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CatDogのブログ一覧

2018年12月30日 イイね!

みんカラ 今昔物語 凄い人がいた

みんカラ 今昔物語 凄い人がいた入会年の2011-12年の頃の話である。

凄い整備手帳をUPする方がいて、みんトモさんに、
なってもらった。

話が合ったのか、年に数回お会いして一緒に走った。
ミラジーノが彼の愛車であったが、クラシックミニを
標榜しておられた。



名栗湖畔を、走った時の写真が残っていた。

そして、何が凄いのかと言うと、ないものはみんな自作してしまう事であった。




ルーフラックは、モンテカルロラリー優勝時の定番パーツだが、鉄パイプのみ購入して
車サイズに合わせて、切断・曲げ・溶接・塗装して組んだものであった。

ヘッドランプも何気にスリーポインテッドスターが入っている。
シビエのシールドビームランプ前部分と、自作のスリーポイントの組み合わせだ。



ホイールキャップ・ラジエターグリル等も加工してある。
シフトノブは型を造り、FRPで自作している。最後には何とインパネまでFRP成型で
自作してしまったから恐れ入る。写真が残っていないのが惜しまれる。

彼の整備手帳は人気があって自分も見るのが楽しみであった。




*この時は2012.5 だった。周遊した埼玉県飯能市の名栗湖。タイトル写真は名栗湖の龍神。


ある高名な人形作家の展示会を、一緒に見に行った事があった。*下記写真。





展示会後、レストランで昼食を一緒に食べていると「実は自分も人形を作っている。」
と、バックから人形を取り出して見せてくれた。

いやあ、驚いた。見て来たばかりの写真の人形に遜色ない出来映えであったからだ。

そこへ行くと自分の手などは、ドライバーを回すか、スプレー缶を押す事位しか出来ない。

天分と言うのはこういうものか  と感嘆した。
今、連絡が付けば母親と、クロスケの人形を作ってと、頼んでいるだろう。

彼は、私も知っている当時放送中のアニメ番組で、宇宙船作画を担当していた。
宇宙船内外部が、彼の筆なのであった。

仕事料が安くて食べていけない  とよくこぼしていた。

食事後、正丸峠まで走ろうと言う事になって国道299号線を下った。

この時は2012年1月。
途中から雪が降りだし、正丸駅に着くころには、地吹雪のような有様だった。

やむなく、Uターンして帰路に着いた事を思い出す。


*前回、ブログの正丸駅で引き返した。埼玉では稀な、猛烈な吹雪になっていた。

前述の名栗湖が彼と会った最後である。以後、諸事情で休眠が続いている。
返信があったのは5年前が最後だったか?

当時はこのように、三カ月に一回は、みんトモさんと出かけていた。
友人は20人以下、当然イイね などは、少なかった。
しかし、イイね よりも、楽しかった事が多かった。

なお昨晩、長い間音信不通の方等、数人を登録解除させてもらいました。
遂にみんトモさん20人台へ。休眠者はまだまだいます。復帰を切望しています。


まさに廃線前の鐡道の如し 自分の存亡の危機 である。


現在の、みんトモさんで出直しをしたい。
来年もまた、今年のようだったらと、覚悟を決めて臨みたい。

今年も、お世話になりました。今年は、自分にとっては余り良い事はなかった。

来年は、皆さんと自分にも、良い年になる事を祈ります。


*以前は恒例だった元旦の奥武蔵林道走り初め。スタッドレスでなく、オールシーズンタイヤ。



*奥多摩山中に眠るロープウェイ。我が道は、継続か廃止か?
2018年12月24日 イイね!

