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正岡貞雄のブログ一覧

2015年03月01日 イイね!

『140字日記』という記録の「首飾り」

『140字日記』という記録の「首飾り」 ~初詣「大吉」のお告げは当たってくれたか~

【左写真:HONDAの新しいSUV JADEの発表会。この直後、HONDAは伊藤孝紳社長が退陣、新体制に踏み出した】

月が替わると、新しくスタートラインに立った気分になれるのがいい。
 さて、2015年になってから59日、「還暦プラス19歳の青春」などと、痛々しく(?)心を励まして、いくつかの新しい目標を設定して、日々、それなりに燃焼できている果報に感謝したい。
 それでも、目標は「完全燃焼」ではなかったのか、自らを問う声が聴こえてくる。
 その通りだ、と思う。そんな時は、素直に、写真付きで140字に圧縮された日々の出来事、想いが収納されている、「何シテル?」欄を読み返すことにしている。


*「筑波バトル」での定位置はシグナルタワー。一瞬、一瞬が新しく、おのれの心臓の鼓動が聴こえてくる日々だった。

 今回は、その「足跡」を時間軸に合わせて、実況風にトレースしてみたい。新聞の「天声人語」にならって、140字できっちりまとめるために、文章の冗漫な箇所を削り、用語にも神経を配る。勉強になる。しかし、そのために、枝葉の部分のもつ意味合いが消失し、潤いに欠ける。その上、本来、伝えたかった部分まで削ってしまった場合もあり、それが心残りであったりする。写真にしても、1枚だけの掲載とはもったいない、というケースだってある。

 いうならば、目下、取り組んでいる『局長の仕事』の「140字日記」版であるが、その一つ一つを首飾りのように繋げてみると、それがまた、新しい命を紡いでくれそうなのだ。ともかく、繋いでみよう。はたして「記録」という名の「首飾り」が出来上がるのだろうか。

 まずは、2015年は「大吉」の御神籤からはじまっているのに、うっかり写真に収めるのを怠ってしまった。問題は、そこだな。

01/01 13:48
近くの八幡神社へ初詣。空模様が激変して、今にも雪の舞い落ちそうな気配。お賽銭を投げ、神札をいただき、御神籤を。お、家人も小生も、揃って「大吉」! 旅するもよし。願い事、叶うべし。健康、憂いなし。でき過ぎだよ。こんな時こそ、用心を!



01/01 16:46
Be a driver! MAZDAから送られてきた年賀メールに、このショットがはいっていた。年末のパーティで撮ってもらったものだが、他の方々はステアリングとなると回すものだというポーズ。で、小生、今は「パドルシフト」の時代じゃないかとこの手つき。やっぱり変だね。いかがですか?



●MDi このままポスターいけそうですね(≧∇≦)
●とにとに 笑顔が素敵ですね!マツダのCMに即採用ですよ!
●正岡……あ、は、は。元祖のこの方には負けます。



01/03 20:54
年頭のベスモ同窓会メンバー「プチ・オフ会」。関越・三芳PAで落ち合って圏央道へ。いつものCMO氏と平成生まれの大学生「Shuhei@ABUDEKA」君。行き先は日高町「高麗神社」。高麗郡建郡1300年とあって初詣で大賑わい。つまり神社への道は車で大渋滞。魔除けの「将軍標」が独特。

 この「プチオフ会」、本来ならBLOG本編で紹介したかった内容。写真を追加しよう。







01/07 12:15
若い人のパワーと、スピードには脱帽! 「べスモ同窓会」第4回目を中山で開催するのを告知したところ、MDiさんが自分のBLOGで彼なりのアピールを! どうぞこちへ!
https://minkara.carview.co.jp/userid/12206/blog/34845167/

01/08 22:36
明日の東京オートサロン、行きます。午前10時からメルセデスベンツのNEWカーの発表会があり、そこで中谷明彦君と待ち合わせです。そう、4月6日の「ベスモ同窓会」でのサプライズ企画の相談です。そこへ田部靖彦君も、合流予定。で、中谷君とドイツを走ったときの写真が出てきました。初公開だ!
● 4様。僕もそこによります。
「4様。」の永井達也さんとは、ホットバージョンの筑波ロケで知り合って以来の交遊。『ベスモ同窓会』の第1回から参加、第3回でのサプライズ・オークション「ガンさんのレーシーングスーツ」を1発でGETした御仁。レガシーのエンジンをNew86に移植した「作品」を駆って第1回べスモ同窓会に出席。




01/09 20:25
東京オートサロンの朝。駐車場に続く道はビクとも前へ進まない。策を講じてAEON隣のTIMESへ。それでも中谷君との約束の時間に遅刻。打ち合わせが済んでMAZDAブースへ。公開された2台。4月の同窓会に持ち込むマシンの相談。残念ながらロードスターは実車が6月と。それではこれで。



