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正岡貞雄のブログ一覧

2012年05月24日 イイね!

還ってきた愛しのEXA ~FISCO熱走・EXA編⑦~

還ってきた愛しのEXA ~FISCO熱走・EXA編⑦~ 1986年はミラージュCUPに夢中になっていたのは事実だった。
 それでも、前年の7月にFISCOのヘアピンで裏返しになった「愛しのEXA」が、やっと修復され、カラーリングもコバルト・ブルーに塗り替えられ、スポンサーも「FUJIカセット」から、渋谷でクルマ好き世代の人気スポット「フリーロード」に鞍替えして届けられたのである。当方としても、ターボパワーのじゃじゃ馬との格闘で少しはスキルアップしたことを、還ってきたEXAで実証したい欲もあって、実は、筑波のミラージュCUP第3戦の2週間前に、久しぶりにEXAレースに参戦していた。



 ま、はっきりいって、レーステクニックを磨く環境に、ぼくは恵まれすぎている。その割にはちっとも速くならないね、といわれそうだが、口惜しいけど、その通りなんだ。で、8位に食い込んだ、5月18日のミラージュカップ第2戦のVTRができあがったところで、報告がてら、ガンさんに見てもらうことにした。少しは褒めてもらえるかな、という期待はみごとに裏切られる!

「なんだ、こりゃ! 1周目の1コーナーを失敗したのはいいとして、展開からいったら、3位、いや、局長の気のやさしさが災いしたとしても、4位になってなきゃ、おかしいよ。よし、今度、ぼくが講師をやってるBSのスクールに来なさい。徹底的に鍛え直してやるから!」




*講師はガンさんと中子修選手

 こういう時の本物のプロは厳しい。もちろん、喜んで受講させていただくことにした。
 ガンさんのスクールとは、ポテンザ・ドライビング・レッスンのことで、BSユーザーを対象にサーキット走行の基本を教えるイベントだった。
 5月30日(金)、ぼくはいそいそと富士SWへ赴いた。参加72台、大盛況なのだ。マーチにサニーのエンジンを積みかえたのやら(これ、違法車かな?)、角目4灯のZやら、いろいろ珍種がそろっていた。

 講師はガンさんと中子修さん。初心者対象とあって、ラリーアートのそれとは趣が異なる。それでもストレートでのフルブレーキング、パドックでのジムカーナーもどきのスラローム走行とメニューをこなしたあとで、待望のサーキット走行である。

 ガンさん直伝の第1コーナーへのアプローチ、100Rの進入アングルを、ぼくなりに牙をむきながら、習得しようとしたのだが……。

 わが「ベストカー/フリーロードEXA」は、実はフレッシュマン復帰に備えて、足回りすべてを洗い直している。フロントのディスクローター、リアのドラム、スタビからブッシュ類にいたるまで、そっくり新品にした。その陰には、名古屋のヤマちゃん一家と平塚のマツダ青年の献身的な作業があるのだが、そんな彼らに酬いるには、もはやぼくがお立ち台にあがるしかない。

■RS中春軍団サマ、よろしくお願いね

 6月1日。この日もFISCOは快晴。明るい陽光を浴びてレイトンカラーより深い青みをもつ、わがEXAのボディはひときわ美しかった。その上、ボディを新調した証拠に、ちゃんとドアミラーを装着している。

 予選は、手際よくRS中春軍団のなかに紛れこむ。④加藤隆弘、②小林里江と快適な周回を重ねた。足回りをリフレッシュしたせいだろう。コーナーでフロントが巻き込む挙動はすっかり消え、マシンは素直に立ち上がっていく。ピットから、2分6秒台をしらせてくる。チラッと先行する④加藤のピットサインを盗み見ると、彼は5秒台らしい。1秒差はどこからくるのかな、と首を傾げているうちに、15分間の予選は終了。



*RS中春軍団に適当に遊んでもらったのに「ついていけた!」と錯覚(100Rにて)

 すっきり予選を走行できたときの結果待ちは愉しい。ヒトケタ台はいけたかな? 煙草が旨い(そのころはかなりのヘビースモーカー)。

 午前11時25分。マツダ青年が嬉しそうに、予選順位をプリントした紙をヒラヒラさせながら、ドライバーズサロンに戻ってきた。なにしろ39台の出走だから、ちょっとでもミスをしたり、マシンが不調だと、簡単に予選落ちしてしまう。

「11位ですよ」
「まあまあ、か」

 その瞬間から、ぼくの頭の中は、めまぐるしく回転する。まず顔身知りのマシンの順位をチェックし、スターティンググリッドのポジションをイメージしながら、第1コーナーへどう入っていくかを、組み立てるのである。


*1周目の第1コーナーでダートに押し出され、最後尾から追撃を開始!

