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2011年12月23日

愛が扉をたたく ~「独占スクープ」のご褒美で再びヨーロッパへ~

愛が扉をたたく ~「独占スクープ」のご褒美で再びヨーロッパへ~   前回にお約束したように、ただただ、クルマ好きというだけの一雑誌編集者が、1970年に、なぜ身分保相応な「気ままなドライブひとり旅」ができたのか、その辺の説明からはじめよう。

 赤いフィアットで「太陽の道」を疾ったときのぼくは、青春後期の34歳。女性週刊誌花盛りの時代で、光文社の「女性自身」、小学館の「女性セブン」、講談社の「ヤングレディ」の3誌が週に70万部前後の発行部数で鎬を削っていた。(失礼ながら最老舗の「週刊女性」はランク下だった)その中の一つ、芸能種に強いところから「ギャングレディ」と、タレントに怖れられていた「ヤングレディ」の副編集長をやらされていた。

 その当時の講談社という出版社は、若い社員をどんどん海外に送り出していた。4代目の野間省一社長が健在のころで、これからの出版文化に携わる者は、国際的な視野をもたなければならない――この考えをもとに、いろんな施策を打ち出した時期で、1ヶ月間の短期海外留学制度も発表されたばかりだった。どこでもいい、好きなところへいってこい! それを君達がどうやって将来の講談社に花開かせてくれるか、楽しみにしているからね。そうおっしゃった野間社長の温かい声が、今も耳元に残っている。

 前の年(1969年)、最初に選抜された同世代の社員がそれぞれの国へ向かって旅立って行った。業績のいい、太い幹の部署がまず優先された。先を越された、と思った。それでも二年目に指名を受けたのは、女性週刊誌という部署を考えると、幸運そのものだった。ヨーロッパへいこう! 無条件に決めた。前年の経験者、川鍋孝文君(「日刊ゲンダイ」の創始者)に一応は相談したが、例えばパリに行って何を勉強してくるのか、具体的な煮詰めもしないで、ともかく文化先進国であるヨーロッパの出版社を歴訪してこよう、それも女性誌を中心に、と決めてしまった。今では、この国の夕刊紙を代表するメディアの社長(今は会長)として、確固たる世界を創りあげた川鍋君も、ロンドンで「サンデイ」という夕刊紙にとりつかれたのが、そもそもの始まりだった。

 そんなわけで、5月の21日にJAL機で羽田を発ち、パリを目指した(成田国際空港は1978年から)。パリからはミュンヘン、ハンブルグ、コペンハーゲン、ストックホルムの各都市にある出版社・雑誌社を訪ね、そこで5日間の休暇をとって北欧から空路、ローマへ飛び、さらにフィレンツェからレンタカーでニース入り。で、残りの1週間を再びパリで、という段取りだった。

 それにしても、異国でレンタカーを使うという発想は、当時としては、相当に無鉄砲であったらしい。帰国して「出張旅費精算」を提出したところ、さっそく経理部長と人事課長の呼び出しを受けた。
「もし、外国で事故でも起こしでもしたら、どういうことになるか、考えなかったのか」
「はい。なにしろ、各国の出版社を回って雑誌類を集めて来ました。それが20キロ以上に増えてしまって、重くって……」
 そんな言い訳が通るわけはなかった。厳重注意を受け、以降、海外出張で社員が運転するレンタカ―の使用は、講談社では全面禁止とあいなった。
 日を置かず、再び、人事課長から呼び出しを受けた。今度は、新しい辞令が待っていた。「ヤングレディ編集次長とする」と。ワンランクUPの昇進だった。


*デザインも絵も石坂浩二さん。1971年5月14日発行(講談社刊)


*石坂浩二が本名の「武藤兵吉」として、素直な慕情を絵筆に託した絵と詩である。

 翌年の5月、ぼくは再び、ヨーロッパに飛ぶことができた。ローマで、トレビの噴水にコインを投げ入れたご利益だったのだろうか。
 その年の3月、当時人気絶頂のタレント、石坂浩二さんから電話が入った。これからすぐに「稽古場」に来てもらえるか、と。ぼくの場合、芸能記事は専門ではない。しかし、劇団四季の代表・浅利慶太さんと懇意にしていることもあって、例えばひと頃、四季に在籍した石坂浩二さんが多彩な才能の持ち主であることに注目し、「ヤングレディ」誌上に『石坂浩二の部屋』というカラーページのコーナーを用意したのが評判をよんでいた。絵もいい。詩もいい。文章もいい。その評判連載を通じて、石坂さんと肝胆相照らすほどの仲に進展していた。彼がポルシェ914を手に入れたときにも、早速、ぼくを誘って日比谷公園を振り出しに皇居の周りをカッ飛んでくれたりもした。そういえば、彼と最初に会ったときは、フェアレディSR311に乗っていた。

