2011年10月02日
柔軟性や科学的合理性がなくバカな陸軍と言われるが、暗号に関しては海軍よりも陸軍の方が進歩的だったようだ。海軍は機械式暗号と乱数表を併用した暗号(D暗号)などを使用していたようだが、これが米国に解読されていたのは周知の事実だ。米国は日本海軍の行動と暗号を照らし合わせてその規則性を徹底的に解析して暗号を大筋で解読していたという。もちろんすべてを読めたわけではなかったのだろうが、大筋で内容が分かれば相手の行動を先読みして対応することが出来る。ミッドウエイ海戦も山本連合艦隊司令長官の待ち伏せも暗号を解いていたのでは勝負にならない。
海軍の将官の中には暗号が解読されていることに気が付いてそれを具申していた人もいたようだが、海軍は機械式暗号に絶対の自信を持っていて暗号が解読されていることはあり得ないとして何らの対策をしなかったようだ。海軍は兵器の攻撃性や運用といった直接戦闘にかかわることは全力をつぎ込んでいたが、暗号や情報にはあまり熱意を持って取り組まなかったという。情報を担当する士官は病気やけがで療養中の士官を割り当てたなどと言うこともあったようだ。
海軍の兵器は基本的に攻撃一辺倒で防御と言うことを軽んじていたのは陸軍の先を言っているかもしれない。一式陸攻が防弾なしで製作されたことなどはそのいい例だろう。陸軍は申し訳程度ではあっても97式重爆には防弾が装備されていたという。用兵思想が異なることもあるだろうが、太平洋を侵攻してくる米国主力艦隊に乾坤一擲の決戦を挑んでこれに勝利するという迎撃作戦にすべてをかけていた海軍は損害を厭わずにその一戦に持てるすべてをつぎ込むつもりだったのだろう。
陸軍の暗号は乱数表を1回だけの使用とする無限乱数と言葉を数字に置き換え、それをさらに乱数化する特別計算表を用いて強度を上げ、機械式暗号は必ず解読されると使用しなかったようだ。そのために一部を除いて陸軍の暗号は米国には解読されなかったという。また陸軍は暗号や情報教育に熱心で部内にも暗号教育を徹底していたという。
そのため、陸軍は米国の機械式暗号を一部解読していたという。これは米国の暗号には頭に特定の文字列が必ずあることに着目して解読に至ったのだという。また米国が暗号機を切り替えてからも旧暗号機と新暗号機で送信した同じ暗号文を比較対象して強度が高いと言われたストリップ暗号を解読していたという。その後、さらに改良された「N209」という米国の暗号も同じ乱数配列を2回使用した電文を発見してそれを手掛かりに解読に成功したという。
戦争末期、米国の暗号を全く解読できずに電文の方向性や頻度などで米軍の動きを推定していた海軍に比べ、陸軍は、航空機の動きと電文を比較対照することで推論を立て、米国の航空隊が使用する比較的強度の低い暗号を解読していて原爆を搭載したB29など特殊機の動静もある程度は把握していたようだ。
陸軍と言えば、どうも過度の精神主義や銃剣突撃などの白兵一辺倒で科学的な理性などなかったように言われているが、暗号に関しては海軍の方がはるかに非科学的だったようだ。陸軍は暗号の解読に数学者や言語学者を動員し、当時日本に1台しかなかったというIBM製のコンピューターも使用していたという。兵器の攻撃力と運用一辺倒だった海軍よりはこの点では陸軍の方がはるかに進歩的で科学的だったようだが、それはマキャベリズムの権謀術策を好んだ陸軍の性格的なものだったのだろうか。
Posted at 2011/10/02 21:01:01 | |
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2011年10月02日
日本の機関銃は総じて評判が良くない。陸軍の最初の国産機関銃である11年式機関銃は小銃弾クリップをそのまま使用できるという機構が売りだったようだが、装弾不良が頻発したという。太平洋戦争に従軍した方から話を聞いたことがあるが、軽機は数発発射するとすぐに突っ込みを起こして射撃が出来なくなったという。それに比較すると92式重機は腹に響く発射音で連続射撃が可能で重機が射撃を始めると非常に頼もしかったとか。
