ベスモが船出してしばらくは、徳大寺有恒、黒沢元治の両大御所には創刊号から欠かさず出演願っていたものの、「ベストカー」との兼ね合いもあって、主軸はあくまでも専属キャスターに抜擢した若手の伏木悦郎と中谷明彦、というスタンスをとっていました。
だから今でも、創刊時の話になると、ガンさんから揶揄されてしまう。「あの頃、年寄りはいらねえって、冷や飯を食わしたのはだれだっけ?」と。
徳大寺有恒、黒沢元治、そしてぼく。昭和10年代前半生まれの3人は、「ベストカー」という自動車雑誌を舞台にして結ばれてきました。そのへんのいきさつはいずれ詳しく触れなければなりませんが、創刊して1年が経過したところで、内容の充実を目指してその3人が、改めて足並みを揃えて走り出したのが「ドラテク特訓合宿」という企画でした。それはこんなシーンから始まっています。(正岡註:以下は「べスモ疾風録・第3話」に詳述してありますが、ドラテクものの真髄にかかわるので、あえて再録します)
「ドライブというものは実に奥の深いもので、難しい。ま、ぼくについていうと、免許をとって35年にもなるのに、いまだにうまくドライブできない」
こう切り出しながら、傘をさした「徳さん」の語り口はなめらかで、ガンさんのことをしゃべるのが、いかにも嬉しくてしようがないらしい。
「今、わたしとガンさんは日本海間瀬サーキット(新潟県)にいます。これからそのガンさんのドライブを教材にして、みなさんに、ドライブとはどういうものかを、お見せしたい。ガンさんのドライブというのは、まるで一流のバレリーナが踊るように、荘厳で、無駄がなく、そして美しい。それはガンさんの長い経験と基礎をきっちり固めたことによる、と思うのですが、もう一つ、大事なことは、ガンさんはいつも考えながらドライブしている。もっとも美しくて、もっとも効率のいいドライブとはどういうものか、を。一つ、これからお見せするものを楽しみにしてください。ガンさん、よろしくお願いします」
会釈する「徳さん」に、挨拶を返すガンさんの笑顔が、これまた初々しい。そしてタイトルが流れる。「徳大寺有恒からの熱きメッセージ 黒沢元治を目指せ!!」……それは新しい「ドラテク道場」の開設宣言でもあった。
この開設宣言に添えて、第1級のお宝映像が流れます。
*ガンさんのドライブするR382.伝説の最強GCマシン
*左がガンさんの後塵を拝した北野元選手
1969(昭和44)年の第6回日本グランプリ。舞台は富士スピードウェイ。ガンさんの日産R382は予選2位、ポールは同僚の北野元。37年前のFISCOの長いストレート、ヘアピン、そして伝説的な存在である30度バンクを疾駆するガンさんの若き日の勇姿。栄光のチェッカーを受けたのは、もちろんガンさん。このシーンを背景にして、二人の味わい深いやりとりがはじまっていますので、もう少し聴いてみましょうか。
徳さん「どんなことを考えて、ここまで30年間、やってきました?」
ガンさん「どんなことをしてもいいから、より前にクルマを持って行くこと」
徳さん「それだよね、ガンさんが今までやってきたことは。少しでも速く走る」
ガンさん「そうです。それがまた、裏返せば、一番安全にもつながる」
徳さん「普段の練習だよね」
ガンさん「第1に練習ですよ。たとえば小石や舗装の凹みがあったら、それをタイヤのどちら側でヒットするか。きちんと確かめて走ること。それで、サーキットに来たときに縁石をきれいに通るとか、日頃からある程度の訓練、経験を積んでおくことです」
ここで徳さんはガンさんのドライブで、スープラ3.0ターボに乗り込む。
「いま、この間瀬サーキットを相当のハイスピードで走っておりますが、一つのコーナーにこだわったドライブというのを、ガンさんはしない。(中略)ガンさんのステアリング・アクションを見て欲しい。少しもムダがない。最初のアクションで(ステアリングを切った)あとはスロットル・コントロールに任す、と。ぼくの知る限り、ガンさんのようなムダのないステアリング・アクションを使うのはガンさんと星野(一義)だけですね」
