〜ブレーキまで踏んでくれる先進システムがすでに!〜
珍しくブログアップしてから間をおかず、今は四国に帰って新しい人生を開拓中の小松青年(みんカラHNはFRマニア)から「コメント」が寄せられた。
「(前略)あれはベスモ99年8月号でしょうか。確かベンツSクラスとプログレを駆り出して自動運転のテストをされていました。
あれから18年、もうすでに先進技術を搭載しているだけでなくきちんと機能している事に“あっぱれ!”ですね」
小松青年に関してはすでに2013年5月3日の
『レイトンブルーは悲しい色やねン』、2012年7月12日の『ご無沙汰した理由~あるいはその言い訳として~』の章の後半と、8月20日の『ミンミン蝉の歌う朝に~みんカラ仲間との「筑前の小京都・秋月行」②』で紹介済みなので、そちらを参照願いたい。
早速、といっても1時間半後に、お返しの「コメント」を送った。
「ありがとう。確認しました。メルセデスS320との共演でした。ベンツのミリ波レーダーセンサーの方が一歩先をいっていましたね。
君がプログレをドライブしている写真もあるし……。懐かしいBM 1999年8月号、琢ちゃんと一緒に、ちょっと紹介できますな」
ベスモの1999年8月号。幸い、手元の資料用にダビングしておいたDVD集の中に辛うじて収録されていた。何しろ、編集長最後の号が「1997年1月号」(NSX-R ワンメイクバトル)だし、そのあとの号まで保存しているか自信はなかった。わたしのプログレNC300、あのiRバージョンがやって来る、その1年前の話じゃないか……。
ともかくDVDディスクをPCの再生器に挿し込む。イントロのCGが流れ、。車載のCCDカメラが大都会のビルの間を縫う。何となく気忙(きぜわ)しいのが、今でも気になる。が、聴き慣れた神谷明さんのナレーションが耳に入ると、たちどころに機嫌が直るから不思議だ。
「クルマ選びで一番大切なこと、それは走りの楽しさを持っていること。つまりFAN TO DRIVEこそ、クルマ選びの生命(いのち)と、ベストモータリングでは考えている。このところの新車ラッシュを見てもスペックだけに捉われず、気持ちよく走れるクルマが続々と登場! そこで今回は、元気いっぱいなGT&スポーツカーをBMキャスター全員で検証! 保存版‼︎ ‘99年GT&スポーツカー、22台 走りの番長 決定戦‼︎」
そして続ける。
「同クラスのターボエンジンさえも凌ぐパワーと、NAならではの鋭くリニアな噴け上がりを見せるHONDA VTEC軍団。もしVTECがなかったなら、ノーマルアスピレーションの魅力は半減していたに違いない……」
「そこで」と前振りのセリフで登場したのがガンさんジュニアの惣領、黒澤琢弥君。そうか、思い出したぞ。後継の編集長に抜擢した山本亨君が「新しい目玉キャスター」に仕立て上げようとしたのが琢ちゃんだった。それに応えようと琢ちゃんも頑張っていた時代である。HONDAのVTECが強烈に光った時代でもあった。
そのVTECを搭載したS2000、インテR、シビックR、プレリュードType S、トルネオSiR—Tがフル・ウェットのエビス東コースでしのぎを削る「チェック&バトル」。
いつものように、賑やかで、デンジャラスなコーナーからスタートしている。因みに、バトルドライバーは、琢ちゃんを筆頭に桂伸一、原貴彦、木下隆之の若手に、お目付役としてガンさん。
バトル中のガンさん(トルネオ騎乗)のコメント。
「みんな、張り切り過ぎだよ。オイ、オイ、オイ、危ないよ」
バトルの内容は推して知るべし。
2ndコーナーは『お父さんのためのハイテク講座①中谷シフトより速いスポーツAT!?』。アルファ156 20TSに搭載されているセレスピードで筑波サーキットを攻め、そのあとMTでも攻めたあと、中谷明彦キャスターが比較する企画。
3rdコーナーは、琢ちゃんがドリドリ土屋の指導で『メーカー系チューンドカー“峠の戦闘力”』をまとめ上げている。この二人、相性がいい。
さて、お目当ての4thコーナー。題して『お父さんのためのハイテク講座② ベンツで君も黒澤琢弥⁉︎』。あれあれ!プログレが主役というわけではなかったのか。
