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イイね!
2006年05月30日

デジカメなんぞを

デジカメなんぞを 来客ラッシュで忙しい。
結局TYO異動は流れたお



ヤァ!ワシです。

←トラックでオフミに来るツワモノ




歴戦の猛者



なんや週末のワシの仕事振りが
あちこちで晒されとるがな。

ほんだらそっちは任せて、
ワシはデジカメ買ったりしたもんで、
ガラにもなく車の写真を撮っちゃってみたり。

ウハ!キャラ違うwwwwwww

ま、雨っつーシチュエーションはあまりないやろうから
コレはコレでええか。

しかしアレだな。

デジカメを買っても自分が仕事しちゃぁ
写真を撮るも撮らないもないな、コレ。

人に頼んでからだとやっぱイマイチやしな。

段取りしてしまうと












刹那



を感じないやん。


























瞬間に生きる。




コレ大事。


ワシが今一番期待している刹那は





最新のナビ使いながら



























商店のババに道を聞く


この瞬間、この刹那の
感情の




揺らぎ




を、是非経験してみたい。





ブログ一覧 | カテゴリ「ワシ」 | 日記
Posted at 2006/05/30 14:59:37

イイね!0件



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この記事へのコメント

2006年5月30日 15:10
1げと
コメントへの返答
2006年5月30日 16:54
刹那は、サンスクリット語「ksana」の音写で、漢訳は「念」。
仏教語で時間の最小単位を意味し、七十五分の一秒を「一刹那」とする説や、指を一回弾く時間の六十五分の一を「一刹那」とするなど諸説ある。
本来は、「刹那という極めて短い時間を大切に生きよ」という教えであったが、転じて「刹那主義」は、「束の間の快楽に溺れる」という意味で一般的に用いられる。
2006年5月30日 15:26
2
コメントへの返答
2006年5月30日 16:54
おっぱいの語源は、以下の通り諸説ある。
1.「ををうまい(おおうまい)」が約まって、「おっぱい」になったとする説。
2.「お腹一杯」の「いっぱい」が転じて、「おっぱい」になったとする説。
3.中国春秋時代の学者『王牌(おうぱい)』が転じて、「おっぱい」になったとする説。
4.古代朝鮮語で「吸うもの」を意味する「パイ」から、「おっぱい」になったとする説。
「1」の説は1859-60年の『於路加於比(おろかおい)』によるもので、おっぱいの意味が書かれた最も古い文献のため有力とされ、その次に「2」の説が有力とされる。
「3」の説は、おっぱいとの関連性が薄いため、音から考えられた俗説であろう。
「4」の説は、意味の面では通じるが、古代朝鮮語が突如近世に現れ、幼児語として用いられるようになった点が不自然である。
2006年5月30日 15:28
3
コメントへの返答
2006年5月30日 16:55
ナメクジの「ナメ」は、滑らかに移動する姿から「滑」の意味が有力と考えられ、舐めるように這うことから、「舐め」を語源とする説もある。
ナメクジの「クジ(クヂ)」は、ナメクジが植物の上を這った後は、えぐられたようになっていることから、「あける」「えぐる」という意味の「くじる」が語源とする説もあるが、民間語源とされており、正確な語源は解かっていない。
ナメクジの別名には、「ナメクジリ」「ナメクジラ」「マメクジリ」「マメクジラ」「ナメラクジ」などがある。
「ナメクジリ」の語形から見ると「くじる」が語源でもおかしくないが、民間語源の「くじる」から「ナメクジリ」の語が生まれたという見方が強い。
古くは「カタツムリ」も「ナメクジ」と呼ばれていたため、カタツムリと区別するため「裸」を冠し、ナメクジは「ハダカナメクジ」とも呼ばれた。
現在でも、「ハダカナメクジ」や「ハダカナイト」など、「裸」を冠して表現する地域がある。
2006年5月30日 15:31
コメントへの返答
2006年5月30日 16:55
ブラジャーは、フランス語「ブラシェール(brassiere)」を英語音化したもので、アメリカでも口語では「ブラ」と呼ばれる。
ブラジャーの語源となるフランス語の「brassiere」は、婦人や赤ちゃん用の袖付き胴着を意味する。
「bras」は「ブレスレット(bracelet)」にも通ずる語で「腕」を意味し、「brassiere」の基となる古フランス語「braciere」は、腕の防護具を意味した。
ブラジャーの原型は、1889年、フランスの「Herminie Cadolle(エルミニー・カドル)」によって発明されたが普及には至らず、「ブラジャー」という名称でもなかった。
1913年にアメリカの「Mary Phelps Jacob(メアリー・フェルプス・ジェイコブ)」が、コルセットに代わるものとして特許を取得し、1914年にワーナー・ブラザーズ社が特許を買い取り、販売したことで一般に普及した。
1900年代初頭には英語でも「brassiere」が見られることから、特許取得時に「袖付き胴着」の意味が、現在のブラジャーの意味に変化したものと思われる。
また、日本でブラジャーが普及したのは、1950年代に入ってからである。
