「2日、富士スピードウェイで、二人のレーサーが死んだ。風戸裕選手は国際経験も豊富な「慎重派」。鈴木誠一選手は、オートバイとストッカー(市販車)で鳴らした筋金入りの「超ベテラン」。事故原因は調査中だが、よりもよって、なぜ、この二人が死んだのだろうか。
この日のスタートは、ペースカーが先導し、隊列をととのったのを見て、いっせいにスピードをあげて走りだすという《ローリング方式》。これまで停止したままエンジンをかけ、競技長の合図でいっせいに走り出す方式だったのが、昨年秋の死亡事故にこりて、ことしから安全なローリングに切り替えた。
だが、安全なはずのローリングが安全でなかった。事故の起こった午後の第2決勝ではペースカーが中途半端な走り方をしたため、ローリングを2周も回ってスタートの「緑旗」が振られ、正面スタンド前を通過した時は、17台の車がしりと鼻を突き合わすように1団となって、ばく進した」
これが、あの多重事故の起こった翌日、1974年6月3日(月曜日)、朝日新聞スポーツ面に掲載された記事の書き出し部分である。スペースは4段組みに、いわゆるベタ記事と呼ばれる地味な扱いであった。が、注目度は高い。プロ野球では巨人や阪神が圧倒的な人気を集めた時代だし、東京六大学で早慶両大学が競り合っていた。そんな華やかな記事に挟まれて、写真こそ付けられていないが、かなりエキセントリックな見出しが4本、踊っていた。
*事故発生翌朝の「朝日」スポーツ面
“魔のバンク”の先陣争い
密集したまま殺到
ペースカーの不手際も
富士スピード惨事
それにしては、「山下」とクレジットを入れている記者のトーンはきわめて冷静である。モータースポーツという特殊な世界になじみのない読者を、相当に意識しているのが読み取れる書き方であった。
「旗が振られてからの直線コースは約1キロ。それから右へ大きく曲がる“魔のバンク”下り坂、しかも右さがりで30度もの傾斜がある。ここが富士スピードウェイの難所であり、みどころでもある。遠心力を利用して高速で走りぬけるためには、バンクの上部を走らなければ損。ここでの先陣争いはすさまじい。時速250キロをゆうに超す猛スピードと爆音だけでなく、そこでのきわどい密集には身の毛もよだつ。
事故はそのバンクにはいる直前に起こった。原因が究明されれば分かることだが“諸悪の根源”はこのスタートにあった。1周目は車の間隔もルール通りにあいている理想的な隊列だったのに、なぜ2周目を回らせたのか。そして2周目を終わって《緑旗》を振る前に密集が予想されながら、なぜもうひと回りさせなかったのか」
新聞記事というよりは、雑誌ジャーナリズムに近い「心情」がこめられているのに、実は驚いてしまう。一歩踏み込んでいえば、獲物の動きをジーッと監視している不気味さがある。
さらに記述を最後まで続けよう。
「第2決勝はスタート前からエキサイト気味だった。午前の第1決勝ではローリングする2列のうち、インコースの車がフライング気味だった。損をした選手は怒って抗議したが却下された。『こんどこそは』というエキサイトぶり。これも原因のひとつだろう。
事故後、クラッシュに巻き込まれながら命びろいした選手同士が、目をつりあげ口論していた。『このバカが』『オレのせいじゃねぇ』。ここには、紙一重で『死』と背中合わせで走る危険な職業レーサーとしての良識も知性のかけらもなかった。
死んだ風戸選手は、この日、親しい仲間と昼食をたべながら『日本でのレースはこわくてしょうがないよ』といっていたという。勝つことよりも安全をねがうのが彼のモットーだったそうだが、慎重派のかれがなぜ危険から逃げ切れなかったのだろうか。3日には欧州転戦のため出発する予定だった。
事故は運営の不手際と選手同士のエキサイトとちょっとしたミスで起こったに違いない。日本で自動車レースが始まってから10年余。いまだにこんな幼稚さを繰り返すとは……。それにしても選手たちの乗っている外国製の車は勝手によく走る。(山下)」
黒井尚志さんのいう「偏見に満ちた記事」の正体にしては、いささかあっけない内容である。前回のブログで「毎日」の紙面を紹介したが、例えば「東京中日」「読売」はどうだったか。考えてみれば、6月3日のあの日は、どの新聞を開いても、富士スピードウェイの惨事が写真入りで紙面を飾ったのだから、その衝撃度は増幅されたに違いない。そこへ、この朝日の妙に冷静な「眼」が気になる。山下記者について、元・報知新聞記者の中島祥和さんに問い合わせの電話を入れてみたが、
「たしか、学生時代は水泳選手だったな」
詳しくは記憶していなかった。しかし、気になる。さて、どこからアプローチしてみようか。
Posted at 2012/02/20 23:27:04 | |
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実録・汚された英雄 | 日記