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正岡貞雄のブログ一覧

2020年01月30日 イイね!

中谷明彦君の「律儀さ」に呆れる

中谷明彦君の「律儀さ」に呆れる『北海道雪上試乗会』のハシゴやら、何ごとにも


【左は北京サーキットでRAV4をチェックする”律儀マン”。2019〜20年次日本カーオブザイヤーに選ばれたとあって彼の地でも大注目!】


 頃合いを見計らって浅草橋の中谷君のお見舞いに行くつもりが、こちらの方が左腰の変調からモタモタしていて、うまくいかない。それがやっと落ち着いてきたので、今週末あたりはどうだろう?と、彼の状況を把握すべくFace Bookをチェックしてみて驚いた。

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 なんとご本人は北海道にいるという。日産の雪上試乗会に参加しているという。N I S S A Nのスキー帽姿がこちらを向いている。左眼の傷痕をサングラスで隠しているところが、やっぱり痛々しいが‥‥‥。

2時間前 #日産雪上試乗会
リハビリ2日目は日産試乗会です。白いドローンを見てややP T S Dを発症気味です。

「PTSD??」‥‥‥心的外傷後のストレス障害。

 そうだろうな。その辺の短いコメントで、中谷君は律儀にコメントしている。多くの方がその後の症状を心配してくれているのを、彼はちゃんと弁えている。

 もうメディアの現役でないから、東京近辺のイベントでない限り、わたしには声はかからなくなったが、この週のはじめから北海道・千歳でV O L V Oが、日産が札幌のモータースポーツパークで、それぞれ「雪上試乗会」を催しているのは知っていた。しかし眼球治療中の中谷君が、その北海道まで足を運ぶのは予想もしていなかった。

 慌てて、彼のメッセージをさらに1日分、戻ってチェックしてみる。1月28日 21:54に投稿していた。

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*北海道・千歳VOLVO雪上試乗会

「リハビリを兼ねて北海道のボルボV60クロスカントリー雪上試乗会に参加してみました。クルマの良さはカートップ誌でレポートするとして、雪上カートでは目測を誤りスピンして下位に沈みました。まだまだリハビリが必要なようです」

 その「近況報告」に対して、わたしは気づいていなかったが、すでに400名を超す「お仲間」から「いいね!」が届いているではないか。

 悔しいから、もう一つ先に打ちこまれている彼のメッセージをチェックしてみる。「1月23火18:59」の投稿なのだが「いいね!」はただ一人の模様。
なんだか長たらしいインターネット・アドレスが添えてあるだけだったが、その下に「IXIGUA.COM」とある。ウン!? 試しにクリックしてみた。どうぞ、あなたにも同じことを試して欲しい。何が起こるのだろうか。

 そう、あの北京サーキットでの収録シーンが出来上がっていたのである。

「三国争覇――中日徳三国SUV哪家強?」

 このタイトルからおおよその察しはついた。中国・日本・ドイツ三国のコンパクトS U V品定め、いや「争覇」とあるからにはバトルをやらかそうというのだろうか? TOYOTA/RAV4の脇に立っているのは中谷君ではないか。
「徳」とは「獨逸」のことらしく、VWティクロンT S Iが動員されている。そして「中」代表は長安汽車製のCS75PLUS。

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 すでに44万強の視聴回数がカウントされており、「いいね!」も1600回を越えていた。さあ、こちらも大急ぎで「視聴者」の仲間入り‥‥。

28分38秒。画面のなかの中谷君は、いつもの「中谷明彦」だったが、共演の二人は「まあそんなものだろうな」で、特に感想はなし。ただ一つ、気になったのは「ドローンの体当たり」を受けたのはどのマシーンだったのか、という点であった。

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*種明かしをしておけば、ドローンが体当たりしたのはこちらではない、と中谷君から指摘あり。取り消します。

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*ドローンが体当たりしたのは、こちらでした。

 見終わって、ともかく中谷君に携帯電話でアプローチ。虚しくコールするだけだった。まだ北海道にいるのだろうか。
 そして、1時間が経って、iPhoneが中谷君からの受信を報せる。いつものことながら、なんという律儀さだ。
――ああ、中谷です。札幌から羽田に着いて、電車の中だったので、失礼しました。

 声にいつもの力感が蘇っていた。短く現況を確認し合う。週末は三菱自動車広報の功労者が定年退職するのを、メディア関係者の呼びかけで「感謝・激励する会」が用意されているので、その時にお会いしようと話はまとまった。

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*中谷明彦FBページより


 中谷君がCARTOP誌の編集者でありながら、レーシングドライバーとしての足場を固めさせてくれたのは三菱ミラージュカップであったのは広く知られている。その時からのバックアップ体制を推し進めた名物広報マンの送別会。中谷君にとっても「特別の人」。久しぶりに『ミラージュカップの昔話』で盛り上がる夜が期待できそうだ。        (この項、終わる)
Posted at 2020/01/30 11:12:54 | コメント(3) | トラックバック(0) | この人に逢いたい | 日記
2017年06月20日 イイね!

