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正岡貞雄のブログ一覧

2019年03月13日 イイね!

『放置プログレ』と甦った女王の関係

『放置プログレ』と甦った女王の関係『萎びた風船』はもう翔び上がれないのでしょうか? その②

(3月13日・記)
 女子テニスの大坂なおみって、凄すぎないか。

 全豪オープンであんなに、向こうところ敵なしの強さを披露したと思ったら、サーシャ・バインコーチと縁を切って臨んだ年明けのドバイオープンでは、初戦であっさり姿を消してしまった。

 そして2週間後の今度(BNPパリバ・オープン)では、新しいコーチの調教に見事に自分を合わせて、ドバイで敗退したばかりのフランス選手を、つづく3回戦では世界ランク25位のアメリカ選手をストレートで一蹴してしまう。伸び伸びと躍動し、「カモーン」と吠えるアクションも見せてくれるなおみに、浮き浮きと弾んだ拍手を送ってしまう。
 新しいジェンキンス・コーチの存在が大きいというが、それが世界ランク1位となった、なおみチームの用意していた『改造計画』であったのか。

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 結局、ドバイで優勝した、同じ昇り竜のスイスの選手にストレート負けしてベスト8に残れなかったが、5月のメジャーイベント「全仏オープン」が、今から愉しみである。

 さて、2018年いっぱいでプログレを手放してからというもの、日を追って心身ともに下降線を描いている当方。それでも心を励まして、次なる「改造計画」に向かって、やっと歩を進めはじめている。そこでお約束の「プログレとの別れ」の顛末も、明らかにさせていただこう。

               ☆    ☆           ☆

  それは1年前の5月のGW明けに、かねてから予定していた『改造計画』を実行するために1週間ほどの予定で、都内の大学病院で拘束状態に入ったときからはじまっていた。この辺の空気は、すでに2018年7月14 日に更新した《カサブランカ・アゲイン〜サライ7月号・五木寛之さんの『男が人生を降りるとき』〜》に詳しいが、改めて再現しておきたい。

 病室に持ち込んだノートPCはWi-Fiが通じず、全く使い物にならなかった。やむなく、iPhoneのテザリング機能に頼って、iPadから辛うじて「みんカラ」などの様子をチェック出来る程度だったが、退院を一日延ばしにされて、苛々のはじまっていた5月16日のメッセージ欄に、見慣れぬ「みんカラネーム」が届いていた。

「モカ・シャミー」???

 はじめて見る「差出人名」。が「件名」に小学館から発行している「サライ編集部」の編集者名が記されているのだから、心配ない。すぐに開封する。

                             ——————————

   突然の連絡、失礼いたします。
現在、サライ誌にて五木寛之先生の連載「奇想転画異」を担当しています。

6月10日売り7月号の原稿で車の話題に触れられ、かつてマカオGPなどに参加されたことが記述されています。
記事中に入れる写真を探していたところ、正岡さんのブログ(2015年4月20日)に徳大寺さん、黒沢さん、五木さんが写られている写真が掲示されておりました。

その旨、記載したうえで五木先生に候補案の一つとして提案したところ、上記2015年4月20日付けのブログに掲示されている写真を使ってほしいと連絡を受けました。

上記の写真についての掲載のご許可をいただきたく連絡をさせていただきました。
「みんから」には未登録だったため、急ぎ登録する過程でニックネームを求められ、我が家で暮らす猫の名前にしてあります。失礼の段、お許しください。

お忙しいところ恐れ入りますが、ご検討いただきたくお願い申し上げます。

——にして要を得たメッセージに、iPadからすぐに「掲載承諾」の返信をさせていただいた。

             ☆     ☆ ☆    ☆ ☆

 6月の中旬になって、郵便受けBOXに『サライ7月号』が投函されていた。
 早速、開封。

 さて、お目当ての五木さんは? 目次の2ページ目の2段目、『奇想転画異』92ページ、第三十二回、男が人生を降りるとき、とあった。

見開き2ページ。車好きが高じて「五木レーシング」としてレースにも参戦。中央左から徳大寺有恒さん、黒澤元治さん、筆者(昭和61年撮影、正岡貞雄さん提供)。写真の説明ネームがそのまま、リードの役割を担っていた。

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 若い頃は、車の運転が趣味だった。
 趣味というと品よくきこえるが、いわゆるカーキチの類(たぐい)だったと言うべきだろう。
自分の車を持てなかった時期は、写真を集めたり車のカタログを壁に張ったりしていた。