 その日の石坂さんはひどく緊張していた。今夜、ある女性のお宅に「お嬢さんをください」と伺うのだけれど、同行してくれないか、と。
「どこまで?」
と、ぼくが問う。
「調布」
 と、いう答え。
「おめでとう。それはよかったね」
「はい。ありがとう。このことをもう記事にしていただいて結構です。わかっていながら書かなかった。ぼくらのことを大事にしてくれたお礼です」
 たしかに、ぼくには石坂さんが誰に心を注いでいるのか、見抜いていた。彼の描き上げる女人像が、連続ドラマで共演しているヒロインに、だんだん似てきたことから、今回は本物だぞ、と感じ取っていたのだ。


*ローマ南郊の遺跡の町、オスティア・アンティカに遊ぶ。


*紀元前4世紀ころに要塞都市として栄えていたが、廃墟となって埋もれていたのを、20世紀初頭に発掘された。

 1971年4月5日号の「ヤングレディ」の表紙に謳うタイトルは、印刷にかかるギリギリまでダミーのもので進行していた。ライバルの「女性セブン」が、石坂浩二がどこやらの女子大生と熱烈交際中、と踏みきっているのは、ある筋を通して分かっていた。
「独占スクープ、浅丘ルリ子と石坂浩二が電撃婚約!」
 これがぼくの用意したタイトルだった。もちろん、石坂さんに同行して浅丘家の門を潜ってからのレポートもそえて。
 発売と同時に、完売。世の中は大騒ぎとなった。同時発売の「女性セブン」の表紙のタイトルの一つには、墨のインクが被せてあった。こちらだっていつかはやられるだろうから、情無用の世界だ。
 いまでもワイド・ショーで活躍中の福岡翼さん(「セブン」の記者だった)あたりは、その時の屈辱を、多分記憶しているはずだ。

 5月14日、二人は東京赤坂・霊南坂教会で挙式、帝国ホテルで披露宴。ぼくも招かれた。15日、羽田からヨーロッパへ新婚旅行で飛び立った。同行したメディアが3つあった。まず「週刊明星」のカメラマン。浅丘ルリ子さんの妹さんのご主人である。そして二人の婚約報道で独走したご褒美で「ヤングレディ」のぼく。TV局はフジTV。
 コペンハーゲンのチボリ公園で遊んだ後はパリへ飛び、そこからローマへ。ぼくら「お邪魔虫」は、そこで消えて、ふたりはギリシャのエーゲ海へ……。


*ローマの中心部、ヴェネット通りでの「コーヒー・タイム」を愉しむふたり。



 さて表題を、なぜ「愛が扉をたたく」としたか。
 ドアが軽く、トントンとノックされる。「アントレ」(フランス語で、お入り)と石坂さんが応える。そんなムードで「石坂浩二の部屋」を構成して来たのを生かしたくて、ふたりの結婚を記念する1冊の本を用意した。その中にカラーグラビアを挿入したが、それを見てもらうと、あの頃の石坂さんの想いの深さは一発で読める。浅丘さんさえ受け止めてくれれば、「兵ちゃん」(石坂さんの愛称)は求婚するだろう、とぼくが確信した作品を本にして、お二人へのプレゼントとしたわけであった。ただ、残念なのは、近年、ふたりに破局が訪れたことだ。そんな二人の蜜月時代を、いまさら写真付きで紹介してどうなる、と考えないでもないが、それらの出来事を通して、いまのぼくの「それから」ができあがったのだから、失礼を顧みず、触れさせていただいた。

 その石坂さんは、たいへんなクルマ・フリークだった。「ベストカー・ガイド」が創刊されると、その記念イベントであった「愛車オークション」にも率先して参加、イエローの猛牛、ランボルギーニをもちこんでくれたり、ホィールデザイン賞の選考委員になってくれたり……。今回のブログのアイ・キャッチに使用したクラシックカーの写真は、ローマの街角で石坂君が目ざとく見つけて、あたかもぼくが乗っているような振付でシャッターをおしてくれたものだった。アルファロメオのエンブレムに似たものが見える。そして201の数字。どなたか、このクラシックカーが何者なのか、お分かりの方はいないだろうか。

(みんカラ友人「霧島」君のサポートでプジョー201と判明しました。となると、ローマの街角で、というのは記憶違いで、パリの街角に訂正しなければならない。そうだ、サンジェルマンでショッピング歩きのお供ををした時の出来事だった)

 さて、2度目のヨーロッパはそこまで。で、3度目のヨーロッパは1982年。つまり10年ものインターバルができてしまうが、その3度目のヨーロッパの旅は、ちょっと豪華なメニューが揃っている。なにしろ、ポルシェ911タルガでアウトバーンを堪能した上に、ポルシェ944でホッケンハイムのサーキット走行、最後はニュルブルクリンクでパトレーゼが優勝した第1回世界耐久選手権を観戦するのだから。乞う、ご期待、である。

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Posted at 2011/12/23 03:52:27

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この記事へのコメント

2011年12月23日 13:51
若っ! 局長がお若い(笑) でも確かに、横顔に局長の面影がございます。正面から見ると、なんとなく田部さんに似てるかもです。

しかし、芸能雑誌といえば見境なくスキャンダルばかり取り上げているというイメージがありましたが……節度のある姿勢で取材対象と信頼関係を構築することによって得られるスクープもあるのですね。それも編集者のウデの見せ所なのかもしれません。