豊田章男社長『ル・マン敗戦の弁』に乾杯!

豊田章男社長『ル・マン敗戦の弁』に乾杯!〜さすが、ニュルの24時間耐久を走った男は違う〜



*TOYOTA GAZOO RACINGより
社長就任が2009年。当方はすでに現場から退いていた。歴代社長とは親しくお話する機会が多かったのに、と。公式の席で、名刺を交換しただけなのが残念。


 2017年WEC第3戦ル・マン24時間レースを闘い終えたところで、豊田社長のコメントがメールで届いた。一読、胸が熱くなった。ここまでモータースポーツの本質を理解され、すでにそれが血となり肉となっている61歳のメッセージである。そのまま、そっくり、手を加えずに「みんカラ仲間」にお届けしたい。
  ★           ★           ★
「思いっきり走らせてあげられなくてゴメン…。」
本来であれば、応援いただいたファンの皆さまへの感謝の言葉が
先ず最初に発せられるべきですが、 今回のル・マンだけは、どうしても…
この言葉を私からドライバー達に一番に掛けてあげなければいけないと思っています。
ドライバー達は、初めてル・マンに来る私に、
「一緒に表彰台の真ん中に上ってほしい…」「そのために絶対に負けたくない…」
「だから共に戦ってくれ…」と言ってくれました。





だからこそ、私からは、
「思いっきり走れ。メカのつくったクルマを信じて、ル・マンを楽しんで。」
という言葉を返していました。
それなのに、思いっきり走らせてあげることが出来なかったことが本当に悔しい…
私たちのクルマを信じて走ってくれていたのに…本当に申し訳ない…。
その気持ちでいっぱいです。
おそらく、この気持ちは、この戦いに向けクルマをつくってきた
トヨタのエンジニア、メカニック、
そしてパーツサプライヤーの方々、
皆、同じ想いなのだと思っています。
なので、そのみんなの気持ちも背負い、代表して、ドライバー達へ
もう一度、改めて言います。





「思いっきり走らせてあげられなくてゴメン…。」
そして、その9人のドライバー達も含めて、
トヨタチームに関わった全ての人の想いを二つ、私から述べさせてください。
ひとつは、ファンの皆さまへ。
トヨタの勝利を信じて応援してくださったファンの皆さま、
期待に応えられず本当に申し訳ありませんでした。
そして、24時間、最後まで我々を信じ、熱く応援いただけたことに
心から感謝申し上げます。本当に、ありがとうございました。
再び、皆様と共に笑顔になれる日を目指してまいります。



ひとつは、ポルシェチームへ。
昨年の戦いの後、ポルシェの皆さまから
我々をライバルと認めて頂けるような嬉しい言葉を数々いただきました。
“ライバル”と言っていただけたことに応えるためには
今年また、ファンの皆さまを魅了するような素晴らしい戦いをさせていただくことだと
考えていました。
だからこそ、チームは新しい技術・技能を生み出すことにも
果敢にチャレンジして来ることができました。
ポルシェチームの皆さま、おめでとうございます。
そして、ありがとうございました。
しかし、昨年のようにファンの皆さまを魅了させるような戦いを
実現することが出来ませんでした。



今回、ポルシェも、我々トヨタも…
ル・マンの道に挑んだハイブリッドカーは
24時間を無事に走り切れませんでした。
優勝した2号車でさえも、完走した我々の8号車も
トラブルにより時間のかかる修理を余儀なくされて、ようやく辿りついたゴールでした。
世界耐久選手権を通じて高めてきたハイブリッド技術は、
6時間レースでは、その能力を発揮しきれても、
ル・マン24時間の道のりでは、まだまだ歯がたたないということかもしれません。
電気の力は、クルマがもっとエモーショナルな存在になるために絶対に必要な技術です。
ル・マンは、その技術に挑戦し続け、極限の環境で試すことの出来る貴重な実験場です。
これからも、この場を、大切にしていきたいと思います。
もっともっと技術に磨きをかけ、熟成させ、
お客様に本当に笑顔になっていただける技術を…
そしてもっといいクルマづくりを続けるために、
これからも我々トヨタは、努力を重ねてまいります。
皆さま、ご期待いただければと思います。よろしくお願いいたします。

