• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

44loveのブログ一覧

2012年02月26日 イイね!

救急医療体制の崩壊2 / 東京・大阪の大都市圏は救急無医村状態

救急医療体制の崩壊2 / 東京・大阪の大都市圏は救急無医村状態前回、1月7日にUpしました救急医療体制の崩壊1(医師会が作った現在の医師不足)に、非常に沢山の方々のアクセス、また多くの方々よりメセージを頂き、有難う御座いました。

 アクセス数も、従来アクセスが多かったテーマの日と比較してもわずか1か月余りの短い期間で比較にならないほど桁違いの数を更新し続けており、救急医療体制の危機や受け入れ拒否問題、医療問題に多くの方々が真摯な関心を寄せられているのを感じました。

 また、多くの方々から暖かいメッセージを頂きまして誠に有難う御座います。その他、病院での医師の態度や処置について、不安や不信感を持たれている方々が非常に多いことも改めて認識致しました。

 このシリーズのブログを書いた当初のきっかけは、救急医療の受入れ体制について、救急医療を待つ患者に対して、患者の様態も確認せずに、最初から、「大した容体でもない癖に救急医療を受けたがる医者よりも明らかに立場が上だと思っている自己中で哀れな愚か者」、と決めつける医師たちがみんカラで盛り上がっていたのを見て、かつての自分の体験からテーマとして取り上げる必要があると思い、書き始めたのです。 

 普段は健康について特に何の意識もせず日々を暮している私たち(残念ながら私はもう違いますが、、)。 今晩、急に自分や、自分の家族が倒れて命の危険がある状態になるとは誰が想像するでしょうか? 私も自分が倒れるまで、そのようなことを全く想像してみてもいませんでした。
 いざ、何かあったとしても、救急指定の大学病院も近くにあるし、それ以外の救急総合病院も車で30分以内のところに何件もある、ここに住んでいれば安心かな(笑)なんてのんきに思っていました。

 しかし、いざ現実には、都会にいても無医村と同じような救急医療空白状態。実は、都会の方が地方よりも救急患者の受入れ状態が悪いのが実情のようです。

 私の前回のブログでも、「田舎の患者は従順で、医師も使命感に燃えているから問題ないが、都会の患者はそうでないから訴えられでもしたら勘弁だとおもって診たくない。 」と何名ものお医者様が本音を明かしてらっしゃいます。都会に勤務されているお医者さんは、前回私のブログにコメントを頂いたお医者様(一部除く)のような方ばかりなのでしょうか?



 では、実際のところはどうなんでしょう。

 1)平成21年中の救急搬送における医療機関の受入状況等実態調査の結果(平成22年3月19日、総務省・消防庁) 合計40ページ。

 2)救急搬送における医療機関の受入状況等実態調査の結果について(平成20年3月11日、総務省・消防庁) 合計35ページ。

 これらは消防庁の調査による実際の統計になります。(内容が長いしデーターが多いので実際にお読みになる方はプリントアウトをお勧めします。)
 
 1)平成21年度中に救急車で運ばれた人は468万人(!)で、そのうちの下記の患者について述べられています。
 A)重症以上の患者53万人(535,843人)、  B)妊婦お産関係4万人(40,791人)、
 C)子供39万人(378,210人)、         D)救命救急センター搬送患者57万人(571,965人)。
 *つまり上記の人数には軽症患者は含まれておりません。

 平成21年度中で、紹介件数4回以上(最低4回は受け入れ拒否)の患者は、

 A)重症以上の患者1万3千人(13,164人)、 B)妊婦お産関係517人、
 C)子供1万人(9,569人)、           D)救命救急センター搬送患者1万6千人(15,618人)。

 合計 38,868人、毎日106人、単純計算で1時間に4.4人の人が最低4回以上受入れを断られています。 (実際には、該当資料にもありますように、受け入れ拒否は夜間が昼間の平均3倍前後ありますので、夜間は1時間に12-15人になります。)

 平成21年度中で、滞留時間30分以上(30分以上受入れ先が決まらず)の患者は、

 A)重症以上の患者1万8千人(17,826人)、 B)妊婦お産関係1千人(970人)、
 C)子供7千人(6,953人)、           D)救命救急センター搬送患2万2千人(21,837人)。

