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正岡貞雄のブログ一覧

2018年01月06日 イイね!

三本和彦さんとの対談『ヘソの部分』

三本和彦さんとの対談『ヘソの部分』〜『次回、更新へ』の約束の行方②〜

 よっしゃ、今回も「次回、更新へ」で一区切りして、次回でそこのところを詳しく・・・・・・などと見得を切った手前、早速に「更新」に取りかかった。

 時は、9月。この季節は筑波での『メディア対抗ユーノス4時間耐久』観戦レポが定番であった。それをこんな風に書き出している。
————暦(こよみ)が9月になった途端に、それまでミンミン蝉に替わって健闘していたツクツク法師の歌声もピタっと聴かれなくなった。その代わりに濃蜜な金木犀の香りが漂ってきて、秋の訪れを宣言した。テンポが早すぎる。そして台風18号が日本列島を蹂躙した。ブログ更新を半月以上も怠けてしまった。少しは、9月になってからの日々を遅れ馳せながら、おさらいしておこう……。

 題して⑤《遅れ馳せながらの『筑波メディア対抗』観戦レポ》(2017年9月19日)。詳しくは「こちら」から。要約すると以下のように。

 午前9時に東京・練馬を出発、東京外環の川口JCTから東北道の乗り、新しく出来た白岡JTCで圏央道へ。そのあと、この2月末に延長された新しい「板東IC」で下道に降り、筑波サーキットをめざす。
 午前10時45分、メディア専門の受付ゲートに到着。サポーターパスを首から提げて、パドック・ウォーク。タイミングを計ったように、このごろ、アゴ髭に白いものの多くなった大井貴之クンが顔を見せる。第28回目を数えるこのイベントに、第1回から欠かさず出場しているのだから、選手紹介で「レジェンド大井」とアナウンスされたのも納得できた。

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 そんな風に、逢いたい人と触れ合える。それが楽しみで、この夏の終わりのイベントに足を運んだわけだが、片山右京、松田秀士、津々見友彦、中谷明彦、清水和夫といったレジェンド達と旧交を温めることができた。そうした様子は一休みしてから、お伝えしたい。

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 ほら、来た。「一休みしてから」と。そして9日後、律儀に「Part2」を書き継いでいた。

2017年09月28日 同時代の仲間たちとの『筑波讃歌』。詳しくは「こちら」へ

 この日は予選の様子を、いつもの第1ヘアピンの観客スタンドからではなく、その先の芝生広場からカメラにおさめたあと、パドックへ戻った。これから、ドライバーズサロンに隣接する特設イベントステージで、出場26チームの紹介が予定されていて、三々五々、会場に集合し始めたところだった。
 いつも人の心を一発で明るくしてくれる笑顔で談笑中の片山右京、松田秀士の両レジェント。
「ベストカーの三本和彦さんとの対談、読みました。ああいう秘話ものを、もっとやってくださいよ」
 わたしの顔を見るなり、松田のヒデさんが「お上手」をいってくれる。たとえお世辞でも、やっぱり嬉しくなる。右京さんと顔を合わせるのも久しぶり。今、彼の主宰する自転車競技集団『チーム右京』がワールドレベルに勝ち上がったため、これからが大変なことになりそう、などと彼の夢を聴かされるのも、快い。彼の目、志は、いつも新しい世界に注がれている。

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 結局、この「観戦レポ」はなかなかゴールにたどり着かない。それどころか、レースそのものも、まだスタートしていない。でも、今回はこの辺で一休みさせていただく。できるだけ早く、次回に取りかかれるといいのだが……。
   ★        ★        ★
 そうだった。ここで大事な忘れ物を「松田のヒデさん」が示唆してくれているのに気づいた。ベストカーでの『三本対談』がそのままになっていることを。それは10月10日号で『正岡貞雄の自動車業界回想録・瑠璃色の時代』とタイトルされた2ページ物の対談だった。タイトルの下に小さく「註」が付けられていた。「青く澄みきったクルマ業界の意」と。

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 改めて読み返してみて、そっくり『クルマ一代』に採録しておきたくなった。三本さんと逢ってお話をしようと願った『ヘソの部分』がそこにあるからだ。

《承前》
 三十二年前に三本和彦さんから頂戴した一通のペン書きの葉書。そこから蘇った《天正遣欧少年使節団》の記憶をやりとりしただけで、前号の「金口木舌」は、その容量が一杯いっぱいになってしまった。実はここからが「本題」部分。徳大寺さんの薦めで三本さんが「カーグラフィック」で長年連載中のコラム『フロム・アウトサイド』をまとめて、単行本にしませんか、と申し入れるために初めて伺った先が、葉書の表面に記されていた「六本木・麻布メゾン五〇二」。その日のことを、今でも鮮やかに思い出すことができるのはなぜだろう? あれは一九八三(昭和五八)年の夏の終わりだった。    (正岡貞雄)