2006年5月30日 15:40
コメントへの返答
2006年5月30日 16:56
阿吽は、梵語(サンスクリット語)「a-hum」の音写。
「阿」は口を開き「吽」は口を閉じて発する声のことで、そこから「呼気」と「吸気」の意味となり、両者が息を合わせることを「阿吽の呼吸」と言うようになった。
寺社の山門にある狛犬や仁王の口は、一体が口を開き、一体は口を閉じて「阿吽」を表している。
密教では、阿吽を「万物の根源」と「一切が帰着する知徳」の象徴とされている。
これは梵語の悉曇(しったん)の字母表で、最初の韻が「阿(a)」、最後の韻が「吽(hum)」であることに由来する
2006年5月30日 15:40
5
コメントへの返答
2006年5月30日 16:55
若いツバメは、明治時代の婦人運動・女性解放運動の先駆者『平塚雷鳥』と、年下の青年画家『奥村博史』の恋に由来する。
平塚が年下の男と恋に落ちたことで、平塚を慕う人々の間で大騒ぎとなり、奥村は身を引くことにした。
その時、奥村から平塚に宛てた手紙の中で、「若い燕は池の平和のために飛び去っていく」と書いたことから流行語となり、女にとって年下の愛人を「若いツバメ」というようになった。
2006年5月30日 15:41
クソ
コメントへの返答
2006年5月30日 16:56
へぼの語源は、平凡の略とされる。
主に俗語を集めた江戸末期の国語辞典『俚言集覧(りげんしゅうらん)』には、「へぼ、下濁、下手をヘボと云う」とある。
へぼいは、へぼが形容詞化されたもの。
2006年5月30日 15:41
6
コメントへの返答
2006年5月30日 16:56
烏合の衆は、中国『後漢書』の出典による。
烏合の衆の「烏合」とは、カラスの集団のことで、カラスが集まっても、鳴いてうるさいだけで統一性に欠けることから、喩えとしてこの語が生まれた。
ただし、「烏合の衆」は昔に作られた言葉であるため、カラスが馬鹿な鳥のようにされているが、現代では鳥類の中で最も知能が高いとされ、相互の情報交換に長けていることが知られている。
2006年5月30日 15:42
↑( ´,_ゝ`)プッ
コメントへの返答
2006年5月30日 16:57
ガセは、元はテキ屋の隠語として使われていた言葉で、1915年の『隠語輯覧』に見られる。
ガセの語源は「お騒がせ」の「がせ」で、本物ではないのに人騒がせな物ということで、「偽物」の意味となったのであろう。
でたらめな情報を意味する「ガセネタ(がせねた)」は、1929年の隠語の集成『香具師奥義書』に見られ、「ガセ」と同じく古くはテキ屋の隠語であった。
1990年代後半には、パットなどで大きく見せた胸の意味で「がせぱい(「ぱい」は「おっぱいの略」)」が若者用語として使われるなど、「ガセ○○」と合成語を作ることが多い。
2006年5月30日 15:42
荒れ模様
10
コメントへの返答
2006年5月30日 16:57
ないがしろは、「無きが代(なきがしろ)」がイ音便化された語。
「代(しろ)」とは「身代金(みのしろきん)」などにも使われるように、「代わりとなるもの」を意味する。
「代」が無いということは、「代用の必要すら無いに等しい」という意味で、人を無いようなものとして扱うことから、軽視したり無視をする意味になった。
2006年5月30日 15:42
クソッ
10
コメントへの返答
2006年5月30日 16:58
華甲の「華」を分解すると、「十」が六つと一つの「一」になり、「61」を表している。
華甲の「甲」は「甲子(きのえね)」で、干支(十干十二支)の最初をさしている。
そこから、還暦と同じく数え年で61歳を表すようになった。
2006年5月30日 15:43
↑( ´,_ゝ`)プッ
12
コメントへの返答
2006年5月30日 16:58
ならず者の「ならず」は、「成る(なる)」に打消しの助動詞「ず」が付いたものである。
「どうにもならず」の意味から、「手に負えない」という意味が生まれ、素行の悪い者を「ならず者」と呼ぶようになった。
1994年にクリントン大統領が、自らにとって好ましくない国家を「ならず者国家(rogue states)」と発言して以降、「ならず者国家」は議会やメディアで用いられるようになった。
2006年5月30日 15:46
コメントへの返答
2006年5月30日 16:59
リーゼントは、ロンドンの「West End」にある繁華街「Regent Street(リージェント・ストリート、リーゼント通り)」が語源である。
リーゼントは1933年頃にイギリスで流行し、リーゼント通りの緩やかなカーブにたとえ、「リーゼント・スタイル」と呼ばれるようになった。
2006年5月30日 15:47
華麗に
13
コメントへの返答
2006年5月30日 16:59
ふしだらは、サンスクリット語「sutra」を音写した「修多羅」が語源である。
古代インドでは、教法を「多羅葉(たらよう)」という葉に書き、鉛筆のような物で経文を刻書し、散逸しないように穴を開け、紐を通して保存していた。
この紐や糸のことを「修多羅」といい、正確で歪みなく秩序よく束ねることも意味していた。
この「修多羅」が音転訛して「しだら」となり、それに「不」をつけて「ふしだら」になったとされる。
手拍子を打つことを意味する「しだら」を語源とする説もあるが、関連性がないため有力な説とは考えられていない。
2006年5月30日 15:47