 合計 47,586人、
毎日130人、単純計算で1時間に5.4人の人が最低43分以上受入れを断られています。
  (実際には、該当資料にもありますように、受け入れ拒否は夜間が昼間の平均3倍前後ありますので、夜間は1時間に15-18人になります。)
 *軽症患者はこの事案には含まれておりません。

 受入れ拒否が多く発生している都府県

 A)-D)の患者群において、「紹介事案4回以上、現場滞在時間30分以上の事案の割合が多く発生している都府県は、
 宮城県、茨城県、栃木県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、奈良県であり、
首都圏、近畿圏等の大都市部に集中してみられる傾向があります。
(原文ママ)

 2)の平成20年に発表された資料を見てみましょう。

 救急患者の発生数や受け入れ困難(受け入れ拒否)事案についての数字は平成22年に発表された資料と大きく変わっていません。

 受け入れ決定までの紹介回数4回以上の地域別状況
、「首都圏、近畿圏等の大都市周辺部において紹介回数が多く なっており、4回以上の事案の占める割合が、全国平均(3.9%)を上回る団体(10都府県)における4回以上の事案数が、全国の事案数の85%を占めるなど、選定困難事案が一定の地域に集中して見られる傾向があります。
宮城県、茨城県、栃木県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、奈良県 (原文ママ)
 *軽症患者はこの事案には含まれておりません。

 どちらの統計資料でも、首都圏と近畿圏の大都市部周辺に受け入れ拒否の事案が集中している ことが表れています。

 病院もたくさんあり、医師も集中しているはずの大都市圏、実は非常時には一番安心できない地域になっている のですね。

 それはなぜでしょう? 次回に続きます。

*再度強調致しますが、上記の分類項目A)‐D)の団体、受入れ困難(受け入れ拒否)案件の人数には軽症患者は含まれておりません。
Posted at 2017/11/03 18:58:28 | コメント(2) | トラックバック(0) | 救急医療の崩壊 | 日記
2012年02月19日 イイね!

行間の風景1 ユーラシア横断1万5000キロ / 金子浩久

行間の風景1 ユーラシア横断1万5000キロ / 金子浩久
**本編は過去記事の動画リンク切れを修正して再投稿したものです**

 ヨーロッパへ行く飛行機の中から地上を見てみると荒涼とした大地の中に、ひたすらまっすぐに延びる道路が見えます。
 こんな荒野の中にも人々の営みがあり、そこを走ることができる道路がある。これをまっすぐずっと走って行って自動車で大陸横断してみたいな、と思ったことがある人は多いことでしょう。
 でもシベリア、ロシアって何があるかわからないし、現実的に無理そうだよな、、、

 10年10万キロストーリーと言う本があります。
 特別車マニアでもない市井の人が、10年以上または10万キロ以上同じ車に乗り続けたことを取材した記事を集めた本です。
 あのバブル絶頂期の1990年から自動車雑誌NAVIで連載をされていました。

 当時から新車情報雑誌や目を見張るような高性能車を扱う雑誌だけでなく、普通の人の自動車へのかかわりを書いた読み物が欲しいと思っていた私にとって、この連載は数少ない読んでいてこころがほっこり温まるような記事でした。





 普通の人の普通の車への愛情や接し方を扱う雑誌はなかなか商売になりにくいようで、私が90年代初めに住んでいた英国でも、唯一、「Car Choice(旧名Car Buyers Guide)」と言う雑誌がありましたが、90年代中頃に廃刊になったようです。

 そういう意味でも、この連載は本当に貴重な記事です。この10年10万キロストーリー、パート4まで出版されていて、私の本棚には全冊並んでいます(笑)
 NAVIの連載でこの4冊に収録されていない記事もたくさんあります。ぜひ、パート5にまとめて出版してほしいものです。

 この10年10万キロストーリーを10年以上連載されていた著者の方が金子浩久氏で、今回のシベリア自動車横断本の著者です。







 さて、本題に戻ります。
 日常を離れた冒険旅行をしてみたい、それは男の子なら(女の子も)子供の頃から抱き続けいる本能です。私は80年代に沢木耕太郎氏の「深夜特急」という本を読み、20代の間にぜひ世界を見てみたいと思いました。

 この本は、著者がウラジオストックから欧州の西の端、ポルトガルまで、自動車で横断した旅行記です。1991年、私は混乱状態の東欧を旅行しました。当時は社会が混乱し、まともなインフラすらなかった時代の東欧、仮にも都会であるヨーロッパでも大変だったのですから、それから10数年後とはいえ、旧ソビエトのロシア、しかもシベリアの大地を陸路で駆け抜けるなんて、本当にできるのだろうか?








