旧・MINE(美祢)サーキット
マツダ車の走りを作る試験コース
2013年11月08日

■マツダ美祢自動車試験場
マツダ車の走りの良さを作る大きな要素は、このサーキットを手に入れた事が大いに関係があります。
Wikipediaより
MINEサーキット(みねサーキット)は、山口県美祢市にかつて存在していた自動車レース場(サーキット)。 1972年(昭和47年)11月に開業し、2006年(平成18年)2月28日をもってサーキットとしての歴史を閉じた。
概要
鈴鹿サーキット、富士スヒードウェイ、筑波サーキット、中山サーキットに次ぐ国内で5番目に古いサーキットとして、1972年11月に厚保サーキット(あつサーキット)の名称で開業。 全長1,300m程の短いコースで、翌1973年4月1日に開催された開幕戦「西日本オールスターレース」は時計回りだったが、以後のレースは日本では珍しい反時計回りで行われることとなった。 1976年半ばに全長が2,815mまで延伸され、名称が西日本サーキット(にしにほんサーキット)に変更された。 1991年に大規模改修を行い全長3,330mの時計回りのコースとなり、名称もMINEサーキット(運営会社グループにちなみ、セントラルパークMINEサーキット[CP MINEサーキット]とも呼ばれた)に変更された。
一中略一
2002年8月5日に運営会社が民事再生手続きへ入り、2003年10月6日に再生手続きの一環として、MINEサーキットの経営権がタカラの子会社であるチョロQモーターズ(CQ Motors)へと譲渡された。 譲渡後は名称こそ変わっても、基本的に同じ運営形態がとられた。 岡山県のTIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)とのライセンス共通化など、新しい試みも行われたが、場内設備については老朽化も指摘された。 更に2006年1月13日、タカラが3月に同業種であるトミーと合併するのに伴い、不採算部門の整理を理由にMINEサーキットを2006年2月28日を以って閉鎖すると発表。 新たな受け入れ先が模索され、同年1月17日にマツダが同サーキットの用地及び施設を取得。 経営権の委譲後、スタンドやピット等を撤去して開発車両のテストコースとして運用していく事が発表され、同年2月28日をもってサーキットとしての歴史を閉じた。
マツダHPより
マツダ、美祢自動車試験場の新テストコースが完成
-走行・安全性能をさらに高める、さまざまな試験を実施-
マツダ株式会社は、美祢自動車試験場(山口県美祢市)の増設工事が完了したのに伴い、完成式典を実施した。 従来のサーキットコースに加え、車両の急旋回性評価などを行う「スキッドパッド」、高速でのスラロームテストなどを行う「フリーフラットコース」、高速でのワインディング走行などを行う「ワインディングコース」を新設した。
一中略一
マツダの金井専務は、「ここ美祢自動車試験場で行われる、クルマの走行・安全性能向上に向けたさまざまな試験の充実が、より一層マツダ車の魅力を高めてくれると確信している。 マツダは、今後も走る歓びと環境・安全性能の調和を図り、サステイナブルな未来に向けた“Zoom-Zoom”なクルマづくりをさらに追求する。 そして[ワクワク]する、[見て乗りたくなる、乗って楽しくなる、そしてまた乗りたくなる]マツダらしい“Zoom-Zoom”を体現するクルマを世界中に提供していきたい」と述べた。
住所: 山口県美祢市西厚保町字長尾1173-1
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