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正岡貞雄のブログ一覧

2020年11月16日 イイね!

メディア対抗ロードスター《お目見え戰》の真実を追う

メディア対抗ロードスター《お目見え戰》の真実を追う〜お待たせしました。幻の動画をどうぞ!〜

 いそいそと夜の道を、集合場所のファミレスまで急いだ。どうしてこんなに、不具合続きの股関節から膝にかけての一の脚が、スッと伸びてくれるのだろう。

ここからは、11月2日更新の「ヤリス試乗記」の締めのくだりを引き継ぐとしよう。
‥‥‥10月最後の土曜日、ベストモータリング同窓会の若手幹事グループから呼び出しがかかった。なんでも「九郎田一馬」が念願のNB6C マツダロードスターSGリミテッド(5MT)=17年落ちを入手したこと。「えむしい34」君がなんともキュートな伴侶を射止めたことなどの報告会をやりたい、とのことだった。この呼び出しが契機となって、幾つもの眠ったままの「以下、次回更新まで」を解凍していく気になりはじめたのは、ありがたい。

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 7年半前、黒澤元治さんがLEONチームを率いて参戦することが決まり、応援を兼ねて岡山へ行くことになった。それならば「ドラテク道場」として思い出深い中山サーキットで「ベストモータリング」のかつてのファン有志にも声をかけ、走行会をやろうか、と。

これが「ベスモ同窓会」の始まりで、その後、中山サーキットと東京のミーテイングイベントを交互に開催、それがわたしの体調の都合のせいで、3年前から滞っていた。

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それでも「ベスモ育ち」を大事にしている若者たちが、いまだに「局長」とわたしのことを大事にしてくれて、ことあるごとに集合し、情報交換を続けてくれる。

そんなわけだから、予約してあったファミレスの席に腰を落とすや、まず話は来年のスーパーG T開幕戦が岡山国際サーキットになるかどうか?の見通し会議となった。それがダメなら河口湖の富士カームにしましょうよ、などと盛り上がる。

 かといって、コロナ厄禍の終息までの道のりがまだ見えない。結論はどうしても「様子見」に落ち着かざるを得なかった。

 一段落したところで、持参した紙袋から古びたV T Rテープを取り出し、「えむしい34」君に手渡した。

「これ、巣籠もり断捨離で出てきた貴重なやつだ。みんカラで紹介したいので動画に変換してくれるかい?」
「いいですよ。あ、筑波のメディア4耐が始まるきっかけになったF I S C Oのレースでしたね」
 さすが、「えむしい34」君。かつてベスモ収録の「幻のセナ足」がどの号だったか、探しあぐねていた時、一発でとどけてくれた御仁である。

 ま、6月2日にアップした【幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』in FISCO』(クリック)にその舞台裏が詳しいので、こちらからもう一度、ご訪問あれ。

 こうして虫のいいわたしの願いがやっと動画化されているので、ひとまず「観戦」願いたい。



「よっしゃ。もう一度、改めて15分テープを再生してみるか」と見栄を切った最後のくだりが、やっと現実になったわけであるが、この動画から遠い記憶がいかに怪しくなっていたか、思い知らされた。例えば‥‥‥。


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「みんカラ」のスペシャルブログ執筆陣仲間の吉田匠さんと、安川さんに貰った「1コーナー」の写真の話をする機会があって、あの時、トップグループを追って300Rをうまくこなしたのに、ダンロップコーナーの出口で一緒にクルリとやりましたね、と笑い合ったのを思い出す」

 と書き起こしているが、ダンロップコーナーの出口でくるりと回ったのはわたしだけで、トップグループ3台を追う吉田匠さんは、7周目の100R 進入でくるりとやっていたのがよくわかる。

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 このあと、やっと入手した『モーターファン別冊 ユーノスロードスターのすべて』の収録されている当該レースの2P記事と照合しながらのレポートをお届けしたい。   (次回更新まで)
  
■ 当動画は15分24秒で一旦完了し、10秒あまりの間隔を置くと「89年ミラージュCUP」戰の予選アタック第1コーナーの模様が収録されています。どうぞお立ち寄りを。ゼッケン12が小生。横島久君らミラージュ乗りのアタックぶり。昔のF I S C Oの第1コーナーも懐かしいですね。。




Posted at 2020/11/16 23:55:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
2020年06月02日 イイね!

幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』in FISCO

幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』in FISCO〜「巣ごもり断捨離」もまた楽しからずや、の精神で①〜

 1989年7月の富士スピードウェイで発売直前のユーノス・ロードスター(欧米ではミアータの名前で、既に発売)がレース用にロールバーを装備し、自動車メディアの走り屋さんによるスプリントレースを挙行したのが大受けだった。それが先頃、30周年目を迎えた『メディア対抗ロードスター4時間耐久レース』(筑波サーキット)に発展したことを知る人が、どれほどいるのだろうか?