その刹那
15
コメントへの返答
2006年5月30日 16:59
ブルマーは、1850年頃、アメリカの女性解放運動家『ブルーマー夫人(Amelia Jenks Bloomer)』によって考案されたもので、英語では「bloomer(ブルーマー)」、若しくは複数形の「bloomers(ブルーマーズ)」という。
当初のブルマーは、全体的にゆったりして足首で絞ったもので、その上からスカートが履かれ、女性解放運動の象徴とされた。
19世紀の終わり頃からは、ブルマーがスポーツ着として取り入れられ、一般にも普及していった。
日本では、大正から昭和にかけて女学生用の運動着として用いられ、第二次世界大戦後からは丈が短くなり、形が提灯のように見えたことから、俗に「ちょうちんブルマー」とも呼ばれた。
東京オリンピックのあった1964年以降、ぴったりとしたブルマーが主流となり、1990年代初頭まで多く用いられた。
2006年5月30日 16:02
とりあえず
16
コメントへの返答
2006年5月30日 17:00
パイパンの語源は、麻雀の牌(パイ)の「白」を中国語読みした「白板(パイパン)」。
白牌は表面に何も彫られておらず、ツルツルであることから、毛が生えていないこと「パイパン」と喩えたことによる。
その他の三元牌は、「發」を「緑發(リューハ)」、「中」を「紅中(ホンチュン)」という。
2006年5月30日 16:03
16
猪苗代楽しい画像キボンヌ
コメントへの返答
2006年5月30日 17:56
秋茄子は嫁に食わすなの語源は、意味にも書いてある通り、三種類の説がある。
一般的には「憎らしい嫁にはもったいない」という意味で使われ、同趣旨の諺(ことわざ)に「秋かます嫁に食わすな」「秋鯖(あきさば)嫁に食わすな」「五月蕨(ごがつわらび)は嫁に食わすな」があり、いずれも嫁いびりの句であることから、封建的な家族制度の中で生まれた言葉のようである。
「体を冷やすから」や「子種を心配して」というのは、嫁に対する姑の言い訳から生まれたのかもしれない。
鎌倉時代の和歌集『夫木和歌抄』には、「秋なすび わささの粕につきまぜて よめにはくれじ 棚におくとも」とあり、これが秋茄子は嫁に食わすなの語源ともいわれているが、「秋鯖」などの例もあることから説得力に欠ける。
また、「わささ」とは「若酒」と書き「新酒」のことで、「よめ」は「夜目」と書き「ネズミ」を表し、「酒粕に漬けた秋茄子を美味しくなるまで棚に置いておくのは良いが、ネズミに食べられないように注意しろ」という意味で、本来「秋茄子はネズミに食わすな」であるともいわれる。
しかし、この和歌が語源とであったとしても、「夜目」は隠語であったことや、新年に忌み詞としてネズミを「嫁が君」と言うが、正月三が日のみ使われるのが一般的で秋には使われないことから、この和歌の「よめ」は「ネズミ」を表した可能性があるだけで、断定できるものではない。
2006年5月30日 16:05

