた港。





 遣唐使、密貿易、倭寇、ザビエルなどを受け入れてきた村。

 知覧町の特攻基地の近くで食堂を営んでいた特攻の母と呼ばれた鳥濱さんもこのエリアの出身だそうです。





 廃校跡から見る雨の双剣石。

 私がここを訪れたのは2014年6月の梅雨の時期でしたが、調べてみるとこの学校は2014年3月まで地域の中心の学校として現役だったようです。

 そしてこの学校は廃校になったのではなく、校舎が新築されて移転した跡地だったのです。

 なんだかほっとしてうれしくなりました。





 坊津エリアに設置された比較的新しい鑑真像があるようです。


Posted at 2024/11/24 02:47:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 世界の港から | 日記

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何シテル?   04/14 16:52
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