   2017年6月18日
    トヨタ自動車株式会社      代表取締役社長 豊田 章男

 今年のル・マン。予選で7号車の小林可夢偉が、圧倒的なタイムでPPを獲るなど、ひょっとしたら、という期待も高かった。が、ご存知のような結果に。



 ハイブリッドカーはまだ発展途上のさなかにある。その辺の様子も章男社長は、「敗戦の弁」の中で、きっちりと冷静に説明されている。そしてライバルPORSCHEチームへの感謝を、まっすぐに表明しているのが、なんとも清々しい。

 きっと来年もまた、まっすぐに挑戦するTOYOTAチーム。口惜しいのはわかっている。だからこそ、もっと前進できる、と胸を張る61歳に乾杯だ!
Posted at 2017/06/20 02:51:57 | コメント(4) | トラックバック(0) | この人に逢いたい | 日記
2013年07月10日 イイね!

『美女と野獣の凸凹コンビ』30年ぶりのデート

『美女と野獣の凸凹コンビ』30年ぶりのデート~帰ってきた長谷直美さん~

 7月9日のお昼に「何シテル?」の欄で、「これより、有楽町へ。憧れの女性と真夏のデートです」なんて浮かれた予告をしてしまった。お恥ずかしい。

 それにしても、この暑さだ。最初は電車を利用して有楽町へ向かうつもりだったけれど、冷房のきくクルマに変更。これは正解だった。市ヶ谷の防衛省を抜けるあたりで、わたしの携帯電話が鳴る。当然、プログレを路肩に寄せて停車。長谷直美の文字が光っている。約束の時間まで、たっぷり40分はある。
「あ、長谷直美です。いまどの辺ですか? わたしは所用が早めに終わって、有楽町の駅前にいますけど……」
 あと、20分くらいで着けるでしょう、と伝えると、じゃあ、その辺でお茶を飲んでいますから、どうぞごゆっくり」





 30年前によく聴いた、歯切れのいい、明るい声が懐かしい。浮き浮きと、靖国神社前から、千鳥ヶ淵通りへ右折する。お濠端に沿って日比谷の交差点を目指す。順調なクルマの流れ。計算通りに20分で数寄屋橋に着く。

 かつての朝日新聞社はショッピングモールに変身している。IKEA BRADAの前に停車して、今度はこちらからコールする。と、そこで待ち受けてでもいたように、サングラスをかけた直美さんが長い髪をゆらしながら現れる。もう50歳台になったはずなのに、雰囲気がちっとも変わっていない。たいしたものだ。

 涼しいホテルのティールームで、となると、得意の東京プリンスホテルが近い。1Fのティールーム「ピカケ」に落ち着いた。

 なぜ、こんな嬉しい時間がやってきたのか。やっぱり説明の要ありか。ことの起こりは「みんカラ」にあった。ご記憶の向きもあるかもしれないが、およそ2年前の8月14日付けのBLOGで《「新・編さん」の茨の道》の第2回として『雨中の激走! 美女と野獣の凸凹コンビ』というレース挑戦にひきずり込まれてゆくレポートを紹介しているが、その時の伴走者として、当時、眩しい青春のシンボルだった長谷直美さんを起用。なかよく「日産レーシングスクール」を受講したものだった。

 その翌年、凸凹コンビは日産レーシングスクールをそろって修了し、それぞれのカテゴリーからレースデビュー。とくに直美さんは、日産がラングレーのレ―シング仕様でレディース軍団「チーム・エンジェル」を結成した際に、専属ドライバーの一人に抜擢され、スポットライトを眩しく浴びたものだが、あれから30年近く経って、いまはどうしているのだろうか。聞くところによれば、幼馴染と結婚してフランスに住み、ルマン24時間レースのどこかのチームの広報担当として活躍しているらしい。1956年生まれか。逢いに行きたい人の候補としてリストアップしておこう……などと、フレッシュマンレース時代のエピソードにかこつけて、ひそかにラブコールを謳いあげていたものだ。