 午後2時44分20秒、10周のEXAレースがはじまった。
 スルスルと左前にいる⑥鈴木淳の黄色いマシンをパスし、右前にいた⑫土方高弘の左サイドにマシンをすり寄せた。
絶妙のスタートであった。100メートルの看板を過ぎても、ぼくはブレーキを踏まない。そのとき、多分、ぼくは6、7番手に位置していたようだ。アウトいっぱい、赤と白のゼブラゾーンの真ん中あたりでインへマシンの鼻をむける。インから攻めてきた ⑫土方のマシンは身をよじる。オット、そばに寄るな! そう叫びながら、ぼくはアウト側の縁石をたよりにマシンをコントロールしようとする。が、もう遅かった。左へタイヤひとつダートにはみ出したぼくのEXAはド、ドッと土煙をあげ、ダートのなかを大回りする。

 コースに復帰したとき、マーシャルカーがぼくを待っているだけだった。どん尻。はるか前方を29台のEXAが100Rへ消えようとしていたのである。

 それでいい。無理にコースに戻るのは、ほかのマシンに接触する可能性が高い。ならば、ミスした己れのペナルティとして、すべてがコーナーを通過してから、レースに復帰するのがぼくのやり方である。

 それから孤独なひとりぼつちの走行がはじまった。カラーリングが目立つだけに、いささか恥ずかしい。それでも、豆粒のようだった先行車がだんだん大きくなってくる。4周目、ついに#36山崎敏之を100R手前でパス。つぎは#78浅井健次だ。ところが予選30位のマシンなのに#78は頑張る。第1コーナーの突っ込みで、いったん抜いたはずなのに、抜き返された。が、シケインから最終コーナースピードが圧倒的に違うから、結局、突き放すのも時間の問題、と考えているうちに、100Rやらヘアピンで脱落するマシンが7台もあって、終わってみれば、20位までポジションを回復していたのである。

 予選でベツタリ走行した 小林里江ちゃんが3位、 加藤が4位という結果をみると、かなりいけたのに、と口惜しがりながら、わが愛しのEXAが、入賞する日は、もう近いぞ、などと予感する50歳だった。

 付け加えれば、このレースのウィナーは③田部靖彦(中春軍団)。後年、ぼくの片腕となって、ベスモを創りあげてくれた、あの田部クンである。

Posted at 2012/05/24 03:35:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
2012年04月02日 イイね!

難行苦行のドクター・チェック ~FISCO熱走・EXA編⑥~

難行苦行のドクター・チェック ~FISCO熱走・EXA編⑥~ もう1回だけ、雨のFISCOに付き合っていただこうか。
1985年10月5日のEXAチャンピオンレースは、同じEXAレースでも、国際格式の’85WEC公式記念イベントとなると、すべてが本格的になってくるから、凄い。

 たとえばドクター・チェックである。予選出走前に、これをパスしないとコースに出られないのはフレッシュマン戦でも変わらないことだが、そのチェックの仕方が本格的となる。まず血圧を測る。ぼくの場合、いつもなら60~110で軽く一発で次へ移るのだが、この日は見栄えのする看護婦さんが3人、艶然とこちらを見つめてくれたものだから、85~135で1回目はNO! すこし息を鎮めたのちに、もう一度計測させられた。今度は70~120で平均値であった。

 次は検尿。 21歳の勝股雅晴クンはEXAドライバーの最年少。前夜、眠れぬまま相当に不摂生なことをしたらしく、何度もおシッコをとられて泣いていた。

 検尿の次は視力。医師が動かす指を、パッとこちらの指先で焦点を合わせるのだ。どうやら動態視力をテストしているらしい。

 最後が、ぼくの苦手中の苦手。両手をひろげ、目をつむり、片足で5秒間、立っていなければならない。簡単そうで、こいつがなかなか難しいから、ちょっとやってみてほしい。

 ところでこの章のイントロ・イメージに怪鳥ジャガーをあしらっているが、この’85WECで最も話題を集めたマシンだから、象徴的な存在として紹介してみたまでのことで、ぼくとは直接の関係はない。撮影したのは、レースの鉄人、安川肇さん。何かの記念に、その頃のぼくのレースシーンと一緒に、プレゼントされたものである。