 そんな書き出しで始まるエッセイで、この人の車に溺れた(?)エピソードが次から次へと、万華鏡のように披露されている。

 最初に手に入れたのは、シムカ1000という中古のフランス車だった。月島の中古車ショウでひと目惚れして買い込んだ、というのは嘘で、要するに最も安い外国車だったのである。当時の値段で二十五万円だったと思う。
 シートは布張りだし、エンジンは非力だし、シフトは中々入らないし、スピードも出ない。第三京浜を夜中に走っていると、全てのトラックに追いこされる始末だった。
しかし、私はその小型車を今でも懐かしく思い出すことがしばしばある。なんといっても外車なのだ。

(中略)
 それからはいろんな車に乗った。一時期、サーブ社と契約して、「CG」誌だけの広告に出たことがある。毎年、春になるとその年のサーブの新車が提供されるのが嬉しくて何年かつとめた。

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 レーシング・チームを作って、マカオ・グランプリに参加したこともあった。ホンダのシビックを改造してのワンメイク・レースだったが、名前だけのオーナーが私、総監督が徳大寺有恒さん、ドライバーが黒澤元治さんというチームだった。車体に『青春の門』(正岡註:『四季奈津子』の記憶違い)とか、いろんなステッカーをべたべたはった奇妙な車だった。

 やがて六〇歳を過ぎ、私のカー・ライフにも幕をおろすときがきた。車の運転を止めることは、男を止めることと同じ、いや、それ以上の淋しさだった。

 しかし、私には自分の限界がわかっていた。新幹線の「ひかり」に乗っていて、通過駅の駅名の標識が、流れて確認できないことに気づいたのがきっかけだった。それまでピタリと止まったように見えていたのが、一瞬、流れて注視できなくなったのである。動体視力の衰えは、運転には致命的だ。最後にはスティアリングをにぎったのは、六十五歳のときである。自分の人生が終わったように感じたことを覚えている。

 紹介が長くなった。五木さんの「その時」の心境を正確に見つめて欲しいので、こうなった。わたしの50年に及ぶ編集者生活の後半で、車に深く関わってしまったきっかけをつくったのは、紛れもなく五木寛之という四歳半年上の作家である。その人の言葉は、いつも的確に、生き方に関わってきた。
 かつて、「八十歳になったらポルシェを着たいですね」と唆したのも、五木さん、あなたではなかったでしょうか。わたしも心のどこかで、運転免許を返還する日を、迎えつつあるのを、もやもやと自覚し始めていただけに、ズシンとこたえる「五木さんの覚悟」であった。


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 しかしその時はまだ、プログレを手放すところまで、わたしの想いが深まっていたわけではなかった。ところが‥‥、一挙に加速する出来事が、立て続けに襲ってくる。

 当初、1週間程度と約束したはずの『改造計画』は、結局解放されるのに11日を要した。それも1ヶ月後には、経過観察のためにもう一度、1週間程度の再入院をするという条件付きで。

 久しぶりのわが家。駐車スペースに半月以上も蹲ったままのプログレ。近づくとボデイには、彼(いや彼女というべきか)の不機嫌さを物語るように、うっすらと塵と埃が溜まっている。
 
「ごめんよ。すぐに洗ってあげるからな」

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 プログレに近づきながら、KEYを差し向け、OPENボタンをピッと押してやる。ポコンとうなずき、軽やかにハザートランプでウインクしてくれるプログレ。いつもの儀式がやっぱり嬉しい。よし、今からいつものガソリンスタンドで手洗い洗車をしてあげるからね。

 プログレご自慢のジャガード織りファブリック地のドライバーズシートに収まり、エンジンの始動にとりかかった。KEYをひねる。と、どうだ。クゥーンと小さく1回、鼻を鳴らしただけで、エンジンを始動する気配もない。慌ててアクセルを、2度、3度と踏みつけてから、改めて何回か、イグニッション・キーをひねってエンジンに火を入れようとするのだが、全く反応がない。見事なバッテリー上がりのご挨拶だった。プログレのしっぺ返しか。

 わがマンションの昼下がりの駐車場は、車の出入りが全くない。トランクルームから引っ張り出した赤・黒のジャンピングコードも結局、何の役にも立たない。

  ふと思いついて、加入している自動車保険の「おクルマQQ隊」に携帯からコールしてみた。いつも免許証と同じケースにカードを収容してあるから、ナンバーはすぐにキャッチできた。

 手際のいい応対の後、遅くとも30分以内には駆けつけますのでどうぞご安心を、と。JAFではなく、せっかく保有しているこの特典を一度、予てから試してみたかったのである。バッテリー救急の契約期間中の初回は無料です、とは嬉しいね。

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 長くて30分のインターバルか。その間に、わが手でボデイだけでも綺麗にしてやりたいが、それには時間がなさすぎた。せめてハタキかけとウェスで愛撫する程度で赦してもらおうか。

 きっちり30分後、「おクルマQQ隊」のヴィッツが到着した。
                               (この項、つづく)
Posted at 2019/03/14 00:43:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
2019年03月01日 イイね!