徳さんのあなたを語る時の熱く嬉しそうな声が聴こえる

正岡(葉書をお見せしながら)実はね三本さん、この「麻布メゾン」という洒落た名前のマンションに伺ったのは『昭和の遣欧使節』としてスペインでご一緒する2年前のことでしてね。麻布十番一ノ橋の交差点にある更科蕎麦屋で腹拵えをしてから、飯倉片町へ向かう上りの坂道を息と心を弾ませながら……。  
三本 編集局長にわざわざ事務所まで来ていただいたのを覚えています。事前の電話のやりとりから、掲載誌側の小林彰太郎さんから許可が取れたので、ということでしたね。
正岡 そうです。結局、単行本にまとめる分をそっくり選んだのも、言い出しっぺの徳大寺さんでした。
三本 それを聞いて内心「しまった」と思った。だってね、記事の中には、徳大寺さんを批判がましく書いた覚えがあって、あるいは改めて不快な想いをさせたのではないか、と。八方破れの喧嘩腰人生を送っている自分自身がちょっぴり恥ずかしかったな。
正岡 それは杞憂というもの。だってね。徳大寺さんがあなたについて語る時の熱く、嬉しそうな声が、今でも耳元に残っています。
三本 それは光栄。どんなお話でしたか?
正岡 徳大寺さんが『もう黙っちゃいられねえ』(ベストカーブックス)の前書きでも触れていましたが、仕事の関係上、三本さんと話をする機会があって、二度ほど海外旅行にもご一緒したが、そんな時の三本さんはとても愉しく、かつその博識なことで尊敬できる先輩である、と。  
三本 それは徳さんの持ちあげ過ぎですよ。
正岡 いやいや。当時はまだ西ドイツと呼ばれていましたが、あそこのアウトバーンは走りやすい、といったら、「当たりメエよ。あそこの1レーンの幅が日本の高速道路より、15センチ広いんだよ。それを知らないで、いいも悪いもないだろう、と三本さんに叱られたって。徳さんはアウトバーンでは時速200キロを楽々キープできるのも、おそらく1メートルは広いのではと思っていたので、それがショックだったらしい。
三本 あ、は、は。そうなんだな。直線部が多いのはわかっているけども、どうしてだろうと思ってね、日本から高速道路の研究に来ている人がいたので訊いてみた。答えにこちらはびっくりしましたねえ。
正岡 それが、たかだか15センチだけ広いということ?
三本 そう。ご本人も不思議がってたった15センチで、こんなに違うなら、日本の道路もそうすべきだ、と言い出してね、日本に帰ってから開設予定地の数字を全部弾き出して、それを金額にして上層部に報告してみたんだって。
正岡 それは凄い。で?
三本 三ヶ月もかけて調査したけど、たった15センチでも、ものすごい金額に膨らんで、結局、諦めたって。
正岡 そうだ。今度、新東名ができたじゃないですか。あのレーン幅はどうなんだろ?
旧東名に比べて。ちょっと調べたくなったな。

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*ドイツのアウトバーン

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*こちらは「新東名高速道路」。設計速度が120km/h。やっと試験的に時速110キロに。

【正岡追記】東名高速道が出来た当時は高速道路の明確な基準がなく、幅員はアメリカの道路幅12フィートを参考に3・5メートルで造られたと言われている。今度の新東名は設計速度140キロを担保とした構造になっており、車線幅員は上限の3・75メートルで造られました。それで路面も新しいし、幅員もところによっては25センチも広い。新東名が走りやすいわけです。

三本 ベストカーをここまで推しあげた原動力のひとり、徳大寺さんが亡くなってから、もう3年近く経ちますか。
正岡 2014年11月7日でした。
三本 こうやって、徳大寺さんと深く関わったことを知り、心に沁みるものがあります。実は、ずっと現役を続けながら、いつかはこの「ベストカー」に書かせてもらいたい、どんな形でもいいから関われないものか、という想いがあって、ずっと辛抱だったですね。
正岡 ありがたいことをおっしゃる。
三本 徳大寺さんの『俺と疾れ!』のようにはまいらぬが、彼への感謝をこめて、ボクなりにこれからも志だけは燃やし続けていたい。
正岡 もうちょっと単行本のモトとなった『フロム・アウトサイド』のことを続けさせてください。
三本 どうぞ、どうぞ。
正岡 徳さんと一緒に、どのページを生かすかをチェックし合っていた時、目に飛び込んで来たのは、黒沢元治さんが関わった富士スピードウェイでのGC炎上死亡事故です。三本さんが、鈴鹿のプレスルームで事故発生から5分後に知った、という話からはじまる短文。しかし、恐ろしく内容たっぷりで、この事故への、当時のマスコミ情勢の一端を知ることができました。さすが、と唸らされました。

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*1974年6月2日、富士グラン300キロレース第2ヒートで多重クラッシュ事故が発生し、風戸裕、鈴木誠一の両選手が死亡したこのレース。事故調査に警察も介入。事故の直接的な原因を引き起こしたとして黒澤元治選手が業務上過失致死傷害の容疑で、書類送検されてしまう。翌年2月、不起訴が決定したが・・・。

三本 はい。とても嫌な事故でしたね。
正岡 あれはGC第2戦で1974年6月2日のことなんですが、三本さんはその第1戦を観戦して、なんとなく心にひっかかるレース運営があった。それでGC第2戦は助手だけを取材に出し、ご自身は鈴鹿でモーターサイクル・レースを取材することにした、と書いています。
三本 そうでした。「何かありそうですから……」と富士スピードウェイへ行った助手のカンは正しくて、鈴木、風戸の両選手が死亡するような大事故が発生してしまい……。
正岡 黒澤さんはその後、この事故の責任を取る形で、一度はレース界から引退する。しかし不死鳥のようによみがえる。そんなことも含めて、磨かれた辛口の卓見がうかがえる貴重な資料の一つでした。
三本 あの事件は、なんだか胸に大きな空洞ができたように感じました。
正岡 さてこの頃、新車の発表会には?
三本 できるだけ行くようにしていますが、昔の新車発表のように向こうも魂を入れた感じがないじゃないですか!

 やっと吼える三本さんが登場したところで、ベストカーでの対談は終わった。
また次号でページをとっていただければその中身を紹介したい、と編集部に届けた「まとめ原稿」には、そう添え書きしておいたが、残念ながら『以下、次回更新まで』のまま、実現していない。実は、プログレがデビューした当時、三本さんはその四輪駆動バージョンを、わたしはiRバージョンを購入した内幕などもあって、このまま眠らせておくのは勿体ない。

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 そうだ。この《『三本×正岡』密談(対談ではない)》を、当欄で「つれづれなるままに」書き綴っていくのはどうだろう・・・・・・というところで、以下、次回更新まで。
Posted at 2018/01/06 15:11:29 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+青春の21歳 | 日記
2018年01月04日 イイね!