 90年代の終わりに、お笑い2人組が世界をヒッチハイクして回るというバラエティ番組がありました。
 とてもそのままでは済まないようなところでヒッチハイクしたり野宿したり、、、という演出をしていました(苦笑)。あの番組を信じて影響された人の中に何人の死人が出ただろうと思うと気が気ではありませんでした、、、
 平和な日本にいるとなかなか実感がわかないですが、海外に行くと財産や生命の危険を感じるところだらけです。

 この「ユーラシア横断15000キロ」は、そんな状況の中、実際に自動車でシベリアを横断し、ヨーロッパまで行ってしまった物語です。内容は読んで見てくださいとしか言いようがありません。
 私はこの本を、昨年、海外出張から帰国した日に手にして、疲れているのに夜も寝ずに数時間でノンストップ読破してしまいました(苦笑)。

 20年以上前から欧州に住んだりその後世界中を旅して生活の糧を得ている私ですが、そんな擦れた(笑)私が読んでもドキドキする旅の臨場感が伝わってくる本です。







 内容もただの旅行記ではなく、金子さん流の視点で、過去の歴史や土地の風物を解説してあるのが面白く、何度も読み返してしまいます。
 シベリアのど真ん中、こんなところまで連れてこられたたくさんの日本人がいたこと、思わず目頭が熱くなりました。
 またウラル山脈を越える際の、壮絶な追い越しの場面は、思わず笑っちゃうと同時に、読んでいてハラハラドキドキします。



東ドイツを端緒に東欧諸国を流れるエルベ川です。

 東欧と言うと、私にとってソビエト帝国崩壊前の、暗く寂しく陰湿で人々が自由もなく抑圧されている社会を思い起こしてしまいます。90年に欧州に住み始め、その後、プライベートや仕事で様々な欧州諸国出身の人にお会いしたり、旧東欧諸国を訪問したりする機会がありましたが、その憂鬱な影は、何年たっても決して消え去ることはできないのではないかと感じていました。







 ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの「ひまわり」と言う映画があります。第二次大戦でロシア(ソビエト)で行方不明になった恋人を捜し歩くという悲恋の映画です。主人公のジョアンナがロシア(ソ連)か東欧の(自由がなさそうな)暗い街をさまよいかつての恋人を捜し歩く姿、そしてウクライナの大地に咲く美しくも悲しいひまわりの大地。東欧と聞くと、このようなイメージを思い浮かべてしまいます。 (日本語wikiでは「ひまわり」は反戦映画と書かれていますが、反戦映画ではなく普通の恋愛映画です。)

 ソビエト崩壊の10年後、実際のロシアの大地がどうなっているか、実際に旅した視点で、そんな興味も満たしてくれる旅行記になっています。

  私はヨーロッパに20年以上住んだり出張したり運転したりしているので、雑誌などで若い記者などが妙に欧州かぶれしたり生半可なことを書かれたりすると、ついつい鼻白んでしまうのですが(いやな読者ですみません 苦笑)、金子さんには他の記者や自動車評論家の皆様とは少し違った、なんだか余裕のあるような雰囲気を感じておりました。

 その秘密が、この番組を見て少しは分かったような気がしました(笑)。
 金子さんは90年の初めごろ、欧州F1取材でずいぶん欧州で運転されているんですね。ちょうど私が欧州に渡ったのと同じころです。





ユーラシア大陸西の果てポルトガルです。

 この(次の)週末には池袋でトークライブを行われるそうです。

 ほぼ同年代の先輩、金子さんを拝見して、いつも残念に思うことがあります。

 どうして同じ年代なのに金子さんは年々かっこ良くなっていくのだろう、、、って。
 私なんて同じ独身で年々かっこ悪くなっていくのに、、、納得できません!(笑)
 いつもきれいな女性に囲まれて、いいなぁ~。

(*ここの写真2枚は私が撮影したもので金子さんの本とは内容はリンクしておりません。)

*上記池袋トークライブのリンクが間違っていましたので修正致しました(2月21日)。


Posted at 2024/08/31 16:45:36 | コメント(6) | トラックバック(0) | 行間の風景 | 日記
2012年02月12日 イイね!

