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正岡貞雄のブログ一覧

2012年04月30日 イイね!

花、萌ゆ。命、燃ゆ。 ~新雑誌『CEO社長情報』と『ベストカー創刊前夜』~

花、萌ゆ。命、燃ゆ。 ~新雑誌『CEO社長情報』と『ベストカー創刊前夜』~ ことしもまた、アメリカ花ミズキが、わがマンションのアプローチで嬉しい季節の到来をつげるべく、薄紅色に微笑んでいる。それに呼応して、タイルを敷き詰めた上り階段の中央花壇が、ヤマツツジで真赤に染まる。花、萌ゆ――か。そうだ、この連休中に秩父・羊山公園の芝桜を見に行かなくっちゃ。


 うんと若かったころ、好きな季節は?と訊かれると、冬だね、と気障に答えたものだ。九州育ち、白い雪に憧れた。それがいまでは、春、と素直に答えてしまう。花々が芽吹き、そして満開になり、やがて散る。そんな命の営みを感じて、その季節が好きになった。年をとる、とは、そういうものらしい。それは、花だけではない、命を燃やしてひたむきに目ざすものに取り組む若者の姿に接すると、つい、こちらも、なにか力を貸すことはないか、と声をかけたくなる。いや、余計なことは言わないで、じっと見つめることが多くなった。

 この連休に入る直前、有峰書店新社社長の田中潤さんから、こんな会員制の定期購読誌ができましたから、と渡されたのが『CEO 社長情報』というオールカラー、A4変形判・中綴じの隔月刊誌(92ページ。発行=株式会社ブイネット・ジャパン)。なんでも編集責任者は1990年代のバブル崩壊期に編集長として「週刊ダイヤモンド」をもりあげた松室哲生さんだときく。どんな雑誌を立ち上げたのか、大いに食欲をそそられた。



 その創刊のあいさつで「日本の国を憂いています」と題して、松室さんはこう切り出す。
「それは、日本の経済が低迷しているとか、グローバル化の波に抗しきれず企業の海外逃避がおこっているというようなことを言っているのではありません。
 まず、この国の基幹となるべき政治の指導力が弱く、リーダーが不在であること。そしてこの国の構造が既得権益に守られて、なかなか新しい構造に転換できないことを憂いているのです」
 イノベーションのジレンマという言葉がある。優れた特色を持つ製品を開発し販売する企業が、その製品の改良のみにとらわれ、市場の新たな需要に目が届かず、その間に別の新たな特色を持つ新興企業の製品が現れ、力を失っていくことを表した言葉だ。
読み手がここで「うん!? それはあの大企業のことかな」と、考えをめぐらす仕組みだ。で、ズバリと斬りこむ。

「今まさに、そのような状況が世界のあちこちで現出しています。多くの既成概念がほころび、替わって新しい力が勃興してきています。では、日本の状況はどうでしょうか。現状はまだまだです。しかし、日本にも潜在的な力があります。世界に通じる技術や卓越したサービスを生み出しているのは大きな企業ではなく、むしろ新しい勢力です」
 それこそが、中堅・中小企業の秘めた力だ、と力点を明らかにする。
 このような時期だから必要なのは、大きな行動を生むための行動だと明快にアジテートする。経営者がお互い同士を認め合い、一つ一つは小さい力であっても結束して新たな波を作り出していく。そのために本誌は役に立ちたい。単なる情報提供をするつもりはない。私たち自身がうねりを作り出す原動力になろうと考えている。経営者の交流会も頻繁に行う。ぜひ気概のある経営者の方々に、この創刊誌を情報のみならず、あらゆるものの交流を促すプラットフォームとして活用していただきたい、と。

 早速、特集をよむ。『恐るべき20代経営者』と題して、15名の経営者をピックアップし、一人一人から面接取材をしている。とにかく若々しい、力のあるページに、久しぶりに出会った、というのが率直な感想だ。草食系男子ばっかりと酷評されている世代から、こうした質の高い、意欲のある「経営者」が輩出してくれるのなら、この先、この国も捨てたものではない、と思わされてしまう特集である。具体例を一つ、二つ。