嗚呼、愛しのプログレと別れてからの日々よ!

嗚呼、愛しのプログレと別れてからの日々よ!『萎びた風船』はもう翔び上がれないのでしょうか? その①

   平成12年(2000年)から連れ添ってきたTOYOTAプログレNC300 iRバージョンを、「断腸の想い」という使い古した言葉がぴったりの「心の葛藤」を振り切って、引き取り先の練馬・光ヶ丘にある東京TOYOPET 「U・PARK」まで走らせたのは、2018年も終わりかかった12月27日だった。

 ドライバーズシートから降り立った時、未練がましくODOメーターを覗くと「115900」を指していた。お疲れ様。ポンとボンネットを叩いてやったあの日から、もう2ヶ月が経ってしまったのだ。

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   あれから、わがマンションを出入りするたびに、つい視線がわが愛しのプログレの蹲(うずくま)っていたあたりに吸い寄せられるが、そこには新しく駐車場契約を引き継いだ若い居住者の白いVEZELが……。

 そう、わたしにとって楽しみなテーマであった「人生最後の一台」は、PORSCHE の人気者であるMACANでも、MERCEDESのCクラスでもなく、そのままPROGRESということで、幕引きとなってしまったのだ。なぜか。

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  そのことの報告を、近況と混じえて、じっくりレポートしていく肚であることを表明する証(あかし)に、この項の劈頭を飾るフォトをNew Audi A8とのランデブーシーンを選んだ。正面の山並みの裾に、FSWのメインスタンドの白い屋根が見えるのが、お分かりかな。

   主要なレーススケジュールも消化し終わった11月18日、ガンさんが高橋国光さんや、中谷明彦君らと競うレジェンドレースに出場するというニュースが田部靖彦君から届き、応援をかねて、富士スピードウェイを往復することになった。
 
   同行にベストモータリング同窓会の在京幹事の何人かを誘って、1日を楽しんだわけだが、このロングドライブをもって、愛しのプログレと別れる決意を固める記念すべき日となったのだから、その辺の経緯だけは、何としても詳細にまとめておきたい。で、思いたって初めて『プログレとの別れ話』に触れた項から確かめてみることにしたのだがが、何しろ2011年6月14日の初出から数えて436回に及ぶのだから、この作業、半端じゃない。

   が、ふと思いついた。わたしの「みんから」ページの右側コーナーに、しっかり「ブログカテゴリー」という枠があって、その中の「プログレSTORY」をクリックすると、プログレにまつわる九つ(その後、14に訂正)のエピソードが、一気に入手できる仕組みであった。

 ありました、ありました。それもPV(ページビュー=WEB来訪者)集計ページのかなりの高い位置でわたしの来訪を待っていてくれるじゃないか。436項目で39位=トータル8927だから、こりゃ、かなりの注目度だ。因みにトップ3を紹介すると……。

  ① 汚された英雄 ガンさん 不死鳥伝説PartⅢ 49,568
  ② 5速MT新型スイフト RSを味見しに行かないか? 39,510
  ③ 標的にされた「速すぎる男」 それからのどす黒いドラマ 30,787  

  ○(39)プログレとの別れ話 (どうぞクリックあれ)

  改めて一読して、プログレと暮らした様々な記憶が蘇ってくる。それはプログレに10年目のヘタリが襲い始めた時期で、わたしの心離れを敏感に感じ取って愚図り始めたプログレの様子とそれからの再生計画を、記録したものだった。

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 それなのに、それから6年近くが経過した今回、わたしが改めてプログレとの別れを決めてしまう過程で、当のプログレ君はエンジン絶好調、足回りどんぴしゃり。TOYOTA直6ツインカムFRセダンの魅力をたっぷり振りまき、中谷明彦君に味見してもらうと、「新車みたいですね。大事にしてください」という講評を頂戴する始末。

 それなのになぜ? そこからの葛藤の日々と、やっぱり訣別せざるを得なくなったわたしなりの決断は、もうちょっと時間をかけて書き上げたい。  (以下、次回更新まで)
Posted at 2019/03/01 01:55:18 | コメント(8) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
2017年12月06日 イイね!