18
またかぶった!田舎の通信・・・
コメントへの返答
2006年5月30日 17:00
生憎の「生」は当て字で、「憎」は「憎らしい」の意味。
生憎の本来の語形は「あやにく」で、近世以後に「あいにく」となった。
「あや」は「ああ」や「あら」などと同じ感動詞、「にく」は形容詞「憎し(にくし)」の語幹である。
つまり、生憎は「ああ憎らしい」という意味であったものが、そのような感情を抱かせるような事態をあらわすようになり、「あいにくの雨だ」など不都合が生じて残念なさまをいったり、「お生憎様」など相手の期待に添えずに思いやったり、相手を慰める意味でも用いられるようになった。
2006年5月30日 16:05
16

星飛雄馬
コメントへの返答
2006年5月30日 17:01
駄々をこねるの「駄駄」は当て字で、悔しがって地を激しく踏む「地団駄・地団太(じだんだ)」から「だだ」になったとする説と、「いやだ、いやだ」から「だだ」になったとする説がある。
「駄駄を言う」という表現や、「捏ねる(こねる)」には無理を言って相手を困らす意味もあり、「いやだ…」が語源とも考えられるが、「地団駄・地団太(じだんだ)」の説が有力とされている。
ダダイスムを奉ずる人「ダダイスト」が、略して「ダダ」と言われるため、「ダダイスト」を語源とする説もあるが俗説である。
2006年5月30日 16:06

ありゃりゃ


20
コメントへの返答
2006年5月30日 17:01
たわけ者の「たわけ」は、「田分け」と書き、子供の人数で田畑を分けると、孫の代、ひ孫の代へ受け継がれていくうちに、それぞれの持つ面積は狭くなり、少量の収穫しか入らず家系が衰退する。
そのような愚かなことを馬鹿にして、「たわけ者」と呼ぶようになったとする説が多い。
しかし、「たわけ」という言葉は、「ばかげたことをする」「ふざける」などを意味する動詞「戯く(たわく)」の連用形が名詞となった言葉であるため、「田分け」の説は「戯け」と「田分け」を洒落た俗説で、「戯け者」が語源である。
2006年5月30日 16:08
ビューコートはやはり良いですね。
21
コメントへの返答
2006年5月30日 17:57
登竜門の「竜門」とは、黄河上流にある竜門山を切り開いてできた急流のことである。
その竜門を登りきった鯉がいたならば、竜になるという言い伝えがあった。
竜門の言い伝えから、人の立身出世の関門を「登竜門」と言うようになった由来は、中国『後漢書 李膺伝(りようでん)』の故事による。
その故事とは、李膺という実力者がおり、彼に才能を認められれば出世が約束されたものと同じで、その認められた人は、竜門に登った鯉に喩えられたというものである。
2006年5月30日 16:26
22・・・(爆)
コメントへの返答
2006年5月30日 17:57
割れ鍋にとじ蓋の「割れ鍋」とは、割れて壊れた鍋のこと。
「とじ蓋」は「綴じ蓋」と書くとおり、繕って修繕した蓋のことで、「閉じた蓋」や「閉じる蓋」ではない。
壊れた鍋にも、うまく合う修繕した蓋があるという意味から、割れ鍋にとじ蓋は誰にでもぴったり合う相手がいることや、似たもの同士が一緒になればうまくいくことのたとえとなった。
2006年5月30日 16:29
24
まつりか?
コメントへの返答
2006年5月30日 17:58
馬脚をあらわすの「馬脚」は、芝居で馬のあしを演じる役者のことである。
馬のあし役を演じる役者が、芝居中にうっかり姿を現すことから、隠しておいたことが明らかになることを言うようになった。
「馬脚をあらわす」は隠しておいたことが表に出てしまったことをいう言葉なので、悪事が明らかになるといった悪い意味で用いられる。
中国元代の古典劇『元曲陳州糶米、第三折』による出典で、中国では「露出馬脚来(マーチャオライ)」といわれる。
「露になる(あらわになる)」ことが原義なので、「あらわす」の漢字は「露わす」と表記されるが、「あらわす」の漢字は「表す」「現す」「著す」「顕す」しか用いられないため、使い分けの用法から「現す」を使い「馬脚を現す」とも表記される。
2006年5月30日 16:58
何このコピペレスwww
好きw
コメントへの返答
2006年5月30日 17:58
かまととの「かま」は「蒲鉾」、「とと」は幼児語で「魚」のことで、知らないふりをして「蒲鉾はトトからできているのか?」と、わざとらしく聞いたことから生まれたことから言葉である。
かまととが女性に対して多く使われる理由は、江戸末期の上方の遊郭で、うぶなふりをした遊女に対して使われ始めたことによる。
2006年5月30日 17:00
25