01/10 12:29
『第4回ベスモ同窓会』の正式告知を『グループ』欄でオープンしました!「参加申請」はそちらからどうぞ! 参加資格は『ベスモ同窓会』の登録メンバーに限ります。その点、よろしくご了承を。

01/11 19:36
ウヒョっ! 恥ずかしながら、バースデイ・ケーキだよ! 79回目とは、誰に感謝すればいいのだろう。そんなに強靱とは思えなかった躰でも心でも、使い方によって結構、長持ちするもんだ。これはやっぱり両親と家族に感謝すべき。次は? 関わり合った、めぐり逢った皆さん、メディア、車に感謝!
写真入
●8人の仲間からお祝いメッセージ。
真青苺・イワタカズマ_RA2ひら・MDi・miracle_civic・2315・えむしぃ@34狂い・Hawk Yamaの諸氏

01/11 23:49
夜の露天風呂。4月5日(日)の「第4回ベスモ同窓会前夜祭」はこれで仕上げて、3キャスターによる翌日の『座学』、午後からのドライビングレッスン、サーキット走行、あのひととの同乗走行に備えてもらいましょう。同窓会メンバーは参加・不参加を問わず「グループ」専用の掲示板を参照されたし。
RA2ひら 露天風呂最高ですよね。入りたいです。前夜祭もいいなあ。行きたいですね。こちらから応援します。


*4月5日夜の露天風呂が、今から楽しみ。

01/17 21:36
20年前の阪神・淡路大震災。鎮魂の想いが甦る。TV画面で高速自動車道崩落や街を焼く炎が! あのとき、ベスモ・ホットバージョン組は、西へ向かっていた。オープン直前のセントラルサーキットでデビュー直後のR33GT-Rのテストのために。即、中止。次の4月号が例の「広報車問題号」だった。
MDI 伝説の広報車問題は20年前だったのですね。自動車業界のタブーに一石を投じたあの一撃は現代にも生きる天元の一石だと思ってます。
●ぽぽにしさん 私のベスモ人生スタートした記念すべき号であります。清水さんのインプレ、ドリキン修善寺全開ドリフト、広報車問題、アルティアアタック、盛りだくさん。懐かしい(u_u)
●RA2ひら
あれから20年、先日のことのように思います。広報車事件、びっくりしました。売ってる車すべて同じと思っていたので。R33GTR店舗用のビデオテープなぜか家にあり見て、その後ヘスモを買って、仲間と見て衝撃を受けました。時のたつのが早いですね。

01/21 12:36
『ぽらりす』のWEBサイトの立ち上げがもうすぐだ。その「ミッション」を書き終わった。なぜ、社名を「ぽらりす」にしたかに触れた後、クルマに関わった人々が何かに迷った時、方針を見失った時のお役に立てるべく、先人の情熱・歴史・生き様が凝縮された「電子書籍」のモールを立ち上げました、と。

01/22 22:31
午後5時から都内ホテルでパーティに出席。RJCが2015年次の特別賞として“日本の軽自動車"を選んだことへの表敬だった。ガラパゴスといわれながらも、独特の発展を遂げ、全販売の40%こえを達成して、自動車産業を支えている現実。挨拶にたった軽のドン、鈴木修氏の胸中、いかばかりか。

01/24 21:29
土曜の昼下がり。【LINE】のトークに着信あり。首を傾げながら開く。と、メッセージが。「月曜日にホンダ青山に行きます。お時間が合えば打ち合わせ可能です」。中谷塾長からだった。慌ててこちらからTELL.発信音が鳴るだけ。と、またメッセージ。「すみません。いま北京です」で、約束成立。
えむしぃ@34狂い 中谷さん、プロフィール画像がいいですね!笑

01/25 11:15
日曜の朝の空は雲一つない。そろそろ秩父の蠟梅を見に行きたくなった。前日UPしたブログにちょっと手を入れる。書出しと写真のネーム。2年前のこのブログを読み直す。
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/205833167/

01/26 22:28
フルモデルチェンジするアルファードとヴェルファイアの発表会、これは見逃せない。中谷明彦君も同じらしく、極寒の北京から帰ったばかりなのに、会場のMEGAWEBまでやってきた。従来にはない「高級車」を創った、と主査が胸を張る。確かにいろんな要素がてんこ盛り。近く、中谷君と解剖しよう。



01/30 08:54
窓の外を、暗く、ひっそりと、小さな雪が舞っている。ひょっとしたら、今日は積もるかもしれない。昨夜は「ぽらりす」Webサイトで次に展開する「動画」の素材を点検。MDi一家、デザイナーの原氏が来宅。足下を考えると、今日でなくてよかった。BLOGは「それぞれのベスも同窓会」に取組み中。

01/31 13:37
晴れやかな土曜の午後。雲一つない西の空。遠く、東秩父あたりの山並みがのぞく。第3回べスモ同窓会の雰囲気を伝える動画の編集が上がってきたのはいいが「ガンさんのBEAT車載カメラ」とオープニング光景での大井君のお茶目なしゃべり、どちらを先に露出するか迷っている。ご希望をお寄せ下さい!