   ☆   ☆   ☆

Face Bookを舞台にした『秩父困民党事件』の資料整理も目処が立ったところで、引き続き「巣ごもり断捨離」の手を、かねてから家人に要請されていた「出窓」の下の空きスペースにシフトチェンジした。入れっぱなしだった段ボール箱がゴロゴロと、出るわ、出るわ。

「おお、ここに入れておいたのか」と驚かされるビデオテープやCD類の中から、かねてからその行方を気にしていた1986〜90年の「自動車レース関係V T R」が3箱も出て来た。わたしが活字媒体の「ベストカー」から、そのエネルギーをビデオマガジン「ベストモータリング」にシフトチェンジした時代と関わりの深い「資料」たちであろうか。



 数えてみると全部で36本もあった。「富士フレッシュマン」のE X Aと、そこからステップアップした「ミラージュCUPフレッシュマン戦」とその上のクラス「エキスパート戦」を、わたしのスキルアップのために8ミリカメラで収録したものが主だっていたが、その中で3本ばかり、異色のものが‥‥‥。

① P R E S S  E U N O S ロードスターレース
② 西仙台ドリームC U P
③ J A F 鈴鹿グランプリCIVICレース

①の「89年ユーノスロードスターレース」なら4時間耐久の第1回ということになる。それならば生涯でたった一度の、お立ち台真ん中でのシャンペンファイトをする自分の姿を、もう一度この目で確かめたいものだ。



 手にしたV H Sテープは何ともお粗末で、怪しげな造りだ。録画した映像が消去できないように、一度は「爪」を折られている側面の四角い空間に、セロテープが貼られている。しかも15分しか録画できない短尺物だ。警戒心が先に立つ。

 ともかく、これもテープと同じように辛うじて生き残っているV H Sカセットテープの再生器に、久しぶりのお仕事をお願いした。おお、なんと無事に、テープが吸い込まれて行くではないか‥‥‥。

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 いきなりモニターに映し出されたのは、水玉模様の真っ赤なロードスターのボディ。車番⑥。間違いなくわたしが搭乗した「あいつ」だ。

 富士スピードウェイをFISCOと呼んでいたあの時代、ビッグレースはもとより、年間8〜9戦が組まれるフレッシュマンレースの1戦1戦を丁寧に撮り続けてくれたことから、「サーキットの鉄人カメラマン」の称号で呼ぶ安川肇さん。その彼が何かの折に、2枚のモノクロ写真をプレゼントしてくださった。独特の風合いで焼き上げたもので、写真というよりは墨絵と呼びたくなる作品だった。

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 その安川作品のモデルであったはずのEUNOS ROADSTARが、なぜここに?
 
 疑いはすぐに解消する。てっきり筑波を舞台にした「第1回メディア耐久」が出てくるものと思い込んでいた。そこへ意に反して、富士スピードウェイのパドックで出番を待っているシーンが登場してきたからだ。

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 腕組みしたわたしが、雨傘を手にした当時の『ルボラン』誌編集長・清水猛彦さんと話し込んでいるシーン。パドック独特の喧騒の中、何を会話しているのか、V H Sテープから聞き取ることはできなかった。そうだ、この様子を画像にして清水猛彦さんに届けてみよう。どんな展開になるか、やりとりにスピード感のあるFace Bookに舞台を選んで、試みることにした。その上で後刻、本舞台の当Special Blogに再録してみたい。

●幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』序章
(Face Book=2020/5/29/14:59発信)

 親愛なるF B仲間、清水猛彦、鈴木直也、前田保さまに報告します。
去る5月25日のことでした。「巣篭もり」で鬱屈しているご様子の清水さまに「激励のエール」の意をこめて、断捨離活動中に古い段ボール箱から発見した1989 年のレースもののビデオテープのイントロ場面を、スマフォカメラに撮ってF Bのコメントやりとり欄に送信いたしました。

「1989年7月撮影のF I S C Oパドックでのあなたと小生との2ショットですが、何のレースか憶えていますか?」と。

 早速、清水さまから返信がございました。「確かにわたしですね。しかし、ユーノスロードスターレースは筑波で、わたしも出場しました。それがF I S C Oとは不思議。覚えなし。到頭、認知症に罹ったのかな?」

 その猛彦さんコメントを待っていたように、元 MAZDA広報の前田保さまからも、助け舟と覚しきメッセージが届く。

「この写真を、ご覧あれ」と。それは第1回プレス4耐レースの結果表。
 実はその第1回の栄光ある覇者が「ベストモータリング」チーム。大井貴之、田部靖彦に編集長のわたしが加わった。業界最速の称号をかち取ったそのシーンが見たくって、いそいそとその古いテープを再生してみたのがことの始まりでもありました