苅場坂峠の風は冷たかった

苅場坂峠の風は冷たかった3連休最後の日とは形式だけ・・。Sunday毎日の身
としては・・である。

いや、する事はあるが、今は動かない方が身の為だ。
休むも何とやら・・である。

強い風が吹くが、今日は快晴だ。空が蒼く映るだろう。



さあ出かけるぞーーと、エスク発進。


*下日本初の碑を出る時。ワックス掛けたて。歳なので、高級ファンデーションに変更した。
人間なら、とうに還暦を過ぎている。現在のエスクより二周り位、小さいが同重量だ

県道から長野県茅野市まで続く国道299号線に乗る。
秩父迄は快適なワインディングロードである。


まずは、吾野宿に入る。どうぞお入り下さい 
と、書いてあるが通り抜け禁止とも書かれている。???・・。
ここはフォトギャラなどで以前紹介しているが、数年経過しているので、今一度。



古い建物が点在する。秩父-河越を結ぶ街道の昔の宿場町である。




そして、昭和に入った近代では石灰鉱山で繁栄した街であった。
現在も吾野鉱山は稼働している。
かつては、鉄道が乗り入れていた石灰貯蔵駅。


今はダンプが運搬している。



下写真が、かつての繁栄を誇った頃の吾野町の子供達である。
昭和10-20年代の写真と思われる。



そして、これが同じ場所から見た現在の姿。見れば上写真と建物は、現在も同じである。
手前右の蔵が下写真にも右に僅かに映っている。

空を見て欲しい。巨大な山がある。削られた山の場所には青空がある。-今日の写真。
自然の前に無力とは言えない、人間の恐るべき力である。



街の横には高麗川の清流が流れる。*タイトル写真。

再び、299号線に戻り進むと、やがて正丸トンネルに出る。
トンネルの手前に、珍しい「日本初」の碑がある。




時は黒船来航の幕末。

オランダ医学を学んだ三人の若き医者達が、正丸峠を越えて秩父からやってきた。
子供は死産だったが、母親は其の後、何事もなく80数歳の天寿を全うした とある。

こんな山奥に、西洋医学を学んだ医師たちがいたとは驚きである。




正丸トンネルの手前で旧道に入る。
左が、正丸峠への県道。右は、苅場坂峠への林道である。

正丸トンネルが出来るまで、秩父へ行くにはこの狭い山道を走らねばならなかった。埼玉に
越して来た頃はまだ、観光バスやダンプが、この狭い山道ですれ違っていたのを思い出す。

それも、そんなに遠い昔の話ではない。

林道を駆け上がっていく。途中一か所だけ眺望が開ける場所がある。
この絶景である。





*狭山丘陵に位置する西武ドームが肉眼では、左手にはっきりと見える。

そして標高818mの苅場坂峠に出た。風が肌を刺すように冷たい冷たい・・。





峠の向こうには堂平山。頂上には天文台が見える。




余りに冷たい風に早々と退散。サルのように急いで山を駆け下りた。




ここは、降りた299号線沿いにある西武・正丸駅 ハイカーの出発駅兼秩父方面
にお出かけの、みんトモ会員の集合定番地点でもある。ここで小休止した。



駅横にあるハイカーの為の駐車場所。1日500円で置いておける。


この先に、西武線の正丸トンネルがある。全長は4811ⅿで、開通当時は私鉄トンネル
では、日本一の長さを誇った。*1969年開通 車用は、その後の1982年に出来た。

電車も車も、トンネルが出来て、秩父が近くなった。
それまでは、気軽には行けない辺境の地 だったのである。

15時過ぎに帰宅。走行距離 約100Kmだった。


*吾野宿の寺にある宮城県の寺の鐘。




2018年12月17日 イイね!

そんなに甘くはなかった ハイレゾって?

そんなに甘くはなかった ハイレゾって?ハイレゾ対応のCDプレーヤーを購入した。
CDのようにポンと挿入するだけで、従来のCDとは
一線を画すような高域の伸びた音楽が、聴けるもの
と思っていた。