02/05 10:56
ベスモ同窓会まであとふた月。今夜にも、ガンさんの「Beat走り」の車載カメラ映像を公開するべく追い込み中。窓の外は暗い雪が舞い始めたが、この写真の明るさを見たら、モヤモヤが吹っ飛ぶ。みんなの笑顔に、もうすぐ逢える!そうだ、みんなに第3回同窓会のオープニングも見て貰わなくっちゃ。

02/06 21:07
連日「べスモ同窓会」物に没頭していた。そこへHot-Version Vol.132のお届けにホッ! いそいそと封を切る。売りは『魔王決定戦2015』 J'Racing S2000の復権なるか? それとも新魔王FEED FDの返り討ちか? それともNewヒーローが誕生か。ところが!

02/09 23:47
「故 徳大寺有恒さん お別れ会」が終わって、夜の道をプログレを駆って、しんみりと帰宅。お見えになった仲間は300人を超えた。白い花をそれぞれが1輪ずつ献花。発起人の一人としてお迎え、お送りしたので随分と懐かしい顔と一人ずつ、お目にかかれた。みんな同じように、見事に歳を重ねていた。




*作家の北方健三さん。ひところ、徳さんと二人が一緒にいると;勝新と若山富三郎の兄弟と見間違われた。その話を北方さんとしながら、徳さんを偲んだ夜……。


童夢の林ミノルさん、TOMSの舘信秀さん、そしてレーシングドライバーの関谷さん。懐かしい共通の昔仲間にも逢えた。

02/12 20:57
[満を持して」というべきか「やっと漕ぎつけた」なのか。HONDAが「セダン並みの低高で美しいフォルムの中に、ミニバンクラスの居住性とユーティリティーを実現し、パワフルで上質な走りを備えた6人乗りの新型乗用車≪JADE(ジェイド》】の発表会へ。JADEとは翡翠のことと初めて知った。
●Miracle_civic 私の場合「JADE」と聞くと自宅に保管されているバイクを思い出してしまいます。
正岡貞雄 そうでした。なんだかシックリこないと首をひねっていました、そうですよね、20年以上前の250ccバイクがありました。HONDAが古い商標を活かしたわけですね。

02/13 21:25
富士フレッシュマンのEXA時代、お世話になった「チーム中春」のリーダー中村吉明さんが他界した。田部靖彦君からの連絡だった。14日の夜、その『偲ぶ会』が。勿論、出席する。急にEXAレースの写真が見たくなる。第1コーナーの競り合い。「中春」から出たEXAが何台いるか? ⑩がぼく。
●Ku-ta! Desu 嬉しいです!私のフレッシュマン時代のチャンピオンゼッケンも⑩でした。♪

02/18 12:32
ワールドCOTYパフォーマンスカー部門で、LEXUS RCFが日本車でただ1台、最終選考10台に選ばれたというNEWS
。前年はたしか、PORSCHE911GTSがグ選ばれている。アウディが3台、メルセデスはAMG GT、ジャガーはFタイプ・Rクーペ。発表は4月。頑張れRCF。

02/23 22:11
大相撲なみに「満員御礼」が出たべスモ同窓会。今回は「4様!!」の進言で前夜祭もやるため、参加枠を「40」としたにもかかわらず、締め切り1か月前に40に到達。多分、そうなると、日程の都合もついたから、と参加希望者がでたら気の毒だ。で、窮余の策として2名の特別枠を。迷える人は急げ!

02/26 12:39
今にも白いものが舞い落ちてきそうな暗く、重い空。今日は2月26日か。79年前の帝都・東京が陸軍「皇道派」と呼ばれる青年将校によって支配された事件はもう、消えてしまったのか。要人殺害、未明の雪の朝、軍靴に蹂躙された様子をぼくらは『叛乱』『憂国』といった文学作品・映画だけでかすかに。
● ゆーさく@アリスタント⑨州支部 此について幾度かブログにかきつづりましたね。 所謂昭和陸軍の中の派閥抗争の一つに利用され翌年には中国との全面抗争、大日本帝国の崩壊へのキーポイントともいえますね。

02/27 23:16
明日で2月が終わり、春はもう目の前。午後4時、東京タワーの真下にあるスタジオで、MAZDA「CX-3」の発表会が。1.5ℓのクリーンディーゼルエンジン専用車。その中からMT6速を選び、4月6日の「べスモ同窓会」往復のお供に指名しているこのNEWカマー。見た目だけで走りたい誘惑が!



 2015年のカレンダーがめくられてからの2か月。こうやって「何シテル?」の140字日記を首飾りのようにつないでみると、ああ、そうなんだ、と改めて気づいたのは、好むと好まざるにかかわらず、わが心は「4月6日」の中山サーキットにむかって、吸い寄せられている……ということだった。
 
 一つ一つの珠は小さくとも、それが一連の首飾りになったとき、ひょっとしたら思いもかけない「別物」の「宝もの」となってくれる予感がしないでもない。これからも大事に、一日一日を紡いでいきたい。

 
Posted at 2015/03/01 21:56:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | 黄金の日々 | 日記
2015年02月05日 イイね!