 それがなんと、つい一月前に、わたし宛にこんなメッセージが、みんカラBLOGを通して届けられた。

——ご無沙汰です。長谷直美です。
大変ご無沙汰しています。お元気のご様子、何よりです。こちらはいろいろあって、長い外国暮らしから、昨年日本に帰ってきました。正岡さんのブログ、時々拝見しています。先だっては懐かしい頃のお話を書いていただき、ありがとうございました。今日は、実はお願いがあり、思いきってメッセージさせて頂きます。正岡さんとモータスポーツを楽しん出た頃の、私の写真がありましたら、お借りできないでしょうか? TBSの番組内で使用させて頂きたく、お願いメッセージしました。これを機会に、またよろしくおねがいします。
                            直美

 もちろん、直ちに手元にある彼女の写真をピックアップし、メール経由で届くように手配した。その時のお礼を言いたいからと、連絡が入り、この日の「ミーティング」が実現したわけだった。


 

 帰国してからの芝居やTV仕事の話やら、これからの取り組みやら、長谷直美復活のシナリオは固まりつつあるようだ。いい機会だから、ベストカー創刊当時の彼女の「姫ドラ」ぶりや、彼女の連載ページだった「直美のパッシングレポート」など、改めて検証してみようか、なんて会話している間に、彼女が昔ながらのお茶目ぶりを発揮した。なにやらスマートフォーンにとりついているな、と見ているうちにFacebookを通して、「コメント」をお仲間に流していたのだ。



「今日は懐かしい方とお茶しています。カーキチ時代を共に楽しんだ……」と前置きして、わたしを紹介している。と、同時に、前日、わたしがアップしたばかりの「あっぱれ『闘うオヤジ』讃歌」をシェアしてくれていた。それを、こちらは持参したiPadで確認するという不思議な時間。
「え!? なに、この勢いは」
 みるみるうちに、「いいね!」のカウントが殖えていく!
 アッという間に100を超えてしまい、瞬く間に200も超えてしまうではないか。さすが、長谷直美。参りました!

 その夜、この稿に取りかかるに当たってチェックしてみると、なんと450人。
お陰で「みんカラ」フレンズ以外の方々からの「回想の中山サーキット」への感想も頂戴できた。この思いがけない副産物に感謝。この稿、さらに続けたくなったが、どうしようか?
 

 


Posted at 2013/07/10 03:40:35 | コメント(7) | トラックバック(0) | この人に逢いたい | 日記
2011年07月10日 イイね!

片山右京・不死鳥伝説の美学




※疾走する右京選手(Team UKYO Official blog)より抜粋

7月7日。あ!七夕祭りの日だったのだ、と地下鉄の乗降口から外へ吐き出された瞬間、気づいたのです。目の前で笹の葉と短冊が揺れている。築地・魚市場のすぐ脇に出たから味わえた季節感とその界隈に棲む人たちの心遣い。
大通りの向かい側に築地がんセンターの白い高層棟がそそりたっています。3年半前に、ぼくはそこで手術をうけ、無事、生還しました。つまり、再生の出発点だったのです。

約束の時間には、まだ20分ほどある。この日の陽射しはさほど厳しくはない。逢いたい人に、逢いに行くのだから、当然、足取りも軽くなります。
改装工事中の歌舞伎座を横目でみながら東銀座をめざす。電通別館を過ぎると「銀だこ」。ここのたこ焼きと鯛焼は、通りがかるときにはかならず買ってゆくのだが、この日は残念ながら、パス。そのかわり、その地点から携帯電話で、訪問先に確認の連絡を入れる。

1Fにうなぎ屋さんのあるビジネスビルの6F。エレベーターが停まると、もうそこは訪問する事務所の入り口だった。声をかけ、ドアを開けると、こちらを振り向く男性。片山右京君の陽焼けしてひきしまった顔がそこにあり、それがぱっと笑顔に変わる。

右京君はいま、「ツール・ド・フランス」をめざしている。だから上半身はフォーミュラーカーのように肉付きに無駄がなく、下半身はGT-Rも顔負けのマッスル・サスペンション。
「そうでないと、自転車レースに仕掛けられる、キツーい峠は越えられないんです」
 おお。F1、ヒマラヤ登頂に続いて、「ツール・ド・フランス」にも本気で挑戦するんだ。
「いやいや、まだまだです。いま、国内の競技をティーム右京でやってますから、練習だけは欠かさずに……。それよりも、ランチタイムになると、このあたりは混みますから、今のうちに、お鮨でもいかがですか?」