件のクラッシックカーはプジョー201……かなぁと。エンブレムの「201」の上にPeugeotと書かれてる気がしなくもないですし……
コメントへの返答
2011年12月23日 16:37
どんピシャリ、プジョー201でした!
1929年10月、パリ・モーターショーで発表された、とあります。独立懸架式サスペンションを採用した世界初の量産車だったんだね。
1122ccの4気筒サイドバルブエンジンを搭載、最高出力は23bph。

ありがとう。すっきりしました。

たまには、こんな自慢話もさせて頂戴。若い? 35歳だもんね。
2011年12月23日 19:14
良いですねヨーロッパ・・・・・

叔父からよくヨーロッパの事を聞き一度は行ってみたいと思ったりします。

コメントへの返答
2011年12月23日 21:20
ぜひ一度、ヨーロッパの土を踏んでいらっしゃい。いろんなものが、もっと見えてきて、視界が広がるでしょう。

なにより、目標をもつ。それが一番です。
がんばれ。
2011年12月24日 0:37
 「ベストモータリングの正岡さん」でない、別のお顔を見たような気がしました。雑誌編集者さんというのは、いろいろ視野が広いんですね!!!

私が小さい頃に読んでいた小学館の学習雑誌、ホビーのコーナーには時々子供に交じって遊ぶ記者さん(編集者さん)が出てきましたが、幼心に「この人、仕事で遊べてうらやましいなあ」と思ったものでした。

しかし、その方たちも、本当にそういう遊びが好きだったとは限らず、仕事でそこまで突っ込んでいらっしゃったのでしょうか。趣味も仕事も車となっている私からは、到底考えられない貪欲さです。編集者さんって、大変なお仕事なんですね。
コメントへの返答
2011年12月24日 8:25
これまで触れてこなかった、女性週刊誌時代のことを、やっと今と関わらせながら、読んでいただけて、ほっとしています。
あのころのぼくたちにとって、スターは福沢幸雄であり、川合稔、生沢徹というインディペンデント派でしたが、本物のレーシングドライバーであったガンさんたちとの「質」の差に、いまごろになって愕然としています。
そのへんのことも、考察していきたいですね。
メリー・クリスマス!

2011年12月24日 17:33
僕は正直言うと、女性誌やフライデーのような週刊誌の記者が大嫌いなんですが、(知る権利を嵩に人のプライベートに土足で上がり込むイメージ)石坂氏がわざわざ局長に婚約を報告し、更には一緒に旅行までするあたりに、局長の誠実な人間性と人望の厚さを感じました。

しかし、週刊誌の仕事は当時の局長にとって精神的な葛藤もあったかと思います。

週刊誌の記者全員が、局長のような姿勢で仕事をしていれば、あの山口百恵&三浦友和夫妻への低俗な取材攻勢にはならなかったのでは無いでしょうか?
コメントへの返答
2011年12月24日 18:46
1964年12月、ぼくは秋田・角館の和風旅館にいました。ある作家とルポルタージュ取材で滞在中でした。そこへ電話が入りました。人事課からでした。ヤングレディ編集部への異動が内示されたのです。頭にきて2日ばかり出張を延ばしてしまいます。よりによって、女性週刊誌なんて、と。それでも7年間在籍してしまいます。自分なりにその雑誌の体質を変えてやろうと挑戦したくなったからです。今では、それは無駄ではなく、貴重な機会をあたえてくれたと感謝しているくらいです。おっしゃるように「他人のプライバシーに土足で踏みいる」ような部分はあります。それは大新聞にも同じような面がありはしませんか。
どこでも、自分の世界を創り上げる。その機会があれば、どんどん買って出る。そうありたいと願って、がんばりましょうよ。
2017年3月23日 22:19

お久しぶりです。お疲れ様です。

局長の現役バリバリをみているとなんかドラマにしてほしい
(笑)
NHKの朝ドラのべっぴんさんはレナウン・ファミリア・バンなど戦後のファッションをリードして来た物語。TBSのリーダーズは豊田喜一郎の物語。今では当たり前の現実がどう作られてきたのか、時代がどう色づいてきたのか。
局長のブログを見ていると時代の色が見えてドラマチックでとにかく楽しいです。歴史好きとしては(笑)

また見させいただきます。(^o^)
コメントへの返答
2017年3月23日 22:42
本当に、おひさしぶりです。

たまにはおしゃべりしましょうよ。あなたが、ちょっと古い昔話をサーフィンしている様子をなんとなく感じておりました。

編集者であってよかったと思うのは、日記を書かなくても、自分の仕事の足跡を辿ると、それがそのまま、自分の記録になってくれるところでしょうね。

幸い、SNSは画像をふんだんに収容できるので、セッセと5年近く、頑張って見ました。

石坂くんと浅丘さん、残念ながら別れたけれど、今度、夫婦役で共演するそうですね。あの頃の「ルリ子」を、ここに残している。ああ、よかったな、としみじみ、感じているところです。

7月のリンクサーキットは、なんとか実現したいのですが、いろいろ、克服しなければならないことが山積しており、もう一踏ん張りしなければなりません。

引き続き、あの時代を感じてください。感想、聞かせてください。

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