名曲の風景2 Sadness Part1 / Enigma

名曲の風景2 Sadness Part1 / Enigma**本記事は2012年2月12日の記事のリンク切れ及び改行を修正し再投稿したものになります。


 いまから20年以上前、1990年に初めて海外に渡り、いつもいつも雨ばかりの暗ーいイギリスで初めての冬を迎えました。

 1990年と言えば、戦後40年以上ヨーロッパの東西を隔てていたベルリンの壁が崩壊した翌年、旧東欧では共産主義と言う名のソビエトの植民地が崩壊し、何が正しいのか何が正義なのか、まだ新しい価値観も秩序も社会制度もできていない混乱と無秩序が支配していました。
 総本山のソビエト連邦はまだ存在し、旧東欧諸国では、元支配者への恐怖感と新体制への期待と不安が入り混じった日々を過ごしていました。
 ユーゴスラビアでは7つの民族でできていた国家が崩壊し、内戦に突入しようとしていました。





 冷戦と言う名の大義名分を失った米国軍事産業やそれに追従する英国などは、クウェートを占領するイラクのフセインを放置し、着々と戦争準備を進めていました。





 そんな90年の12月から翌年にかけて、カトリックのグレゴリア聖歌を元に日本の尺八のような音色のリズムをかぶせた少し荘厳な感じの曲がヒットしました。
 英国の暗い冬の空の下、暖かい白熱灯の間接照明がともる少し肌寒い室内で聞く、ラテン語の聖歌隊の歌声は妙にぴったりときて、いまでも英国の冬の風景を鮮やかに思い出すことができます。







 Enigmaというグループは、東欧ルーマニア生まれのマイケル・クレトゥというミュージシャンを中心としたグループで、ボーカルにはマイケルの元妻、元アラベスクのメンバーであるサンドラ・アン・ロウアーが起用されていました。
 90年12月にSadness(Part1)でデビューしたEnigmaは翌91年には世界24か国でNo1ヒットとなり、米国ではダンスチャート1位、ポップ部門4位の大ヒットとなりました。




 
 チャウセスクが支配する東欧ルーマニアの首都ブカレスト出身のマイケル・クレトゥは、裕福な共産党幹部の家に生まれたのか、その才能もあり、若いころからパリやフランクフルトに音楽留学し、やがては西ドイツで元アラベスクのサンドラをプロデュースするようになります。





 自由もない神も認めない唯物主義のソビエト共産党の植民地ルーマニアで生まれ、若い頃から特権的に自由な西側諸国のパリやフランクフルトに学んでいたマイケルにとって、ソビエト共産党の支配が崩壊して秩序もなく途方に暮れている東欧の人たちはどう映ったのでしょうか?





 この曲の歌詞の大部分を占めてるのは、カトリックの聖歌であり、ラテン語で歌われています。そして追加の歌詞はフランス語で入れられています。
 歌詞の内容は、神を讃えるラテン語のカトリックの聖歌と、「何が正しいのか悪なのか、教えて、サド」とつぶやく色っぽいフランス語の女性の歌詞で構成されています。





 ここでのサドは、すなわちあのマルキ・ド・サドのことです。
 当初、この曲は「Sadeness Part1」として、サドの名前と「悲しい」をかけて発売される予定でしたが、聖歌隊の歌に、あのサドの名前を入れるのはあまりにも不謹慎ということで、Sadnessとなったそうです。





 ベースになっているカトリックのグレゴリア聖歌は、1976年に発売されたミュンヘン聖歌隊のレコードを無断借用したもので、後々問題になりました。
 またこのグループの第二のヒット曲、「Return To Innocence」は台湾山岳民族の民謡レコードを無断借用したとして問題になっています(苦笑)。(この曲はヒットした数年後に、日本でも左掛かった司会者の夜のニュース番組のオープニング曲となっていましたから日本で聞いたことがある方も多いと思います。)







 聖歌と言うのはクリスチャンじゃない私が聞いても何か荘厳な気持ちになります。
 やはり何百年に渡って数えきれない人々に鍛えられてきた音楽の力はすごいですね。


Posted at 2025/01/06 18:10:39 | コメント(5) | トラックバック(0) | 名曲の風景 | 日記
2012年02月04日 イイね!