しかし、その重機も重量が重く発射速度が遅く、故障が少ないとは言ってもそれまでの機関銃に比べると少ないという程度で頻繁な整備が必要だったという。一式になって多少は軽量化されたというが、空冷の割に人力で搬送するにはいかにも重そうだ。それと日本の機関銃は弾倉給弾か保弾板給弾で連続射撃が難しそうだ。
一般に機関銃と言うのは弾幕による制圧を目的として使われるのだが、日本の場合は狙撃が目的だったという。それならさほどの連続射撃は必要ないだろうが、米軍のベルト給弾による射撃などに比べるといかにも貧弱な気がする。これもやはり生産量の差と言うべきなのだろうか。
96式、99式、1式など一連の軽機関銃は機関銃と言うよりはどちらかと言えば突撃銃に近い銃に見える。重量が重いというのはちょっといただけないが、個人で扱える連続射撃可能な小火器と言う点では現在のアソルトライフルに通じるものがあるようだ。
もう一つ、日本の機関銃で世界のレベルに達しないものはブローバックを制御する発条だったそうだ。日本ではすぐに発条が折れてしまい、耐久性のある良質の発条が作れなかったそうだ。戦後は62式機関銃が国産されたが、これもすこぶる評判の悪い銃だったようだ。その後、機関銃は国産されていない。現在はベルギー製のMINIMIを国産化しているが、輸入品の方が若干性能が良いという。本当だろうか。
海軍の機銃で有名なものは96式25mm機銃で対空機銃はほとんどこれ一本だった。初速900m/秒、発射速度220発/分、有効射程2千から3千メートルと言うが、米軍機には威力に乏しかったという。しかし、初速900mの25mm弾が威力に乏しいとは考え難い。どちらかと言えば射撃指揮装置が旧式だったことと15発の弾倉給弾だったことが弱点だったように思う。
もしもこの機銃がベルト給弾あるいは40mm機銃のような落とし込みクリップ給弾で連続射撃を可能にしていたらさらに有効な対空射撃が可能だったかもしれない。単装、連装、3連装があるが、単装以外は旋回・俯仰を動力にしないと高速目標には追随できないだろう。3連装は3門同時射撃が出来なかったというが、エンガノ岬沖海戦の記録映像を見ると瑞鶴の3連装機銃は同時に射撃しているのでそんなことはなかったようだ。
しかし、開戦時、海軍の各艦艇に定数通りの25mm機銃弾を積み込んだら横須賀、呉、舞鶴、佐世保などの各基地の機銃弾の在庫がほとんどなくなってしまったというのでは米国のように空を覆うほどの弾幕を作るのは無理だったかもしれない。それから25mm機銃は対空用だけでなく対地用にも使用されたが、相当な威力があり米軍にとって大きな脅威だったという。
航空機用の機銃は7.7mm、12.7mm、20mmといろいろあったが、主に7.7mmと20mmが多用されたようだ。日本の20mm機銃は初速が遅く命中率が悪いと不評だが、20mm2号銃になるとそんなことはなかったようだ。また威力も向上してB17だけでなくB29にとっても脅威だったという。携行弾数も後期の紫電や紫電改などはベルト給弾となって相当数を携行できたようだ。
爆撃機の防御機銃は7.7mmと20mmだったが、7.7mmでは威力不足で気休め程度、20mmは発射弾数が少なく当たれば威力があるが、なかなか当たらなかったようだ。爆撃機の防御にはベルト給弾の13mmを多数装備して弾幕を張るという米国式の方が効果があったように思う。それとやはり被弾することは当然の爆撃機には重装備の防弾が必要だっただろう。
日本の機関銃は総じて評判が良くないが、それもやはり弾の量が問題だったのだろう。ガダルカナルで陸軍が苦心惨憺して持ち込んだ重砲を使用して航空機の発着を妨害しようと5分に1発程度の射撃を試みたところ、米軍はその日本軍の重砲陣地に1時間に千発以上も撃ち返してきたというから最後は火力量がものを言うのだろう。
Posted at 2011/10/02 00:18:16 | |
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