懐かしや!『99年8月号』を琢ちゃんと一緒に……

懐かしや!『99年8月号』を琢ちゃんと一緒に……〜ブレーキまで踏んでくれる先進システムがすでに!〜



 珍しくブログアップしてから間をおかず、今は四国に帰って新しい人生を開拓中の小松青年(みんカラHNはFRマニア)から「コメント」が寄せられた。

「(前略)あれはベスモ99年8月号でしょうか。確かベンツSクラスとプログレを駆り出して自動運転のテストをされていました。
 あれから18年、もうすでに先進技術を搭載しているだけでなくきちんと機能している事に“あっぱれ!”ですね」





 小松青年に関してはすでに2013年5月3日の『レイトンブルーは悲しい色やねン』、2012年7月12日の『ご無沙汰した理由~あるいはその言い訳として~』の章の後半と、8月20日の『ミンミン蝉の歌う朝に~みんカラ仲間との「筑前の小京都・秋月行」②』で紹介済みなので、そちらを参照願いたい。

 早速、といっても1時間半後に、お返しの「コメント」を送った。

「ありがとう。確認しました。メルセデスS320との共演でした。ベンツのミリ波レーダーセンサーの方が一歩先をいっていましたね。
 君がプログレをドライブしている写真もあるし……。懐かしいBM 1999年8月号、琢ちゃんと一緒に、ちょっと紹介できますな」

 ベスモの1999年8月号。幸い、手元の資料用にダビングしておいたDVD集の中に辛うじて収録されていた。何しろ、編集長最後の号が「1997年1月号」(NSX-R ワンメイクバトル)だし、そのあとの号まで保存しているか自信はなかった。わたしのプログレNC300、あのiRバージョンがやって来る、その1年前の話じゃないか……。



 ともかくDVDディスクをPCの再生器に挿し込む。イントロのCGが流れ、。車載のCCDカメラが大都会のビルの間を縫う。何となく気忙(きぜわ)しいのが、今でも気になる。が、聴き慣れた神谷明さんのナレーションが耳に入ると、たちどころに機嫌が直るから不思議だ。

「クルマ選びで一番大切なこと、それは走りの楽しさを持っていること。つまりFAN TO DRIVEこそ、クルマ選びの生命(いのち)と、ベストモータリングでは考えている。このところの新車ラッシュを見てもスペックだけに捉われず、気持ちよく走れるクルマが続々と登場! そこで今回は、元気いっぱいなGT&スポーツカーをBMキャスター全員で検証! 保存版‼︎ ‘99年GT&スポーツカー、22台 走りの番長 決定戦‼︎」 
 そして続ける。
「同クラスのターボエンジンさえも凌ぐパワーと、NAならではの鋭くリニアな噴け上がりを見せるHONDA VTEC軍団。もしVTECがなかったなら、ノーマルアスピレーションの魅力は半減していたに違いない……」





「そこで」と前振りのセリフで登場したのがガンさんジュニアの惣領、黒澤琢弥君。そうか、思い出したぞ。後継の編集長に抜擢した山本亨君が「新しい目玉キャスター」に仕立て上げようとしたのが琢ちゃんだった。それに応えようと琢ちゃんも頑張っていた時代である。HONDAのVTECが強烈に光った時代でもあった。

 そのVTECを搭載したS2000、インテR、シビックR、プレリュードType S、トルネオSiR—Tがフル・ウェットのエビス東コースでしのぎを削る「チェック&バトル」。
 いつものように、賑やかで、デンジャラスなコーナーからスタートしている。因みに、バトルドライバーは、琢ちゃんを筆頭に桂伸一、原貴彦、木下隆之の若手に、お目付役としてガンさん。
 バトル中のガンさん(トルネオ騎乗)のコメント。
「みんな、張り切り過ぎだよ。オイ、オイ、オイ、危ないよ」
 バトルの内容は推して知るべし。



 2ndコーナーは『お父さんのためのハイテク講座①中谷シフトより速いスポーツAT!?』。アルファ156 20TSに搭載されているセレスピードで筑波サーキットを攻め、そのあとMTでも攻めたあと、中谷明彦キャスターが比較する企画。

 3rdコーナーは、琢ちゃんがドリドリ土屋の指導で『メーカー系チューンドカー“峠の戦闘力”』をまとめ上げている。この二人、相性がいい。

 さて、お目当ての4thコーナー。題して『お父さんのためのハイテク講座② ベンツで君も黒澤琢弥⁉︎』。あれあれ!プログレが主役というわけではなかったのか。









「こちらはベンツS320に装着された気になるハイテク、その名も“ディストロニックシステム”、略してDTR。クルーズコントロールにミリ波レーダーセンサーを追加、前を走る車を認識し、アクセルは勿論のこと、ブレーキまで踏んで車間距離や速度をコントロール、ということは琢ちゃんのドライブするクルマをDTRで追尾すれば、誰でも同じように速く走れるってこと?」
 こちらのナレーションは大森章督さん。懐かしい声と語り口だ。