コピペで追いついて来たぞ~(笑)
コメントへの返答
2006年5月30日 17:59
台無しは、古く、ひどくいたんで形をなさない意味で用いられた語だが、現代では物の形だけではなく、「計画が台無しになった」など広い意味で駄目になることを表す。
台無しの「台」は、仏像を安置する台座のことで、台座が無ければ仏像の威厳が無くなることから、台無しは面目を失うことや、形をなさないことの意味となった。
2006年5月30日 17:03
チョwwwwww
17のレススルー

27
コメントへの返答
2006年5月30日 17:59
馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味する「baka」「moha」の音写「莫迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたとされる。
日本では、鎌倉時代末期頃から「ばか」の用例があり、室町中期の「文明本説用集」には、馬鹿の異表記として「母娘」「馬娘」「破家」をあげ、「とんでもない」の意味で「狼藉之義也」と説明している。
以上のことから、「ばか」を「馬鹿」と書くのは、当て字と考えられる。
馬鹿の語源の俗説として、「鹿をさして馬となす」(「史記(秦始皇本紀)」の故事から)がある。
これは、秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。
群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
このことより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味として使われているといったものだが、「鹿」を「か」と読むのは大和言葉で、漢文では「ばろく」と読む。
そのため、この故事が「馬鹿」の語源であるとは考え難く、「馬鹿」の字が当てられた由来として考慮するにとどまる。
その他、「おこがましい」の語源となる「をこ」を語源とする説もあるが、「をこ」から「ばか」という音変化は考え難い。
2006年5月30日 17:04
にじゅうろく
コメントへの返答
2006年5月30日 18:00
ティッシュの語源は、「帯」「布」などの織物を意味するフランス語の「tissu」である。
「tissu」は、ラテン語で「織る」を意味する動詞「texere」の過去分詞にあたる。
英語で「織物」を意味する「textile(テキスタイル)」も「texere」が語源である 。
日本でティッシュは、「鼻紙」や「ちり紙」と呼ばれていたが、現在では箱に入っていないものを「ちり紙」と呼ぶことが多い。
2006年5月30日 17:05
28

100まで行くよ~(爆)
コメントへの返答
2006年5月30日 18:00
黄昏は、古くは「たそかれ」と言い、江戸時代以降「たそがれ」となった。
薄暗くなった夕方は人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という意味で「誰そ彼(たそかれ)」と言ったことから、「たそかれ(たそがれ)」は夕暮れ時をさす言葉となった。
一説には、農夫が田んぼから退き、家に帰る時刻であることから「田退(たそかれ)」を語源とする説もあるが、「彼は誰(かはたれ)」を語源とする「かわたれ時」という明け方をさす言葉があることから、「田退」の説は考え難い。
漢字「黄昏」は当て字で、本来の読みは「こうこん」である。
また、「たそがれ」は日の盛りを過ぎた頃であることから、盛りを過ぎた頃、特に人生の盛りを過ぎた年代をたとえて言うようにもなった。
2006年5月30日 17:08
レスがとまった。
新たなコピペを探してるのですね?ですね?www

29
コメントへの返答
2006年5月30日 18:00
胡散臭いは、近世以降の言葉で、怪しいさまを意味する「胡散」に接尾語の「臭い」をつけて、形容詞化されたものである。
胡散の語源は、疑わしいを意味する漢語「胡乱(うろん)」からとする説。
茶碗の一種で黒の釉(うわぐすり)をかけた天目茶碗(てんもくぢゃわん)の「烏盞(うさん)」からとする説がある。
その他にも、ポルトガル語で怪しいという意味の「Vsanna(ウサンナ)」からとする説もある。
しかし、使われ始めた時代が合わず、香辛料の名前や薬の名前といった説もあるが、そのような名前の香辛料や薬が実在していないため、この二つは俗説と思われる。
また、「胡」を「う」と読むのは唐音で、「散」を「さん」と読むのは漢音であるため、「胡散」は和製漢語と思われる。
2006年5月30日 17:09
30?