『次回更新まで』で食い逃げは駄目よ!

『次回更新まで』で食い逃げは駄目よ!〜その「言い訳」&「伝えたかったこと」〜

 この正月三ガ日をできるだけ、「みんカラ」は『何シテル?』、Face Bookは『今なにしてる?』のコーナーを使って、近況の交信にあててみた。初詣のお神籤「大吉」、箱根駅伝を観戦しながらの「こころの呟き」を披露してきたが、いかがだったのだろう。ま、年賀状代わりに、日頃の交遊を感謝することぐらいは、出来たかも知れない。

 さて、この新しい年をむかえたところで、積み残し・・・つまり『身辺雑記』の域をでないエッセイでありながら、すぐに息切れをしてしまい「以下次号」あるいは「次回更新まで」と逃げを打って、結局、それが喰い逃げのままになっていはしないか。それが気になってしまう。この際、そうしたおのれの不始末を追跡、その理由と、実は何が書き続けたかったのか、お詫びかたがた、その「言い訳」をまとめてみよう、と思い立った。
 ただ、その範囲は広げるとキリがないから、この半年分だけに絞って、ボチボチと遡るとしよう。

①2017年06月15日
代打の切り札『ノートNISMO S(5MT)』登場!
〜パルサーEXA・フレッシュマン時代への回帰・序章〜

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 このあたりから、はじめよう。
《PVランキング第2位》の大異変騒動の発火点となった『5速MT新型スイフトRSを味見しに行かないか?』の続きを書きたくて、SUZUKI広報のミスター神原に連絡を入れたところ、「神原は4月から、本社の宣伝部の方へ異動しまして……」
 2日経って、東京広報から連絡が入った。2時間くらいの試乗なら世田谷のディーラーで調達できますが、とのこと。話にならない。で、方針変更。かねてから約束していた日産ノート NISMO Sに空きが出る頃だが、と日産広報に連絡を入れると、OKの返事。すぐに横浜に赴いている。

 2WD 1.6ℓ DOHC水冷直列4気筒140ps/6400rpm。専用チューンを施された心臓部。5速マニュアルミッション。スピードメーターは260まで刻んである。お値段も、このバージョンは約300万円だと聞く。いやぁ、早く外へ飛び出したくなる。RJCの同僚、飯嶋洋治さんが同行していた。
 日頃はBMWのM3、MT車オーナーの飯嶋さんが、ゆったりと1速→2速→3速とギアをアップさせながら、上り勾配のアプローチから、光の溢れる「みなとみらい横浜」の街へと繰り出した。
 今回はここまで。試乗記はわたしがステアリングを握ってからにしたい。それに、あえてサブタイトルとして《パルサーEXA・フレッシュマン時代への回帰》と謳っていながら、まだそのことに触れないままでいる。

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 それもやがて謎解きをするつもりだが、これまで35GTRやフェアレディZのNISMOバージョンと、それぞれ1週間を一緒に暮らしてきたときには全く繋がらなかった《プロダクションレース》時代の記憶の数々……。「序章」という2文字を付け加えている所以(ゆえん)である。  (以下、次回へ)

 その「次回」はルマンでのTOYOTAの敗戦、豊田社長のコメントに焦点を合わせてしまったため、一回延期のスパンをとって、ちゃんとつなげているじゃないか。

①2017年06月15日
ホットハッチ5MTに乗ると人が変わるのか!?
〜続・代打の切り札『ノートNISMO S』登場!〜

 大きく右へターンする感じで一旦、首都高速6号向島線に流入。やがて、NSXは深川・辰巳方向への湾岸線方向へ向かってダッシュ、その後ろ姿はあっという間に小さくなった。こちらは丁寧に最初のIC、箱崎で下道に降り立つ。そこは、東京シティエアターミナルの脇。すぐ先に水天宮。ならば直進すれば人形町から岩本町、神田神保町へと行けるはず……。

「じゃあ、ここからは……」
 素早く助手席のドアを開き、ドライバーズ側へわたしの方から移動した。エンジンはかかったままだ。ちらりとアスリート系の、したたかに引き締まったノートNISMO Sの足元を盗み見してから運転席に収まった。シートベルトが気持ちよく体に吸い付いて来る。期待感がにわかに昂まってきた。

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 さて、5MT車をドライブするのは幕張で1月27日にスイフトRSを走らせて以来である。クラッチを踏み、ギアを1速にシフトし、軽くアクセルを入れてから、ミートする。その瞬間、なんとも言えない快感がわたしの右足に伝わってきた。すかさず2速にシフトアップ。とても1.6ℓ、140psという地味なスペックとは思えない、たくましいエネルギーが、さらに次のシフトアップを促して来る。スイフトRSより男っぽいぞ。それが第1印象であった。
「どうやら3速ホールドのままが、この街中走行にぴったりのようですね」
 そんな感想を飯嶋さんに伝えたところで、今回は一旦、休息して、次回に備えることをお許しいただきたい。この後、ベストカー編集部に立ち寄った後、「音羽ニュル」を、この5MTのホットハッチで試走したことだけは告白しておこう。

③2017年08月06日
カサブランカの花開く朝

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 朝の光を受けて、まだ一輪だけが先駆けて開花したカサブランカ。六弁の純白の花びらの中心から、紅い雌蕊(めしべ)が六つ、アクセントをつけるように舌出しをしている。なんと魅惑に満ちたオープニングシーンだろう。これがこれからは一輪、一輪、時を刻んで順番にご挨拶をしてくれるのか……。もう、こちらもベッドに戻る気になれるものではない。背筋がピンと伸びて、仕事部屋へ向かう。PCの起動スイッチを押す。「ボオオーン」と元気よくiMacが目覚めてくれた。8月がスタートして五日目。ご無沙汰したままの「ブログ更新」にやっと取り組むパワーが蘇ってくれたのが、なんとも嬉しい……。

