かつて古代から中世、江戸時代の中期までの貿易港だった坊津。
明の時代には、安濃津(三重県津)、博多津と並んで日本三津と呼ばれていました。
享保の時代に幕府に密貿易を厳しく取り締まられてからは坊津での表面的な密貿易?は大っぴらには行われなくなり、漁港として栄えたようです。
明治中後期にはブリ、かつおの漁業が盛んで、日本で最初の発動機付き漁船を導入し、日本有数の売り上げを誇ったそうです。
そんな漁業も大正時代には衰退し、静かな漁港となった坊津エリアですが、1960年代に一時的に賑やかになった出来事がありました。
坊津の村にあった水神さんのような小さな神社。
雨のため車内から撮ったので車内が写り込んでいます。
ショーン・コネリーと浜美枝。
日本を舞台にした唯一の007映画。
主演ボンドガールに予定されていた浜美枝はロケ前のロンドン語学留学でも片言の英語が話せず、同じく英語留学したNo2だった青山高校卒の若林映子が主要ボンドガールとなった映画。
映画宣伝シーンの中に飛行機が墜落して炎上する場面があります。
この時のボンドカーはトヨタ2000GT。
若林が免許を持っていなかったため、トヨタ2000GTはかつらを被った日本の男性レーサーが運転し、トヨタから若林に寄贈される予定だった2000GTは、免許を持っていないからと言う理由で断ったそうです。
今考えれば本当にもったいない(^^;;
トヨタ2000GTと、2代目トヨペット・クラウン(1962‐67年)。
なぜか寺院の爆破に厳島神社と富士山という日本イメージてんこ盛りですw
1967年公開の映画でしたが、出演した丹波哲郎が、あまりにもおかしな日本のシーンは丁寧に説明して修正させたそうです。
英語については丹波哲郎もボンドガールたちと同時に英語留学したのですが、セリフは英語で発言できましたが、発音が映画では使い物にならないレベルだったので、全編吹替になりました。
童友社からプラモも出ていたようです。
ロケ地だった坊津の秋目エリアには記念碑が建っています。
記念碑は1990年代に建てられたようです。
1966年、日本でのロケを楽しむ007一行。
1966年3月5日。監督のルイス・ギルバート、制作者のハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ、フレディ・ヤング、プロダクションデザインのケン・アダムも搭乗する予定だった上に当該機の機長と前夜夕食を共にしていた、
BOAC911便が羽田空港を離陸します。
手前には前日の3月4日に羽田空港に墜落したカナダ太平洋航空機の残骸が映っています。
007監督たち5人は、出発2時間前に急遽忍者の実演を見ることができることになったため予定変更により搭乗をキャンセルしました。
羽田を離陸した約15分後、BOAC911便は富士山上空で空中分解し墜落しました。
監督たち5人が搭乗2時間前にキャンセルして難を逃れた007の映画の題名は、
YOU ONLY LIVE TWICE・・
この5人以外の映画関係者数十人は墜落した911便に搭乗していました・・
考えてみれば、当該機の機長は搭乗予定だった前夜食事を共にした007の監督たちに富士山を良く見せてあげようとして富士山に近づきすぎたのかも知れません。
それを考えてみると、なんだか因果な映画です。
BOAC911便の前日に羽田で墜落したカナダ太平洋航空403便で生き残ったわずか8名のうち数名は、日本での予定をキャンセルしてすぐに帰国するためにこのBOAC911便に搭乗していたようです。
YOU ONLY LIVE TWICE・・
Posted at 2024/11/26 00:22:12 | |
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