
**2022年7月17日に写真だけあげた記事に文章をつけて再掲しています。
あの日も、こんな心境でした。
1994年サンマリノグランプリ。
金曜日の予選でセナの後輩のブラジル人、ジョーダンF1のルーベンス・バリチェロがシケインで縁石を乗り越え、吹っ飛び、200kmhオーバーでフェンスに激突。
この時は奇跡的に大した怪我ではありませんでした。
土曜日の予選、シムテックF1のオーストリア人のローランド・ラッツェンバーガー。
シケインで縁石に乗り上げてそのまま走行を続けたところ、時速300kmhオーバーでフロントウイングが破損し、そのままコンクリートウォールに激突。
F1レースウィーク中で12年振りの犠牲者になりました。
1994年5月1日。
後輩の事故やF1ドライバー仲間の死。
アイルトン・セナはどのような気持ちでコックピットに座ったのでしょうか。
決勝レースのスタート。
ベネトンF1のJJ・レートがグリッド上でストール。後方のロータスF1のペドロ・ラミーがクラッシュ。
マシンの破片が観客席に飛び込み、観客の9名が負傷。
セイフティーカー導入で再スタート。
再スタート2週目、先頭を走行していたウィリアムズF1のアイルトン・セナ。
そのままタンブレロコーナーに激突。
このタンブレロコーナーは、1989年にセナのチームメイトだった、オーストリア人のゲルハルト・ベルガーがレース中に突っ込んだコーナーでした。
壁に当たって跳ね返ったタイヤがセナの頭部に・・
私の中で一つの時代が終わった瞬間でした。
レース後半には、ミナルディF1のミラネーゼ、ミケーレ・アルボレートのマシンからタイヤが外れ、フェラーリとロータスのメカニック2名が負傷。
呪われたレースウィークでした。
その後タンブレロコーナーは改修されましたが、イモラサーキットはF1カレンダーからは外されました。
当時私は1994年4月中旬に英国から帰国したばかりでした。
英国では毎週、角のよろず屋で、Autosport本国版を買うのを楽しみにしていたほどのF1マニアでした。
英国で中嶋企画の下で走っていた日本人レーサーと友人になり、シーズン中は毎週英国各地のサーキットにレーサーの車に同乗して応援に行っていました。
私が英国で毎日使っていた日本風のお椀や箸などはその彼から貰った、後のF1ドライバー、中野信治選手が英国で使っていた食器のお下がりでした。
英国に到着した当時、誰一人として知り合いがいない、言葉も殆ど話せない、そんな私の楽しみは、当時無敵だったHONDA F1エンジン、マクラーレンホンダとアイルトン・セナの活躍でした。
そんな彼が、私が帰国して数週間でいなくなってしまったのです。
・・・・
2022年7月。私はある出来事で2か月以上、(軽い)鬱状態でした。
みんカラも写真を上げるだけで文章を書く気力もありませんでした。
民主党激円高で2010年に勤務先が倒産して、40代後半にして失業しても、決して鬱にはならなかった私。
2022年7月は日本の将来に絶望していたのです・・
そんな日々を思い出した、2024年9月27日の出来事でした・・
Posted at 2024/09/27 22:49:36 | |
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