 猛彦さんへ第2信を。
「やっぱり、あなたでもご存知なかったか。年号が平成となったあの年、発売直前のユーノス・ロードスター(欧米ではミアータの名前で、既に発売)がロールバーを装備して、自動車メディアの走り屋さんによるスプリントレースをF I S C Oで挙行し、その予行演習を経て、それが先頃、30周年目を迎えた『メディア対抗ロードスター4時間耐久レース』(筑波サーキット)に発展したものです。なにしろレースイベントの最後に押し込んだものだから、決勝がスタートした時にはすっかり陽が落ち、それに霧雨という最悪のコンディション。あちらこちらでスピンの連続でした、優勝はC G誌の熊倉さんでした」

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と、即座に反応が届きました。いまやベストカー誌を中心に活躍中のCARジャーナリスト、鈴木直也さんからメッセージが届く。
「優勝したのはドライバー誌の三角さん。あと一周あればぼく(鈴木直也)が抜けたのに、と口惜しい想いをしたので憶えています」
 え!? 直也さんも出ていたのか。ともかく古いV H Sの、素人の撮ったテープ。#5がトップでチェッカーを受けたのはわかるが、エントリーリストも手元にない。不明なことが多すぎます。早速、確認する道筋を考えた結果、かつてそのレース写真を、何かの記念に2枚を送ってくれた人物に頼ることにしました。一枚は水玉模様の#6ユーノスを駆る小生、もう一枚はスターして第1コーナーを抜けて、第2コーナーへ駆け下りる集団を、見事に、そして鮮明に捉えたモノクロの紙焼き。
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「サーキットの鉄人カメラマン」の異名を持つ、安川肇さんです。幸い、ちょうど1年前に「富士フレッシュマン同走会」(同窓会ではありません)でお一緒しています。多分、彼なら当日のプログラムをお持ちのはず。
まず、そこから《真相追求》をはじめます。直也さんには、早速、FISCO名物の第1コーナーの飛び込み合戦の画像をお送りしましょう。いろんな記憶が蘇るに違いありません。ご一報ください。

●暗闇&ウエット路面と闘った8周レースの真実
 (Face Book発信=5/31/21:49)
〜幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』(その1)〜
 手がかりを「サーキットの鉄人」安川肇さんに求めた。彼の収集能力とデータ管理の完璧さなら、間違いなく答えを出してくれるはず。
 5月27日(水)の朝、9時になるのを待って、コールしたが留守電になっている。お昼になっても、残念ながら安川さんからの反応がない。
「もう1周あったら、トップの三角さんを抜けたのに」と挿入コメントで悔しがった鈴木直也君をはじめ、他にどんなメディが参加し、他にどんなドライバーが走ったのかも、ほとんど記憶がない。なんといっても、31年も昔の話である。
 1989年は年号が平成に改元された年。セルシオがデビューし、日本カーオブザイヤーのグランプリに輝いた。海外ヨーロッパ取材に多忙を極めた年でもあった。わたしの主宰する「ベストモータリング」も軌道に乗りはじめていた、というより大井貴之、田部靖彦の両腕が「創り手」として少しはホンモノになりはじめていた。土屋圭市君もレギュラーキャスターとして加わり、中谷明彦君と組んで『The疾る!ユーノスロードスター』というスペシャル版を世に問うたりして‥‥‥。
 そんな風に眠ったままの記憶をまさぐりながら、安川さんからの電話を待った。正午に2度目のラブコール。これもダメだった。が、2時になって受話器が嬉しそうにハミングする。安川さんからのものだった。

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 こちらの抱えている状況を説明すると、よく憶えていて、すぐに『公式プログラム』の表紙、公示&目次、タイムスケジュール、大会組織表、第9レース/エントリーリストがF A Xで送られてきた。これでやっと『プレス対抗ロードスタースプリント戦』の正体が見えてくる。

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 該当のレースは「’89 富士フレッシュマンレース第5戦」の第9レースに組み入れられていて、出走21台。車検は前日に済ませ、公式予選は16:15 分から15分間。決勝スタート16:40分/10周が予定されていた。
 さて肝心のエントリーリスト(別掲画像参照)。
てっきりCGの熊倉重春さんだと思い込んでいた青のマシン⑤はdriver誌の三角明孝さんだし、赤いマシンの#22が熊さんだったのか。
鈴木直也さんがコメントでいっていた「熊倉さんが車載カメラで15分間も実況レポートしたカーグラT V、あれが抜群に面白かった。だれかYouTubeにアップしてくれないかな」という意味が、改めて生きてくる。どなたか、お願いします。
当の直也君は⑨、このあと30回の開催を重ねる「4時間耐久」で出場28回、優勝回数8回をやってのける#19斎藤慎輔さんは「MMレーシングチーム」とあるからモーターマガジン誌からの出場だろう。
 ともかく、業界の走り屋、錚々たるメンバーが揃っていた。
① 飯塚昭三 ②鈴木俊治 ⑦吉田匠 ⑧横越光宏 #11町田英明、#22 熊倉重春‥‥‥そこへプラスして⑩岩貞るみこ #23 佐藤久実‥‥‥若手で③杉野勝秀 #17 奥山文彦。 

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ここまでわかれば、「幻のプレス選抜スプリントレース」のV H Sテープを改めて「謎解き」がてらに鑑賞してみるエネルギーが湧いてくる。

そこへ鈴木直也君から、コメントの続編が届いた。
「せっかく予選でトップをとったのに、スタートのミスで一気に中団までドロップしていたのが、あの1枚の写真でわかりました」
 そうか、そうか。安川さんの捉えた第1コーナー、7位で走るぼくの右後ろ、8位にまで落ちていたとは。ともかくあのレース、コーナーでちょっとでもアクセルを踏みすぎると、すぐにくるりと回ってしまった。
 そういえば「みんカラ」のスペシャルブログ執筆陣仲間の吉田匠さんと、安川さんに貰った「1コーナー」の写真の話をする機会があって、あの時、トップグループを追って300Rをうまくこなしたのに、ダンロップコーナーの出口で一緒にクルリとやりましたね、と笑い合ったのを思い出す。
  
よっしゃ。もう一度、改めて15分テープを再生してみるか。
                  (この項、続く)

Posted at 2020/06/03 00:31:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
2012年05月24日 イイね!

還ってきた愛しのEXA ~FISCO熱走・EXA編⑦~

還ってきた愛しのEXA ~FISCO熱走・EXA編⑦~ 1986年はミラージュCUPに夢中になっていたのは事実だった。
 それでも、前年の7月にFISCOのヘアピンで裏返しになった「愛しのEXA」が、やっと修復され、カラーリングもコバルト・ブルーに塗り替えられ、スポンサーも「FUJIカセット」から、渋谷でクルマ好き世代の人気スポット「フリーロード」に鞍替えして届けられたのである。当方としても、ターボパワーのじゃじゃ馬との格闘で少しはスキルアップしたことを、還ってきたEXAで実証したい欲もあって、実は、筑波のミラージュCUP第3戦の2週間前に、久しぶりにEXAレースに参戦していた。



 ま、はっきりいって、レーステクニックを磨く環境に、ぼくは恵まれすぎている。その割にはちっとも速くならないね、といわれそうだが、口惜しいけど、その通りなんだ。で、8位に食い込んだ、5月18日のミラージュカップ第2戦のVTRができあがったところで、報告がてら、ガンさんに見てもらうことにした。少しは褒めてもらえるかな、という期待はみごとに裏切られる!

「なんだ、こりゃ! 1周目の1コーナーを失敗したのはいいとして、展開からいったら、3位、いや、局長の気のやさしさが災いしたとしても、4位になってなきゃ、おかしいよ。よし、今度、ぼくが講師をやってるBSのスクールに来なさい。徹底的に鍛え直してやるから!」




*講師はガンさんと中子修選手

 こういう時の本物のプロは厳しい。もちろん、喜んで受講させていただくことにした。
 ガンさんのスクールとは、ポテンザ・ドライビング・レッスンのことで、BSユーザーを対象にサーキット走行の基本を教えるイベントだった。
 5月30日(金)、ぼくはいそいそと富士SWへ赴いた。参加72台、大盛況なのだ。マーチにサニーのエンジンを積みかえたのやら(これ、違法車かな?)、角目4灯のZやら、いろいろ珍種がそろっていた。

 講師はガンさんと中子修さん。初心者対象とあって、ラリーアートのそれとは趣が異なる。それでもストレートでのフルブレーキング、パドックでのジムカーナーもどきのスラローム走行とメニューをこなしたあとで、待望のサーキット走行である。

 ガンさん直伝の第1コーナーへのアプローチ、100Rの進入アングルを、ぼくなりに牙をむきながら、習得しようとしたのだが……。

 わが「ベストカー/フリーロードEXA」は、実はフレッシュマン復帰に備えて、足回りすべてを洗い直している。フロントのディスクローター、リアのドラム、スタビからブッシュ類にいたるまで、そっくり新品にした。その陰には、名古屋のヤマちゃん一家と平塚のマツダ青年の献身的な作業があるのだが、そんな彼らに酬いるには、もはやぼくがお立ち台にあがるしかない。

■RS中春軍団サマ、よろしくお願いね

 6月1日。この日もFISCOは快晴。明るい陽光を浴びてレイトンカラーより深い青みをもつ、わがEXAのボディはひときわ美しかった。その上、ボディを新調した証拠に、ちゃんとドアミラーを装着している。

 予選は、手際よくRS中春軍団のなかに紛れこむ。④加藤隆弘、②小林里江と快適な周回を重ねた。足回りをリフレッシュしたせいだろう。コーナーでフロントが巻き込む挙動はすっかり消え、マシンは素直に立ち上がっていく。ピットから、2分6秒台をしらせてくる。チラッと先行する④加藤のピットサインを盗み見ると、彼は5秒台らしい。1秒差はどこからくるのかな、と首を傾げているうちに、15分間の予選は終了。



*RS中春軍団に適当に遊んでもらったのに「ついていけた!」と錯覚(100Rにて)

 すっきり予選を走行できたときの結果待ちは愉しい。ヒトケタ台はいけたかな? 煙草が旨い(そのころはかなりのヘビースモーカー)。

 午前11時25分。マツダ青年が嬉しそうに、予選順位をプリントした紙をヒラヒラさせながら、ドライバーズサロンに戻ってきた。なにしろ39台の出走だから、ちょっとでもミスをしたり、マシンが不調だと、簡単に予選落ちしてしまう。

「11位ですよ」
「まあまあ、か」

 その瞬間から、ぼくの頭の中は、めまぐるしく回転する。まず顔身知りのマシンの順位をチェックし、スターティンググリッドのポジションをイメージしながら、第1コーナーへどう入っていくかを、組み立てるのである。


*1周目の第1コーナーでダートに押し出され、最後尾から追撃を開始!

 午後2時44分20秒、10周のEXAレースがはじまった。
 スルスルと左前にいる⑥鈴木淳の黄色いマシンをパスし、右前にいた⑫土方高弘の左サイドにマシンをすり寄せた。
絶妙のスタートであった。100メートルの看板を過ぎても、ぼくはブレーキを踏まない。そのとき、多分、ぼくは6、7番手に位置していたようだ。アウトいっぱい、赤と白のゼブラゾーンの真ん中あたりでインへマシンの鼻をむける。インから攻めてきた ⑫土方のマシンは身をよじる。オット、そばに寄るな! そう叫びながら、ぼくはアウト側の縁石をたよりにマシンをコントロールしようとする。が、もう遅かった。左へタイヤひとつダートにはみ出したぼくのEXAはド、ドッと土煙をあげ、ダートのなかを大回りする。

 コースに復帰したとき、マーシャルカーがぼくを待っているだけだった。どん尻。はるか前方を29台のEXAが100Rへ消えようとしていたのである。

 それでいい。無理にコースに戻るのは、ほかのマシンに接触する可能性が高い。ならば、ミスした己れのペナルティとして、すべてがコーナーを通過してから、レースに復帰するのがぼくのやり方である。

 それから孤独なひとりぼつちの走行がはじまった。カラーリングが目立つだけに、いささか恥ずかしい。それでも、豆粒のようだった先行車がだんだん大きくなってくる。4周目、ついに#36山崎敏之を100R手前でパス。つぎは#78浅井健次だ。ところが予選30位のマシンなのに#78は頑張る。第1コーナーの突っ込みで、いったん抜いたはずなのに、抜き返された。が、シケインから最終コーナースピードが圧倒的に違うから、結局、突き放すのも時間の問題、と考えているうちに、100Rやらヘアピンで脱落するマシンが7台もあって、終わってみれば、20位までポジションを回復していたのである。

 予選でベツタリ走行した 小林里江ちゃんが3位、 加藤が4位という結果をみると、かなりいけたのに、と口惜しがりながら、わが愛しのEXAが、入賞する日は、もう近いぞ、などと予感する50歳だった。

 付け加えれば、このレースのウィナーは③田部靖彦(中春軍団)。後年、ぼくの片腕となって、ベスモを創りあげてくれた、あの田部クンである。

Posted at 2012/05/24 03:35:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
2012年04月02日 イイね!