こうして聴いてみると、徳さんはガンさんの「最高の応援団長」である。ガンさんのドライビングに触れるのが楽しくてたまらないのだ。最終コーナーでガンさんの走りを外からチェックしたかと思うと、再びガンさんの助手席に座る。
今度はガンさんの方から想いを明かす。
「ご存じのように、今のクルマはどんどん高性能になっている。タイヤもそうです。もしクルマやタイヤに言葉が話せれば、もっとうまく乗ってくれれば、われわれももっと速く、もっと安全に走れる力を持っているのに、と嘆いているように聞こえる。若いドライバーが、少なくとも女のコに、あなた、運転がヘタね、といわれないようにしてほしい」
「うん、スターリング・モスがそれについてうまいことをいっている。現代の男にとって、もっとも屈辱的な言葉は、あなた、運転がヘタね、といわれることと、あなた、メイクラブがヘタね、これだって(笑い)」
「ぼく、その言葉、使わせてもらいます」
「じゃあ、もうひとつ、大事な言葉を贈ろう。ドライビング・イズ・アート。アートは美術でも、芸術でもいいんだけど、ともかく、きちっとスケッチして、基礎から勉強するとまあまあ巧くなれる。ドライビングも同じで、ステップ・ツー・ステップ。一生やれるんだから」
「確かに。奥の深いものがあります」
*特訓前夜、参加した読者代表と懇談するご両所 「ベストモータンリング」1989年5月号より
こうしてガンさんの「特訓合宿」そして「全国行脚・特訓道場」といったマン・ツー・マンに近い一連の「ドラテク」シリーズがスタートします。ポンと背中を押したのが徳さんであったのもお解りでしょう。
それがいま、プロ―モートの母体であるベスモが消えたのです。しかし、思い出のブログを拝見しても、このシリーズの復活を望む声が圧倒的です。はたして、それに応える方策とエネルギーがどこにあるというのでしょう。模索する日々がつづきます。
*左が波田昌之教官
そんなとき、ひと筋の光を見出したのです。以下、「消えたべスモBLOG」の項でそのコメントを紹介した波田教官とぼくとの、それからのメッセージのやりとりから、開講への道筋を固めるべく動き始めた、何かを感じ取っていただきたい。
○正岡より 日付 2011/07/13 22:13:23
その後、教習所のほうはいかがでしょうか。当方は、もう2回のシニア講習を受け、思うところあって、リアウィンドウにクローバーマークを装着して街中をはしっています。案外に、いい感じです。走りがよりマイルドになって。
ガンさんのドラテク道場の再開を模索して、2代目編集長の山本亨君とあってきたところです。中谷君も合流したいと言ってくれています。ま、もうちょっと煮詰めないとなりませんが。
●波田より 2011/07/13 23:59:32
ええ! 正岡さんがすでに高齢者講習を受講されているとは・・・・。ガンさんや正岡さんが高齢者講習にこられれば、大概の指導員は自分の無力さを思い知らされるはずです。
でも私は是非担当させてもらいたいと思いますが・・・・。実は私の運転姿勢の取り方は、ガンさんのATドライビングテクニックから引用させて頂いています。
「ハンドルを片手で一杯に切った時に肩甲骨がシートから離れない」
この言葉は、我々の指導要領や運転教本には決して書いてない素晴らしい表現だと確信しています。
最近、高齢者の事故が多いのは、間違った知識・基本がきちんと伝わっていないのではないかと思われます。だから、もっと基本的な事を順序立ててきちんと伝える本物のプログラムが必要だと感じています。
本当は我々指導員がもっときちんと教えて行かなければならいのですが、そこには検定と言う受験がありカリキュラムと言う縛りが邪魔をしてジレンマを感じています。
