
ちょっと間が空きましたが、1980年代に私が憧れた車・・
今回も、
前回同様、自分が買うのではなく、親の車の買い替えの候補になってくれればいいなと思っていた車です・・
1984年から1990年まで日産座間工場でノックダウン生産され、日産とヤナセから販売されていたフォルクスワーゲンの上級セダン。
日本車が世界を席巻し、欧米メーカーの市場を奪っていた時代、日欧貿易摩擦と日産の海外進出を考慮した戦略的ノックダウンモデルでした。
サンタナとはVWの中型セダン&ハッチバック、パサートの2代目のセダンモデルでした。ちなみに初代のパサートはジウジアーロデザイン。Audi80をベースにしていました。2代目パサート&そのセダン版のサンタナもAudi80ベースでした。
シンプルで地味で古臭い当時のVW流インパネデザイン。
よく言えば質実剛健、、と言うより、やはり1980年代のドイツ車のインパネは日本車やフランス車と比べて地味でしたね(^^;;
発売1年後にはテコ入れのために、最上級車にAutobahnというグレード名を与え、ハンドルはゴルフGTiと同じスポーティーなものに、シートは当時の日本の流行の毛足の長いファブリックに変えました。それでも当時の日本車の内装よりとんでもなく抑えめのファブリックで、ドイツの控えめな内装と、当時の日本の下品なほど豪華風の風潮が合わさって、足して2で割る感じで、結果的にすごく品よくシックに仕上がっています(^^)
1981年に発売された2代目パサートのセダン版の初代サンタナ。
日本に導入されたのは3年経った1984年でした。
VWとしては発売直後の最新モデルを日本の日産にノックダウンキットの提供をしたくなかったのか、当時から自動車評論家の徳大寺さんは、「古臭い車を日本に持ってきた」と言っていました。
確かにスタイルを見ると、フロントやリアのオーバーハングが長かったり、トレッドと比較してボディーが大きめだったり、小型車主体の当時のVWは、中型車の設計やデザインに慣れてなくて無理しているな、と言う感じがします(^^;;
上はAudiの2L、5気筒エンジンから普及版の1.6Lまでラインアップを揃えましたが、結局、日本では月間目標台数の数分の1しか売れず、当時の日本でもほとんど見かけませんでした。
日産が日本で作る(組み立てる)ドイツ車・・
ドイツ車の設計品質が日本の最高の信頼性の製造品質で生産され、日本の国産車ディーラーで販売、アフターケアされる。最高の組み合わせじゃないですか。当時のアルファロメオ・アルナ(パルサーのアルファロメオ生産)や
トライアンフ・アクレイム(バラードのBL生産)の正反対!(^^;;
父親に家の車として買って欲しかったな。そしたら自分も運転できるのに、、と。(^^;;
VWサンタナは、日産でノックダウン生産が開始された翌年の1985年に中国の上海汽車でノックダウン生産が開始されました。
上海汽車のサンタナは中国で最初に大ヒットした西側諸国の車。文字通り中国の上級国民車となったようです。
1984年、それぞれの思惑で始まった日産のVWサンタナのノックダウン生産販売。商業的には成功しませんでしたが、日産にはドイツの車づくりについての貴重な知見が残りました。ボディ剛性を高めるための鋼板の組み立て方。スポット溶接の数や溶接個所の長さ。
1985年に発売された6代目日産サニーB12型、トラッドサニーと言われた真っ四角な車でしたが、部品を一切付けないホワイトボディーで10%の重量増しをしても車体剛性を確保した車でした。
実は父が買ったのはそのB12サニーのSuper Saloon。先代のサニーやバイオレット、大ヒットしたFFファミリアやオペル・カデットの日本版、初代いすゞジェミニと比較しても、素人の大学生の私でも分かったほどのカッチリした車体剛性の車でした。
1984年から始まったVWサンタナの座間工場でのノックダウン生産。
その経験が日産901運動にも生かされ、1980年代後半から90年前後へと日産の数々の名車を生んだのです(^^)
日産を倒産から救い、のちには食い物にしたゴーンが去った今、日産のルノーからの独立と復活を心から願います。
Posted at 2022/07/29 19:33:30 | |
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