 公式記念レースはニッサンがEXA、マツダがRX-7、トヨタがカローラ/スプリンターの3種類。WECの公式予選デーでもあるので、観客も結構、多い。発表では3万8000人とあったが、メインスタンドは8分の入り。気合いが入る。マッチ出場レース以来だ。


*前回に紹介してしまったが、今回、もう一度使用させていただこう。



 午前9時50分、15分の予選開始。ひさしぶりにドライの路面だが、空は重い雲で覆われ、いつ雨が落ちてくるかわからない。

 ⑪田中重臣クンの背後につけたのは一瞬で、ジリジリと遅れはじめる。出走直前から5点式シートベルトの不具合か肩がピシッと決まらない。コーナーでいつもより大きなGを感じて、素直な立ち上がりの加速感を与えられない。イライラしてニューコーナーに突っ込んだ瞬間、テールがズルッときた。それに対応すべく、ステアリングので修正しようとして、手が大きく動く。と、5点式ベルトがパチンと弾けて、ぼくの身体はフロントグラスに叩きつけられそうになる。

 結局、このアクシデントにたたられた。シートベルトをしない違法運転では、どんなにやってもタイムは伸びない。2分6秒40、17位。このところ予選ヒト桁続きでいい気分だっただけに、口惜しい結果といえる。
 観戦に来た舘内端さんとこう約束してしまった。
「タテさん、見ててよ。1周ごとに3台ずつ抜いてくるからね」

■どこかでやっぱりチョンボする男

 午後からは土砂降りの雨。つい1週間前に、ストレートエンドで恐怖の3回転スピンをした記憶が、いやでも蘇ってくるじゃないか。

 シートベルトはきっちり肩にはまるよう、ヤマちゃんの愛弟子、太田辰浩クンが調整してくれたようで、気分よく、シートにおさまる。ウォーミングアップ・ランで1周する。2つの高速コーナーでは4速全開は危ないと判断した。

 さて、15周のレースがスタートした。今回は先行車が多いだけに、水飛沫で、前はまったく見えない。第1コーナーはINベタをキープ。なんの衝撃音もしないところをみると、どうやら無事に通過できたらしい。ヘアピンを15番手で通過。ニューコーナーでさらに13番手に浮上。直線路、ピット前では12位で雨中の快走を演じたのだが、あとで聞くと白い塊がド、ドッと行って誰が誰だかわからなかったという。

 第1コーナーを抜けたあたりで、バックミラーに黄色と黒のマシンが追随してくる。 秋山武史車、だ。予選ではぼくの2台前に位置していたのだが、どこかでパスしたらしい。

 気分がいい。前後左右に気を配りながら、それぞれのコーナーで、頼りなげに滑りだそうとするマシンを、やわらかくハンドルで包みこむ。

「うん、前半6周までの局長の走りはなかなかだったね。この分じゃ初入賞、初のお立ち台も夢じゃない、そう思って期待していたんだけど……」
 黒沢元治監督の戦後評の一部分である。

 6周目、先行する 勝股車を直線でアウトから捉え、第1コーナーをややアウト目からアプローチする。④→③とシフトダウン。そしてチョン、チョンとブレーキング。あっ、どうした! フロントがロックしたまま、加速するようにして、マシンはグリーンに突進していく! ハイドロ・プレー二ングか。

 やっとのことでコースに復帰した時には、7台ばかりの集団のドン尻についてしまった。が、その時はまだめげなかった。残り8周でなんとかいけるさ、と。

 再び第1コーナーのアプローチ。水溜りを避けたつもりでブレーキング。と、前戦同様、テールがコクンと右から左へ回りはじめた。慌てるな。やさしくステアリングを逆ハンに当てて、タイヤの向きでブレーキ状態にしなくっちゃ。目の前を第1コーナーの観客席が左から右へ流れる。やっとマシンは停まった。どうやら、無事らしい。



 戦線へ復帰。もう順位なんかどうでもいいが、ともかく腰がひけて、うまく走れない。ピンクのマシン27番、矢島順子ちゃん(この日が2レース目だけど、相当に練習を積んだらしく、第1コーナーでもいい突っ込みをしていたが、13周目、260Rで横転した。怪我は大丈夫かな?)を捉えるのがやっとのていたらく。

 それでも10周目あたりから、再び闘志が戻ってきた。⑳秋山武史クンは虚しく、第1コーナーの手前でコンクリート塀に貼りついてクラッシュしている。遥かかなたを先行していた⑧石井、⑦堀内の両車に大接近して、やっとチェッカーをうける。
 
 順位のほどは不明だった。が、そのまま、後楽園の巨人-阪神戦観戦の約束を果たすため、ぼくはFISCOを飛び出したのである。

 さて、その日の深夜、箱根・長尾峠の宿舎に戻って驚いた。賞金袋がベッドの上に置いてある。10位、金壱万円也。なんでも、再車検で4車が車両規則の違反を問われて失格。ぼくが繰り上がったらしい。 

 失格の理由はさまざまあるが、フレッシュマン戦と違って、エキジビション戦は車検がないという狡猾な読みでレースに臨んだ連中に、ピシャリとお灸をすえた競技長の判断に拍手をおくる。
 で、賞金はどうしたかって? 日ごろレースで家を空けるぼくとしては、家人にポンと渡すのが、最も効果的なことだということくらいは判っていた。

Posted at 2012/04/02 22:00:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
2012年04月01日 イイね!

『雨中のスピンターン』恐怖体験! ~FISCO熱走・EXA編⑤~

『雨中のスピンターン』恐怖体験! ~FISCO熱走・EXA編⑤~ 1985年の9月は、週末になるときまって雨が降った。サーキット族にとって、雨は天敵だった。今回は、雨中のレースがいかに怖いか……ぜひ、それを伝えておきたかった。

 富士フレッシュマンの第7戦(9月29日開催)にそなえて、前日の土曜日、雨の東名高速をトラックのはねあげる水煙の中を縫ってFISCO入りすると、レーシング・ドライバーの柳田春人さんがぼくを呼びとめる。
「局長、たいへんだ。秋山武史が260Rでとんで、いま病院にはこばれたところです!」
のっけからガーンと一発。で、容態は?
「ちょっと首をやられたかもしれない。でも大丈夫でしょう、マシンはグシャグシャだけど……」

 翌日の決勝にそなえて、前日にはスポーツ走行するのが、ドライバーのエチケット。さいわいこの土曜日は「日産レーシングスクール」が開催されているので、日産車のユーザーはこれを利用する。秋山クンもタレント稼業をおっぽり出して(?)律儀にFISCO入りしていたのだ。あとで元気に病院から帰ってきた秋山ザウルスに聞いたところ、第1コーナーを抜け、260Rの高速コーナーにアプローチしたところで、マシンの左脚をグリーンに落とし、あっという間に回転レシーブをやらされたという。

 ともかく、雨のFISCOは怖い。ドライバーの身体も大事だが、マシンを全損して、翌日の出場を断念するケースがやたらと多いのだ。    


*雨のヘアピン。あちこちでとっちらかっているぞ


 さて9月 29日、やっぱり雨。走行路のあちこちが水溜りというより<池>になってドライバーに牙を剥いている。今回のフレッシュマン第7戦も、ぼくのマシンはまだ入院中なので、 前戦につづいてNISMOからの借りもの。そう、例のマッチの乗っていたEXA。壊わすとたいへんだ。

「丁寧にいきましょう……」
 チーフメカのヤマちゃんは、当然のことをいう。
 午前9時10分、予選開始。どのコーナーもまともに突っ込んだら、マシンは水にあしらわれて横をむく。ヘアピンで一発、あわやのスピン。それでもヤマちゃんが手塩にかけて整備したエンジンの調子は最高。ストレートでセクシーな唸りをあげ、先行車を軽く捉えてくれる。

 好敵手44番、大鹿クンをパスしたところで予選終了。

 雨はさらにひどくなる。ドライバーズ・サロン前から、別のカテゴリーとして設けられたパルサー(1600-Cクラス)レースを観戦する。志賀(正浩)ちゃんと、秋山ザウルス(急遽、NISMOのマシンをレンタルして根性ものの出場)が繰り広げるバトルを見ていると、あの押しかけカメラマンのマツダ青年が、予選結果表をヒラヒラさせながら近づいてくる。

「何位でしょうか?」
「さあ、12位くらいかな?」
 そこでニヤリとするマツダ。
「7位です!」

 ギャッ、である。2分8秒64は、ポールポジションをとったチームメート⑪田中重臣クンの1・4秒落ち。これは大変だ。初入賞も夢じゃないぞ。そこで舞い上がってしまっては、フレッシュマンのベテラン(変ないい方だな)らしくない。
「まあまあだな。テクニックのある奴ほど、雨に強いからな」

■初入賞を前にした……雨の激闘

 そんなキザな台詞を吐いたのが間違いのもとだった。決勝のグリッドは前から3列目。いつもより回転を低くして、4000rpmでクラッチをつなぐ。いいか、ステアリングワークも、アクセルワークも、柔らかく、柔らかく。急激なアクションは絶対に禁物、と自分にいいきかせながら。


*うふふふ。前にいるのは6台だけです。決勝のスターティング・グリッド。


*これが恐怖の第1コーナー。55が飛び出しそう。あれ!? このショット、パルサーが混走している。御免、実は1週間後のWEC前座レースのものでした!
 


第1コーナー。みんなもいつになく丁寧にアプローチしている。それでも水煙に包まれて、先行車のブレーキランプも視認できないくらいだ。
260Rへ。滑る。まるで氷上スケートのようだ。100Rも、ヘアピンも、全車が抑え気味。あ、1台だけ狂ったようにアウトから仕掛けてくる赤いマシンがいる。55番、久保健ちゃん(今や、ケーブルネットワーク・Jスポーツの偉いさんだよ)だ。危ないぞ、と思う間もなくニューコーナーの入り口で、とっちらかった。それが引き金となって、雨中の激闘が開始された。

 ストレートに戻って、トップ集団をいく⑪③(31)と思われる水煙の塊は、ぼくの目の前だ。よし! と思った瞬間、水溜りに足をとられてぼくのマシンがグラリと揺れた。


*新しく設けられたBコーナーの出口

 再び一番スピートの乗る第1コーナーへ。左側のコンクリート壁をたよりにブレーキングポイントを探す。いっせいに先行車がブレーキングした。ぼくも右足でやわらかくブレーキペダルを踏んだつもりだった。と、その時、マシンは大きく前後の向きをかえ、スピン状態に。
「だれにもぶつかるな!」
 声にならない声で、ぼくは絶叫した。1回転、2回転。衝突音はこない。下手にハンドルを切ったり、ブレーキングするとさらに挙動がおかしくなるから、ただもう、耐えるだけだ。やがて、マシンはゆるやかに静止状態に。
ま、マシンを壊さなかっただけで充分じゃないか。おのれを励まし、ぼくはレースに復帰した。25位まで転落していた。

 1台、2台といささかぼくと腕の違うマシンをパスしていくうちに、ひとつのコーナーごと、ライバルのマシンが無残な姿でうずくまっている。隣りのグリッドからスタートした、前回優勝の(24)岡部松恵クンは100R手前で潰れているし、⑦小笠原サニーもよたよたとピットインしている。

 泥のはねとんだ魔のコーナーは、一つ一つ、3速でスロットルワークを生かして克服した。超ウェットの路面は、ドライの時には滅多に体験できないマシンの挙動に振り回されるものだ。

 闘いは、終わってみれば、定位置の13位。恐怖のスピンターン初体験にぶちのめされたわりには、まずまずの結果といっていいだろう。


*おお、これがFISCOのストレート

 富士フレッシュマン戦も、あと1戦。

 雨の中、第1コーナーあたりのスタンドは押すな押すなの盛況で、1600-Aで予選と決勝も1位となった女性ドライバー・三野輪良子ちゃんに大きな声援を送っていたし、1600-Cの志賀=秋山の「芸能人」対決に満足していた。

 雨の恐怖をたっぷり味わされた第7戦、最終戦くらい、ドライでやれるといいんだが、と願ったくせに、実は1週間後の『85WEC/EXAチャンピオンレースinFISCO』に出場している。それがまた、決勝の午後は雨。そんな日々を積み重ねながら、少しはドライビング・スキルを高めることができたのだろうか。高い授業料を納めながらも……。

Posted at 2012/04/01 00:58:08 | コメント(5) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
2012年03月28日 イイね!

押しかけカメラマンと秋山武史 ~FISCO熱走・EXA編⑤~

押しかけカメラマンと秋山武史 ~FISCO熱走・EXA編⑤~ FISCOのヘアピンで転倒虫になってから1か月後の夏の盛りに、富士フレッシュマン第6戦(1985年8月25日)を迎えた。
 そのころのわがベストカー・レーシングチームは、2年がかりで体制を整備したおかげで、いまや専属のカメラマンまでいる――といえば聞こえはいいが、なんのことはない、自前でビデオ機材を持ち込んでくれるありがたい大学生にめぐり逢えたからだ。なにしろ、実費に毛の生えた程度の謝礼しか出せないというのに、神奈川県平塚からやってくるというマツダは、毎戦メカ手伝いのかたわら、ぼくがコースインすると、ヘアピンやら第1コーナーへすっとんで行き、HOMEビデオを回すのだ。(星野選手との記念撮影で前列中央がマツダ青年)

  このマツダ青年、カメラマンとしての腕は悪くない。が、大きな欠陥がある。たとえばこうだ――。 

 ヘアピンで見事に転倒虫となった、あの忌まわしい富士500マイル前座戦のVTRシーンを、<現場検証>のために再現してみた。いい感じで100Rからヘアピンへアプローチする⑩。併走する⑫を抑えようと、いささか早めにINを狙った。と、左前輪が縁石にはじかれた。そしてゆっくり裏返しに――。

「あ、あ。ダメ、ダメ!」

 マツダが絶叫する。そして自分の目で⑩EXAの惨劇を確かめようとする。だからカメラは肝腎の亀の子⑩を捉えることはできずに、青い夏空を虚しく画面に映し出すだけである。
 要するに、マツダはプロのカメラマンには不向きな、心やさしい青年なのだ。(註:マツダ=松田昭広君は大学卒業後、2&4モータリング社に入社、ベスモの制作部門の責任者として活躍)


*編集部の片腕だった大井貴之君と制作責任者となってくれた「マツダ青年」

 さて、このマツダ青年の「傑作集」に、新しく、8月25日の富士フレッシュマン第6戦、P1600Bクラスの<興奮感動のシーン>が加えられた。

 ●マッチの乗ったマシンで頑張る



 マツダのカメラは、すでにコースインしたぼくをしつこく追っている。耐火マスクをかぶる。ヘルメットをつける。おっと、この日から、それまでのARAIのフルフェースをジェット型に替えているから、表情がはっきり窺える。で、シートに滑り込む。真っ黒いボディカラーの⑩。これもいつもと違う。それもそのはず。前戦で天井を潰したベストカーEXAは、まだ入院中で、ピンチヒッターとして、かつてマッチ(近藤真彦クン)も搭乗したあのマシン(ゼッケンは⑲だった)をレンタルしたものだった。エンジンはスクール用のものだから、この段階では壊れないように抑えてある。前日の走行練習でも2分8秒台を出すのがやっとで、足回りはぼくのものに比べてソフト過ぎる。100Rでポンとお尻を振ると、その慣性が坂上まで残っている感じ。ストレートも6000回転で頭打ちだ。戦闘力は期待薄。

「ま、練習の延長線だと思って気楽にやれば」

 監督のガンさんも、慰め顔でアドバイスしてくれたもんだ。ところが、である。

 決勝のグリッドについたEXA30台で、ぼくの前にいるのはたったの8台。つまり予選9位というわけだ。2分5秒69のタイムは出来すぎだろう。



 マツダのカメラは快げにぼくの後ろに並ぶ21台を舐めるように映し出していく。仲良しの①見谷敏行(今回は芽里ちゃんじゃない)は11位、⑪田中重臣は17位、初レースだといって前日の練習でぼくの背後にはりついて、ラインを盗んだと喜んでいた⑯勝股雅晴は18位と大健闘。もうひとつ新しい顔がいる。Taka-Qのスポンサードを得てNewmanカラーで登場の秋山武史クン(ああ、彼もすでに故人か)の⑳は20位に。

 予選9位ともなれば、初入賞も夢じゃない。まして、予選トップの98番、青木真は初めてのPP、こいつは第1コーナーが見ものだぞ。舌なめずりをしながら、ぼくは青ランプを待った。