そこで私なりに考え、現在一般の方の企業研修でGセンサーを使ったジムカーナを教習所内で行っています。
教習所内では騒音とタイヤの問題で通常のジムカーナは出来ないので、0.4G以上になると室内のパトランプとブザーが知らせる装置を使い、スムーズな運転をするためのブレーキの残し方・ハンドルを切る速度・運転姿勢・アクセルワークを体験して頂いています。
テーマは「助手席の子供を酔わせない !」です。
これは私がBMから学んだ、私なりの安全運転への答えです。
以前、大井さんがガンさんのニュルのドライビングは他のどのドライバーより安定していて怖くないと言われているのを思い出し、出来ることなら今の若者に、間違いなく世界一であろうガンさんの究極のドライビングを一般公道の助手席で体験出来ればこれ以上の安全運転講習は無いと考えています。
ただ、その場合はまず一番バッターは私が行かせて頂きますが・・・・・。
高度なドライビングテクニックも、毎日の運転の中で意識して築き上げられるものです。
出来れば、ガンさんや中谷さんみたいな方が今一度、初めて運転する若者や免許を持っている方の多くの間違った知識をそれは違うよと、正しい方向へ向かう何かを残して欲しいと勝手と思いつつ、長文になりましたが書かせて頂きました。
○正岡より 2011/07/14 16:38:35
波田レポートは大変参考になりました。ガンさんも息子さんたちがそれぞれ通用するようになったので、安心して、これからの「残された人生」に、再び挑戦したいようです。
そこからがぼくらの仕事。どういうふうに「全国行脚」するのがいいのか、研究しましょう。ただ、べスモというメディアがバックにあるわけではないので、いろいろと難儀な点、多々あり。
●波田より 2011/07/15 00:23:01
ガンさん全国行脚、確かにBMと言う後ろ盾が無くなった今では問題が多いのは事実でしょう。でも何よりガンさんと正岡編集長が燃えているのが嬉しいです。そこで一つご提案ですが、もてぎ・鈴鹿・HSR九州では一般の人向けに車両貸出しによるHDS(ホンダドライビングスクール)が開催されています。
以前、山口県の指導員有志で大井さんを呼んでHSR九州で貸切スクールをやった事があります。結構好評で、若手指導員も感動していました。
これからは、そういった施設と車両の心配も無いスクールの仕方も一般の門戸を広げるためにも必要ではとないか思います。
○正岡より 2011/07/15 04:38:26
なるほど、一般人向け車輛貸し出しを利用した「ドラテク・ガンさん塾」ですね。ありがとうございました。なにごとも、手を付けてから育てていくくらいでないと前へ進みません。ただこれでは場所が限定されますので、いくつかの実現可能なパターンと組み合わせればいいですね。
●波田より 2011/07/15 12:19:03
「ドラテク・ガンさん塾」ぜひ実現したい現在の目標ですね。
人との繋がりが色々なアイデアを生み助け合って、現実のものになって行く過程は、まさにBM創刊当初の志と同じものを感じて、こちらもわくわくします。こうして局長(今後はこう呼ばせていただきます)とのやり取りの中で、やはり映像だけでなく言葉の大切さ(指導員の立場としては特に)をひしひしと感じており、学ばせてもらいたいと思っています。
でも局長、返信の時間帯にはびっくりです。今だに現役編集長ですね。
無理しないでと言うより、楽しんでいる局長の姿を思い浮かべながら、今から高齢者講習頑張ってきます。
○正岡より 2011/07/17 01:07:02
お尋ねします。ガンさんのドラテク合宿で波田さんが出演したのは、どの号だったでしょうか? ざっとさらってみたのですが、うまく拾えません。それとも、ぼくの記憶違いだったのでしょうか。バックナンバーを拾い出すと、はまってしまって前に進めなくなります。よろしくお願いします。