『ガンさん』の究極のBeat走りを車載カメラで!!

『ガンさん』の究極のBeat走りを車載カメラで!!〜『クルマに首ったけ野郎』にバレンタイン・プレゼント〜

「中山サーキット」での「ベスモ同窓会」は3度目となる。開催告知をしてまだ1ヵ月も経たないのに、一応、参加者を40名限定で、すでに35名が名乗りをあげている。ことしは、関東圏や九州からの希望者も多いため、それぞれのスケジュールの都合もあるだろうから、例年よりひと月早めに告知したせいもあるだろう。

 しかし、それだけとは思えない。「ベスモ同窓会」がどんなイベントなのかが、だんだんと認知されたから、とも言えよう。そして、一度参加した「ベスモ」のDNAをもつ『カーガイ』たちが、みずからのBLOGを舞台に、その収穫を誇らかにレポートし、映像化してくれていることもあって、知る人ぞ知る、年に一度の「祭典」になりつつある。



 それでもやっぱり、行きたいけれど遠過ぎる。年度はじめとあって、休みも取れない……などと、参加できない「クルマ仲間」のために、バレンタイン・プレゼントかわりに、タイトルに謳っているお宝映像をプレゼントすることにした。

 受け取ったら、驚くなかれ。そこには懐かしい『ベスモ車載カメラ』の世界が再現されている。御年,74歳のガンさんが軽々と、あの和製ニュルと呼ばれる1周2kmの難コースを駆け抜けて行く直近のドキュメント。それも、コースのどこを走っているのかを告げるマーク、ブレーキングポイント、スピードメーター、タコメーター、Gメーターなどが合成されている。う〜ん。



●プレゼントはこちらから http://e-polaris.jp/


 撮影者は東京で「ベスモ同窓会」の世話役として、いつもわたしをサポートしてくれている「MDi」さん。Beatで桶川や平塚のジムカーナー競技に参戦、幾度かの優勝経験の持ち主である。
 彼の夢の一つが、岡山遠征。奥さんと5歳の坊やと2台のBeat で往復1300kmのハードなドライブ旅行をやってのけた一家である。 
 そのご褒美といっては何だが、彼のBeatでドライビングしてもらうことを、ガンさんに頼んであげた。当然、巨体のMDiさんをナビシートに縛りつけて……。



 外絵は奥さんの「ああやまええら」さんが担当。これがご主人よりカメラワークがいい。動画の初っ端にその声が入っているのがご愛嬌。坊やの可愛いい声もかぶるが、そこがファミリーな雰囲気を、巧まずに演出する……。

 この車載映像はこれまで、ベスモ同窓会会員限定で公開配信していたのを、「ぽらりす」で再編集して、今回、一般公開にふみきった。ガンさんのドライビングの生の動きを、ひとりでも多くに「カーガイ」に堪能していただくために……。

 と、同時に、同窓会オープニングの模様も、同様に披露することにした。これなら、真っ直ぐに、「ああ、こういうイベントなんだ」とお判りいただけよう。



 ともあれ、まずはその震源地である『ぽらりす』サイトにお出であれ。この試みは、さらに発展させたい。あれもやりたい、これもやらねば、と悩ましい日々がはじまりそうだ。

Posted at 2015/02/05 23:52:11 | コメント(4) | トラックバック(0) | 黄金の日々 | 日記
2015年01月03日 イイね!

カリスマ教官からの「年賀メール」

カリスマ教官からの「年賀メール」~ことしの大河ドラマ『花燃ゆ』は萩が舞台だね~

【左の写真は山口・萩の街の眺望】

 カーッと喉が焼け、やや間を置いて胃袋全体に、その熱いものが、心地よく燃えひろがっていく。まるで極上のスコッチをいただいたときのように、わたしの心を捉えた波田昌之カリスマ教官からの年賀メール・・・・・・。理屈はいらない。まずはご一読願いたい。

 それは2015年1月1日の午前8時50分に発信されたもので、まず、年頭のご挨拶をいただいたところで、こうはじまっている。


*カリスマ教官の父君を育て、磨いた萩の海

――実は昨日実家に帰宅し時、久々に父とじっくり話す時間がありました。父は15歳の時から漁師一本で、ただいま82歳。昨年末もサザエやアワビを取りに潜水を現役でこなしています。
その父との会話の中で、「今が一番上手くなったのかもしれんのう」と言う一言がありました。
私はその言葉に非常に興味を持ち、問いただすと、
「今年は潜水服も新調して体力の温存を試みたが確かに軽くて温かい、ところが浮力が強いからより重い錘(おもり)を腰に付けなきゃならん。確かに体力は落ちた。昔は足だけで潜り無駄な体力も使わずに済んだから潜水時間も長かったけど、今は腕も使わんと下まで行けん。でもそれだけ無駄な時間は費やさん。獲物を見つける勘と経験は長年培った成果かも知れん」