 実験がはじまった。先行車を感知するミリ波レーダーの角度は、前方9度。100m先で11.25m幅となる。ステージは東名高速、大井松田ICから御殿場ICへ向かう長い登り区間か。琢ちゃんのS320は時速100kmでクルージング中。

 助手席で林竜也副編がサポートしている。
「あ、前の車がいなくなったんで、液晶(ディスプレイ)から姿が消えました」
「ああ、ほんとだ。因みにこっちも前のクルマと同じ車線に入ると、また画面に姿が出てくるんだ」



 先行車がいなくなれば、S320は設定速度に向かって加速する。ま、ここはプログレと同じだ。

 前を行くのがその頃デビューしたばかりのプログレ。「マルーン」と呼び慣らされた「レッドマイカ」のボディカラー。初期型のNC300かな。多分、国産車の代表として、自動運転化への可能性への足がかりとなるレーダークルーズコントロールをセットしての参加だろう。



 プログレが追い越し車線に復帰してダッシュを始めた。琢ちゃんが歓声をあげる。足元の車載カメラがスピードメーターの針の動きとシンクロして、琢ちゃんのブレーキペダルの動きを捉えている。
「ああ、いい感じ。(前方を疾走していたプログレが減速し、その車間がグーンと詰まってくると、琢ちゃんが何もしないのにS320のブーキペダルが勝手に踏みつけ始めた)これは絵になるよ」
 琢ちゃんの賑やかな実況中継はつづく。
「(S320が)お〜ォ、ブレーキ、踏んでる、踏んでる」
林「前のクルマが加速にはいりました」
琢ちゃん「お、お、こっちも加速しているね、(自動で)ブレーキを(解き)放して。なんか運転席にいながら、助手席にいるような感覚だな。もうちょっと50kmくらいに落としてもらって、一気に80km/hまで行って欲しいな。……、そうそう、ここから前にガーッと加速したのに、こっちがついていけるかどうか?」
林「お! キックダウンしてきました」。
琢ちゃん「うん、もうちょっと(パワーが)欲しいね、登りだから」

 こうして、ブレーキの踏力実験と称して急激な接近をやらかして、ピピッと警報音を浴びたりしながら、プログレを追尾したまま御殿場IC出口へ向かう。
 大森ナレーション「レーダーが捕捉できる角度は正面9度。ところが小さいRだと?」
 琢ちゃん「(二つ目のコーナーへ来て、プログレが)あ、画面から消えた!」
 林「消えていますね。画面から捕捉できません。加速しませんね」
 本来なら、ここで設定スピードに向かって加速するはずなのに。ガードレールを確認したためDTRは加速を指示しないのだ。


 ここまでで使った「尺」は3分45秒。琢ちゃんがまとめに入る。
「ま、キミも黒澤琢弥になれるっていうか、超えるっていうような感じは、残念ながら今のところムリだったかな。ただABSなんかも最初は安全面からスタートしたものが、いまやスポーツABSを使った方が速く走れるというように、
これからメルセデスとか国産メーカーも、スポーツ・クルーズコントロールに発展していく方向も無きにしも非ず、かな。車線変更した時の前車に対するブレーキ、要するに適切な車間距離を保つための減速に使われるブレーキのシステムは凄くいいと思います。対してプログレの方は、そこでシフトダウンをするだけなんで、どうしても最後は人間がブレーキを踏まなきゃならない。まだ第1歩を踏み出したところですから、第一歩にしてはよくできたでしょう」
 なるほど。琢ちゃんこそ「よくできました」賞を進呈しようか。
【正岡註:TOYOTAが2000年8月、セルシオに「ブレーキ制御付レーダークルーズコントロール(レーザー式)」を搭載】



 それから18年が過ぎて、この「ベスモ作品」を鑑賞した足で、プログレを駆って外出。行先は国立国会図書館。結構、大通りを抜ける。わたしの右手は無意識のうちにレーダークルーズコントロールをセットするレバーに伸びる。車速53km/hの設定で、結構、順調にドライブできる。またひとつ、楽しみが増えたようである。



Posted at 2017/12/06 00:33:19 | コメント(4) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
2017年11月30日 イイね!

