2日の遅番終了後に一旦自宅に帰還して荷物の積み込みなどを行い、準備が終わったのは日付が変わって3日の午前1時近く、天王山トンネルの先での事故渋滞で少し到着は遅れたものの3日の夕方には無事に広島の実家に到着しました。
実家到着後、高校時代の友人・恩師との食事の約束があったので荷物を降ろして紙屋町へ…当然アルコールが入るのでバスで移動、数年ぶりに会った恩師・知人は昔とあまり変わっておらず、ちょっとした活動報告の後にお勧めのお好み焼き店→2件目の居酒屋で地元名産の海産物を使用した料理に舌鼓を打ちながら語り合っていました。
高校時代の友人からは逆に若返ったような印象を受けたとかいわれましたが…w
4日は親父と祖父母の墓参り、5日は日帰り家族旅行で天橋立に行っており5日は生憎の天気…ここのところ実家にいる間は出かける場所であまり天気に恵まれていないような…。
そんな中で実家への復路にて目にした通行止め情報が桜塚やっくんの事故によるものだったということには、実家に到着してから速報を確認するまで全く予想すらしていなかったことでした。
ショックを受けつつも昨日は1日実家でまったり過ごし、今日は数年ぶりに可部線廃線区間を撮影してきました。
復活の予定のある区間を除けば既に線路はおろか路盤すらも切り崩されたりしている場所も多く、例えば今井田駅の場合は以前撮影したときは…
このように広島寄りにあった踏切跡に立って撮影も出来たのですが、現在は埋め立てられて…
こんな感じになってしまい、一旦この側にある畑の中を通ってからでないと路盤のあるところに下りることは出来ず、降りても駅全体を以前のように収めるのは困難になってしまいました。
安芸飯室駅付近の鉄道用信号機と踏切名が書かれた標識はそのまま残っており、希少な木造の駅舎も残っていましたがこちらも撤去されるのは時間の問題かも知れません。
小河内駅付近にいたっては道路の付け替え工事に伴い路盤と同時に駅前にあった洒落たカフェも消滅していました。
可部線廃線区間は非電化区間であり気動車が使用されていた訳ですが、最終列車に使用されていたと思われる2両編成の車輌の片側が安野駅に、その相方は加計駅にそれぞれ保存されており屋外で保存されているのは安野駅の方、加計駅の方は動態保存のために通常は格納庫に入っているのでイベント時以外の全体撮影は不可能と判断、安野駅だった場所=安野 花の駅公園に向かいました。
この塗装になってからは快速運用に入ったことはなかったように思いますが、前面幕は何故か快速表示のまま、しかも色褪せてる…車体は既に地元の方々によって塗り直されているおかげで比較的よい状態ではありました。
内装は後ろ半分がお座敷列車っぽく改造された上で廃線となる前の同区間の写真が展示されていました。
やはり色的にぴったりな組み合わせ…これを撮影したかったというのもありましたが…ww
国鉄型車輌の聖地である広島には現役でこの塗装の車輌も使用されていますが、現在はコストダウンのために気動車については朱色一色化(たらこ色・終色とも)される車輌が増えており、そうでなくてもテールライトがクリア化された車輌も多い(違和感あり過ぎで不気味…)ので安全・確実・合法的に撮影できるといえばこの場所ではないかと…。
そして明日8日の夜には広島を離脱予定なのですが、非常に勢力の強い台風24号が接近中…昨年同様の、途中で通行止めなどの影響がないことを祈りつつ、残り少ない広島滞在を楽しんでいます。
Posted at 2013/10/07 21:34:44 | |
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