 こんな具合に、気取った前置きして、街乗りに斬り込む。

 新型NSXの赤いオーラに惑わされ、首都高速でミスコースしてしまった飯嶋洋治さんに替わって、箱崎ICからの下道はわたしがステアリングを握っている。

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 江戸時代より安産・子授けの神として人々から厚い信仰を集めている蛎殻町の水天宮を右手に見ながら、北に伸びる大通りを「三速ホールド」で馳けるノートNISMO S。甘酒横丁。人形町。東京下町の名残をとどめる町並みが続く……。

 さてここから、どう書き続けようか。日本橋三越本店の脇を抜け、日銀本店を右手に確認したら常盤橋の交差点だ。それを右折すると外堀通りと呼び慣わされている405号線。さあ、そこから一方通行、5車線の絶妙の疾走区間が待っている。そこで、この気分をこう書き留めておきたいな。

「鎖を解かれたプロメテウス」さながらに、NISMOによって丹念に調整された心臓(エンジン)と、強靭な腱を植え込まれた脚元のもたらす新しい境地を、舌なめずりしながら疾駆している至福の時間が訪れた。左回りの大きなコーナーが竜閑橋を過ぎれば待っている。こんな時、MT車は好みのシフトワークを駆使できるぞ……」

 ここまで書き上げたところで、気分転換をしたくなって外へ出る。(この項、ここで一服)と逃げを打って、実はこの先は、まだ手つかず、である。というのも、こうした日々のなかで《ベスモ復活の狼煙》が持ち上がり、そのままになっているが、気の抜けたサイダーみたいで、こちらのモチベーションが下がってしまった。

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*そして7月21日から25日までE-Powerを試乗。近くの石神井公園傍の道場寺へ。

 そして「ベストカー」での三本さんとの対談。④2017年08月27日 《天正と昭和・二つの「遣欧少年使節団」》が持ち上がり、第2回からは『瑠璃色の時代=青く澄み切った昔のクルマ業界』という素敵なタイトルを、編集部では用意してくれているという。心は弾ませて、歩調を合わせて、取り組めることを感謝したい。(以下、次回更新を待たれよ)と予告しながら、結局はそれには触れずじまいである。

 よっしゃ、次回でそこのところを詳しく、というところで今回も「次回、更新へ」で一区切りとしようか。
Posted at 2018/01/04 01:28:19 | コメント(3) | トラックバック(0) | 還暦+青春の21歳 | 日記
2017年12月20日 イイね!

『与三郎庵』(木葉下)のカツ丼が美味すぎる!

『与三郎庵』(木葉下)のカツ丼が美味すぎる!〜プログレで行く『イヤーカー選び』への道・余話〜


 2018年次RJCカーオブザイヤー最終選考会の前夜パーティ出席のため、ツインリンクもてぎHOTELへ向かったのは、11月13日だった。もう一月以上も前のことになる。

 16時ジャストに、いつものように最寄りの私鉄駅前ロータリで、RJCの盟友・飯嶋洋治さんと待ち合わせて、大泉JCTから東京外環へ。

 今回は日産、スバルの両社が例の不正検査問題でエントリーを辞退していることもあって、第1次選考の国産車部門はN-BOX、CX−5、スイフトが横一線。さて、どうなるのかね?などとお互いの予測を披露したあとで、プログレでクルーズ・コントロールを楽しみながら、三郷JCTから常磐道に合流していくところから、改めて今回は書き継ぎたい。

 水戸ICで降りるつもりの常磐自動車道。霞ヶ浦・土浦を過ぎるあたりで、晩秋の落陽は、ターボのブーストがかかったみたいに、あっという間に背後で沈んでいった。飯嶋さんには、近頃、友部SAが「常陸の里山」をテーマにリニューアルしたと耳にしていたので、適当なレストランがあるようだったら、そこで夕食を済ませましょう、と伝えてあった。


*今回のお供は、久しぶりにわがプログレ

 美野里PA、岩間ICを過ぎて、やっと友部SAに入った。パーキングスペースはタップリあって、その奥にベージュと褐色を組み合わせたツートンカラーの建物がある。スタバコーヒーがあるのは嬉しいが、肝心のレストランはどうだろう? なんだか全てが新し過ぎて、土産物・ショッピング優先のような気がする。だから、パスすることにした。ついでにこのSAで飯嶋さんにプログレのKEYを渡した。

 水戸ICまでは10km弱。あたりはもう真っ暗。カーナビに予め、飯嶋さんがツインリンクもてぎのHOTELを行き先に設定しているが、下道の大通りである50号線は東西を走る幹道。それとは直角に、北へ向かって進めと指示している。果たして、そんなルートで、適当な夕食の摂れる店があるものだろうか。まあ、ダメだったら、ホテルのレストランがあるじゃないか。


*赤ピンのドロップしているT字路に『与三郎庵』あり(google earth map)

 それらしい食事の取れそうな店に出くわすこともなく、巨大な森の右脇を抜けているのをカーナビが教えてくれる。水戸森林公園である。と、ポッカリと街灯で明るくなっているT字路にぶつかった。その右の角に一軒家の茶屋風食堂があるではないか。店の明かりが誘蛾灯のように、こちらを招く。ぼんやりと浮かぶ「うどん そば 与三郎庵」の文字。



