
もう1回だけ、雨のFISCOに付き合っていただこうか。
1985年10月5日のEXAチャンピオンレースは、同じEXAレースでも、国際格式の’85WEC公式記念イベントとなると、すべてが本格的になってくるから、凄い。
たとえばドクター・チェックである。予選出走前に、これをパスしないとコースに出られないのはフレッシュマン戦でも変わらないことだが、そのチェックの仕方が本格的となる。まず血圧を測る。ぼくの場合、いつもなら60~110で軽く一発で次へ移るのだが、この日は見栄えのする看護婦さんが3人、艶然とこちらを見つめてくれたものだから、85~135で1回目はNO! すこし息を鎮めたのちに、もう一度計測させられた。今度は70~120で平均値であった。
次は検尿。 21歳の勝股雅晴クンはEXAドライバーの最年少。前夜、眠れぬまま相当に不摂生なことをしたらしく、何度もおシッコをとられて泣いていた。
検尿の次は視力。医師が動かす指を、パッとこちらの指先で焦点を合わせるのだ。どうやら動態視力をテストしているらしい。
最後が、ぼくの苦手中の苦手。両手をひろげ、目をつむり、片足で5秒間、立っていなければならない。簡単そうで、こいつがなかなか難しいから、ちょっとやってみてほしい。
ところでこの章のイントロ・イメージに怪鳥ジャガーをあしらっているが、この’85WECで最も話題を集めたマシンだから、象徴的な存在として紹介してみたまでのことで、ぼくとは直接の関係はない。撮影したのは、レースの鉄人、安川肇さん。何かの記念に、その頃のぼくのレースシーンと一緒に、プレゼントされたものである。
公式記念レースはニッサンがEXA、マツダがRX-7、トヨタがカローラ/スプリンターの3種類。WECの公式予選デーでもあるので、観客も結構、多い。発表では3万8000人とあったが、メインスタンドは8分の入り。気合いが入る。マッチ出場レース以来だ。

*前回に紹介してしまったが、今回、もう一度使用させていただこう。
午前9時50分、15分の予選開始。ひさしぶりにドライの路面だが、空は重い雲で覆われ、いつ雨が落ちてくるかわからない。
⑪田中重臣クンの背後につけたのは一瞬で、ジリジリと遅れはじめる。出走直前から5点式シートベルトの不具合か肩がピシッと決まらない。コーナーでいつもより大きなGを感じて、素直な立ち上がりの加速感を与えられない。イライラしてニューコーナーに突っ込んだ瞬間、テールがズルッときた。それに対応すべく、ステアリングので修正しようとして、手が大きく動く。と、5点式ベルトがパチンと弾けて、ぼくの身体はフロントグラスに叩きつけられそうになる。
結局、このアクシデントにたたられた。シートベルトをしない違法運転では、どんなにやってもタイムは伸びない。2分6秒40、17位。このところ予選ヒト桁続きでいい気分だっただけに、口惜しい結果といえる。
観戦に来た舘内端さんとこう約束してしまった。
「タテさん、見ててよ。1周ごとに3台ずつ抜いてくるからね」
■どこかでやっぱりチョンボする男
午後からは土砂降りの雨。つい1週間前に、ストレートエンドで恐怖の3回転スピンをした記憶が、いやでも蘇ってくるじゃないか。
シートベルトはきっちり肩にはまるよう、ヤマちゃんの愛弟子、太田辰浩クンが調整してくれたようで、気分よく、シートにおさまる。ウォーミングアップ・ランで1周する。2つの高速コーナーでは4速全開は危ないと判断した。
さて、15周のレースがスタートした。今回は先行車が多いだけに、水飛沫で、前はまったく見えない。第1コーナーはINベタをキープ。なんの衝撃音もしないところをみると、どうやら無事に通過できたらしい。ヘアピンを15番手で通過。ニューコーナーでさらに13番手に浮上。直線路、ピット前では12位で雨中の快走を演じたのだが、あとで聞くと白い塊がド、ドッと行って誰が誰だかわからなかったという。
第1コーナーを抜けたあたりで、バックミラーに黄色と黒のマシンが追随してくる。 秋山武史車、だ。予選ではぼくの2台前に位置していたのだが、どこかでパスしたらしい。
気分がいい。前後左右に気を配りながら、それぞれのコーナーで、頼りなげに滑りだそうとするマシンを、やわらかくハンドルで包みこむ。
「うん、前半6周までの局長の走りはなかなかだったね。この分じゃ初入賞、初のお立ち台も夢じゃない、そう思って期待していたんだけど……」
黒沢元治監督の戦後評の一部分である。
6周目、先行する 勝股車を直線でアウトから捉え、第1コーナーをややアウト目からアプローチする。④→③とシフトダウン。そしてチョン、チョンとブレーキング。あっ、どうした! フロントがロックしたまま、加速するようにして、マシンはグリーンに突進していく! ハイドロ・プレー二ングか。
やっとのことでコースに復帰した時には、7台ばかりの集団のドン尻についてしまった。が、その時はまだめげなかった。残り8周でなんとかいけるさ、と。
再び第1コーナーのアプローチ。水溜りを避けたつもりでブレーキング。と、前戦同様、テールがコクンと右から左へ回りはじめた。慌てるな。やさしくステアリングを逆ハンに当てて、タイヤの向きでブレーキ状態にしなくっちゃ。目の前を第1コーナーの観客席が左から右へ流れる。やっとマシンは停まった。どうやら、無事らしい。
戦線へ復帰。もう順位なんかどうでもいいが、ともかく腰がひけて、うまく走れない。ピンクのマシン27番、矢島順子ちゃん(この日が2レース目だけど、相当に練習を積んだらしく、第1コーナーでもいい突っ込みをしていたが、13周目、260Rで横転した。怪我は大丈夫かな?)を捉えるのがやっとのていたらく。
それでも10周目あたりから、再び闘志が戻ってきた。⑳秋山武史クンは虚しく、第1コーナーの手前でコンクリート塀に貼りついてクラッシュしている。遥かかなたを先行していた⑧石井、⑦堀内の両車に大接近して、やっとチェッカーをうける。
順位のほどは不明だった。が、そのまま、後楽園の巨人-阪神戦観戦の約束を果たすため、ぼくはFISCOを飛び出したのである。
さて、その日の深夜、箱根・長尾峠の宿舎に戻って驚いた。賞金袋がベッドの上に置いてある。10位、金壱万円也。なんでも、再車検で4車が車両規則の違反を問われて失格。ぼくが繰り上がったらしい。
失格の理由はさまざまあるが、フレッシュマン戦と違って、エキジビション戦は車検がないという狡猾な読みでレースに臨んだ連中に、ピシャリとお灸をすえた競技長の判断に拍手をおくる。
で、賞金はどうしたかって? 日ごろレースで家を空けるぼくとしては、家人にポンと渡すのが、最も効果的なことだということくらいは判っていた。
Posted at 2012/04/02 22:00:39 | |
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