長年多摩川の畔に住んでいたのに初めて訪問した高幡不動尊。
目を引く立派な五重塔があります。
鎌倉時代に建てられた建物も残っています。
江戸幕府の末期に幕府側として立ち上がった新選組の近藤勇と土方歳三はこのエリアの出身だそうです。
函館、五稜郭の戦いで最期を迎えた新選組、近藤勇と土方歳三。
明治政府から反逆者を顕彰することを許された明治初期に菩提寺である高幡不動に建てられた顕彰碑。
昭和に建てられた顕彰碑の説明板。説明板自体は新しそうなので最近建て(替え?)られた感じです。
日野市は観光資源として20年近く前から新選組を推しているようです。
日本観光地百選入選記念の碑。昭和初期に新聞社により選定(詳細不明)。
新東京百景入選記念の碑。1982年東京都によって選定。
高幡不動から上流に行った多摩川の支流、浅川に架かる橋。
2001年9月11日。高幡不動から上流の八王子方面に行った道沿いのダイクマというディスカウントショップでビジネスバッグを見ていたこと、その途中で仕事の電話が掛かってきたこと(内容は大した内容ではありません)を思い出しました。
ダイクマと言えば横浜出身の歌手中村佑介氏の ”ダイナミック ダイクマー!”というCMジングルを今でも覚えています。
(**音量注意**)
そのダイクマのお店も建物も今はなく、コンビニと住宅になっていました。
調べてみると神奈川県発祥のダイクマ自体がヤマダ電機に吸収されてなくなっていました。
その日の夕刻に起こった出来事があまりにも衝撃だったために、その日の出来事が23年経った今でも鮮明に覚えているのです。
多摩川の支流、浅川の下流を見ています。
ここから少し下流、高幡不動の一つ新宿寄りに百草園と言う駅があり、百草園付近で八王子の奥地から流れてきた浅川は青梅奥多摩から流れてきた多摩川と合流します。
多摩川の支流が多摩川と合流する場所・・
22歳頃の大学生の時、15歳からずっと鬱気味だった人生の暗黒地帯で何を目的に生きたらいいか、ずっと精神的に彷徨っていました。
その時、学生時代に1000冊以上本を濫読した中に、相当数の本を愛読していた橋本治と言う作家がいました。
その作家の代表作の一つ、桃尻娘という小説のシリーズの中に、主人公の一人が失恋して、あてもなく東京の郊外をさまよって、多摩川と支流の別れたところの三角地帯に来るシーンがありました。
勝手に片思いして(その主人公は同性好きでした)、勝手に失恋した主人公が、気持ちを分かってもらえない寂寥感、世の中から疎外されている(同性好きの恋愛感情は成就が難しい)寂寥感、孤独感から、その河原の三角地帯に1人たたずんでいる心情風景の場面がありました。
20代前半当時の私は、その時は、失恋したわけでもなく、誰かに恋愛感情があったわけでもないのですが、人生の目標もなく、何のために生きているか分からない喪失感、寂寥感、現実からの疎外感で、その小説のシーンがしみじみと心に沁みて、当時行ったこともない見たこともない多摩川の支流と分かれる三角の河原をこころの中に思い浮かべていました。
多摩川から分かれた浅川の河原の風景を見て、数十年前に感じたそんな寂寥感、喪失感、20代前半のその時の心情を思い出しました。
15歳から20代前半までの私の毎日は、絶望感、喪失感、そんな寂寥感の日々でした。
いまでも私の心象風景はそんな寂寥感があり、私の一番好きな作家はアメリカのカート・ボネガット・ジュニアの世界です。
遠くに高幡不動の塔を見ながら、そんな40年近く前の心境を思い出していました・・
そんな小説を読んでいた十数年後、自分が多摩川の畔に住むようになるとは、二十数年後、多摩川の支流の浅川の上流に住むことになるとは、夢にも思ってもいませんでした。
そんな橋本治氏も5年近く前に70歳で逝去されています。
私はあと何年生きられるでしょうか。
Posted at 2024/12/29 06:44:46 | |
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