名曲の風景1 Life in A Northern Town / The Dream Academy

名曲の風景1 Life in A Northern Town / The Dream Academy**この記事は2012年2月4日に投稿した記事の改行及びリンク切れ等を修正したものになります。**


出張が多く、ほとんど休みもない私の数少ない息抜きが飛行機の中での時間です。
 最近は(も?)超多忙で隣の席に人がいないときは機内でもパソコンで仕事をしていますが、航空会社もコスト効率を徹底的に追及する昨今、隣が空席だということはめったとありません。
 そういう場合は、仕事をするわけにもいかないので、長距離線の場合は機内のエンタメを見て息抜きをします(コスト削減で機内エンタがない場合が多いアメリカの航空会社を除く 笑)。





 ここ何年も機内で楽しみにしているプログラムがあります。
 そのプログラムは80年代を中心にかつてヒットしたミュージシャンのミュージックビデオ(プロモーションビデオ、PV)を流す番組で、数年前までジオラマ撮影だった「機関車トーマス」と同じくらい楽しみにしている番組です(笑)(機関車トーマスについては別の機会に 笑)

 その曲は以前から知っていたのですが、80年代のMTVブームがあまり好きでなかった私は、PVはほとんど見たことがありませんでした。そしてその曲のPVも機内で初めて見ました。

 そのPVを見たとき、個人的にその景色の優しさとなつかしさに思わず・・・ときました。





 私は90年代初めに数年間英国北部に住んでいました。

 英国はユーラシア大陸の西端、フランスの北、スカンジナビア半島の西側に浮かぶ世界第9番目の面積の島に存在する国です。(ちなみに1位はグリーンランド、日本の本州は世界第7位の面積の島だそうです)
 メキシコ湾流、北大西洋海流のおかげで緯度の割には温暖な気候を持つ英国ですが、緯度は同じユーラシア大陸の東端で考えると、樺太中部からカムチャッカ半島の付け根付近に位置する北極圏に近い位置づけになります。

 テムズ川のほとりにある英国の首都、ロンドンはグレートブリテン島のほぼ東南の端に近い位置にあります。ご存知のように英国本土は、England、Scotland、Wales、Northan Irelandの4つから構成されており、Englandはグレートブリテン島の南部2/3を占めています。

 私が住んでいたのはイングランド北部で、大英帝国島のちょうど中央に位置する場所でした。
 緯度の高さから夏は23時前まで明るく、夕食時間の19時を過ぎるとまだまだ明るい街は通りには誰一人としていなくなり、弱い北国の日差しだけがさしています。23時ごろになると北西の空は弱弱しいオレンジ色に染まり、夕暮れの帳が降りてきます。
 冬は10時ごろまで薄暗く、15時にはもう真っ暗に近い状態になり、人々は長い夜をすごします。




 冷たい北の大地に温暖な海流が運ぶ暖かい空気のせいで、英国の空はいつも曇りがちで、Shower(小雨)やDrizzle(小ぬか雨)が降っています。

 1983年にロンドンで結成されたThe Dream Academyという3人組のバンドは、85年、Life in A Northern Townと言う曲で全米7位、全英15位のヒットを飛ばしました。







 このプロモーションビデオを見ると、北部英国の地味な気候の中で暮らしていた90年代初め頃を思い出しとても懐かしい気分になります。
 PVに写っている風景は、一部JFK関連の映像を除き、英国北東部の都市Newcastle Uopn Tyne、Dahramなど英国北部の都市の列車や車の車窓からの風景になります。



 NewcastleのTyne川に架かる橋、世界遺産Durham大聖堂(ハリーポッターの映画の魔法学校修道院のロケ地)、山あいの20世紀初頭に建てられた庶民の住宅、テラスハウス、、、それらが北の英国らしい空模様の下で映し出されて、本当に日々の英国の風景がよく表れています。





 Youtubeを見ていると、彼らの初期のPVが出てきました。







 このPVは英国北部、リーズとマンチェスターの間に位置する、ウエスト・ヨークシャー地方のHebden Bridgeという村で撮影されており、19世紀終わりから20世紀初頭に作られた典型的な古い庶民の住宅風景を表しています。この時代は、こういう山あいには水力を利用する紡績工場が栄え、遠く植民地のインドから運ばれてきたコットンを加工する産業が栄えていました。