右京君に最後に逢ってから、6年が経つ。『釣りキチ三平』の矢口高雄さんの対談シリーズをプロデュースしていたとき、無理をきいてもらって以来です。でも、それが昨日のことだったような屈託のなさ。案内されたお鮨屋の奥まった席に着くや、自分は1貫、同行したマネジャーとぼくには1貫半の「握り鮨定食」を注文してくれる。いつも、この人は総てのことを軽いフットワークでこなしてしまう。
右京君とは裸の付き合いからはじまっています、といったら、隣りに座ったマネジャー(女性)が、エッという表情で反応する。いやいや、とぼくの方が慌てて、以下のような内容で解説しなければならなくなった。

――7月の終わりの週末、ぼくらは決まってスポーツランド菅生に集まった時期がありましてね、右京君は当時のF3000、ぼくはそのサポートレースであるミラージュCUPに参戦していて、宿泊するホテルが同じだったことが多かったのです。菅生から山形方面に向かう秋保街道。その途中にある白いリゾートホテル「クレセント」を好んで利用したものですが、岩城滉一君も常連の一人。とくにそのホテルの温泉大浴場がお気に入りでした。
ある時、右京君がご両親を招いてここに泊まってるよ、岩城君が教えてくれ、ああ、そうなんだ、と右京君のことが少しわかった気で、お湯に漬かっていると、「いま、その辺を、ひとっ走りしてきました。失礼します」といいながら、隣にザブリと入ってきたのがご当人。それ以来の裸のお付き合いでして……。

それからの右京君が、心の赴くまま、さまざまな課題に挑戦して行くのを、ぼくは例えようもない親近感をもって見続けてきた。92年からは念願のF1へ。97年、燃え尽きて、F1から撤退。日本人最多の95戦参戦という勲章を得て……。で、次のターゲットが世界の秘峰への挑戦を開始。マッターホルン、キリマンジャロを踏破、その一方でルマン24時間レース・第2位、ヒマラヤ・シシャパンマ登頂、そしてダカールラリー出場と、とどまることを知らない挑戦精神。が、それも2009年暮れ、富士登山の訓練中に遭難し、同行した友人二人を失い、以後、活動を休止するという状況に追い込まれていた。



時が流れ、右京君が蘇った。未来を担う子供たちから「ほんものの元気を引き出す」チャレンジスクール、自転車レース参戦、モータースポーツでの新しいスタイルによる活動(スーパーGT)など、いま右京くんをつき動かしているエネルギーはどこから来ているのか。その辺を右京君の言葉で、じっくり訊かせて貰えないだろうか。

それが、昼食も終わり、事務所に戻ったところでの、ぼくからの申し入れでした。
「いいですよ、近いうち、時間をとりましょう。それより今度の菅生に来てくださいよ」
快諾する右京君。「不死鳥伝説の美学」そんなタイトルがすぐに浮かんできたが、どうも「大文字」っぽい。その辺のことは、これから聞き取り取材を積み重ねるうちに、こちらの腰もぴたりと決まってくれるといいのですが。



そうだ、ご無沙汰したままの菅生へいこう! 右京君がスポーティングデレクタ―をつとめる「グッドスマイルレーシング」は、さきごろのマレーシア・セパンサーキットでのGT300クラスで優勝したばかり、つまり凱旋レースをどう闘うのか、ぜひ、見てみたいし、何よりもエースドライバーの谷口信輝君は、ガンさんの「ドラテク特訓道場・中山サーキット編」で、一躍注目を集めたべスモ卒業生。加えて、「初音ミク」をあしらった痛車デザインのマシン、個人スポンサー制度など、この目で「新しい風」を確かめたい。

7月7日。また新しい「一粒の麦」が芽吹きはじめたようです。

Posted at 2011/07/10 03:11:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | この人に逢いたい | 日記
2011年07月04日 イイね!