難行苦行のドクター・チェック ~FISCO熱走・EXA編⑥~

難行苦行のドクター・チェック ~FISCO熱走・EXA編⑥~ もう1回だけ、雨のFISCOに付き合っていただこうか。
1985年10月5日のEXAチャンピオンレースは、同じEXAレースでも、国際格式の’85WEC公式記念イベントとなると、すべてが本格的になってくるから、凄い。

 たとえばドクター・チェックである。予選出走前に、これをパスしないとコースに出られないのはフレッシュマン戦でも変わらないことだが、そのチェックの仕方が本格的となる。まず血圧を測る。ぼくの場合、いつもなら60~110で軽く一発で次へ移るのだが、この日は見栄えのする看護婦さんが3人、艶然とこちらを見つめてくれたものだから、85~135で1回目はNO! すこし息を鎮めたのちに、もう一度計測させられた。今度は70~120で平均値であった。

 次は検尿。 21歳の勝股雅晴クンはEXAドライバーの最年少。前夜、眠れぬまま相当に不摂生なことをしたらしく、何度もおシッコをとられて泣いていた。

 検尿の次は視力。医師が動かす指を、パッとこちらの指先で焦点を合わせるのだ。どうやら動態視力をテストしているらしい。

 最後が、ぼくの苦手中の苦手。両手をひろげ、目をつむり、片足で5秒間、立っていなければならない。簡単そうで、こいつがなかなか難しいから、ちょっとやってみてほしい。

 ところでこの章のイントロ・イメージに怪鳥ジャガーをあしらっているが、この’85WECで最も話題を集めたマシンだから、象徴的な存在として紹介してみたまでのことで、ぼくとは直接の関係はない。撮影したのは、レースの鉄人、安川肇さん。何かの記念に、その頃のぼくのレースシーンと一緒に、プレゼントされたものである。

 公式記念レースはニッサンがEXA、マツダがRX-7、トヨタがカローラ/スプリンターの3種類。WECの公式予選デーでもあるので、観客も結構、多い。発表では3万8000人とあったが、メインスタンドは8分の入り。気合いが入る。マッチ出場レース以来だ。


*前回に紹介してしまったが、今回、もう一度使用させていただこう。



 午前9時50分、15分の予選開始。ひさしぶりにドライの路面だが、空は重い雲で覆われ、いつ雨が落ちてくるかわからない。

 ⑪田中重臣クンの背後につけたのは一瞬で、ジリジリと遅れはじめる。出走直前から5点式シートベルトの不具合か肩がピシッと決まらない。コーナーでいつもより大きなGを感じて、素直な立ち上がりの加速感を与えられない。イライラしてニューコーナーに突っ込んだ瞬間、テールがズルッときた。それに対応すべく、ステアリングので修正しようとして、手が大きく動く。と、5点式ベルトがパチンと弾けて、ぼくの身体はフロントグラスに叩きつけられそうになる。

 結局、このアクシデントにたたられた。シートベルトをしない違法運転では、どんなにやってもタイムは伸びない。2分6秒40、17位。このところ予選ヒト桁続きでいい気分だっただけに、口惜しい結果といえる。
 観戦に来た舘内端さんとこう約束してしまった。
「タテさん、見ててよ。1周ごとに3台ずつ抜いてくるからね」

■どこかでやっぱりチョンボする男

 午後からは土砂降りの雨。つい1週間前に、ストレートエンドで恐怖の3回転スピンをした記憶が、いやでも蘇ってくるじゃないか。

 シートベルトはきっちり肩にはまるよう、ヤマちゃんの愛弟子、太田辰浩クンが調整してくれたようで、気分よく、シートにおさまる。ウォーミングアップ・ランで1周する。2つの高速コーナーでは4速全開は危ないと判断した。

 さて、15周のレースがスタートした。今回は先行車が多いだけに、水飛沫で、前はまったく見えない。第1コーナーはINベタをキープ。なんの衝撃音もしないところをみると、どうやら無事に通過できたらしい。ヘアピンを15番手で通過。ニューコーナーでさらに13番手に浮上。直線路、ピット前では12位で雨中の快走を演じたのだが、あとで聞くと白い塊がド、ドッと行って誰が誰だかわからなかったという。

 第1コーナーを抜けたあたりで、バックミラーに黄色と黒のマシンが追随してくる。 秋山武史車、だ。予選ではぼくの2台前に位置していたのだが、どこかでパスしたらしい。

 気分がいい。前後左右に気を配りながら、それぞれのコーナーで、頼りなげに滑りだそうとするマシンを、やわらかくハンドルで包みこむ。

「うん、前半6周までの局長の走りはなかなかだったね。この分じゃ初入賞、初のお立ち台も夢じゃない、そう思って期待していたんだけど……」
 黒沢元治監督の戦後評の一部分である。

 6周目、先行する 勝股車を直線でアウトから捉え、第1コーナーをややアウト目からアプローチする。④→③とシフトダウン。そしてチョン、チョンとブレーキング。あっ、どうした! フロントがロックしたまま、加速するようにして、マシンはグリーンに突進していく! ハイドロ・プレー二ングか。