「ここにしましょうよ」
 飯嶋さんもその気だったのだろう、すでに駐車スペースへ向かって、ステアリングを切っていた。

 店内は、一言でいって、鄙(ひな)マレ。天井から吊下がった雪洞風照明が柔らかい。掘り炬燵を施した座敷風テーブルに、飯嶋さんと向き合って席をとる。どうやら、地元の手打ち蕎麦が「売り」らしい。店主の手書きのメセージも、この店のぬくもりを伝えてくる。

「お客様へ。当店でお出ししているそばは、地元 城里町 旧 七会村産
野菜、米等は全て 水戸農協管内のものを使用しています」

 そうだったのか。「常陸秋蕎麦」で知られる「七会村」がいつの間にか町村合併で、新しく「城里町」となっていたのだ。


 
 仲良く、ミニカツ丼ざるセットを注文した。¥1100。付け出し替わりに林檎がふた切れ、料理ができるまで、というサービスだろうが、その歯ごたえのある新鮮な味を振舞われたのが、今も快い記憶となっている。

 ふと、箸袋に目が行った。与三郎庵の住所が刷られてある。 
「水戸市木葉下町」
 コノハシタマチ?

  料理を持ってきたエプロン姿の中年女性に、なんと読むのか、と訊く。
「あぼっけ」
「え!?」

  なんでもアイヌ語で『崖の下』という意味だと教えられてきたが、なぜ『木の葉』が当てられるのかわかっていないという。ただ、すぐそばに「木葉下(あぼっけ)金山」という名の昔からの金を掘り出した廃鉱があって、今でも見学者が絶え間なく、やって来るそうだ。
【正岡註】木葉下金山は、室町時代の終わりごろ、戦国時代にかけて、この常陸の国の領主・佐竹氏によって拓かれた鉱山で、佐竹氏は豊臣秀吉に上納する金(きん)の必要から、盛んに金山を掘ったという。その一つが木葉下金山。



 やっと夕食にありついた。丼というより、笠間焼の小鉢いっぱいによそわれた玉子とじのカツの、口当たりがひどく柔らかい。甘みが広がる。思わず「美味い!」と、いってしまう。韓国ドラマなら、さしずめ「マシソヨ」といって、主役が微笑むところだろう。

 蕎麦は二八割りのざっくりした口当たりも高得点。あっという間に食べ終わる。冷奴まで添えてあった。料理の素材をすべて地元のもので調達するから、この味と値段でなりたつのだろう。え!? 「これで1100円ですか! 」飯嶋さんの、これが感想。来年からの「もてぎ行き」の立ち寄りコースが決まったようなものだった。


*このGOOGLE MAPの左上にJARI 城里テストコースの周回路が見える

 18時30分。再びプログレで、夜闇の八溝山地越えがはじまった。真っ直ぐ「城里町」を突っ切って、早く「茂木町」とつながる123号線に乗りたかった。次の大きな四つ角で、左折すれば谷田部から移った『日本自動車研究所 城里テストコース』へむかう案内板を確認する。こちらは、直進。なんとか19時にはホテルにチェックインできそうだな。

 19時30分。自動車メーカー各社の該当商品開発担当者や広報担当者との懇親パーティに出席した。編集現場から離れて、もう20年になる。こんなときにしか、特に若手のエンジニアや広報マンの交わる機会はない。特に日産の若手広報部員の何人かはかつて熱烈な「ベスモファン」であったこともあって、わたしのいささか古くなったクルマ談義にも、熱心に耳をかしてくれる。それがことしはごっそり欠席。そのせいだろうか、盛り上がりに欠ける前夜パーティとなった。それ以上に心残りだったのは、EVカーの主役、新型リーフをモテギの特設試乗コースで、スイフトスポーツやN−BOX、CX-5などと乗り較べられないこと。同じフィールドで確かめることで最終決断に踏み切る。それがこの最終選考会の醍醐味なのに・・・。

 次の日の朝を、サーキットHOTELで迎えるのはいつ以来だろう。午前6時、目覚ましをセットしておいたiPhoneが律儀に起こしてくれた。

 南側の窓のカーテンを開く。朝の光がすでに八溝山地の背筋に降り注いでいる。つい2日前のスーパーGT最終戦で、300クラスの予選3位からスタートしガンさんチームのゼッケン65 LEON CVSTOS AMGが土壇場で怒涛の追い上げを見せ見事に優勝した舞台が目の前にあった。

 朝食、最終試乗の確認ミーティングも順調にすませて、午前9時からの試乗会がはじまった。この日、真っ先に足を運ぶピット・ブースはきめてあった。トヨタのコンパクトSUV、 C-HRと『セダン復権』の起爆剤として投入されたカムリの2台を、真っ新な気持ちで対面することだった。


*カムリ、C-HRの待つTOYOTAピットブース

 カムリは7月の発表会の後、お台場MEGA WEBの試乗コースを2周だけ味見しているからまだしも、発表と同時にそのやや尖ったクルマ創りでブレークしているC-HRとは、なんと初対面なのだ。去年の12月に発表されていて、そのころは体調不良で、やっと実物に触れられる。






 ドキドキしながらC−HRのいささかタイトなシートに腰をおろす。エンジンはダウンサイジングした1.2ℓ 直噴ターボと、1.8ℓNAにモーターを組み合わせたHV仕様とがあるが、これはターボ仕様の方が用意されていた。

 すぐ前をイエローのSUZUKIスイフトが同じようにスタートの合図を待っている。
  そんな新しい時間。いくつ歳を重ねても、やっぱりいいものだ。
                               (この項、さらに書き継ぎます)
 
Posted at 2017/12/21 00:32:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+青春の21歳 | 日記
2017年12月16日 イイね!

『N-BOX vs.スペーシア』ガチンコ勝負の夢

『N-BOX vs.スペーシア』ガチンコ勝負の夢〜年に一度の楽しみ、RJC機関誌『BULLETIN』〜



【左のショットがテクノロジーイヤーを受賞したN-BOX開発陣】


  140字日記である「何シテル?」で予告したように、「SUZUKIの新しいスペーシアの登場でそれを迎え撃つN—BOXを、改めて考察して見たいと心を踊らせている。

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*新型スペーシアを胸を張って披露する鈴木俊宏社長

ご存知のように、「RJC」の「2018年次」のイヤーカーは、国産車部門はSUZUKIスイフトシリーズ、インポート部門はVOLVOのV90/V90 CROSS COUNTRYが選ばれ、「日本カー・オブ・ザ・イヤー」では「2017-2018」と冠のつく「イヤーカー」には、こちらもVOLVOのXC60(10月16日にフルモデルチェンジ発売)がカムリ、CX−5、N—BOXの国産車勢を抑えて、その栄光をゲットしてしまった。

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*2017-2018 日本カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれたVOLVO XC60

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*2018年次イヤーカーに輝いたスイフト・チーム

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*インポート部門のイヤーカー、VOLVO V90cross country


  EVシフト、AI重用に振り回された2017年のクルマ業界も、ここで一息入れて新しい年を迎える態勢に入るわけで、まず18日の月曜日、東京青山のアイビーホールでRJCカーオブザイヤーの表彰式が催される。そのパーティでお帰りの際にお渡しするのが『The RJC Bulletin』でその年次のカーオブザイヤー特集号となっていて、会員が総がかりで執筆・編集に取り組むしきたりがある。

  現在、編集長役は副会長の神谷龍彦さんがあたっている。かつて「ホリデーオート」「モーターマガジン」の編集長を務めたプロ中のプロであるジャーナリストだから、毎年、原稿のやりとりなどで接するのが、ひどく楽しい。さて、ことしはどの車を書いてくれ、と注文されるか楽しみにしていたら、HONDAのN-BOXを450字でまとめよ、と来た。

「よっしゃ」と引き受けたものの、毎年のことだが、450字で起承転結のあるものにまとめるのは厳しい。最初に書き上がったものは、どう贅肉を削っても650字。ここから200字を削るとなると、かなり内容がギスギスしてしまう。

  それでも、なんとか締め切りギリギリで入稿したものの、最初に書きあげた原稿はなんらかの形で残しておきたい。おお、そうだ、ボリュームに制限のない「みんカラ」BLOGがあるじゃないか……。などと保存しておいたところへ、「何シテル?」で触れているように、SUZUKIのスペーシアの登場で、わが心に新しい火が点(つ)いた。スペーシアには、そう遠くない日に試乗できるだろう。そこでわたしなりの対比をしてみよう、と。
 
  さし当たって、450字に削る前の本来のものをここに紹介しておこう。
 
全力投球の『クルマ創り』に乾杯! (2018年次RJC『Bulletin』掲載)

  今のHONDAの屋台骨を支えているのは、紛れもなく軽トールワゴンの『N—BOX』。2017年9月に投入された2代目新型が圧倒的な支持を受けている。プラットフォームからボディまで、躊躇いもなくフルモデルチェンジして、80kgの軽量化を達成するなど、開発には全力投球を惜しまない。

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*騎馬民族的な面貌をもつN-BOXカススタム

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*農耕民族的なゆったり顔の標準的型

農耕民族的なゆったり顔の標準型と、目尻の上がった騎馬民族的な面貌のカスタムシリーズの2タイプがあるが、受注内訳では、いささか個性を主張する後者に人気が集まっている(56%)。ちょっと見では、旧型とそれほどの代わりはない。しかし中身の進化と「創りこみ」には、あっさり脱帽だ。与えられたスペースで紹介するのは不可能なほど、盛り沢山であった。

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*軽で初めてVTECを吸排気側に採用するなど、技術を結集した新設計のパワートレインについて

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 3気筒658ccエンジンにはNAとターボがあり、節々にHONDAだから可能な「泣かせ所」を投入いている。
例えば軽で初めてのVTEC技術を吸排気側に採用、低速から高速まで爽快な加速性能と優れた燃費性能を両立させてしまった。
そして今回の注目点の一つにインテリアがある。助手席が前後に大きくスライドするのも特徴になっているが、運転席に着くと、視界が広いのに驚く。Aピラーを初代の82mmに対して54.7mmにまで細くしたせいだが、ここにも高い評価を受けている「軽量化と高剛性化」技術が生きている。

このほか、運転支援システムを全車に標準装備するなど、持てる力を全力で注入してきたHONDA。誰のためにこのクルマを創ったのか、その焦点が明確なのが快い。 (正岡貞雄)

遡って、これまで年次ごとにわたしが担当執筆したクルマがなんだったのか、トレースを試みた。

  入会した初年度の2014年次は、第1次選考でベスト5に選ばれた「三菱eKワゴン/日産レイズ」。期せずして、この年は軽自動車部門の販売ランキングが大激戦、HONDAのN-BOX、SUZUKIのスペーシアが10月期に限って言えば、1万7500台、1万4300台と並び、日産と三菱の連合軍が合わせると1万5600台となって、2位に割り込んでしまう。そんな状況を伝え、この特異なジャンルがますますガラバゴス化するのでは、と憂えて見せたが、今でもそうだろうか、と胸に問わなくてはならない。

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*一時は「人生最後の1台」の有力候補だったメルセデスC250

  2015年次は、インポート部門のイヤーかーとなった「メルセデス・ベンツCクラス」を担当。「78歳の筆者、目も足も衰えていない。許されればサーキットもじさない『チョイ悪爺イ』と見得を切り、『人生最後の一台』候補にあげ、このCクラスなら念願の九州往復のお供にしても大丈夫」と締めくくってみせる。

 2016年次。ジャガーXE。タイトルを「“彼岸の彼”の評価が訊きたい」とし、彼=徳大寺有恒の好きだった“イギリス”を守り続けていることに回帰したジャガーの決断にアプローチしている。

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  そして2017年次。イヤーカー・インポートの最優秀車となった「ボルボ XC90」を、かつて夢見た世界に棲むSUVがここにいる!と喝采を送っている。

  さて、2018年次のRJCカーオブザイヤーについては、速報のかたちで「RJC」のWebサイトからご覧いただけるので「こちら」からどうぞ。

  N-BOXはイヤーカーではスイフトの後塵を拝してしまったが、「新型N-BOXの軽量化技術」を評価され「テクノロジーオブザイヤー」を受賞しているのを追記したい。 
 そしてこの後、今回披露された新型スペーシアの注目すべき「新開発部分」にも触れて見たい。(以下、次回更新へ)


Posted at 2017/12/16 02:25:01 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+青春の21歳 | 日記
2017年11月13日 イイね!

『イヤーカー選び』にアクセルON!

『イヤーカー選び』にアクセルON!〜わが「鬱」を吹き飛ばしたCX−5に6点がやれるのか⁉︎〜

 RJC(日本自動車研究者・ジャーナリスト会議)事務局から、「2018年次RJCカーオブザイヤー第一次選考会開票結果」が11月9日付けで送られてきた。

 これまで「カーオブザイヤーの季節」が来れば、できるだけ候補車の試乗記、第一次選考会の開票結果を当BLOGで紹介してきたものだ。しかし今年は、生憎とその開票日(11月1日)と「ベストモータリング復活DVD」エビス東コースサーキットのロケが重なって、RJCの方を欠席したこともあって、触れる機会を失くしていた。






 開票結果については、11月1日の夕方には、同僚会員の飯嶋洋治さん経由で把握していたが、細かい点まで電話で確かめるわけにはいかなかった。で、やっと、6ベストに選ばれて最終選考に臨むクルマたちの「正式結果」を入手したことになる。
● カーオブザイヤー 
ホンダ N−BOX 44票  1位
マツダ CX−5    43票 2位
スズキ スイフト   42票  3位
ダイハツ ミラ イース 34票  4位
トヨタ カムリ     30票  5位
トヨタ C−HR     25票  6位

● カーオブザイヤー・インポート
ボルボ V90/V90 CROSS COUNTRY 48票  1位
MINIクロスオーバー 39票  2位
アウディ Q2            28票  3位
シトロエン C3           28票  4位
アルファロメオ・ジュリア       25票 5位
プジョー3008             25票 6位





このほか表彰部門に「テクノロジーオブザイヤー」「パーソンオブザイヤー」(候補=光岡進)があり、「特別賞」として「名車レストアサービス」(初代ロードスター/クラシックボルボ)が推薦されていた。

  この第一次選考の結果を受けて、わたしたちは11月14日のツインリンクもてぎ特設試走コースで、最終吟味を試みる。そこで改めて、今度は各部門の6ベストに上位から6点、5点、4点、3点、2点、1点と配分して最終投票をすることになるが、この点数の割り振りに難儀するし、裏返せば、そこに醍醐味がある。

   2018年次。今年は厄介だ。10月25日の「第45回東京モーターショー2017プレス公開デイ」を見聞してからは、率直にいって久しぶりに深く重い「鬱」に取り憑かれていた。いくら時代の要請、世界の流れだからといって、国産自動車メーカーがあんなに腰崩れになっているとは。EVシフト、AI=人工頭脳活用が時代の要請と関わっているとはいえ、各社が「右へ倣え」をして、本来のクルマ創り、クルマへの愛に応えようとしているとは、どうしても感じ取れなかったのである。
 








 恐らく、これからクルマ創りの「主軸」はEV、AIにシフトされ、人材もその方角に強い向きが投入され、やがて本来の“クルマ創り”に情熱的に取り組む流れは、時代遅れと見向きもされなくなってしまうのではしないか。
 
 そんなモヤモヤと闘っているところで2日後の27日のCX–5試乗会。そこでの出来事を、11月3日にアップした当ブログでこう触れている。

−−−その鬱屈がCX−5に触れた途端、まるでアクセルを目一杯に踏んでやって、エンジンにこびりついたカーボンを吹き飛ばしてやった時のような開放感に変わっていく……。そんな気分でいるところへRJCの公式ホームページを担当している神谷龍彦さん(元・モーターマガジン誌編集長)がやってきて、その試乗記を描いてくれないか、と打診してきた。

 気持ちよくも引き受け、それがすでにRJCの公式ホームページにアップしているので、ご一読願えれば幸い、とリンクを貼ったが、若干、スペースの問題から省略した箇所もあるので、この際、ここに全文を紹介することにした。
 

●あえて『愚直の道』を疾走するCX-5への恋歌
 2018年次RJCカーオブザイヤーにノミネートされながら、なぜか試乗の機会に恵まれなかったマツダCX−5。渋谷ヒカリエを会場に選んで2016年12月15日に発表会を催行したが、歳末のせいか、いつもほどの吸引力はなかったという。発売開始は年明けの2月とあって、メディア側からはなんとなくピントの合わせにくい存在になっていた。ただし国内販売の方はまことに順調、8ヶ月経過ですでに4万台を超えるという。ついでながら、ディーゼルエンジン搭載が70%だとか。

 加えて、アンラッキーなアクシデントがあったりして、やっと特別仕立ての試乗会開催に漕ぎ着けたのが、なんと「第45回東京モーターショー2017プレス公開デイ」も終わった翌々日。それでもいつもの癖で、出席に備えて、手元のメモをチェックしてみると、SUVへの関心はCX−3からはじまっていた。

 2015年2月27日の深夜に記したメモより。
−−−−明日で2月が終わり、春はもう目の前。午後4時、東京タワーの真下にあるスタジオで、MAZDA CX-3のお披露目が。1.5ℓのクリーンディーゼル専用車。その中からMT6速を選び、4月6日からの岡山・中山サーキット往復のお供に指名しているこのNEWカマー。見た目だけで走りたい誘惑が沸々と!