 私が住んでいた街の周辺は、かつて谷間を流れる水力と周辺で取れる石炭を利用した鉄鋼業で栄えた街でした。





 英国の製造業は20世紀初頭に全盛期を迎え、1970年以降は衰退していくばかりでした。
 しかしかつて世界を支配した豊かな時代に培った遺産で、自国の言葉を世界共通語にし(実際は元植民地のアメリカの力が大きいのですが 苦笑)、音楽や映画、映像番組や語学、ソフトウェア、金融など新しい産業が育ちました。

 独自の言語と文化で世界のガラパゴスとして空前の繁栄を迎え、そしていま衰退期に向かっている日本は、将来何で食べて行けばいいのでしょうか・・・


*3月3日、歌詞を追加しました。

A Salvation Army Band played
And Children drunk lemonade
And the morning lasted all day,
All day

救世軍バンドが演奏している
子供たちはレモネードを飲んでる
朝はずっと続くよ、ずっと(*1)
(*1 英国北部の冬の日の光は弱く、昼になっても朝のような弱い光とさわやかさがあります)

And through an open window came
Like Sinatra in a younger day,
Pushing the town away
Ah

フランクシナトラの若いときのような
歌声が窓から入ってきて街に抜けていくよ

Ah hey ma ma ma
Life in a northern town.

北の街の生活

They sat on the stoney ground
And he took out a cigarette out
And everyone else came down
To listen.

タバコを取り出して話し始める彼を
石の地面に座ってみんな聞き入ったよ

He said "In winter 1963
It felt like the world would freeze
With John F. Kennedy
And The Beatles."

「1963年の冬はケネディ(暗殺事件)と
ビートルズ(の人気)で世界が凍ってしまったよ」

Ah hey ma ma ma
Life in a northern town.
Ah hey ma ma ma
All the work shut down.

北の街の生活
この辺の工場も全部閉鎖されてしまったよ

The evening had turned to rain
Watch the water roll down the drain,
As we followed him down
To the station

夜には雨になった
雨水が側溝に吸い込まれて行くよ
あの時僕らが彼に駅までついて行ったように

And though he never would wave goodbye,
You could see it written in his eyes
As the train pulled out of sight
Bye-bye

彼はバイバイの手を振らなかったけど
列車が離れていくときに
さよならと書かれていたよ
彼の瞳の中に、、、

Ah hey ma ma ma
Life in a northern town.
Ah hey ma ma ma
Life in a northern town.

北の街の生活
北の街の生活

(訳責:44love)


Posted at 2024/12/22 12:03:37 | コメント(6) | トラックバック(0) | 名曲の風景 | 日記

プロフィール

「ブルーエラーで買って1年半の個人パソコンが動かなくなった。30万円以上した日本製。3年の追加保証を購入していたが、よく考えたらセキュリティ面で他人に中身を見せられない。パソコン保障なんて実質的に意味ないじゃんw 20万円近く出して日本製のパソコンを再購入(><)」
何シテル?   04/23 14:17
年間の大半を出張している旅商人です。年間数万キロを欧米日でレンタカーで運転しています。ここ34年独仏伊英米で運転しています。 44loveという名前はみんカラ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

掲示板

<< 2012/2 >>

   123 4
567891011
12131415161718
19202122232425
26272829   

リンク・クリップ

携帯買ってヤフー連携 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/02/20 17:39:52
ANA生涯マイル200万達成 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/02/18 11:50:06
名曲の風景19 秋の足音・・ Grover Washington Jr. / Hudson River, NJ, USA 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/02/14 14:12:05

愛車一覧

アウディ S3(セダン) アウディ S3(セダン)
実走行428kmのフルオプションの8Y前期型S3セダンを購入しました。 付いていたオプ ...
マツダ デミオ マツダ デミオ
セカンドカーとして、フル記録簿付き、2オーナー、実走行16000㎞車を3年保証付きで購入 ...
アウディ S3(セダン) アウディ S3(セダン)
2020年最終年式走行2万キロの認定中古車を購入しました。デミオと同様に追加2年で合計3 ...
スバル WRX S4 スバル WRX S4
WRX S4 GT B型→STI Sport G型(最終型)に乗り換えました。300馬力 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation