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2014年08月15日 イイね!

終戦の日






何をもって開戦に踏み切り… 大東亜戦争の大義を語るには 天皇陛下の 開戦の詔書 そして終戦の詔書を読めば全てがそこに… 決して 侵略戦争などではないことは明々白々!
















<現代語訳文> 
 私は深く世界の大勢と日本の現状について考え、非常の手段によってこの事態を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。 私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連に対してポツダム宣言を受け入れることを通告せしめた。そもそも日本国民の安全を確保し世界の国々と共に栄えその喜びを共にすることは、私の祖先から行ってきたことであって私もそのように努めてきた。先に、米国・英国二国に宣戦を布告したのも、我が帝国の自立と東亜の安定を願って
のものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない。しかしなが
ら、戦闘状態はすでに四年を越え、私の陸海将兵の勇敢な戦闘や、私の官僚・公務員たちの勤勉なはたらき、私の一億国民の努力、それぞれ最善を尽くし
たにもかかわらず、戦争における状況はよくならず、世界の情勢も我々には不利に働いている。それだけではない。敵は、
新たに残虐な爆弾を使用して、何の罪もない多くの非戦闘員を殺傷し、その被害はまったく図り知れない。それ
でもなお戦争を継続すれば、最終的には日本民族の滅亡を招き、そして人類文明おも破壊することになってしまうだろう。
そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子とも言える多くの国民を保ち、先祖の霊に謝罪することができようか。これこそが政府にポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。
 私は日本とともに終始東亜の植民地解放に協力した友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。帝国臣民にして戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると体中が引き裂かれる思いがする。さら
に戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。思うに、これから
日本の受けるであろう苦難は、大変なものになる。国民たちの負けたくないという気持ちも私はよく知っている。
しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。
 私は、ここにこうして国体を守り、忠義で善良なあなた方臣民の真心を信頼し、そして、いつもあなた方臣民とともにある。もし、感情的になって争い事をしたり、同胞同士がいがみあって、国家を混乱におちいらせて世界から信用を失うようなことを私は強く
懸念している。 国を挙げて一つの家族のように団結し、子孫ともども固く神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、
総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操を固く持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように
努めなさい。あなた方臣民は私の気持ちを理解しそのようにしてほしい。
 天皇の署名と印璽
 昭和二十年八月十四日
Posted at 2014/08/15 08:30:42 | トラックバック(0) | 日記
2014年08月13日 イイね!

金なんだ!


コンプレッサー側にある 刻印プレート…




Posted at 2014/08/13 15:12:22 | トラックバック(0) | 日記
2014年08月12日 イイね!

8月15日… 大東亜戦争停戦の日



Facebookから転用致します。




1945年、広島に原爆が投下されたのが8月6日、続いて長崎に落されたのが8月9日、
そして8月15日に終戦を迎えました。
今年は終戦から69年、自衛隊創設から60年目になりますが、
「原爆投下による教訓」と題して私が感じたことを述べたいと思います。

広島に投下された「ウラン235型原爆」、通称「リトル・ボーイ」によって、20万人の市民が殺され、
長崎に投下された「プルトニウム型原爆」、通称「ファット・マン」によって14万9000人の市民が殺されました。

私はアメリカハワイ州の高校に在籍していた頃、アメリカ・世界史の授業で、
「広島と長崎での原爆投下によって、アメリカ合衆国は戦争を終結させ、多くの人々の人名を救った。」
と習ったことを鮮明に覚えております。
その時、私は敵国日本を代表する唯一の生徒であり、
「母国日本は悪い国だった」という印象を抱いた記憶があります。

"The American Nation"という米国の教科書本文には、まず原爆の開発に関する経過が記されています
(1942年から極秘裏にマンハッタン計画を進めて原爆が製造されていたこと、1945年にニューメキシコ州で人類初の原爆実験が成功したこと)。
そして、8月6日は広島、8月9日は長崎に原爆が投下されたこと・・・。

これらが計画的また実験であったことを暗に認める表現となっていますが、
その最後はトルーマン大統領の
「原爆の投下が戦争を終わらせ、数百万人の命を助けた」
という発言で締めくくられています。
教科書によって多少の表現差はありますが、最後の締めくくりはほぼ皆一緒です。

対して日本の教科書の記述内容を見てみると、
平成17年、当時中学校で使用していた帝国書院版歴史教科書には、こう記述されています。

「ポツダムの会議では、アメリカ・イギリス・中国の名前で日本の無条件降伏をうながす共同宣言を出しました(ポツダム宣言)。
しかし、この宣言を日本が黙殺したため、戦争の早期終結を望むアメリカは、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾を投下しました。」

つまり、「日本は降伏しなかったから、原爆を投下された」
と原爆投下を正当化する記述内容になっています。

また、東京書籍版の教科書には、
「戦前の広島市が軍都として発展してきたこと」が「被爆都市となってしまった」原因の一つであると記述されています。

これらが日本の代表的な教科書の記述と言えます。

これら日米両国における教科書の記述がプロパガンダであり、間違っていることは、以下の声明や証言から証明できます。

第一に、
トルーマン大統領は、広島への原爆投下後、
「日本陸軍の最重要基地である広島に1個の核爆弾を投下した。」
という公式声明を出しました。
原爆被害を受けた広島の市街地は、陸軍基地ではありません。
ただの市街地です。
そして広島で原爆によって亡くなられた市民は一般人です。
戦時国際法では、一般市民の大量虐殺を「してはならない」と明確に規定しています。

