
1937年群馬県前橋市の写真館の息子として育った
宮川秀之氏は、早稲田大学在学中にバイクでの世界一周の企画を思いつき、友人と2人でイタリアまでたどり着いた・・
そこで出会った初めてのトリノモーターショー、そして美しいイタリア娘・・
ランチャに勤める父を持つイタリア娘、マリーザは大学で日本語を勉強しており、日本に留学に行く予定であった。
日本語を勉強したいインテリ娘に、その当時のイタリアでは珍しい日本人のインテリ大学生・・
親しくならないほうが不思議です・・
マリーザが広島でホームステイをしていたのがきっかけで松田社長と面会し、宮川氏がベルトーネを紹介しました。
宮川氏はそこで初めてジュジアーロと出会い、ジュジアーロと日本車との初めてのプロジェクトが始まりました。
ファミリアに次ぐ2車種目のマツダの乗用車、初代ルーチェ。
当時、1960年代の日本車とは全く違った美しいラインを持つジュジアーロのデザイン・・
この初代ルーチェ、実は親戚の人が乗っていたのですが、幼児だった私には、この美しく繊細なデザインが理解できず、当時の日本車ばかりを見慣れた目には、なんだか気味悪く、恐ろしい感じがしたのを思い出します・・
微妙なカーブと光沢のある横のグリルで構成された4つ目のフロントグリルが、
なんだかサメのような、怖い生き物のような有機的な感じがして気味悪かったのです・・(^^;;
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ルーチェでマツダとイタリアンカロッツェリアとのコラボを成功させた宮川氏に、今度はいすゞからの依頼がありました。
ベルトーネはマツダ、ピニンファリナは日産、というつながりがあった中で、宮川氏はいすゞにはギアを紹介しました。
いすゞとカロッツェリア・ギア社との初めてのコラボが、コードナンバー117のセダン・・
ジュジアーロが移籍してくる前のギアでデザインされたいすゞの乗用車でした。
発売当初のオリジナルは、品があるスッキリとしたデザイン・・
当時の日本のタクシー需要のために、リアシートの高さを確保しています。
スポーツタイプのTSは、丸目4灯のヨーロピアンスポーツの雰囲気です(^^)
中期型になると、少し豪華風のフロントマスク・・
小さな車を豪華に見せようとしてかえってイモ臭く見えます・・
リアコンビライトも妙に豪華風にして、逆に貧乏くさく、、(^^;;
あの徳大寺さんが人生で一番不遇な時に乗っていたのもこのモデルでした。
経営していた自動車パーツ会社、「レーシングメイト」が倒産して不遇をかこっていた時代、「どうせなら一番カッコ悪い車にのってやろうか。」とタクシー落ちの中古車に乗っていたとのこと・・
2000年代の「ENGINE」誌の「徳大寺氏が乗った歴代の車」特集で、唯一?省略されていたのがとても残念でした。人生で最悪の時期に乗っていた車を思い出したくなかったのかな・・(^^;
後期型はこのように超豪華風の顔を付けて・・
1960年代当初の品のあるスタイルとは正反対になってしまっていました・・
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そしてその次のプロジェクト、この車のクーペ版が・・
つづく・・
Posted at 2019/12/20 00:12:26 | |
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