『男塾名物大鐘音』
その由来は戦国時代武田信玄が上杉謙信との合戦において、どうしても援軍にいけず苦戦におちいっている遠方の味方の兵をはげますために自陣の上に一千騎の兵をならべいっせいに大声を出させ檄を送ったという故事由来する

その距離はおよそ二十五里、キロになおすと100キロ離れていたというから驚嘆のほかはない

余談ではあるが昭和十五年の全日本大学野球選手権においてW大応援団のエールは神宮球場から池袋まで聞こえたという記録がある
コメントへの返答
2006年5月30日 18:02
長丁場の「丁場」は、「町場」「帳場」とも書き、宿場と宿場との間の距離を意味した。
宿場間の距離が長いことを「長丁場」と言っていたが、長い距離は時間がかかることから、仕事などで長時間かかることも「長丁場」と言うようになった。
2006年5月30日 17:17
31


男塾・・・それは、全国の高校から追い出された荒くれどもが最後に行き着く私塾。そこでは封建的・軍国的な教育が行われ、塾生はそこで男を磨く。

絶対封建主義の男塾では、上級生・教官に逆らう事は決して許されず、一号生から三号生までにわかれた学年は、「奴隷の一号、鬼の二号、閻魔の三号」と通称される。この物語は、剣桃太郎を筆頭とする一号生たちが、様々な苦難を乗り越えて男を磨き、日本を背負って立つ真の男になるまでの物語なのだ。

一号生の彼らは、塾内での「男塾名物」と呼ばれる「油風呂・・・たらいにつがれた油の上に、火のついた蝋燭の入った小船を浮かべ、その中に入って蝋燭が消えるまで薪をくべて火をたきつづける根性試し(拷問?!)」、「羅倶美偉・・・選手全員が毒薬を飲み、自陣にある、ボールに入った鍵で開く金庫の中に入った解毒剤を求めてラグビーをする。負けたチームは全員死亡」など、どうしようもなくやばいイベントをこなしつつも、やがて富士山で行われる4対4のチームバトル「驚邏大四凶殺」や、3号生との8対8の戦い「大威振八連制覇」、そして世界からの強豪が訪れる16対16の団体戦「天兆五輪大武会」を制覇し、男塾の名をとどろかせるのである。

コメントへの返答
2006年5月30日 18:02
ダサいは、「田舎」を「だしゃ」と読み、形容詞化した「だしゃい」もしくは「だしゃ臭い」が転じて、「ダサい」になったとする説が有力とされるが、「ダサい」を方言で「だしゃー」と言うことはあっても、「田舎」を「だしゃ」と読む例が見当たらないことや、「ダサい」が使われ始めた1970年代には「間抜け」などの意味で使われていたため、「田舎」を語源とする説は不自然とも考えられている。
ただし、「田舎」と「だしゃ」の関係は不自然であるが、「間抜け」や「格好悪い」といった意味で罵る際、「田舎」を持ち出すことはあるため、この部分においては不自然ではない。
「だ埼玉(ださいたま)」が略され「ダサい」になったとする説もある。
名詞の前に付いて粗末な意味を表す「駄」があるため、一見関連性もありそうだが、「ださいたま」はタレントのタモリが埼玉県民をからかって、洒落で言ったため広まったもので、ダサいの語源との関連性はない。
2006年5月30日 17:58
サドシ
マニュアルktkr
http://www3.pioneer.co.jp/manual/manual_select.php?p_nm=AVIC-ZH009
コメントへの返答
2006年5月30日 18:03
ある二つの法則性に
気付いていないと言う罠。
マニュアルDLの必要性あるんか?
2006年5月30日 18:17
これは何という『お祭り』ですか?
コメントへの返答
2006年5月30日 18:45
緑寿は、他の長寿の祝いとは異なり、2002年9月に日本百貨店協会が提唱したものである。
数え年の66歳は、高齢世代に区分されるが介護も必要なく、現役世代と高齢世代の節目となる年齢で、新たな社会活動への参画を促すスタートラインとして位置づけられた。
また、21世紀が「環境の世紀」といわれることから「緑」をイメージし、66歳なので「緑緑寿」となるところを簡潔に「緑寿」としたものである
2006年5月30日 18:17
33
コメントへの返答
2006年5月30日 18:45
満を持す(まんをじす)
(意味)十分な用意をして機会を待つ
出典:史記(李将軍列伝)
前漢の 武帝 ( ぶてい ) のとき、 右北平 ( うほくへい ) 郡太守の 李広 ( りこう ) は、 博望侯 ( はくぼうこう ) 張騫 ( ちょうけん ) とともに、 匈奴 ( きょうど ) 攻撃のために出兵しました。

李広は、張騫の部隊に先行していたのですが、匈奴の 左堅王 ( さけんおう ) の軍に発見され、包囲されてしまいました。匈奴軍4万騎に対して、李広の率いるのは4千騎。全軍匈奴兵を恐れて声も出ません。