だが、そんなに甘くはなかった。

と、言うお話です。


CD購入後、さっそく手に入れたハイレゾCDと通常CDの比較お試し版。

二枚のCDに同じ曲が、それぞれハイレゾ録音と通常録音されている比較CDだ。




かまやつひろし、高中正義、カルメン・マキ、フラワートラベリングバンド、尾崎紀世彦など
懐かしの名前が並んでいる。

ところが、比較しても大きな違いは分からない。全体的に伸びの良い感じになっては
いるようだが・・・。


⋆前回のアンプ塗装後、40年目にして初のワックスがけした機器。
 我ながら、40年目とは思えない外装と音の状態である。


さて、CDレビューをよく見ると、自分と同じ感想のものと、同じ音源からとったものと
は思えない位違う  と二グループに分かれている。


このCDは、MQA・CD と言うもので、専用デコーダーがないと再生出来ないと判明した。


この試聴用CDの説明文があった。

それによると・・・。

マスターは、SACD用のDSDから変換し、MQAによる時間軸のズレ*を解消して・・・
UHQ特殊素材のCDを作った。  とある。なんのこっちゃ・・。


そこで、少し勉強しました。大別すると、ハイレゾ音楽再生には・・・。


ネットから音源を購入するのものと、CD化されたものがある。

ハイレゾ録音は、ネット上の音楽配信からPCを通じて好きな曲を購入して、NASと言う
サーバーに取り込み、これを対応CDプレーヤーに繋ぐと、NAS内の音楽が再生できるもの。

自分のCDプレーヤーは、音楽ネットにPCを有線で繋ぐ方式であった。


オーディオ部屋にノイズの塊のようなPC   を持ち込む気は、最初からない。

使うのは、ハイレゾ録音CDと決めていた。と言うか、ハイレゾとはCDだと思っていたのだ。


*UHQと言う特殊素材で造ったCD。宝石のようなエメラルドグリーン。

自分なりにハイレゾを整理した。厳密には違う部分もあるが、話を丸めているので
違う点は脳内修正して欲しい。

これには、ネットワークオーディオは含まない。ハイレゾ録音CDのみの事である。

1. ハイレゾにはPCMとDSDのファイル形式がある。
  どちらも再生専用機器が必要で互換性はない。

2. ハイレゾCDには、2000年頃に策定された国際規格のSA-スーパーオーディオと
  最近出たMQA-正式名略 がある。 形式はいずれもPCMである。

3. MQAは、通常のCDプレーヤーでも再生出来るが、音質は通常CDレベルになる。
  対応プレーヤーで再生すると、20千KHz以上の高域音楽情報が出る。

4. MQAもSA もその全帯域を再生するには、専用デコーダーが必要である。
  MQAの特徴は、アナログ・デジタル変換を繰り返すたびに音質が劣化するが、
  それをなくした方式だとの理解である。*CD説明文の時間軸のズレは音質劣化。

SA・CDやMQA・CDが再生可能なCDプレーヤーは、まだまだ高値の華なのである。
*SA用は10萬程だが、MQAは100萬越えのものあり。

レコードに較べると、特にオーケストラなどはカーテンの向こうで演奏しているような
違和感がCDにはある。20千KHz以上は、音楽情報を全てカットしているからだろう。

いずれ、再生可能プレーヤーを手に入れたい。現状では、値が張るのにハイレゾCDの
種類は、余りないので時期を見ないといけない。 




1970年代に登場した、シンセサイザー等の電子楽器の演奏を中心とする「テクノポップ」
の草分け YMO 。デジタルをアナログで聴く と言う妙な気持にさせる音楽だった。

同じフレーズのセリフが脳に焼き付いている。 TOKIO-TOKIO-----。  



*当面、通常CDのみ演奏する事にしたYAMAHA CDプレーヤー。

レコードジャケットのカバーがみなボロボロになっていた。40年も放置していたので
新しいカバーを、合計150枚購入してLP・EPとも、新らしいカバーに入れ替えた。

レコードが、新品に戻ったようになった。




左ジャケットは、若き日のショーケンこと萩原健一だ。隣町のさいたま市で育つ。
会社の先輩が彼の近所にいたが、子供の頃から悪ガキで名を馳せていたそうだ。
だが、精悍で恰好良かった。自分とは同期生位かな?

右は、慶応大学在学中の竹内まりや。当時は、慶応の女王などと呼ばれていた。
学校の文化祭でもよく歌っていた。



クリーナーや針先洗浄液など小物も買いそろえた。レコードを拭くフリーナーに至っては、
延40年も使って、毛が無くなってしまった。ものも人も同じである。



最後に今年の株式相場は、荒れたねー。大損。
大量の含み損を抱えて年越しなり。世界で最も影響を与えた人物。昨年プーチン。

今年は断トツでトランプ大統領だね。来年もトランプ相場か?




2018年12月12日 イイね!

旧友再会 林道の廃

旧友再会 林道の廃前回は、林道レポを久々にUP出来た。
エスクの林道とスイフトのツーリングレポは、自分の
ブログ二本柱なのです。

これを、週にどちらか1回UPしていた昨年頃は、月の
PVが弐萬を軽く越えていた。

だが、その後は諸事情によりブログUPは激減した。
整備手帳・パーツのみの片肺飛行となっていた。


当然、PVも減り、今年に入ってからは二万を越える事は稀である。

だが、走ろうと言う気が起きない時期が続いた。
そろそろ、潮時かなと思った事もあった。

ようやく最近になり、林道を走りたいと言う気持ちが再び高まってきた。

久々の林道レポUPで、しばらくお見掛け出来ずにいた方々からイイね をいくつも頂きました。
友人ではないので、Myファン登録の方々かも知れない。
*自分の実働友人数は今や二十数名である。

そのほとんどが、四駆乗りの方々である。
お久しぶり 元気ですか? ありがとうございました。


まさに、旧友再会のような気持ちでありました。



さて、前回ブログで予定のフォトギャラを、ブログに変更してUPします。
どうしても八枚の写真には納まらなかった。

林道沿いに見た廃なもの のUPです。




枯葉散る林道を発進。 人の行く裏に道あり 廃な道 。

夏に紹介した、廃止された町営プールが見えて来た。

落ち葉が積もる季節は、余計寂しい風景となる。



いつもある日常が突如消える。 そこに湧き出る感情が、「もののあわれ」だと言う。

日本人独特の感性であろう。





塀際にひっそりと 見られなくても咲く椿。




坂を上り、鎌北湖に出た。


湖畔にある廃業した食堂。20年程、前までは休日には順番待ちの列が出来る程だったが、
今はこの鎌北湖に来る人も激減した。

湖奥には二軒の宿があったがまだ営業しているのだろうか? 
上写真の奥に、その一軒が見える。




*参考 ここの近隣にある黒山三滝。 江戸の昔から観光客で賑わい戦後、日本観光百選
に選ばれた地である。子供が小学生の頃の二十数年前に連れて行った時は、余りの人出
に、子供とはぐれてしまった事を思い出す。

それも今は昔。 週末でも閑散としている。特に、この時期は訪れる人は殆どいない。
参道に残るは、かつて繁栄を偲ばせる老舗旅館・レストラン・土産物屋のシャッター
通りである。

自然に親しんだ事がない親が、子供を連れていくのは人工の地ばかりとなった。
偶には自然に触れて欲しい。


*この時は若い女性が、滝に打たれて修行していた。昔から修験者の地であった。

再び車を走らせる。リアフォグ点灯テスト。車検合格の完全赤色フォグになった。


好きなダートが続く林道の様子。


前回UPの谷にある廃墟。不思議な光景  


林道脇の巨岩と拡大図と全体図。


資材小屋だったのか?中に古い丸太が沢山積まれていた。



かつて作業場のような建物が。年月が過ぎても土に帰らないプレハブ小屋。
こんな山奥でも、人の営みがあった事を示す廃屋が点在する。


時には、車も  である。 土に帰る途上のダイハツの軽トラ。

これぞまさに
 「廃ゼット」 である。



ハイゼットが置かれていた比較的、新しい工場跡。右の新しく見える車もNOは、なかった。



この林道の終点付近にも廃屋が・・。




だが、廃あれば新あり。 鎌北湖方面へ接続する直線の道が工事中だ。
50Kmの速度制限が新道路らしい。



便利にはなるが自分は、従来の道を走り続けるだろう。*最初の写真の道。

カーオーディオは、未だカセットにCD・MDプレーヤー。スマホもナビも持たない。

自分も、また時代遅れな男なのだ。あー、恰好悪い・・ 。
 



2018年12月10日 イイね!