「こちらはベンツS320に装着された気になるハイテク、その名も“ディストロニックシステム”、略してDTR。クルーズコントロールにミリ波レーダーセンサーを追加、前を走る車を認識し、アクセルは勿論のこと、ブレーキまで踏んで車間距離や速度をコントロール、ということは琢ちゃんのドライブするクルマをDTRで追尾すれば、誰でも同じように速く走れるってこと?」
こちらのナレーションは大森章督さん。懐かしい声と語り口だ。
実験がはじまった。先行車を感知するミリ波レーダーの角度は、前方9度。100m先で11.25m幅となる。ステージは東名高速、大井松田ICから御殿場ICへ向かう長い登り区間か。琢ちゃんのS320は時速100kmでクルージング中。
助手席で林竜也副編がサポートしている。
「あ、前の車がいなくなったんで、液晶(ディスプレイ)から姿が消えました」
「ああ、ほんとだ。因みにこっちも前のクルマと同じ車線に入ると、また画面に姿が出てくるんだ」
先行車がいなくなれば、S320は設定速度に向かって加速する。ま、ここはプログレと同じだ。
前を行くのがその頃デビューしたばかりのプログレ。「マルーン」と呼び慣らされた「レッドマイカ」のボディカラー。初期型のNC300かな。多分、国産車の代表として、自動運転化への可能性への足がかりとなるレーダークルーズコントロールをセットしての参加だろう。

プログレが追い越し車線に復帰してダッシュを始めた。琢ちゃんが歓声をあげる。足元の車載カメラがスピードメーターの針の動きとシンクロして、琢ちゃんのブレーキペダルの動きを捉えている。
「ああ、いい感じ。(前方を疾走していたプログレが減速し、その車間がグーンと詰まってくると、琢ちゃんが何もしないのにS320のブーキペダルが勝手に踏みつけ始めた)これは絵になるよ」
琢ちゃんの賑やかな実況中継はつづく。
「(S320が)お〜ォ、ブレーキ、踏んでる、踏んでる」
林「前のクルマが加速にはいりました」
琢ちゃん「お、お、こっちも加速しているね、(自動で)ブレーキを(解き)放して。なんか運転席にいながら、助手席にいるような感覚だな。もうちょっと50kmくらいに落としてもらって、一気に80km/hまで行って欲しいな。……、そうそう、ここから前にガーッと加速したのに、こっちがついていけるかどうか?」
林「お! キックダウンしてきました」。
琢ちゃん「うん、もうちょっと(パワーが)欲しいね、登りだから」
こうして、ブレーキの踏力実験と称して急激な接近をやらかして、ピピッと警報音を浴びたりしながら、プログレを追尾したまま御殿場IC出口へ向かう。
大森ナレーション「レーダーが捕捉できる角度は正面9度。ところが小さいRだと?」
琢ちゃん「(二つ目のコーナーへ来て、プログレが)あ、画面から消えた!」
林「消えていますね。画面から捕捉できません。加速しませんね」
本来なら、ここで設定スピードに向かって加速するはずなのに。ガードレールを確認したためDTRは加速を指示しないのだ。

ここまでで使った「尺」は3分45秒。琢ちゃんがまとめに入る。
「ま、キミも黒澤琢弥になれるっていうか、超えるっていうような感じは、残念ながら今のところムリだったかな。ただABSなんかも最初は安全面からスタートしたものが、いまやスポーツABSを使った方が速く走れるというように、
これからメルセデスとか国産メーカーも、スポーツ・クルーズコントロールに発展していく方向も無きにしも非ず、かな。車線変更した時の前車に対するブレーキ、要するに適切な車間距離を保つための減速に使われるブレーキのシステムは凄くいいと思います。対してプログレの方は、そこでシフトダウンをするだけなんで、どうしても最後は人間がブレーキを踏まなきゃならない。まだ第1歩を踏み出したところですから、第一歩にしてはよくできたでしょう」
なるほど。琢ちゃんこそ「よくできました」賞を進呈しようか。
【正岡註:TOYOTAが2000年8月、セルシオに「ブレーキ制御付レーダークルーズコントロール(レーザー式)」を搭載】
それから18年が過ぎて、この「ベスモ作品」を鑑賞した足で、プログレを駆って外出。行先は国立国会図書館。結構、大通りを抜ける。わたしの右手は無意識のうちにレーダークルーズコントロールをセットするレバーに伸びる。車速53km/hの設定で、結構、順調にドライブできる。またひとつ、楽しみが増えたようである。