*波田教官が手にしているフルフェースのヘルメットは…

 父は続けます。
「この年になっても金儲けが出来ることは幸せ。でも今は昔と違う。儲けちゃろうと思うと、なかなかそうはいかんもんで、思うようにならん。でも今は自分の楽しみとして仕事をしちょる。やっぱりここにおったか、やっぱりダメじゃったかと心の余裕がある時は自然と漁もついてくる。」


*これも萩の海。シニア波田の仕事場はどのあたりだろう。

「でものゥ、これはお母さんの支えがあったらからじゃ。お母さんが公務員として保育園の給食の仕事があって家計を支えていてくれたおかげじゃ。でものゥ、それに甘えちゃいけん、それに負けちゃ男がたたん、と言う気持ちもあったんで。でものゥ、一つだけダメじゃの思うことがある。そりゃ漁師は所詮孤独。人との付き合いが下手。時には漁があってもないフリをして人との騙し合いもある汚い部分もある。だからお前の仕事も大変じゃと思うよ」

正直、参りました。父はこの歳でここまで考えこの道を貫いてきたのか、と。そして知りました、こんなにも身近に、黒沢元治・徳大寺有恒、そして正岡貞雄(正岡註;いやぁ、お恥ずかしい)がいたことを……。
そして改めて感じました。歳は関係ない、いや言い訳にならない。本人の考え、経験、生き方はきっと後世に受け継がれる。だからこそ今が大事なんだ、と。

局長の想い、行動力も我が父と通じるものがあります。だからこそまだまだ学ばせて下さい。そして今年も、お付き合い、よろしくお願い致します !     波田昌之
★        ★        ★        ★
 本来なら、私信の引用はご本人の承諾を得てからにすべきだろうが、4半世紀を超える
交遊と、なによりも、波田さんのお父上の、なんとも奥行きのある、真珠のようにしっとりと輝く言葉に免じて、お許しいただこう。

 目を閉じると、山陰の暗い海が浮かんでくる。そこに生きた漁夫の潮焼けした横顔。そして、ぽつりぽつりと己の生き様を息子に語りかけるひととき。波田さんはいい親孝行をしたのだな、と気づいた。

 ベスモ同窓会の代表幹事である「カリスマ教官」こと、波田昌之さんには何度も、当BLOGに登場願っているので、ご存じの向きも多いだろう。なにしろ、清水和夫さんの『松・竹・梅』で「そのブレーキング・スキルは松の上」という讃辞をいただいたほどのドライバーでありながら、いまだに自動車教習所の教官として「いかにしてドライビングを教えるべきか」と、日々、研鑽を重ねている御仁。この人がいなかったら、「中山サーキット」を舞台にした『ベスモ同窓会』は、多分、成立しなかっただろう。




*1月4日から放映開始。ヒロインは井上真央が演じる。

 その波田さんを唸らせた『親父の背中』。わたしより3,4歳ばかり先輩だ。機会があれば、ぜひ一度、お逢いできないものか、と思ってしまう。山口県の萩か。そうだ、と気づいた。2015年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の舞台は、毛利長州藩の城下町・萩ではないか。「松下村塾」を開き、近代日本の舵取りをした若者を育てた吉田松陰の妹・杉文(あや)がヒロインという設定らしい。

 萩には、1994年の夏に一度だけ訪れている。丁度、初代マジェスタが登場したころで、セルシオから乗り替えるかどうか、迷っていたこともあって、試乗をかねてその時のお供に指名。ひたすら東名・名神・中国道を走り、やっと蒜山(ひるぜん)SAで休息するハードな旅だった。それでも、玉造温泉に1泊したあと、松江、宍道湖、出雲と遊び、日本海を右手に見ながら萩へ。


*1994年8月18日の日付が読み取れる。松下村塾にて。


*海に突き出した指月の萩城。関ヶ原の闘いで西軍に与した毛利氏は、周防と長門に分割され、それからの250年にわたる雌伏を余儀なくされる。萩を毛利氏藩政の拠点としたのは、江戸幕府の指示であった。


*北門屋敷にて。







 萩では「北門屋敷」に泊まり、萩焼の窯元を訪ね歩いたのを、懐かしく思い出す。もちろん、松下村塾、高杉晋作の生家、指月城とお決まりのコースも足を運んだ。が、そのあとがいけなかった。山口ICから、中国自動車道に入り、九州・大分までもうひとっ走りしなければならないことに気をとられ、最初の大きな上りコーナーを勢いよく抜けようとした瞬間、恥ずかしながら、ねずみ取りでご用となってしまったのである。

 この4月、特に支障がなければ、中山サーキットでの『ベスモ同窓会』のあと、その足で、萩にお邪魔しようかな・・・・・・想いを弾ませはじめた。カリスマ教官の『年賀メール』に触発されて、また西の方角にクルマ旅をする気になってしまったようだ。それもまた、よからずや。


*大分・湯布院にて。日付は8月20日。初代マジェスタがこの時のお供。
Posted at 2015/01/03 02:17:18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 黄金の日々 | 日記
2013年08月08日 イイね!

