〜『ポルシェ911カレラS漬け旅日記』番外編〜
♪ When I fall in love it will be forever
Or I’ll never fall in love
In a restless world like this is
Love is ended before it’s begun
And too many moonlight kisses
Seem to cool in the warmth of the sun
このごろ、あのナットキング・コールの甘くて、伸びやかで、そして心に深く沁みる歌声が、しきりと脳裡によみがえってならない。そのたびに、そっとハミングしてしまう「還暦プラス19歳」。またどうやら、性懲りもなく、年甲斐もなく、恋に堕ちてしまったらしい。
恋に「堕ちる」か。「落ちる」よりもピッタリじゃないか。
この歌は1952(昭和27)年、朝鮮戦争を舞台にしたアメリカ映画「ONE MINUTE TO ZERO」(邦題・零号作戦)の中で使われ、その後、いろんなアーティストが競って歌ったものだが、わたしの中ではナットキング・コールのものだけが、いまだに生き続けている。
北朝鮮のゲリラ攻撃に苦戦する国連軍。そのさなかに出会った男と女。メロディは甘く切ない。が、歌詞の意味がいささか理屈っぽい。「ヴァース」といって本歌(ほんうた)が始まる前に、その歌を浮き立たせるための前置きというか、前歌のようなものあり、その内容がなかなかと、大人っぽい。わたしなりに直訳してみると……。
【ヴァース】
おそらく、わたしの考え方は古いかもしれない
おそらく、わたしは過去の人間になってしまったようだ
でも、運命の女(ひと)とめぐり逢ったら
嘘はいわない
そいつが、わたしの最初で最後の恋になるとわかっているから
そして本歌に導かれる。
恋に堕ちるとき……それはわたしにとって永遠の恋
そうでなければ……もうわたしは恋なんてしない
こんな……なにが起こるかわからない時だよ
恋なんて……始まる前に終わっている
月明かりの下でかわしたくちづけも
太陽の熱のせいだろうか 冷ややかでならない
♪ When I fall in love it will be forever
Or I’ll never fall in love
この稿を書きながら、やっぱり、このフレーズを口ずさんでいる。
この歌が、というより、ナットキング・コールという黒人歌手が日本でもヒットしたのは、昭和30(1955)年ころだったろうか。彼の「ナディ・エイメ・アマ」(誰も愛せない)なんてスペイン語の歌を、おぼろげながら意味を解釈して、原語で歌おうとした時代だった。そのときに買ったLPがつい先頃まで手元にあったが、もうLPプレーヤーもないことだし、その筋にやたらのめり込んでいる友人へのプレゼントにしたことまで、フイと思い出してしまう。
「なぜだろう?」と問うまでもなかった。正体はわかっていた。簡単にいえばポルシェの魔性に取り憑かれてしまったからだった。
中山サーキットをステージにした「第4回ベスモ同窓会」で、中谷明彦君のポルシェ911カレラS走りを披露し、一人でも多くの「クルマ仲間」にポルシェ同乗体験を味わってもらおう。となれば、そのポルシェの受け取りと、返却は余人に務まる仕事ではない。そのため、慌ててポルシェ911独特のPDK(ポルシェ・ドッペルクップルング)の操作などの予備勉強だけは、済ませておいた。
あれは桜が満開ぶりを競いはじめた4月の2日だった。
朝から時間に追いかけられる。まずプログレで横浜・子安のMAZDA・R&D研究所で、カレラSに同伴して西へ下るCX-3をピックアップする。
「ご免よ。ことしも中山サーキットに連れて行ってあげられなくて……」
と詫びながら、不貞腐れているプログレをMAZDAに預かってもらう。
今度は一旦、CX-3で練馬の自宅にもどる。続けてCX−3の岡山までのドライバー役を委嘱しているMDiさんと合流、その足で東京目黒・雅叙園に隣接するアルコタワーまで送ってもらい、やっとレーシングイエローのポルシェ911カレラSを受けとるところまで、漕ぎつける。
80歳を直前にしてポルシェを動かす。つい先頃までは考えもしなかった。スポーツカーの頂点にあるポルシェとは、すっかり縁が無いものだと、随分と前から決め込み、封印していた。それだけに、これからポルシェと体を合わせる……その胸のときめきは、凍結し、眠り続ける遠い日の記憶を蘇らせてくれるものらしい。初めて白のポルシェ911SCに単身乗り込むと、当時のFISCOをめざして東名高速に乗り入れた日のことなどを……。
その辺のくだりは
【新・編サンが懲りずに突入した茨の道!?】(2011年7月23
日付)ですでに触れている。確認のために、ちょっと覗いてみると、その日は入校したての「日産レーシングスクール」が、その週末の行われる「富士フレッシュマンレース」に出場する日産車ユーザーのために用意した特別の「走行練習日」でもあった。
――ぼくはこの日のために、3日前から愛車のAT車(そう、あの悪名高きアルピナTAXI)に乗らず、マニュアル車に乗り換え、クラッチのミートタイミング、シフトワーク、ヒール&トウなどの練習をこっそりやっていたんだぜ。これで足慣らしは充分。
とはいうものの、やはり緊張していたんだな。東名を走りながら、音楽を聴くのに、ハードなやつか、ソフトな曲でいくか迷ったものだ。ジャニス・イアンかペリー・コモで行こうか?(残念ながらナットキング・コールではなかったが)。
ここでいう「マニュアル車」とは左ハンドル、P7のワイドタイヤ装着のポルシェ911SCのことで、徳大寺有恒さんが「海外取材に行くからどうぞ」と気前よく貸してくれたものだった。
その徳さん、帰国するなり、フェラーリ308GTSに乗り替えるからって、あっさり下取りにだしてしまう。その時、よっぽど譲ってもらおうか、と迷っていた。が、マンション住まいに空冷エンジンのポルシェは不向きと知った。
*PHOTO by CMO
始動時のあたりを睥睨するエンジン音は、周囲の顰蹙を買いそうだし、アプローチの勾配は、今にもフロントバンパーをガリガリッとやりそうで、出入りに神経を使うのも、真っ平だ。
それだけのことで、わたしの中でずっと、ポルシェは禁断のクルマとなっていた。その封印が解けていく過程を、じっくりと語りたいので、このあともどうぞ、お付合いねがいたい。
アルコタワー地下1階の車寄せで、試乗車を管理するポルシェJAPAN広報部スタッフから渡された大ぶりなKEYをグイと右にひねってやる。水冷の水平対向6気筒4バルブエンジンが始動する。これから、あの異様の世界に入っていくのだろうか。おずおずと、そして意を決して封印を切る想いで、アクセルを踏む……。(以下、次回更新へ)