プログレで楽しんだ『RJCイヤーカー選び』への道

プログレで楽しんだ『RJCイヤーカー選び』への道〜17年間も連れ添った「古女房」の「先進性」〜
 
 年に一度の『ツインリンクもてぎ』詣で。そのお供をどのクルマに指名するか、例年、考えを巡らせるのが楽しみだった。
  
 入会したての5年前は、昔の「日産レーシングスクール」修了生の誼(よしみ)でNISMOバージョンのフェアレディを指名した。これは衰えかけていた「走りごころ」を蘇らせるための、いわば「強精剤」だった。
 それから年を重ねて、昨年(2016年=2017年次)はこの国で最もホットなスポーツカー、R35 GT-R MY17で往復するまでになっていた。





 さて、今年は? 近頃、走行距離を全く稼いでいない、わがプログレにした。
 しっかり洗車をし、タイヤのエア圧をチェックし、オドメーターを見てみると「112869」でしかない。
 おっと、目出度く「111111」の1並びを記録したのはいつだったっけ。確か、3月3日にVOLVOの新世代フラグシップS90/V90試乗とガンさんとの面談をかねて、御殿場に向かって東名高速を西下している時だった。ということは、8ヶ月間で1700キロ強、つまり月に200キロ程度しか走ってないのだ。
 
 まあ、その辺のことは“『111111』 を走破したプログレ讃歌”に書き留めてあるので、よろしければ「こちら」へも、ぜひお立ち寄りを。

 さて、今回もRJCの盟友、飯嶋洋治さんが同行してくれる。11月13日午後4時ジャスト、最寄りの私鉄駅前ロータリーでピックアップし、目白通り・大泉JCTから東京外環へ。前年は新しいルート、圏央道・境古河ICで降りて、下道でツインリンクもてぎHOTELを目指したのはいいが、NAVIの設定がサーキット南ゲートへのルートとなっていたばかりに、闇夜の八溝山地で迷ってしまった。

 そこで今回は、まっすぐに東京外環から三郷JCで常磐道に乗り、水戸ICで下りるコースをとることにした。この日のステアリングは、思うところがあって、まずわたしが握った。

 東京外環は料金所を過ぎると、その先は和光ICを過ぎ、外回りと内回りが合流できる唯一のポイント、新倉パーキングあたりまでは地下道で、かなり大きなRをいくつも持つ片側3車線。そしてぽっかりと地上に飛び出すと、そこは川幅と河川敷がたっぷりな荒川の上。視界が一挙に開ける。

 実はこの区間で、久しぶりにわがプログレと一つになるつもりだった。ETC専用ゲートを抜ける。右側車線には先行車はいない。走行モードはpowerに設定。



 アクセルを入れる。クォーン。いい声でプログレのストレート6がエールを返して来る。お、カムの回っている感じ、悪くないね。こちらの踏み込みと一つになって、素直にダッシュするプログレ。踏みこんだ分だけ、こちらの望む速度域ヘと運んでくれる。足元で路面の継ぎ目を拾って、タイヤが嬉しそうにハミングもする。走行する車線を真ん中に移すのに先立って、チョイッとブレーキルペダルに左足を乗せ、ツンと減速してから革巻きステアリングを、目線を動かした分だけ左に切る。腰を切る感じでプログレは、鼻先を左に寄せて中央車線へ。右側をやたら元気なミニバンがパスしていく。

 墨田川の上流にあたる荒川を渡ったところが、美女木JCT。ここから常磐道に流入する三郷JCTまで20㎞である。片側2車線、最高速度は時速80㎞指定。時間は午後の4時半。大型車両の通行量はそこそこに多いものの、それぞれが適当な車間距離で走っていて、車速、ジャスト80㎞/hの流れ。ナビシートの飯嶋さんはのんびり車窓からの景色を楽しんでいる。では、では……。こっそりと、プログレならでは、の「秘技」を仕掛けることにした。




 
 まず左手で走行パターンを通常モードに戻し、次に右手を、そっとステアリング奥の右下レバーに伸ばし、さらにその右先端にあるクルーズコントロール・メインスイッチをチョンと押し込んで、システムをONにしてやる。と、メーター内下部のディスプレイに「レーダークルーズコントロール待機」を表示する「READY」がつく。そこでスイッチレバーを下げてから手を放してやった。

「CRUSE」に入った。セットされている車速を「75 km/h」と伝えてきた。 
同時に先行車との車間距離を「長・中・短」の3段階のうちの「長」がマークされている。車間距離は約55m。これでは少々かったるいので調整が必要だ。「CRUSE」の右隣の切り替えのスイッチで、車間距離が約40mとなる「短」になるようにプッシュする。

 準備は完了した。川口中央ICから川口ICまでの区間は片側3車線となる。中央分離帯寄りの追い越し車線は先行車がかなり前方を走っている。ここはアクセルを踏み込むのではなく、スイッチレバーを上に押し上げ、設定速度を行けるところまで持っていく……。



 90、95、100。そして車速を設定したいメーターの数字は108で頭打ちになった。すかさずレバーを離すと、それまでの設定速度が75km/hに固定されていたプログレの加速が始まった。体感できるほどではないが、回転計がクッと頭を擡げる感じで、動きが逞しくなった。