ノンフィクション作家 佐野眞一さん

このところ、積極的に「逢いたい人」に、お目にかかり、めったに聴けない話を伺っています。

本来なら、べスモの「思い出」に書き込みを寄せていただいた方々を、ぼくなりの選び方でピックアップし、紹介させていただこうと取りかかったのですが、なにしろ200通をこえる、それぞれの想い。
全部、読み終えるのに、もう少し、時間を頂戴します。



で、時には趣きを変えて、《人物訪問》のコーナーを挟むことにします。そのトップバッターは、ノンフィクション界の実力者・佐野眞一さんです。お目にかかるのは初めてですが、民俗学者・宮本常一と渋沢敬三との交流を描いた「旅する巨人」という作品に触れて以来、ずっと気になっていた作家のひとりでした。近著「津波と原発」(講談社刊)は凄かった。


 
  曳舟駅で各駅停車に乗り換えるとき、プラットホームの真正面に!


その佐野さんの講演があるから聴きに来ないか、と「日向読書会」から誘いを受けたのです。会場の東向島へは、地下鉄大江戸線と東武東上線を乗り継いで。清澄白河とか、曳舟とか、雅びな趣きをたたえる駅名を過ぎて、やっと会場にたどり着いた時は、もう佐野さんの講演は始まっていて、120人を超す聴衆で、座る椅子もないほどの盛況ぶり。

話題は、東電のもつ「隠ぺい体質」を本当に暴けるのは、大文字の論評ではなく、たとえば原発から1キロと離れていない地点にあるほうれん草農家を探し当てることからはじまる小文字のノンフィクションレポートではなかろうか、というのでした。

「大文字」とは、新聞やテレビに、いつも出てくる言葉、たとえば「構造改革」というのがそれで、ほんとうは分かってもないのに、分かったようにさせる言葉。それは便利な記号に過ぎないのです。では「小文字」とは? そのひとでないと言えない言葉。その人でないと見えないもの。

とても静かな口調だが、事実だけをヒタヒタと積み重ねていく姿勢に、こちらはドンドン惹きこまれていく。講演のテーマは東日本大震災後の日本人の生き方。

嘘をつかない。逃げない。諦めない。この3点を貫いていく。それがジャーナリストとしての、佐野さんの〈戒律〉だという。佐野さんの「強さ」はそこにある。人物論も多くてがけている。近くは孫正義。彼のルーツについても、佐野さんは徹底的に取材する。韓国の大邱(テグ)まで足を伸ばす。そこまで御存知なら、と孫正義も笑顔で認め、むしろ積極的に取材に応じるようになったという。

ぼくにも、数多くの作家・ジャーナリストの友人・仲間がいる。が、ここまで、自信をもって、はっきり言い切れる佐野さんを、ちょっと眩しく感じてしまった。


 若者の声に佐野さんは真摯にむきあっていた。それが「小文字」で書くことにつながる 


講演会が終わると、近くの蕎麦屋の二階で「佐野さんを囲む会」があるというので、そちらへ移動。出席者は25人ほどにしぼられていたが、NHK地方局の記者、新潮社の編集者にまじって、地元の読書会の若者グループも参加して、結構、素直にはっきりと、佐野さんと対話している。生きることに、エネルギーを燃やしていたい、それが彼らの願いだった。


 佐野眞一ご夫妻

幸い、佐野さんの隣りにぼくの席が設けられていて、彼の単行本のタイトルのつけ方や、共通の友人の近況など、結構、話しこめたのです。

彼の好きな言葉は、宮本常一の「記憶に残ったものだけが、記録にとどめられる」を言い換えて「記録にとどめられるものしか、記憶にのこらない」だそうです。いい仕事を積み重ねている一人です。

いまのぼくは、クルマメディアと直接に関わっていませんが、かつて毎日新聞のエース記者だった内藤国夫さんに「実録モータースポーツ」を取材、執筆してもらっています。そこからうまれたのが当時、追放同然だった黒沢元治さんの復活です。よかったら「べスモ疾風録・第4話」をご覧ください。
この佐野さんにいつかは「クルマメディア」に新風を吹き込んでもらえないだろうか。そのためにも、逢いたい人に、逢いにいく。これからの、ぼくの新しい目標です。多分、7月7日には、次の「逢いたい人」に逢いにいきます。ちょっとおたのしみですよ。

佐野さんの署名入り近著『だから、僕は、書く。』(平凡社刊)が、お気に入りの1冊に、新しく加わりました。そして、もう一つの収穫。それは「べスモの思い出」に書き込みをしてくれた読者の声、思いこそ「小文字」だということ。そこにぼくの思いが至ったのです。そうか、それだ!と。
Posted at 2011/07/05 02:40:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | この人に逢いたい | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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