 やっとのことでコースに復帰した時には、7台ばかりの集団のドン尻についてしまった。が、その時はまだめげなかった。残り8周でなんとかいけるさ、と。

 再び第1コーナーのアプローチ。水溜りを避けたつもりでブレーキング。と、前戦同様、テールがコクンと右から左へ回りはじめた。慌てるな。やさしくステアリングを逆ハンに当てて、タイヤの向きでブレーキ状態にしなくっちゃ。目の前を第1コーナーの観客席が左から右へ流れる。やっとマシンは停まった。どうやら、無事らしい。



 戦線へ復帰。もう順位なんかどうでもいいが、ともかく腰がひけて、うまく走れない。ピンクのマシン27番、矢島順子ちゃん(この日が2レース目だけど、相当に練習を積んだらしく、第1コーナーでもいい突っ込みをしていたが、13周目、260Rで横転した。怪我は大丈夫かな?)を捉えるのがやっとのていたらく。

 それでも10周目あたりから、再び闘志が戻ってきた。⑳秋山武史クンは虚しく、第1コーナーの手前でコンクリート塀に貼りついてクラッシュしている。遥かかなたを先行していた⑧石井、⑦堀内の両車に大接近して、やっとチェッカーをうける。
 
 順位のほどは不明だった。が、そのまま、後楽園の巨人-阪神戦観戦の約束を果たすため、ぼくはFISCOを飛び出したのである。

 さて、その日の深夜、箱根・長尾峠の宿舎に戻って驚いた。賞金袋がベッドの上に置いてある。10位、金壱万円也。なんでも、再車検で4車が車両規則の違反を問われて失格。ぼくが繰り上がったらしい。 

 失格の理由はさまざまあるが、フレッシュマン戦と違って、エキジビション戦は車検がないという狡猾な読みでレースに臨んだ連中に、ピシャリとお灸をすえた競技長の判断に拍手をおくる。
 で、賞金はどうしたかって? 日ごろレースで家を空けるぼくとしては、家人にポンと渡すのが、最も効果的なことだということくらいは判っていた。

Posted at 2012/04/02 22:00:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
2012年04月01日 イイね!

『雨中のスピンターン』恐怖体験! ~FISCO熱走・EXA編⑤~

『雨中のスピンターン』恐怖体験! ~FISCO熱走・EXA編⑤~ 1985年の9月は、週末になるときまって雨が降った。サーキット族にとって、雨は天敵だった。今回は、雨中のレースがいかに怖いか……ぜひ、それを伝えておきたかった。

 富士フレッシュマンの第7戦(9月29日開催)にそなえて、前日の土曜日、雨の東名高速をトラックのはねあげる水煙の中を縫ってFISCO入りすると、レーシング・ドライバーの柳田春人さんがぼくを呼びとめる。
「局長、たいへんだ。秋山武史が260Rでとんで、いま病院にはこばれたところです!」
のっけからガーンと一発。で、容態は?
「ちょっと首をやられたかもしれない。でも大丈夫でしょう、マシンはグシャグシャだけど……」

 翌日の決勝にそなえて、前日にはスポーツ走行するのが、ドライバーのエチケット。さいわいこの土曜日は「日産レーシングスクール」が開催されているので、日産車のユーザーはこれを利用する。秋山クンもタレント稼業をおっぽり出して(?)律儀にFISCO入りしていたのだ。あとで元気に病院から帰ってきた秋山ザウルスに聞いたところ、第1コーナーを抜け、260Rの高速コーナーにアプローチしたところで、マシンの左脚をグリーンに落とし、あっという間に回転レシーブをやらされたという。

 ともかく、雨のFISCOは怖い。ドライバーの身体も大事だが、マシンを全損して、翌日の出場を断念するケースがやたらと多いのだ。    


*雨のヘアピン。あちこちでとっちらかっているぞ


 さて9月 29日、やっぱり雨。走行路のあちこちが水溜りというより<池>になってドライバーに牙を剥いている。今回のフレッシュマン第7戦も、ぼくのマシンはまだ入院中なので、 前戦につづいてNISMOからの借りもの。そう、例のマッチの乗っていたEXA。壊わすとたいへんだ。

「丁寧にいきましょう……」
 チーフメカのヤマちゃんは、当然のことをいう。
 午前9時10分、予選開始。どのコーナーもまともに突っ込んだら、マシンは水にあしらわれて横をむく。ヘアピンで一発、あわやのスピン。それでもヤマちゃんが手塩にかけて整備したエンジンの調子は最高。ストレートでセクシーな唸りをあげ、先行車を軽く捉えてくれる。

