イタリアン・カロッツェリアについて、
記事を書いていた時に、
こんな本を手に入れました。
ジュジアーロとITAL DESIGNを作った日本人、宮川秀之氏の
イタリアンデザイン世界を走る(ジウジアーロと共に歩んだ50年)
第二次大戦中の1937年、群馬県の県庁所在地前橋市に生まれた宮川秀之氏、
ご尊父はカメラマンで、あの時代にモトグッチに乗ったバイクエンス-であった。
そんな環境で生まれた秀之氏は、物心がついた時からの車好きで5歳の時から表通りを走る車の後を追いかけたそうだ・・
中学時代は群馬大学の校庭に放置してあった廃車群の運転席にもぐり込んで、ハンドルを握ったりシフトチェンジをしたりしてバーチャルドライブを楽しんだという。

(この写真は私がこの本を読んでいた当時、今年2月のドイツです。)
高校時代にバイクの免許を取り、東京での予備校時代に外車ディーラーをめぐり、西洋美術を専攻した早稲田大学に入学した後の夢は、自分の自動車を持ちたい、英国車に乗りたい、ということでした。
宮川氏の高校時代の同級生も車好きで、のちに小林彰太郎氏とカーグラフィックを創刊した高島鎮雄氏がおり、2人で海外のメーカーにカタログ送付希望の郵便を出していたそうです。当時はトップスターの三船敏郎、力道山、石原裕次郎がMGやヒーレー、ライレー、サンビームやオースチンヒーリーに乗っていたそうです。
戦後15年近くたった昭和30年代、日本の経済復興も順調に進み、当時、日本の世の中は海外冒険ブームでした。小田実の冒険旅行、兼高かおるの世界一周、朝日新聞のトヨタクラウンのロンドンー東京5万キロドライブ・・

(この写真は私がこの本を読んでいた当時、今年2月のドイツの車窓です。)
早稲田の学生でありバイク好きの宮川青年は、友人と共にバイクで世界一周をし、その旅行記を書くことでお金を稼ぎ、英国車購入の資金にすることを思いついたのです。
それからの彼の行動力は凄かった。あっという間にスポンサーを集め、東京から香港経由で西回りのバイク世界一周の旅に出るのです・・
私は今年の2月の欧州出張中にこの本を読んだのですが、この時の宮川氏の行動力とてきぱきと問題を解決してヨーロッパまでたどり着く展開に、感動しながら読み進めていました。
そしてローマオリンピックが開催された年にローマに到着した宮川氏・・
現地で日本の新聞社や雑誌社のオリンピック取材の手伝いをして金を稼ぎ、オリンピックが終わると、友人の高島氏の雑誌のためにモーターショーの取材原稿を書くためトリノに向かいました・・
そのモータショーの会場で流ちょうな日本語で話しかけてきたイタリアの美しい女性・・
日本語を学ぶため日本への留学準備をしているランチア勤務の父を持つマリーザ・・
初めてヨーロッパ、イタリアに来て、イタリアのデザインや文化に魅了された宮川氏・・
今から60年も前の1960年代・・
初めて来たヨーロッパ、初めて来たイタリア、モーターショーで見るランチャやアルファロメオ、ベルトーネ、ピニンファリーナなどの美しいデザインの車たち・・ そして初めて親しく言葉を交わした若く美しいヨーロッパの女性・・
その全てに宮川氏が夢中になったのも十二分に想像できます・・(^^)

(この本を読んでいた当時の今年2月のドイツの車窓です。)
私が初めてヨーロッパに渡った年の30年近く前、私が生まれる以前の年にこのような冒険旅行をした宮川氏・・
トリノのモーターショーで声を掛けられた美しいイタリア女性との運命は、、
そして彼自身の人生は、、
(なんか講談師の口上みたいになって来たな 笑)
つづく・・
Posted at 2019/10/13 01:04:06 | |
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