 それが今や『時代の寵児』ともて囃されるSUV(スポーツ多目的車)に、その気になって次から次へと触れるようになるきっかけとなった。まず輸入車からSUV攻勢の火付け役、AudiのQ5に。さらに同じ心臓部を共有するポルシェのMacanと、その兄貴分であるCayenneまでも味見してしまう始末。ともかく、MACANのブレーキシステムへのこだわりなど、やっぱりポルシェそのものだった。なるほど、と納得した。ポルシェのスポーツカーは日常性に欠けるとしても、そのポルシェならではのクルマ創りをSUV車に活かしたところに、新しいロマンを感じてしまった。ひところは青息吐息だった経営も見事に体力を回復させ、今では本道のスポーツカー部門も、再び疾走中と聞く。

 さて、試乗基地に指定されたマツダR&Dセンター横浜。パーキングエリアは広場を中心にして外側に回廊がめぐらされていて、その1枠ごとに3種類6台のCX−5が待機していた。まるで出走前の競馬のゲート枠を連想させて、騎手たちのハートにも火が点く仕組みか。

 与えられた試乗時間は、60分が2回。まず2.5ℓ、ガソリンエンジンを搭載した「25S Lパケージ」を選ぶ。CX−5の売りの一つであるボディカラーは、残念ながら新色の「ソウルレッドクリスタルメタリック」ではなく、「機械の持つ精緻な美しさの追求」をテーマにしたという「マシーングレープレミアムメタリック」だったが、それが妙に創り込んだ落ち着きをイメージさせる。悪くない。
 ここで一つ、企んでしまった。2.0ℓ、ガソリンエンジン搭載のCX−5をピックアップしたRJCのご同輩に、試乗コースの折り返し地点である大黒パーキングエリアまでランデブーランして、そこで試乗車を取り替えないか、という虫のいい提案である。話は即座にまとまって、こちらはひとまず2.5ℓ、マシーングレーのCX-5に乗り込み、やや腰高なシートポジションを気にしながら、ドアを引き寄せると「パン」と小気味良い閉まり音が返ってきた。キレがいい。あ、これは開発陣がレクチャーしてくれた「車室内の静粛性」もトコトン追求し、対策を練り上げた成果の一つだろう。
 
 試乗コースは、まず一般道で横浜・みなとみらい地区を目指し、臨港パークにある旧マリノス練習場の外周を反時計回りに1周したあと、みなとみらいランプから首都高速神奈川1号横羽線を南下、本牧の手前で首都高湾岸線に乗り換えると東京湾に浮かぶ大黒パーキングに降り立つ。その際の大きな右回りループが曲者なのだ。大黒パーキングからは首都高速をとって返す感じで一気に子安ランプまで戻る。スタート地点のマツダR&Dは一般道で目の前にある。



 打ち合わせ通りに「ソウルレッドクリスタルメタリック」を晴れやかに纏った2.0ℓのCX−5が先導する。CX−3の時は、車台に上物のボデイが乗せられているような後ろ姿が妙に気にかかったが、今度のCX-5はリヤのバンパー部分を極力細めていて、なんともバランスのいい後ろ姿で、秋の陽を受けて、艶やかに輝いていた。アクセルをONした時の、前にもたれかかるような下品な動きは一切ない。高速道路に入ってからの疾走姿勢。いささかも揺れのないドライバーの目線や首の位置。創り手たちがこだわってきたポイントの一つ一つが伝わって来るのはなぜだろう。まるで隣の助手席に開発者が座っていて、己れの想いこちらに話しかけてくるような至福の時間。……どんなに愚直と言われようと、マツダは「走る歓び」の進化を目指して、ドライバーの“走る歓び”はもとより、同乗者の“歓び”を共有できるよう、全員が愛着を持って取り組んできました、まっすぐに……。



 なんとも羨ましい「モノ創り」集団が精魂こめて送り出してくれたCX−5。この後、2.2ℓのクリーンディーゼルエンジン、DOHC4気筒直噴ターボ車も試乗したが、なるほど300万円前後の価格でここまで鍛え上げたSUVなら、三重丸を差しあげよう。そう肚を決めたが、後悔はしないはずだ。
     *       *      *
 つまり、それがわたしの『2018年次 イヤーカー選び』へのアクセルONとなった。そして早速、『140日記=何シテル?』に、こう書き込む。

−−−11月13日(月)の午後4時、飯嶋洋治さんをいつもの待ち合わせポイントでピックアップして、ツインリンクもてぎHOTELへ。RJCカーオブザイヤー最終選考前夜の懇親パーティ出席のため。今回はプログレで向かう。日産、スバルの両社が例の不正検査問題でエントリーを辞退。国産車部門はN-BOX,CX−5、スイフトが横一線。さて?

 改めて、1台、1台、最終投票のために「ツインリンクもてぎ」に特設されたコースで吟味できる。あれだけラブコールを送ったCX−5だって「6点」を献上するとは限らない。真っ白な心で臨むのが、このステージまでやってきたクルマたちへの礼儀ではないだろうか。
Posted at 2017/11/13 01:21:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+青春の21歳 | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「岡田監督が”凄いことが起こるなあ”と呆れた1イニング4失策で、8回、5点のリードを持ちながら、ヤクルトにあっさり逆転されてしまった。舞台は本拠地甲子園。ショートの小幡が悪送球とトンネル、前川右京と森下が落球。これがいい薬になるかどうか、本番期待。収穫は青柳の開幕投手の確定濃厚や。」
何シテル?   03/09 10:58
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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