 マツダのカメラはピット前の直線とヘアピンの2か所を抑えていた。青ランプ。ド、ドッと第1コーナーへ殺到するマシンの群れ。4列目から出た⑩の滑らかに加速する黒い姿。ややあって、ヘアピンにカメラはターン。

 まず白い2台が飛び込んでくる。③大久保と24番、岡部。間が空いて、③小笠原、31岡、33井田が来た。次に黒いマシンが2台、塊となって100Rを抜け出してくる。①見谷、そして⑩ではないか!(実は第1コーナーで予想通り98がスピンして、常勝の⑤佐藤と④加藤、88石井がすでに潰れていた)。

 1周終了。⑩は7位を維持していた。2周目、6位の①と⑩の間隔がひろがった。背後から襲いかかる⑪と27 金海。

 4周目、とうとう⑩は力尽きたように⑪の背後にへばりついて直線を通過(実は、このあたりから上り勾配にくるとエンジンがバラつき、とくにシケインの出口から最終コーナーにかけて先行車についていけない展開となりはじめていた)。

 5周目。ついに8位以下の7台のマシンは超団子状態となり、順位はくるくる替わる。マッチカラーの⑩は、観客の声援にこたえるべく、UMIMAXのブレーキ性能にすべてを託して、激しくコーナーに突入するが、先行車をパスするにいたらない。


*第2コーナー。エスケープゾーンに飛び込んでタイヤスモークをあげているのが秋山車

 VICICのクラブ旗がコントロールタワーに出た。最終周である。⑩は14位まで脱落していた。先行グループとの差はほとんどない。が、最終コーナーを立ち上がる姿に元気がない。

 チェッカーが振られた。
「畜生! いつものエンジンなら入賞だったのに!」
 チーフメカのヤマチャンが、心の底からくやしそうに喚いてくれる。

 いやいや、これでいいんです。10周のレースで、21分24秒台は上出来じゃないですか。6秒台で何周かしていることだし、次戦で頑張りますから。それにしても、5周目からぼくの前に出た 秋山(武史)ザウルスの走りは根性モノだった。コーナーへの突っ込みは特筆ものだし、少々よろけた姿勢でも確実に立ち直っていた。新しいライバル登場で、年甲斐もなく、闘争心が燃えあがったのを、今、懐かしく思い出す。


*ガンさんと一緒にメディア対抗のチーム戦に出場したときの「懐かしのアルバム」 左が故・秋山クン           
Posted at 2012/03/28 05:24:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
2012年03月26日 イイね!

けっ、景色が斜めになっていく! ~FISCO熱走・EXA編④~

けっ、景色が斜めになっていく! ~FISCO熱走・EXA編④~ EXAでデビューしたマッチが2戦をこなしてJSSにステップアップしていった1985年、ぼくはまだ富士フレッシュマンのEXAレースで修業中だった。

 7月14日の第5戦で、予選15位(出走31台)決勝13位という、まずまずの成績に気をよくして、2週間後の「全日本富士500マイル」の前座戦「ニッサンパルサーEXAレース」にエントリーするかどうか、大いに迷っていた。
 なにしろ、オートバイの「鈴鹿耐久8時間」と重なっている。この真夏のお祭りには作家・五木寛之さんと毎年ご一緒することになっているのだから、そちらを優先するつもりだった。ところが、この前座戦、土曜日(27日)開催だという。
 
 ならば、レース終了後、スッ飛んで鈴鹿入りすれば、なんとか間に合うじゃないか!


*今回はゼッケン⑩を頂戴したベストカーEXA。100Rを抜ける珍しいアングル。Photo by H.Yasukawa

 そんな虫のいい計算が、あとになって、大いに後悔する結果を招くのだが、ともかく7月27日のレースをぼくは心待ちにしていた。それには理由がある。ここ2年間、ぼくの〈成長〉をひたすらに楽しみにして、名古屋から毎戦チーフメカとして来てくれるヤマちゃんが、素晴らしい秘密兵器を、ぼくのために開発してくれたからだ。

 ブレーキパッドである。名づけて「UMIMAX」。耐熱効果のよさに、その秘密があった。
 ノーマルだとだいたい摂氏400度までしか耐えられない。が、こいつは700度までOKだと、ヤマちゃんが太鼓判をおしてくれた。

