コロナ前、ミュンヘンの空港のスーパーマーケットでこんなミニカーを買いました。
当時横浜のマンションに引っ越して10年近く、
100台以上あったミニカーや
100個以上あったプラモデルが殆ど飾る場所がなく、新たな購入をかなり控えていました。
マツダスピードアクセラと
WRX S4に関連するミニカーは買っていましたが・・(^^;;
1997年にこの仕事について、当時の会社の欧州市場を開発し始めた時、当初の会社の規則は海外ではリスクがあるので車の運転は禁止されていました。
ですから1990年代の後半はタクシーで顧客回りをしていたのです。
打合せ相手は郊外にあるハイテク工場のエンジニアさんたちなので、客先や客先近辺のホテルでの交通手段に毎回タクシーを呼ぶのは非常に不便でした。
当初の顧客は、ドイツではAachen近郊(
SPAの比較的近くです)、
Stuttgart近郊の2社、Munchen市内、Dresdenでした。
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AachenとStuttgart近郊の顧客にはタクシーでそれなりの距離を走らなければならず、当時のタクシー、W124メルセデスEクラスの後部座席が私のドイツでの移動手段でした。
1990年代後半は、ベンツの本拠地Stuttgart以外でも、どの都市でもドイツのタクシーは殆どメルセデスのEクラスでした。
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当時のW124のタクシーは、40万キロ、60万キロを超えても、ボディーはがっしりした信頼感がありました。(内装はヘロヘロでしたが)
そんな当時の想い出、この仕事を始めた頃の当時より20年以上前の想い出があったので、ドイツのタクシーのミニカーを買いたいなぁとずっと思っていたのです。
2000年代の初めごろに、欧米でタクシーが呼べない場所の顧客が増えたり、顧客の要望により(イタリアなどでホテルで予約したタクシーが来なかったり、アメリカでタクシーが呼べなかったり)、自分でレンタカーを運転して顧客訪問をするようになり、駅近くのおもちゃ屋やミニカー屋さんを訪問する機会も殆どなくなってしまいました。
2010年の末に民主党円高で前勤務先が廃業、私も失業し、2011年に新勤務先が東北大震災に被災し、2015年までは会社を立て直そうと必死で営業をしてきました。
2014年に震災のダメージと民主党円高のダメージから回復して、ようやく会社も黒字化し、余裕ができ、それから数年経って、将来の引退もぼんやり見えてきた時期、タクシーで顧客訪問していた20年ほど前の自分が懐かしく思えるようになったのです。
右も左も全く分からない業界に35歳で転職して、海外(欧州)顧客を一から開発する業務。
当時、中途採用が殆どないプロパー社員ばかりの会社で、何とか雇ってもらったお返しの結果を出さなければならない。
日本の総合商社が荒らしてしまった顧客と市場を、マイナスからスタートして直接ビジネスで印象を回復し、ビジネスをスタートさせること。
そんなやる気と不安と義務感と緊張感が入り混じった日々を過ごしていた30代の自分が懐かしく感じるようになったのです。
本当はひと世代前のW124タクシーのミニカーが欲しかったのですが、もうほとんど見かけなくなりました。
1990年代のW124の頃までは、ドイツのタクシーの大半がW124のEクラスだったのです。
いまはオペルもVWもトヨタもその他いろいろな車がタクシーになっています。
この車のエンブレムはE500。
5L、V8、350馬力くらいの車でしょうかw
E500がタクシーになることはあり得ないので、E500のミニカーを古くなってタクシー仕様にしたかな?
裏面にはタクシーの文字はなく、E500だけです。
ドイツの歴史あるミニカーメーカー、siku、の製品です。
E500のミニカーが型落ち品になったのでタクシーにも流用した模様w
いまから25年以上前に日常的に乗っていたドイツのタクシー。
本当は当時乗っていたW124のタクシー仕様があったら欲しいです。
昔を懐かしむのは引退間近な老人の心境かな。
やはりその年にならないと分からない心境がありますね。
嫌われない老人になるためには、昔話と自慢と説教をするな、と言いますが、老人になるとそんな話をしたくなるのも現時点で打ち込まなければならないことがなくなるからかな?
無理やりいい言い方をすると、感慨を持てるような余裕、哲学的に言うと現実から疎外された者の俯瞰でしょうか。
嫌なジジイにならないように自戒ですね(><)
Posted at 2024/09/26 08:26:56 | |
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ミニカー | 日記