すなわち、原爆投下は明らかな戦時国際法違反行為です。

次に、
広島、長崎に原爆が投下されたあと、米国で原爆開発のマンハッタン計画を担当した ロス・アラモス研究所は、
二つの原爆投下について、

「我々は、史上二度の『原爆実験』に成功した」

と公式に述べています。
つまり、あの二度にわたる原爆が「実験」であり、
「実験」だからこそ広島と長崎には、それぞれ種類の異なる原爆が投下されたということです。

では、何故そのような実験が行われたのでしょうか。
極東国際軍事裁判オランダ派遣判事だったバーナード・W・A・レーリンクが、
「連合国の国民は有色人種を、昔から人間以下とみなすように教育されてきた。

有色人種である日本人は人間ではないと、トルーマン大統領をはじめ政府、軍の高官、科学責任者が感じていたからこそ、
広島、長崎で数十万人を一瞬にして焼殺できたのだ」
と、白人の差別意識の存在を批判しています。

さらに、ブログ「ねずさんのひとりごと」には、
終戦後の昭和20年9月に日本に訪れた、米国戦略爆撃調査団が書いた「最終報告書」という資料が紹介されています。
トルーマン大統領に提出された公式な報告書です。
内容は以下の通りです。

「たとえ原爆が投下されなかったとしても、ソ連が参戦しなかったとしても、本土上陸作戦が行われなくても、
日本は非常に高い確率で九州上陸作戦の決行予定日である昭和20年11月1日から、12月31日までの間に、確実に降伏したであろう。」

つまり、
「日本に反撃能力がなく、日本から報復される心配がまったくなかったから」、
実験として原爆を投下したと結論付けています。

広島の平和記念公園には、
「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」
と刻まれた石碑があります。

では、いったい何が「過ち」だったのでしょうか。

今でも多くの日本国民は「戦争したことが過ちだった」と思い込み、
「二度と戦争は繰り返してはならない」と誓いを立てることが良いと思っているでしょう。

勿論戦争にならない方が良いのは当たり前のことです。
日本は当時最後まで戦争を回避しようとあらゆる努力をしましたが、
日本が戦争に突入したのは自衛の為に止むを得なかったことであり、
アメリカがそのように仕組んだのです。

また当時日本は世界で唯一欧米列強に立ち向かった国であり、
日本のお陰で彼らの植民地政策を終わらせ、
その後アジアやアフリカで多くの国々が独立を果たしたのです。

戦争にならない為に、攻撃を受けない為には、「報復能力」を備えていなければなりません。

ねずさんのブログには、もう一つ驚くべき内容が掲載されていました。
実は日本は、広島、長崎に原爆が投下される前に、すでに日本では、原爆の開発を終えていたという事実です。
当時、軍の上層部は、この新型爆弾をもって米国に大勝負を挑みたいと昭和天皇に上奏しましたが、
昭和天皇は、この上奏を却下し、原爆の製造・開発の禁止を命じました。昭和天皇は、世界が核競争になることを未然に防ぐため、
技術レベルでは原爆を開発することができ、それを米国に撃ち込むことさえできたにもかかわらず、
それを人類のためにと、却下されたのです。
このことは、終戦の詔勅(しょうちょく)にも明確に述べられています。

========
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ

(口語訳)
敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、
その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。
この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、
朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
========

世界中のどの国も国益の為にアレコレ策を練りアクションを起こします。
しかし、我が国の天皇陛下は、国益よりも人類の平和の為に身を切って行動したのです。

日本は天皇を中心とした愛情主義国家であったことを物語っています。

しかし、我が国の天皇陛下の崇高な精神と人類愛は、弱肉強食主義、我欲主義国家には、「豚に真珠」だったのです。

最後にまとめとして、私達が「愛情主義」を取り戻すこと。
そして価値がわからない豚には、「攻撃したら痛い目に遭うよ」という「報復能力」を保持することが重要であることを学びました。

-------------------------------------
画像は戦後広島にご行幸された昭和天皇






Posted at 2014/08/12 00:28:23 | トラックバック(0) | 日記
2014年08月11日 イイね!

見た目は何も…



見た目は何も変わりませんが…











(^_^)b
Posted at 2014/08/11 23:28:20 | トラックバック(0) | 日記
2014年08月08日 イイね!

全ての日本人へ読んでほしい…




Facebookからの転用



全ての日本国民に読んでほしい、そして語り次ぎましょう

「マッカーサーの告白」

日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は何も悪くありません。日本は自衛戦争をしたのです。
イギリスのチャーチルに頼まれて、対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。アメリカは日本を戦争に誘い込むためにイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突き付けました。

中国大陸から出て行けだの、石油を輸入させないなど、アメリカに何の権利があったというのでしょう。当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人はよくて日本人は許さなかったのです。ハルノートのことは、私もアメリカの国民も知りませんでした。

あんな物を突き付けられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画を建てました。アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。

戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。日本がアジアを白人の植民地から解放しようとしたという本当の理由を隠すため大東亜戦争という名称を禁止し代わりに太平洋戦争という名称を使わせました。

東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学など要職にばら撒きました。
その教え子たちが今マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。

徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。これらの政策が功を奏し今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。(※註:1951年の時点で正気に帰ったマッカーサーが、この今に続く問題を憂いている)

私は反省しています。自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカなのです。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。最後に私が生きていた時の証言を記して謝罪の言葉としたいと思います。

「私は日本について誤解をしていました。日本の戦争の目的は侵略ではなく自衛のためだったのです。太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国において強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。

日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。

これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だという事を意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることができませんでした。

日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない。錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。その全てがアジアの海域に存在したのです。
もしこれらの原料の供給を絶ちきられたら一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れたのです。
したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

アメリカ上院軍事外交合同委員会の公聴会にて
1951年5月3日
ダグラス・マッカーサー
Posted at 2014/08/08 22:06:14 | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「過激派 デモ隊? http://cvw.jp/b/1110345/36079186/
何シテル?   07/19 12:26
皆さん宜しくお願いいたします。
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