 松室編集長が直接取材し執筆している項から、紹介すると――。
① どんなものでもネットで売ってしまう脅威の販売代理店
高成長の秘密は「意外なツール」
――その日、大学を出たての男は今か今かと電話とにらめっこしていた。福井県内で会社を立ち上げたものの、半年たっても商売がうまくいくメドは全く立っていなかった。インターネットの電話回線を販売していたのだが、すでに市場は飽和状態。新規参入しても売れない。悪いことは重なるもので、豪雪に見舞われ、営業にでかけることすら不可能になっていた。
 男は一縷(いちる)の望みをかけて、インターネットで売ることを決意。自分でホームページを作り、電話番号まで掲載していたのだ。そのホームページが完成して、お客からの電話を待っていた。
 そこに、突然電話が鳴った。しばらくすると、その電話の数はどんどん増えていった。
 男の名前は岩井宏太。29歳。株式会社ALL CONNECTの社長。業種はネットの販売代理業である。ネットの販売代理業というと、どんな商売をイメージするか。そのイメージはともかく、この分野で急成長しているのが同社である。4年前には売上高3億5000万円だったのに対し、昨年度は約27億円。それも震災の影響を被っての数字である。利益も億を超え、今期の予想は40億円という。

 以下、松室レポートは3ページにわたって、この岩井社長の年商予想40億円までの足取りと、その企業戦略を取り上げる。それにしても耳慣れないのがネットの販売代理業。それは何か。まあ、その辺の説明がこうした「起業もの」のキモだから、丁寧な取材で書き上げている。もう一つ、いこうか。

 
*左が岩井宏太、右が前川輝行の両若手社長。丸囲みの数字が年齢

② 大学入学と同時に企業、車パーツの通販を軸に展開し目標は「自分で経営する会社を100社つくる」
――前川エンタープライズは、早くも今年で9年目を迎える。その代表取締役・前川輝行(27歳)。祖父は不動産、製材、アパート経営と手広く事業を手がけ、父は梅ケ島温泉(静岡市)で旅館を経営。幼いころから、当然のように経営者になることを決めていたという。地元の高校を卒業と同時に有限会社前川エンタープライズを立ち上げる。車のドレスアップ用パーツのネット通販。立命館大学経済学部に籍を置きながら、1年目にして1000万円を売り上げた、という。資本金は父親に借りた。3倍にして返す約束を、1年のうちに果たした。もちろん、失敗もある。3000万円を入れたのに、納品されず、連絡もつかなくなったこともある。そんな時も落ち込んでもしょうがない、じゃあ稼ごう、と切り替えた。

 株式会社にしてからは、製品を仕入れて売るだけではなく、以前からやりたかった完全オリジナル商品に乗り出す。これまでどこにも売っていなかったオリジナルのステンレス製ウィンドウピラーを企画し海外生産。これがドレスアップ愛好家にヒットし、2008年3億、2009年4億、2010年5億と売り上げを伸ばした。経常利益は4割。「フリーダムリジョン」というブランドも定着した。

 いまでは、前川グループには別会社として五つの法人がある。ノーブランドのパーツのインターネット通販会社、売り上げの1割に貢献するカスタム加工を含めての中古車販売、現在は月商100万~200万円の女性向けオラオラ系(黒と悪をテーマにしたちょい悪ファッション)中心のアパレルブランドの展開など、さらなる多角化に取り組んでいる、という。幼いころからの車好きで、かつては1台の車のドレスアップに2000万円かけたこともあるという前川。マニアの心も知り尽くした”好き“と、野心と血統の融合が、現在の成功をもたらしているのかもしれない――と、ほめ過ぎのきらいはあるが、単なる『金儲け見本帖』に終わらない仕組みを、この創刊誌は用意をしているのが、新しい。
 創刊記念イベントとして、この特集に登場した「恐るべき20代経営者」も参加する『東京・ベンチャー飲み』会を200人限定で開催することだろう。

 この創刊誌については、下記のURLから購入申し込みができるので、どうぞ。

  http://arimine.com/ceo.html

 ともかく、この熱気のある新しさに惹かれた。3年経って、ここに取り上げられた15人の若者の中から、あの孫正義や、三木谷浩史に肩を並べるような経営者が育っているのか、それとも……。
 そうやって想いをめぐらしていると、ぼくのなかで、1977年当時の記憶が、鮮やかに蘇ってきた。『ベストカーガイド』を創刊する前夜の状況であった。