 使ってみて驚いた。第1コーナーのいつものポイントで車速を殺すと10メートルもブレーキングが余ってしまい、慌ててアクセルを踏み直す効きのよさ。同じ「UMIMAX」を装着した 田中重臣クンも同じ感想をもらしていた。だから、早くこの秘密兵器を使いこなせば結構いけるのでは、とぼくがほくそ笑んだとしても不思議はなかった。

 朝の予選は15分、快調に先行する2台をとらえ、NEWコーナーに入った途端、コクンとエンジンが停まった。あわてて、グリーンに待避して、マシンを点検すると、電気系のカット・スイッチがOFFに落ちている。どうやらNEWコーナー入り口で、縁石を利用してマシンを右に向けた衝撃で、スイッチがカット状態になったらしいのだ。

 で、タイムは伸びず15位に。いつもなら、まずまずと思うところだろうが、当方、いささかいれこんでいた。加えて、前戦で追い抜けた21番、星崎一浩クンや47番、金治芳隆クンがそれぞれ2、8位と好位置をキープしているんだものね。


*1周目の1コーナー。森岡車のスピンを切り抜けるが、この後、カメラマンは待ちぼうけ。


 決勝レースは午後2時20分スタート。真夏の太陽に灼かれた路面は、すでに60度近い。となると、タイヤは3周すぎればタレてしまう。で、序盤での位置がとても大事になってくる。秘密兵器のブレーキパッドを信じて、1周目のコーナーで思い切り攻めてみよう。

 さて、スタート。いつもより、早めにシフト・アップ。ひどくスムースに加速する愛車。2台ほどパスして第1コーナーへ。目の前を行く 森岡車が急激に右に切れ込んでスピンする。わずかにぼくの左前輪と接触したが、かまわず第1コーナーを通過。つづく、右回りの高速100Rを3速にシフトダウンしていい感じで征服、いよいよ、次の勝負どころであるヘアピンへ。

 先行する30番と⑫が右へ寄っている。しめた! ぼくは早めにINを攻めた。と、縁石に左車輪を乗り上げ、あっという間にぼくの視界は右へ傾き、ゆっくりと逆立ち状態へ移っていくじゃないか!あとはもう、ハンドルを握りしめたまま、この信じられない異様の世界が停止すること、そして他車に迷惑をかけないことを祈るばかりだった。


*ホントに亀になってしまったわがEXA.。マシン再生にいくらかかるのやら。


 亀の子になったぼくのマシンはコースを斜めに滑走して、なにごともなくグリーンでとまった。
逆立ちのまま、そこでぼくのやったことは左足でカット・スイッチを蹴るようにして切り、そして5点シートベルトをワンタッチで解除し、開けてあった窓から、正常の世界へ復帰することだった。
(註:このFISCOヘアピンでの「亀の子体験」を、2年後、もう一度ミラージュでやらかします)

 傷心の当方、鈴鹿へ向かう足取りは重かった。
 
 いや、重いどころではない。転倒して裏返しになったままのEXAを、コース員に手伝ってもらって元の姿に戻そうとした瞬間、EXAがぼくの方にしな垂れかかってくる。慌てて後ろに跳ぶ。と、カントのついたコース上のジャンプである。着地した瞬間、左のふくらはぎから、ポンと音がして、肉離れに見舞われたのである。
 歩くのもやっと。それでも、医務室で応急手当てを受けるのもソコソコに、鈴鹿へ急行したのである。


*ゼッケン⑩の黒のEXA。超ウエットのコンディションを味方に予選シングル!

 すぐに次戦が待っていた。しかし、天井をつぶしたベストカーEXAは入院中。さて、どうするか。ハタと膝を打つ。NISMOのガレージには、マッチ(近藤真彦クン)の搭乗した黒いマシン(ゼッケンは⑲だった)が眠っているはずだ。
 そこで早速、日産大森の責任者と連絡をとってみた……。

  これで、マッチとの「博多の夜」で「黒いEXA」について語り合ったことの背景がお判りいただけたと思う。そのマッチ専用EXAで、ぼくが予選9位で通過してしまった富士フレッシュマンレース第6戦の模様は、次回、お伝えしたい。
Posted at 2012/03/26 01:03:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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