*中山サーキットの最終コーナーでやってしまった平尾忠士さん
●波田 2011/07/17 07:13:38
残念ですが、私が出演したのは清水さんのシリーズでガンさんシリーズは出演しておりません。この件に関しては、局長の記憶違いかと思います。ただ正直言うと、当時本当に出演したかったのはガンさんシリーズで、出演したいがため何度もハガキを書いていました。
ちなみに、中山サーキットでのガンさんドラテクでクラッシュした平尾君は直接話したことはないのですが、私の友人の親友でした。
また、ガンさんドラテクと言えば谷口信輝君。彼も、当時私がお世話になっていた広島のショプRiOの大西さんと共に、大井さんからホットバージョンGT-R特集に出演したのがきっかけでガンさんドラテクに出演が決まりました。大西さんとの昔話で、これも波田さんがベスモに出た縁があったからだよと言われたのが実は私のプチ自慢なんです。
しかしこうした人との縁の不思議さ、でもこれは自分の世界から飛び出さないと獲られないないチャンスだったのだと思います。
谷口君とは大西さんの結婚式でしか話せませんでしだが、あの容姿からはうかがえませんが局長が言われる通り、非常に礼儀正しくそして努力家で、以前レブスピードのドラテク編で、「ベスモ出演のプロの走りを何度も見て一つの気付い事がある。ハンドルを切る一瞬上手い人は拳一つ分切ったのちにバンドルを切っていて、要はためがある」と解説していました。
正直こうした具体的な意見を書いたプロは大井さんと谷口君だけだと思います。当然この部分の教習にも引用していて、生徒さんにも結構好評です。
*「特訓道場」が谷口信輝選手を生んだといいていいだろう。下が現在の同選手。
私の仕事は運転が上手いだけだけではだめで、ある意味お医者さんと同じであると考えています。それは、患者さんに合った正しい見たてとそれに合った薬を処方する事が共通点です。だから人にものを教えると言う事は、その人の悪い所を確実に理解し正しい対処方法を伝える事がポイントだと思います。
その意味でも谷口君の分析力と文章力は、新世代の子供たちにも共感できる可能性を感じています。さすがあのガンさんをうならせたこれまた本物です。
その宝物を手に入れる旅、私も今一度出かけて見たい。ついついそう思ってしまう企画ですね。
○正岡より 2011/07/17 07:45:55
さっそくのレスポンス、多謝。やっぱり、ぼくの勘違いでしたか。バックナンバーをあっちに行ったり、こっちに行ったり。お陰で半日を潰してしまいましたが、それはそれで、いろいろと収穫がありました。
谷口くんをはじめ、平尾君の話、とひとのぬくもりを伝えてくれる、佐野眞一さんのいう「小文字」によるレポートでした。とっても魅力があります。
そんな話をきくと、やっぱりガンさんは「千葉周作」だ、とするぼくの設定は悪くないと確信しました。山岡鉄太郎、勝海舟、坂本龍馬などを輩出した玄武館道場。みんなが入門したくなる特別の塾。ぼくもそこの弟子の一人だし、あなたもそう。大井もいる、谷口もいる、そのほか、ベスモを通してどれくらいの「弟子たち」がいるのでしょうか。
●波田より 2011/07/17 23:31:14
ガンさんは「千葉周作」、その通りだと思います。幕末から明治維新にかけて激動の時代を駆け抜けた先人たちの生き方を、我々も決して忘れてはいけません。どんなに素晴らしい車も、作るもの運転するのは人です。人との温もりが感じない所に感動は生まれません。この人はと言う、師匠の存在はいつもの世にも必要なのです。
こりゃ心引き締めて、師匠たちの足を引っ張らない弟子でいなければならないと感じております。
さて、いよいよガンさんに逢いに行く。箱根の緑もいいなぁ。