『魔界・菅生バトル』はやっぱりイイネ!

『魔界・菅生バトル』はやっぱりイイネ! ~立川祐路、本山哲、脇坂寿一の大熱演に驚く~

 7月28日のスーパーGT第4戦、菅生ラウンドをハードディスクに録画しておいたのは大正解だった。秩父の「甘酒まつり」から帰ると、とるものもとりあえず、再生機で予選10位スタートのガンさんチームのLEON SLSはどうだったか、とチェックをいれはじめた。

 中継のカメラはGT500クラスのトップグループに張り付いている。序盤の主役は1号車、関口雄飛のREITO MOLA GT-Rで、後続のトヨタ勢が入れ代わり立ち代わり仕掛けるのを耐え抜いて、40周目にピットイン、エースの本山哲にバトンを渡す。と、同時にピットに入った39号車に乗り込んだ脇坂寿一が、鼻の差で一瞬早く、コースに復帰し、前に出た。追う本山。が、間に挟んだGT300クラスの排除に手間取って、その差が開いてしまう。そして、いつの間にか、本山の背後に38号車の立川祐路がはりついていた。


*7月28日の決勝スタート(81周)。天候は晴れの好コンディション。(以下、TOYOTA車関係の写真は『TOYOTA MOTORSPORTS』より)



「魔物の棲む菅生! 何が起こってもおかしくない!」
 アナウンサー氏もさかんにけしかけるし、そんなテロップも用意されていて、一触一発の危うい雰囲気がいまにも弾けそうだ。

 最終コーナーから10%の勾配をのぼり切り、トップを独走する脇坂を追って、ストレートを併走する本山と立川。早めにインを抑えた立川がわずかに前に出る。が、譲らない本山。2台が一つになって、2コーナーから下りのヘアピンへ。その形は崩れないまま、のぼりのS字、危ないハイポイントからレインボーコーナーへ。それも2台はぴったりと横に張り付いて、今度はバックストレッチを下る。
 馬の背コーナー。ここのブレーキングで立川がするりと前へ。



  2度目の第1コーナー攻防戦。アウトの立川、インの本山。お互いのタイヤとホイールがくっついて離れない。2台が押し合うようにして2コーナーのアウト側へ。辛うじて立川はコースに留まるが、本山はダートへ飛び出す。そのとき、背後でファストラップを叩き出して追走していたHONDA勢の18号車のマコーヴィッキが2位に浮上してしまう。そんなドラマまで、このTV中継は丁寧に捉えてくれている。この後、タイヤをバーストさせていた本山は早々とトップグループから脱落してしまう。が、魔界・菅生のドラマは、それだけでは終わらないことになっていた。

 55周目あたりだろうか、コースの一部に雨が落ち、路面が濡れはじめる。と、恐ろしく速さを見せ出したのが立川だった。前を行く18号車のマコーヴィッキの襟首をつかんで軽々とパスをすると、その勢いのまま、トップを独走していたはずの同じレクサス陣営の脇坂まで、捉えてしまった。しばらくは、その3台の編隊ランを楽しく鑑賞する。






*べスモ1997年8月号でキャスター・オーディションを受けた時の立川。左、高橋ツヨシ、右、山本勝巳の両君。

 観賞しながら、わたしは古い記憶の中の立川祐路を思い起こしていた。あれは1997年だったろうか、ベスモの「編集長」を後進に託すに際して、若い専属キャスターのオーディションを行ったのだが、そのなかに、フォーミュラー・ルノーで修行して帰国し、F3に参戦していた立川祐路もいた。その時の評価は、「まだお子様ランチだね」だった。その彼もすでに38歳、ドライバーとして、もっとも脂ののった時期にさしかかったのか。きっと、近いうちに、車載カメラの映像からのバトルシーンを駆使した「編集もの」が放映されるだろうから、それは見逃せないぞ、とこころに刻み込んでおく。

レースは残り10周ちょっと、となったあたりで、異変がやってきた。脇坂と立川が入れ代わりに首位に立つ展開も、GT300クラスが間に入るたびにテンポが変わってしまった。
70周目のレインボーコーナー。インに入った脇坂の真横に2号車のマクラーレンがいて、それにヒットしてしまう。と、3ワイド状態で右ターンしようとした立川を、マクラーレンがプッシュ。たまらずスピンしながらコースアウトする立川。グラベルトラップにはまってしまって動けなくなった。



 その直後だ。脇坂の39号車をバックストレッチで捉え、両脇からパスしようとしたHONDA勢の2台が絡み合って、右側のガードレールへ激突してしまう……。そして、生き残ったはずの脇坂も、73周目に、右リアタイヤが突然バーストして、コース上でスピン。なんとか、ピットにたどり着いて、タイヤを交換してレースに復帰できたものの、結果は4位に。魔界・菅生の舞台で大熱演を演じてくれた男たちには、勝利の女神からのプレゼントはなかったが、「スーパーGT」から、ますます目が離せなくなったのは、わたしだけではないだろう。いやあ、血圧が上がりっぱなしの4時間録画であった。