 先行していた大型トラックの後ろ姿が大きくなって、プログレがすっと肩の力を抜いた。フロントバンパーに2個のレーザーレーダーセンサーが埋め込まれており、先行車のリフレクター(反射器)からはねかえったレーザー波を検知して、その車間距離を適切に保つよう、電子制御スロットル装置がエンジンブレーキを行使して、適正速度に減速し、巡航させるのである。



「へぇ、プログレのクルーズコントロールって、いい感じじゃないですか」
 飯嶋さんも気がついていたのか。
「でしょ? TOYOTAの電子制御技術が、すでに20年前には、ここまで来ていたンですよ」
「なるほど、ですね」

 去年から日産セレナ、VOLVO S90といったパイロットアシスト、運転支援システムが売りのNewカーを、積極的に同乗試乗をして来た飯嶋さんとのコンビ。お互いが何を感じ取っているか、すぐに共有できるのが嬉しい。

 E4 東北自動車道と分岐する川口東 ICを過ぎ、草加ICあたりから、東京外環道は再び快適さを取り戻し、オートクルーズ・ドライビングをゆったりと楽しんでいるうち、ある実験を思いついていた。

 この先、西三郷ICを過ぎると、東京外環道と分岐して常磐道へとアプローチしていく左回りのコーナーがある。そこを、クルーズコントロールをセットしたまま、走り抜けようとしたらどうなるか。それは単なる度胸試しに過ぎないのだろうか。

 左側車線に寄った。念のため、車速を控えめに80km/hと低く設定し直しておく。うまい具合に前方をTOYOTAシエンタの特徴ある後ろ姿が、まずまずのペースで走っている。慣れて来たせいか、その先鋭的なデザインも都会の景観に素直に溶け込んでいる。このまま、常磐道へ向かってくれれば好都合。追従した。



 常磐道への流入ポイントが見えて来た。シエンタが先導する。こちらの車速はまだ80km/hのままだ……。
 コクンとタコメーターが呼吸する。減速制御はエンジンブレーキのみで操作されるので、タコメーターの針の動きで、ブレーキングのタイミングとその踏み代の程度がわかる。

「あ、やっぱりいい感じに減速して行きますね」
「うん、ここからが見ものです」
 
 ここの流入路は、横浜・大黒パーキングにあるようなグルグル回っていくループ状ではなく、直角に交差するルートに合わせたカーブが一つ。したがって、走行途中にこちらから修正することなく通過できるはずだ。ただし、過信は禁物。先行車の減速度合いが大きい場合や他者の割り込みなどによって、十分な減速ができない状態で先行車に接近した時は、警報ブザーが「ビビビビッ」と鳴り、同時にレーダークルーズディスプレイが点滅することになっている。


*三郷JCT (GOOGLE earth map)

 流入路への進入が始まった。幸い、割り込みもなく、先行するシエンタのドライバーもスムーズなコーナリング・ワークで抜けていく。プログレは接近するたびに、ク、ク、クッとエンジンブレーキ操作をやってくれ、こちらのステアリングワークと一つになってくれた。荷重移動のコツをどこで会得したのだろう。

「うまい! こっちの頭が全く揺れない、気持ちのいいクルーズ・コーナリングでした」
『自動車エンジンの基礎知識』『自動車メントとチューニングの実用知識』(どちらも日刊工業新聞社刊)の著者・飯嶋さんに褒められたわがプログレ。実は17年間近くも一緒に暮らしながら、その自動ドライブ装置の真価を見逃していた小生。まあ、「イヤーカー選び」に赴くとあって、自分の「物差し」を洗い直すいい機会をくれたと、感謝し、惚れ直した次第である。 

 時計を見る。16時35分。もてぎのホテルには、少なくとも19時には着いて、19時30分からの前夜祭を兼ねた懇親会に備えたい。それまでには、途中で夕食をとっておかねばならない。

 そろそろ、適当なところで、飯嶋さんとドライバー交代もしたい。
 何の問題もなく流入した常磐道は、水戸ICまで82km。少しペースアップしなければ……。 (この項、続く)
Posted at 2017/11/30 01:21:31 | コメント(4) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
2017年03月08日 イイね!