李広は、まず、子息の 李敢 ( りかん ) に、「匈奴の軍がいかほどか偵察して来い。」と命じました。李敢は、部下と共に匈奴軍の陣中を駆け、無事に戻って、
「奴ら、数ばかりで大したことはありません。」
と報告しました。李敢の武略と剛胆さあっての帰還でしたが、これを聞いて全軍はやっと落ち着くことができたのです。

李広は、4千騎を円陣にして、匈奴軍に備えました。匈奴は猛然と襲いかかり、降り注ぐ矢に漢軍はその半ばを失い、矢も尽きかけてしまいました。そこで、李広は全軍に、「合図のあるまでは、攻撃するな。」と命じ、弓を引き絞って、いつでも放てるようにしたまま待機させ、自ら大弓によって匈奴軍の部隊長を射落としたので、匈奴は混乱して兵を引きました。

満を持す・・・弓を引き絞ったままの状態を維持することに原義があります。

2006年5月30日 18:18
何を言う心得ていますよ。
35
コメントへの返答
2006年5月30日 18:46
邯鄲の夢(かんたんのゆめ)
(意味)栄枯盛衰のはかないこと。
出典:枕中記
以下は、唐代の作家、 沈既済 ( しんきせい ) の小説「 枕中記 ( ちんちゅうき ) 」のあらすじです。


唐の玄宗の時代、 呂翁 ( りょおう ) という名の道士が 邯鄲 ( かんたん ) の茶店で休んでいると、 盧生 ( ろせい ) という若者も茶店に入ってきました。
彼は、最初、楽しそうに話していましたが、粗末な衣服をしみじみ眺めてため息をつき、
「世の中うまく行かないものですね。男子に生まれたからには、功をなし名を上げて、戦に出れば大将となり、朝廷にあっては宰相となるべきです。しかし、今の有様はどうでしょう。30歳になってもまだ、畑仕事に精を出す身です。」
と不満を言い始めました。やがて盧生が眠気を催したのを見て、呂翁は自分の枕を差し出し、
「お若いの、私の枕で寝てみなさい。思いどおりの栄耀栄華をさせてあげよう。」
と言いました。


盧生が、呂翁の枕で眠ると、枕の両端にあった孔が大きくなったので、中に入ってみると家がありました。
その家で盧生は名家の娘を娶り、仕官の試験に合格して官吏となり、位人臣を極めました。
一方で政変にも巻き込まれ、一時は囚われの身となり、
「私の田舎の家には、わずかだが良い田があった。そこで百姓をしていれば飢えや寒さも凌げたものを、なんで仕官をしてしまったのか。今こうなっては、貧しい服を着て邯鄲の道を歩きたいと思っても叶うことはない。」
と言って自殺しかけたこともありました。

幸福な晩年を迎えた盧生は、やがて寿命を迎えて死去しました。


盧生があくびをして目を覚ますと、そこはさっきの茶店で、呂翁が相変わらず傍らにいます。
茶店の主人は、盧生が眠る前に 黍 ( きび ) を蒸していましたが、それがまだ蒸しあがっていません。

盧生は今までのことが夢だったと知って、しばらく憮然としていましたが、やがて、
「おかげで人生の栄枯盛衰のすべてを知ることができました。これは先生が私の欲望をふさぐ方法だったのですね。ありがたく教えを頂戴します。」
と言い、呂翁に深々とお礼をして立ち去っていきました。