 好敵手44番、大鹿クンをパスしたところで予選終了。

 雨はさらにひどくなる。ドライバーズ・サロン前から、別のカテゴリーとして設けられたパルサー(1600-Cクラス)レースを観戦する。志賀(正浩)ちゃんと、秋山ザウルス(急遽、NISMOのマシンをレンタルして根性ものの出場)が繰り広げるバトルを見ていると、あの押しかけカメラマンのマツダ青年が、予選結果表をヒラヒラさせながら近づいてくる。

「何位でしょうか?」
「さあ、12位くらいかな?」
 そこでニヤリとするマツダ。
「7位です!」

 ギャッ、である。2分8秒64は、ポールポジションをとったチームメート⑪田中重臣クンの1・4秒落ち。これは大変だ。初入賞も夢じゃないぞ。そこで舞い上がってしまっては、フレッシュマンのベテラン(変ないい方だな)らしくない。
「まあまあだな。テクニックのある奴ほど、雨に強いからな」

■初入賞を前にした……雨の激闘

 そんなキザな台詞を吐いたのが間違いのもとだった。決勝のグリッドは前から3列目。いつもより回転を低くして、4000rpmでクラッチをつなぐ。いいか、ステアリングワークも、アクセルワークも、柔らかく、柔らかく。急激なアクションは絶対に禁物、と自分にいいきかせながら。


*うふふふ。前にいるのは6台だけです。決勝のスターティング・グリッド。


*これが恐怖の第1コーナー。55が飛び出しそう。あれ!? このショット、パルサーが混走している。御免、実は1週間後のWEC前座レースのものでした!
 


第1コーナー。みんなもいつになく丁寧にアプローチしている。それでも水煙に包まれて、先行車のブレーキランプも視認できないくらいだ。
260Rへ。滑る。まるで氷上スケートのようだ。100Rも、ヘアピンも、全車が抑え気味。あ、1台だけ狂ったようにアウトから仕掛けてくる赤いマシンがいる。55番、久保健ちゃん(今や、ケーブルネットワーク・Jスポーツの偉いさんだよ)だ。危ないぞ、と思う間もなくニューコーナーの入り口で、とっちらかった。それが引き金となって、雨中の激闘が開始された。

 ストレートに戻って、トップ集団をいく⑪③(31)と思われる水煙の塊は、ぼくの目の前だ。よし! と思った瞬間、水溜りに足をとられてぼくのマシンがグラリと揺れた。


*新しく設けられたBコーナーの出口

 再び一番スピートの乗る第1コーナーへ。左側のコンクリート壁をたよりにブレーキングポイントを探す。いっせいに先行車がブレーキングした。ぼくも右足でやわらかくブレーキペダルを踏んだつもりだった。と、その時、マシンは大きく前後の向きをかえ、スピン状態に。
「だれにもぶつかるな!」
 声にならない声で、ぼくは絶叫した。1回転、2回転。衝突音はこない。下手にハンドルを切ったり、ブレーキングするとさらに挙動がおかしくなるから、ただもう、耐えるだけだ。やがて、マシンはゆるやかに静止状態に。
ま、マシンを壊さなかっただけで充分じゃないか。おのれを励まし、ぼくはレースに復帰した。25位まで転落していた。

 1台、2台といささかぼくと腕の違うマシンをパスしていくうちに、ひとつのコーナーごと、ライバルのマシンが無残な姿でうずくまっている。隣りのグリッドからスタートした、前回優勝の(24)岡部松恵クンは100R手前で潰れているし、⑦小笠原サニーもよたよたとピットインしている。

 泥のはねとんだ魔のコーナーは、一つ一つ、3速でスロットルワークを生かして克服した。超ウェットの路面は、ドライの時には滅多に体験できないマシンの挙動に振り回されるものだ。

 闘いは、終わってみれば、定位置の13位。恐怖のスピンターン初体験にぶちのめされたわりには、まずまずの結果といっていいだろう。


*おお、これがFISCOのストレート

 富士フレッシュマン戦も、あと1戦。

 雨の中、第1コーナーあたりのスタンドは押すな押すなの盛況で、1600-Aで予選と決勝も1位となった女性ドライバー・三野輪良子ちゃんに大きな声援を送っていたし、1600-Cの志賀=秋山の「芸能人」対決に満足していた。

 雨の恐怖をたっぷり味わされた第7戦、最終戦くらい、ドライでやれるといいんだが、と願ったくせに、実は1週間後の『85WEC/EXAチャンピオンレースinFISCO』に出場している。それがまた、決勝の午後は雨。そんな日々を積み重ねながら、少しはドライビング・スキルを高めることができたのだろうか。高い授業料を納めながらも……。

Posted at 2012/04/01 00:58:08 | コメント(5) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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