 さて、夏の菅生はこうして終幕したが、肝心の黒澤治樹、翼兄弟のLEON SLSはどうしたのか。一時、TV中継画面のテロップでクラス5位にあがり、終盤、6位で走行したのが、ゴールしてみると7位に。どうやら、土壇場のS字コーナーでGT500のマシンと絡んで、6位入賞をフイにした模様だ。幸い、8月11日に放映されるテレビ東京系の「スーパーGTプラス」は300クラスを中心にした編集内容だという。ここで、ガンさんチームの模様がチェックできるはずである。


*第2スティントを走った黒沢翼選手。後半のラップタイムは急上昇。次戦に期待。

 これでスーパーGTも前半を消化した。8月17、18日の鈴鹿からの残り5戦。嬉しいニュースがお届けできるといいが。おお、その前に、HOT-VERSIONの最新号が届いていた。
早速、封を切って、急ぎ、鑑賞しなければ。『憧れのSUPER SPORTS BATTLE』が柱企画。さて、さて、これまでとはいささか趣きがちがうようだが……。

Posted at 2013/08/08 02:59:04 | コメント(8) | トラックバック(0) | 黄金の日々 | 日記
2013年05月26日 イイね!

ルマンに恋した男たちへの報酬

ルマンに恋した男たちへの報酬~『鎮魂の1冊』第3章~

 1986年。萩原光が菅生サーキットで逝ったその年は、日本から3チームがルマンに挑戦した。ルマンの常連、マツダスピードがマツダ757を投入することを宣言し、NISMOもルマン参戦のラインアップを明らかにし、そしてTOM’S&童夢も名乗りをあげるなど、「ルマン熱」はますますヒートしていた。
*アルナージュを行くマツダCカー Photo by Chikara Kitabatake


*「ベストカー」1986年7月26日号 『ル・マン Watching!』より

『鎮魂の1冊』(5月26日号)から1か月半後の「ベストカー」は7月10日号(6月10日発売)、7月26日号、 8月10日号と3号続けて、ルマン一色だった。なかでも7月10日号の巻末7ページを割いて、6月1日午後4時に幕を閉じた「ルマン速報」を、それもカラーページで掲載している。まだ、画像はフィルムに限られていて、インターネット通信もなかった時代である。どんな裏技を使って印刷に間に合わせたか、想いをめぐらせてほしい。編集者の情熱とこだわりがなければできない綱渡り的テクニックが、そこにあった。
 

 思い起こしてみると、あのころは、みんながルマンに恋していた。
ヨーロッパがもっとも美しく映える季節。花々がいっせいに満面の笑みを浮かべて、妍を競いあいながら、腕をひろげて旅人を迎えてくれる……。
 昼間がもっとも長くなる6月初旬になると、パリの南西、250kmに位置する田舎町ルマンに、世界中のモータースポーツファンが押しかける。サルテサーキットを舞台に繰り広げられる24時間自動車耐久レースに吸い寄せられて、いわゆる「ルマン詣で」がはじまるのだ。2013年は6月22~23日にかけて開催されるという。

 そのころの日本のクルマ社会は、たしかに目覚ましい発展を遂げていた。が、なにかが欠けている、とだれもが感じ取っていた。それがなにか? クルマ文化? 果たして、そんな簡単な答えでいいのだろうか。クルマ・メディアも模索していた。そこで取り組んだのが、クルマ先進国にあって、こちらにないものは何か、を追ってみることだった。


*Photo by Chikara Kitabatake

 その一つが「ルマン24時間耐久レース」。スティーブ・マックイーン主演の映画『栄光のルマン』の影響もあったかもしれない。暗闇のなかを、おのれのヘッドライトをたよりに手探りで疾走する。そんなレースは、この国のどこにもありやしない。せいぜい、鈴鹿のオートバイ8時間耐久レースのフィナーレがそれらしい雰囲気を伝える程度じゃないか。

 それに、ルマンほど危険な牙をむき出しにするレースはない、と教えられていた。1955年、ジャガーDタイプとメルセデスベンツSLRが接触して観客席に飛び込み、レース史上最悪の83名の犠牲者を出した舞台であり、テアトルルージュを右ターンすると、全長4kmにおよぶユノ・ディエールストレートが待ち受けていて、そこでの最高速は、時速370㎞に達するという。そして、ミュルサンヌ、アルナージュと、まだ見ぬ魔界のコーナー名を諳んじたほどである。