散歩道 冬枯れの里山を行く

散歩道 冬枯れの里山を行く冬枯れの景色こそ、おさおさ劣るまじけれとは、徒然草
の有名な一節だ。

土曜はオーディオ機器の塗装・セッティングの見直し。

昨日の日曜は久々、冬枯れの里山徘徊であった。





まずは、いつもの道で鎌北湖へ向かう。
いつもは目立たない、この石積みも、冬は見事に浮き上がる。



マニュアルシフト五速ホールドで、長い坂道を登り切った。

どんよりと雲が立ち込めているが、逆に水面-minamo-がきれいに映った。



湖畔道路を奥に進むと奥武蔵Gラインの始まりである権現堂線に出る。
が・・今日は違う道に入る。

まずは一本目の林道へ。ここは好きなダートである。
履きたてはダートでは頼りなかったスコーピオン・ベルデ。
皮むきを終えると、見違えるようにダートでも、しっかりと路面を掴むようになった。



奥に進むと○○鉱山事業所の看板が、ゲートにかけられて何かの設備があった。



奥にはシートがかけられたものがある。大砲にも見える。



視線を登ってきた方向に移すと木の間から火の手が・・・。
これは大変と寄って見れば焼却炉で何かを燃やしていた。そばには人もいた。




奥は道が細くなっている。ここで、Uターンした。辺り一帯、落ち葉の絨毯である。



分岐点まで引き返し、少し戻って別の林道に入る。
白壁の豪邸が現れた。家の手前は谷になっていて、その中に大きな廃屋が見える。

これはどういう地形だろう?わざわざ谷に建てた訳でもないだろう。
奥を埋め立てて、この豪邸を建てたのかな。そう考えるほうが自然だね。



墓地を見下ろす高台に寺が立っている。



更に進むと、日本最古のゆずと言うタイトル写真の旗が1本と、カートが見えた。

*あとで調べたら桂木ゆずは、この地区のブランド柚子らしい。奈良時代に日本に入った
ゆずを、この地区では古くから栽培していたようだ。昭和の時代まで、ゆずは一般家庭
では殆ど消費されなかった。この一帯は、日本有数のゆず生産地だそうだ。知らなかった。




ゆずの無人販売であった。スーパーで1個100円くらいで売られているものが、8個入って
100円均一と随分と安かった。100円玉をカートに置かれた箱に入れて一袋頂いた。

*一袋100円也

この一帯は柚子の木が山一帯に栽培されている。


そして、またもや林道入口が出て来た。



この日、一番印象深かったのがこの古民家である。
まるで、黒澤明の時代劇に出てくる、映画のセットのようだった。




この林道は今時珍しい全線ダートであった。マウンテンバイク集団が飛ばしながら前方から
来たので、路肩に車を停めてやり過ごした。
それ以外は、何も通らず快適な林道だったが、眺望が開ける場所は皆無だった。



途中のススキ。ススキも、今年はこれが見納めだろう。


林道終点付近にあった廃小屋。過疎化が進む中で廃屋は年々増えている。




こうして半日林道ドライブは終了した。ドライブは楽しい。未だ初めての道多し。

この日は、路肩からの発進に数回四駆High にギヤを入れた。それなりの悪路もあった。 


人生 これみな旅の途上  いや終盤だな。


*廃屋や廃なものは、フォトギャラにまとめる予定です。

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「[整備] #エスクード 1年3か月ぶりのオイル交換 磁石付きフィルター等 https://minkara.carview.co.jp/userid/1110056/car/855706/7754136/note.aspx
何シテル?   04/15 13:55
眼が悪く、黒背景の文字は、読む事が出来ません。 足跡も見ていません。 以下に該当する方はフォロー不可です。 自己紹介欄に、居住地もなく、宜しくだけの方。記...
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