【欠陥憲法 新しい国づくりへ】
「チカッ、チカッ」
90式戦車の左前方のウインカー(方向指示器)が、オレンジ色のランプを点滅させ、左折の合図を出した。
平成23年11月6日夜、北海道苫小牧市内。東千歳駐屯地(北海道千歳市)を出発した陸上自衛隊第7師団の戦車部隊は交差点を行儀良く曲がっていった。演習先の日出生台(ひじゅうだい)演習場(大分県由布市など)へ向かうためだ。
戦車にウインカー。珍しい組み合わせのように見えるが、戦場で味方に合図を送るための装置ではない。乗用車など一般車両と同じく、道路運送車両法第41条に則して装着しているのだ。視界の悪い戦車が平時に公道を移動する際は、前後に自衛隊の車両や隊員がつく。ウインカーは必要ないと思われるのだが…。
実は、自衛隊法第114条と昭和45年の防衛庁(当時)の訓令によって、戦車は平時でもウインカーを免除されている。それでもあえて、陸自の全戦車が装着しているのだ。
除外規定があっても自主的に取り付ける行動の背景には、憲法で明確に規定されていない自衛隊が戦後社会で「認知」されてこなかった厳しい歴史がある。それが一般対象の法令への過度の配慮につながる。
戦車のウインカーは戦闘に支障をもたらすものではなく、奇妙な一例という話で済むかもしれない。
しかし、憲法の「軍隊否定」「自衛隊不在」によって戦後の日本が運営されてきた結果、有事や緊急事態への対処を誤らせかねない問題は数多く残っている。
専守防衛が防衛政策の基本なのに、道路や橋は戦車の重さにお構いなしに造られる。高速道路も一部は有事に滑走路に転用できるようにしておけば合理的だが、そんな配慮はない。ミサイル防衛を唱えながらシェルター一つ造らず、原発は、テロはともかく軍事攻撃には備えていない。
■被災地の秩序維持 制約
東日本大震災でも、自衛隊の活動が、一般法令の制約を受ける事態が生じた。
震災直後、被災地は深刻な燃料不足に陥った。陸上自衛隊は北海道などから、救援活動に入る部隊と保有していたガソリンや軽油を民間の船舶で一気に輸送しようとした。しかし、国土交通省の省令「危険物船舶運送および貯蔵規則」で、人と燃料を同時に運ぶには制限があった。結局、まず輸送したのは軽油だけで、ガソリンは後々、海自輸送艦で運ぶことになった。“平時の法令”が緊急事態に行動する自衛隊の行動を制約したことは否めない。
もう一つ、深刻だったのは、「自衛隊が被災地のパトロールなど、公共の秩序の維持に当たることを許されなかった」(陸自幹部)ことだ。
地元の警察は全力を尽くしたが、未曽有の震災で警察自身も大きな被害を受けていた。被災地すべてに目を配る余裕はなかった。
電気も通らず、寒さに震える中で、被災者の不安は募った。自販機荒らしや金庫盗、住居侵入がなかったわけではない。自衛隊がパトロールや犯罪の取り締まりに当たり、警察を助けていれば、安心を与えることになる。
だが当時の菅直人首相は、自衛隊法第78条に基づく治安出動を命じることはなかった。大規模な騒乱に備えるだけが治安出動ではないにもかかわらず、だ。
「夜中に自衛官にいてほしい」「食料泥棒が出るんです」
救援部隊には、被災者からこんな声が寄せられた。
「なんとかしたい」-。パトロールはできない自衛隊だったが、多くの現場の指揮官たちは知恵をしぼり、決断した。
救援・捜索で疲れ切ってはいたが、隊員らは宿営地に戻る際、物資輸送や情報収集といった名目でわざわざ遠回りした。「『迷彩服』の存在を住民の皆さんに示し、安心感を与える」(陸自幹部)ためだった。
憲法に自衛隊や軍隊の役割が明確に定められ、それに基づいた国の運営が積み重ねられていたとしたら、治安出動はごく自然に発令されたろう。「軍隊からの安全」に配慮するあまり「軍隊による国民の安心・安全」を軽視してきた結果だ。
東日本大震災では、憲法に緊急事態条項がなかったことが問題視されるようになった。
しかし、さらに、軍隊や自衛隊の明確な規定が憲法にないことも、有事や緊急事態に対する政治家や政府の意識の低さ、備えのなさの原因となっていることに気づくべきだろう。
現憲法の欠陥ゆえに「軍隊否定」で国の運営が始まり、憲法よりも後に発足した自衛隊は今も、国際標準の軍隊扱いされていない。それは有事や緊急事態において、日本国全体としての対処を誤らせかねない。そのつけを払うのは私たち国民であり、また、危険に真っ先に立ち向かう自衛隊員たちなのだ。
4月28日は、サンフランシスコ講和条約の発効で日本が主権を回復してから60年にあたる。この節目に合わせ、自民党が憲法改正案を発表、産経新聞社も「国民の憲法」起草委員会を発足させるなど憲法論議が活発化する兆しがみえてきた。今の憲法にはどんな欠陥があるのか、5回にわたり迫っていく。
≪憲法第9条≫
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
為政者は自衛隊を都合の良いように使っても隊員が活動しやすいように法律を改正することはしなかった。今も国の内外で自衛隊は不備を運用で補いながら活動を続けている。戦車のウインカーも戦闘時には遮蔽しないといけない。弾薬や魚雷、ミサイルも運搬には法の規制を受ける。土地の収用もままならない。武器の使用も不自由だ。
憲法は国家と国民のためにあるもので憲法のために国家や国民があるわけではない。戦後60年戦争に巻き込まれずに平和が続いたのも自衛隊があり、また、米国の後ろ盾があったからで憲法が平和を守ったわけではない。戦争をしろと言っているわけではない。戦争は破壊と殺りくと無限に続く憎悪の連鎖しか生まない。
戦争は絶対に避けるべきだろう。ただし、それが出来なくなった時は座して死を待つよりも自存自衛のため戦うのもやむを得ないだろう。そのための軍事力であり、軍隊でもある。それが活動し難いような法制度では国家と国民をないがしろにしているようなものだろう。
Posted at 2012/04/29 21:36:47 | |
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