『111111』 を走破したプログレ讃歌

『111111』 を走破したプログレ讃歌〜2000年5月からの伴侶「小さな高級車」STORY ①〜

「瑞兆(ずいちょう)」という言葉がある。佳いことの起こる予兆、めでたいことのある前兆という意味らしい。わたしの場合、同じ数字がきちんと揃うと、それが何かの瑞兆と歓んでしまう……。

 3並びの3月3日は桃の節句、朝から東京の空は見事に、明るく晴れ渡っていた。午前8時30分に最寄りの私鉄駅北口のロータリで、RJCメンバーの飯嶋洋治さんと待ち合わせている。11時から御殿場のホテルをベースにしたVOLVOの新世代フラグシップS90/V90の試乗会に、わがプログレで駆け付ける予定で、そのあとガンさんと久しぶりに懇談するつもりだった。





  8時20分になったところで、NIKONのカメラバッグに300mmの望遠レンズを詰め込んで(これで富士山を狙うつもり)、駐車場に降りる。
 前夜の雨で、プログレはしっとりと濡れたままで、朝の光を優しく受け止めている。くしゃみ一つでも、今にも雨滴がボンネットから滑り落ちそうだった。イグニッションKEYを優しくひねってやる。そしてODOメーターを確認する。

 111075。あと36kmで「1」並びとなる。プログレに、よくここまで連れ添ってくれましたね、と頭をさげる。さて、これから環八で用賀に出て東名高速に入るつもり。どこでその記念すべき瞬間が訪れるのか。

 飯嶋さんの柔らかい笑顔が待っていた。走り出してすぐに、ここから「111111」になる瞬間まで、ドライバーはわたしが務めることを伝えた。が、すぐに思い直す。

「恐らく、横浜・町田ICあたりだろうから……そうだ、その手前の港北SAで交代してもらって、カメラでその2度とない瞬間を、ぼくが撮ります」
 いつも勝手なことを押しつけてしまうわたしの注文に、飯嶋さんはやっぱりいつものように笑顔で受け止めてくれる。


 
 週末金曜日の環状八号線は、なかなか前へ進めない。こうなれば奥の手、かつて「FISCO通い」をしていた頃の抜け道ルートへ逃げこむしかない。

 青梅街道の手前から西寄りの古い幹道に入ると、交通量は途端に少なくなった。問題は渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線の踏切と、その区間に限ってルートが午前9時までは、一方通行で進入できないことだった。ダメな場合は再び左折して渋滞している環八にもどるしかない。微妙な時間帯ではないか。

 ジャスト9:00。大きな神社脇にある問題の一方通行の出口に差しかかった。ありがたや、制限時間は解除された直後で、京王井の頭線富士見ヶ丘駅脇を抜けるルートに、先頭で突入できた。そのお陰で、甲州街道にぶつかったところで左折、すぐに環八へ流入。そこからは順調に用賀ICを目指す。

 プログレのメーターはまだ「1並び」までに、26kmほどの余裕を残している……。

 東名高速に乗ると直ぐに、プログレが甘えてきた。久しぶりに高速へ入ったんだから、ちょっと踏み込んで、エンジンのカーボンを吹き飛ばしてくださいよ、と。
「よっしゃ!」
 その声に、助手席の飯嶋さんが怪訝そうにこちらを見る。わたしの左手はすでに走行モードを変更できるスウィッチに伸びていた。ポンと左サイドに抑えてやると《ETC PWR》の青いランプがついて、プログレが変身する。3ℓ、ストレート6DOHCがクオーンと咆哮しはじめたのである。飯嶋さんもニヤリとしている。

「良い音、しますね」
「うん、プログレ・ミュージック!」
「嬉しそうですね」

 飯嶋さんは、かなり年季の入ったM3のオーナー、そして『自動車エンジンの基礎知識』と『自動車メンテとチューニングの実用知識』(どちらも日刊工業新聞社刊)の著者である。わかってくれている。






 多摩川を渡った。多摩丘陵南端の緩やかなアップダウンを東京料金所まで、プログレNC300 iRバージョンはODOメーターに「111100」の数字を刻みながら、いつもよりちょっとヤンチャに駆け抜けていった。

 予定通りに、トイレタイムを兼ねて、港北SAに滑り込む。「111107」か。もうすぐだ。イグニッションKEYを飯嶋さんに託して、後部座席からNIKONでその瞬間を待つことにした。なんだか妙にはしゃいでいるおのれに苦笑した。と、不意に湧いてくる想いがあった。
 
 あれは4年前、一旦は、このプログレを手放すつもりで『プログレへの別れ話』(こちらからどうぞ)を「みんカラ」に記しながら、話はやがて開発者であったTOYOTAの重鎮・和田明広さんに及んでいったあの頃、そして新車価格460万円強でわたしのもとへやってきた2000年の頃をなぞりはじめていた。




*初めてのロングドライブは2000年10月、四国への「ルーツ探訪」のお供だった。

 この機会に、いま一度、プログレとの関わりをおさらいしたくなってきた。
                  (以下、次回へ)
Posted at 2017/03/08 15:16:12 | コメント(6) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
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何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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