2006年5月30日 18:27
36くらい


ねこぐるまの語源キボン
コメントへの返答
2006年5月30日 18:47
一張羅は、「一挺蝋(いっちゃうらう、現代仮名で「いっちょうろう」)」が訛った語。
一挺蝋とは、予備のない一本だけのロウソクをいった言葉で、ロウソクが高価なものであったことから生まれた言葉である。
現代でも、「一張羅」を「一丁蝋燭(いっちょうろうそく)」という地方がある。
江戸末期には、「たった一枚の羅(うすぎぬ)」といった意味で、一張羅が用いられるようになった。
2006年5月30日 18:32
37
虚弱の語源
コメントへの返答
2006年5月30日 18:47
マンネリは、芸術や文学、演劇などの型にはまった手法や、様式や態度への強い固執などを意味する英語「mannerism(マンネリズム)」の略である。
「マンネリズム」は、「行儀」「作法」「礼儀」や、きまりきった癖や作風を意味する「manner(マナー)」から生まれた言葉である。
2006年5月30日 20:07
38
勉強になります
コメントへの返答
2006年5月30日 20:09
ミミズは、目が無いが光を感じる細胞があり、暗いほうへ這っていく。
目で見ることができない動物の意味から、「メミズ(目不見)」が転じて「ミミズ」になったとする説が有力とされ、ミミズは土の中にすみ、日光を見ないことから「ヒミズ(日見ず)」が転じたとする説もある。
見ることを語源としない説には、「ミミ」がミミズの鳴き声、「ズ」が「キリギリス」などの「ス」と同じで、虫や鳥の名の下に付く「ス」が濁音化されたものという説もある。
ミミズの鳴き声については、秋の夜、土中から「ジジイ(ジジー)」と聞こえてくるものをミミズの鳴き声とした、「蚯蚓鳴く(みみずなく)」という言葉もある。
実はケラの声なのだが、ケラの鳴き声であろうなかろうが、ミミズの鳴き声と勘違いしたのであれば、「ミミ」を鳴き声としても良さそうである。
しかし、聞こえる声自体が「ミミ」ではなく「ジジイ」なので考えがたく、「ジジズ」といった例もないことから、鳴き声の語源説は説得力に欠ける。
漢字の「蚯蚓」は、本来「キュウイン」と読み、中国語からの借用である。
平安時代の辞書『和名抄』には「蚯蚓 美美須」とあり、ミミズに「美美須」の字が当てられていたことが解かる。
2006年5月30日 20:27
39

読み応えあります。
コメントへの返答
2006年5月30日 23:39
自宅に帰ったのです
2006年5月30日 20:40
40

ダビンチコードより親切。
コメントへの返答
2006年5月30日 23:40
目を覚まして下さい
2006年5月30日 20:50
41

お!まだ伸びてんのね?(笑)

つーか↑ブログに対する
まともなコメ1個も無し(爆)
コメントへの返答
2006年5月30日 23:42
明日は秋田も20℃近い
2006年5月30日 21:46
42
うちの駐車場のナンバー
コメントへの返答
2006年5月30日 23:43
帰宅早々トイレに入った
2006年5月30日 22:10
43ぐらい
コメントへの返答
2006年5月30日 23:43
レスないにゃ
2006年5月30日 22:16
44
なかなか 100いか無いね
コメントへの返答
2006年5月30日 23:44
買い出しを忘れた
2006年5月30日 22:28
本当に参加してた人なのにwww

ナイスショットが・・
涙;

45?
コメントへの返答
2006年5月30日 23:44
過去は過去
2006年5月30日 23:00
46
たろいも
コメントへの返答
2006年5月30日 23:45
甘咬みは誰に?
2006年5月30日 23:00
47
コメントをするを3つ押してきた
コメントへの返答
2006年5月30日 23:45
よくばりね
2006年5月30日 23:01
48
ネットが切れて切れて
仕方がない。。
やる気うせる
コメントへの返答
2006年5月30日 23:45
精神力が切れた
2006年5月30日 23:33
49


50は行きたいね~!


↓記念コメどうぞ!(笑)
コメントへの返答
2006年5月30日 23:46
またトイレに行く悪寒
2006年5月30日 23:41
いやっほおぉぉぉぉぉぉぉぉおうぅぅぅぅぅぅぅ
50

簡潔に3行でのべよ。
コメントへの返答
2006年5月30日 23:49

既に
トイレ
2006年5月31日 0:31
51

やっと下まできた~
コメントへの返答
2006年5月31日 12:29
スキロ-ルはつらいね。
shortcutしなさいwwww
2006年5月31日 0:48
ゴジュウーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



しかし、私の高校バレーの背番号は



もちろんエース!

しかもサウスポー

だから体は丈夫。

叩かれても打ちのめされても・・・・・

死ななかった!

左の顎は多少変形してるけどね!
コメントへの返答
2006年5月31日 12:30
つか、全然体大丈夫じゃないやんけ!ばがけ!
大丈夫なんか?
マジ心配やで。
てか、実は入院とか自宅療養とかしてるんじゃないか?

大丈夫か?
2006年5月31日 0:55
53

旅から帰還w
コメントへの返答
2006年5月31日 12:30
三途の川はナイスな場所でしたか?
2006年5月31日 12:48
マジ馬い
54
コメントへの返答
2006年5月31日 14:43
もう終わりだばが
2006年5月31日 15:54
55?

ブリュレかっこいぃ♪
コメントへの返答
2006年5月31日 17:53
だから終わりやてwwwww

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