 そのルマンにこころを奪われた代表のひとりに徳さん(徳大寺有恒)がいた。その24時間レースがどういう風に、どう行われるかも知る以前から、彼は「ルマンを見て死にたい」と憧れた。それが実現したのは1967年。もちろん、徳大寺有恒という自動車評論家はまだ存在していない杉江博愛(ひろよし)の時代である。当時のルマンは名勝負として知られるフェラーリvs.フォードの真っただ中。フォードの7ℓに対し、フェラーリは4ℓ、V 12、それに極めつきの美しいボディであくなき闘いを挑んでいた。

 徳さんはルマンに教えられる。クルマという奴は人間が造り、人間が動かしている。いかにクルマのレースでも、そこに人間が介在する以上、人間のドラマが展開されないワケはない、と。それを感じ取ったとき、彼はクルマを走らせる側から、ジャーナリスト志望の若者に変身した。そして、売れっ子になったのちも、ルマン詣でだけは欠かさなかった。
 

*Photo by C.Kitabatake 「ベストカー」1986年8月10日号所載

 もうひとり、紹介したい男がいる。同じ1986年、家中の金を掻き集めて、「撮り続ける自分を証明する」ために、まだ無名のカメラマンだった彼はヨーロッパに飛んで、レースを追った。モナコF1、ポーF3000、スパF1、ルマン……。

 その年のルマンは曇天が続いた。しかし、予選の最中、一瞬だけ夕陽が射した。
「ルマンの夕陽は午後10時、観客の数もピークに達します。あのときぼくはフォード・シケインを走るポルシェ961を捉えようとしていました。そこへ夕陽のシャワー。その一瞬が幸運にもぼくのカメラに飛び込んできた。無意識にシャッターを押しました。あれはぼくの作品というより、自然界の贈り物だと思っています」

 色彩派カメラマン・北畠主税の誕生だった。……男たちの闘いの場も、パリで見たモネの絵に似て、燃えるような自然の弾みに包まれている。歌があり、詩がある。それにマシンの咆哮音、速さ、ルマンの観客。それが一体となって醸し出す現代のハーモニー。
『My shot ルマンがルージュに染まる時』と題して「ベストカー」8月10日号に、カラー4ページが掲載され、大きな反響を呼んだ。恋してくれた男への、ルマンからのプレゼントだった。


*ルマンの申し子・北畠カメラマン(通称タンボちゃん) Photo by S..Masaoka

 ここで、改めて『鎮魂の一冊』から読み取った萩原光と、鈴鹿サーキットでの日産Cカーが炎上した不運の連鎖関係をトレースしなければならない。これもことの始まりが、ルマンにあったからである。
 
 何ごともなければ、萩原光は、星野一義、松本恵二と一緒に、この年のルマンにはじめて出場していたはずであった。NISMOはルマン参戦に備えてNew Cカーをマーチから購入、R86Vと呼んで、まず4月6日の鈴鹿で開かれる耐久選手権で実戦テストをしてから、ルマンに乗りこむプログラムを組んでいた。
 ところが、アラスカのオーガスチン火山の大噴火により、アンカレッジ空港が閉鎖されたため、マシンを乗せた貨物機が足止めを食ってしまう。そこで、次善の策として、パッセンジャー便なら飛ぶことに目をつけ、一度、マシンをバラしてモスクワ回りに乗せることにする。
 バラバラにされたNewマシンが日本に到着したのは、レースの週の火曜日。徹夜でサービスを行ったがセッティングを完全にするまでにいかなかったという。



 そして、不運に不運が重なる。決勝当日の公式練習(午前中)のときに、アキラの運転していたR86Vから火が噴いた。幸い、モノコックまでは火が回らず、カウルなどを燃やしただけで、決勝での出走を断念せざるを得なくなる。このため、アキラは耐久レースのスタートを見送ったところで鈴鹿を後にして、一旦、小田原の自宅に立ち寄り、マネージャー役である任(まこと)君の東京のマンションで仮眠をとったあと、早朝、菅生へ。





 そして4月7日の午前10時30分、アキラの駆るMB190‐2.3は第2コーナー沿いの山肌に激突、炎上してしまった。

 アキラが逝って、その代役に選ばれたのは、鈴木亜久里であった。
 日産が初めて挑んだルマン。エースとして期待されたニチラR86Vの予選順位は25位、決勝では星野がスタート後4時間18分8秒後に力尽きてリタイア、と記録されている。もう1台のアマダR85Gの方は長谷見昌弘、和田孝夫がドライブして完走を目指して16位でフィニッシュしている。


*Photo by Chikara Kitabatake



 そして、わたしのルマン。可能な限り、スタッフやライターを送りこみ、1999年になって、やっと念願のルマン行きがかなった。片山右京、土屋圭市、鈴木利男組がTOYOTA・GT-One TS020で総合2位になったあの年であった。 

 もうすぐ、またルマンの季節がやってくる。が、今年のルマンの主役がなんなのか、余り心が躍らなくなっている。それより、セパンのスーパーGTの方が気がかりだ。
  (この項、おわる)
Posted at 2013/05/26 21:43:37 | コメント(9) | トラックバック(0) | 黄金の日々 | 日記
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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