 クルマをメディアにして大衆のこころを掴む「カーマガジン」の創刊を、講談社経営幹部に提案したところ、編集担当専務に呼ばれて、名刺を渡された。
「この人たちが、新しいクルマ雑誌を構想しているなら、相談に乗りたい、といっている。直ぐに連絡をとりたまえ」

 環八通りを中心とした首都圏の中古車専売ディーラーで結成している「A=1グループ」の主力メンバーの社長たちだった。「JAXカーセールス」「西武モータース販売」「原自動車」……当時、売り出し中の若き起業家として、ぼくも、その存在だけは知っていた面々である。早速、コンタクトしたところ、彼らが常用しているホテルニューオータニの「ゴールデンスパ」を指定され、単身、赴くことになった。会ってみて、驚いた。3人とも、まだピカピカの30歳台。こちらだって、41歳になったばかりだが。

「グループ40社で毎号1000万円の広告出稿を約束しよう。読者から信頼されるクルマ専門誌を創って欲しい」

 彼らの言葉は熱かった。この目の輝きはどこから来るのか。もっと話を煮詰めるには、彼らとつき合ってみよう。こうして始まった新しい日々。


*中央が若き日の松本高典社長。右が女優の風吹ジュン、左がニコ・二コル選手。

 35年が経った。今、環八通りに立ってみると、どうだ。グループを推進した3人の経営者のうち、健在なのはJAXの松本高典さんのみ。藤崎、原の両氏ともすでに彼岸に旅立たれていた。そして、ひところ環八の雄とまで謳われたJAXの社屋はVWジャパンとなり、松本社長も引退、跡を継いだご子息が瀬田の交差点近くで「J-AUTO」というメルセデス・ベンツの専門店をやっていると聞く。

 その興亡のストーリーに取り組むには、まず、どなたと逢えばいいのだろう。やっぱり、松本さんかな。いや、チェッカーの兼子眞さんがいる。かつて筑波で一緒に耐久レースに挑んだ仲じゃないか。

 兼子さんと、用賀インターと環八が交わる地点にある「木曽路」で待ち合わせることになった。『環八水滸伝』と名付ける新シリーズ、ご期待あれ。

 
Posted at 2012/04/30 12:48:54 | コメント(3) | トラックバック(0) | ベストカー創刊前夜 | 日記
2012年04月27日 イイね!

『朝日新聞』は偏見に満ちていたのか ~1973.11.23の『炎上惨事』②~

『朝日新聞』は偏見に満ちていたのか ~1973.11.23の『炎上惨事』②~『レーサーの死』の著者・黒井尚志さんが「偏見に満ちた記事」と指差した朝日新聞は、どんな報道だったのか。その検証からはじめたところ、右肩上がりの連続で、すっかり精神の抑制が利かなくなっていたあの時代の記憶が蘇ってくる……。

 1973(昭和48)年11月24日の朝日新聞は、第3面を「〈渋い連休〉ノー・ガソリンデー初日」と題して各地の話題を集めていた。なにしろ、日本道路公団(当時)のハイウェー計40か所をはじめ、全国約4万3000か所のガソリンスタンドの多くが休業、ドライバーの給油がシャットアウトされたのだから、その騒動ぶりは容易に想像できる。


*1973年11月24日の「朝日新聞」朝刊第3面

 この日の交通量は全国的にみると3割減で、東名高速道路は、浜名湖サービスエリアの駐車場がいつもと違って空間が目立ち、6,7割程度の利用。静岡県小山町の富士スピードウェイではグランプリと同じくらい人気のある富士グラン・チャンピオン最終戦の決勝レースが行われたが、つめかけたマイカーは約4000台(御殿場署調べ)で、いつものレースの3分の1だった。――と前置きして、各地の道路で燃料切れに呆然とする車が続出するなか、トランクに予備ガソリンの容器を積んだちゃっかり組に、それがいかに危険な行為であるか、警告を発するスタイルをとって、「社会の公器」としての使命を果たしていた。

 また第21面の「東京」欄では、「消えたネオン 消えぬ社用族」という大見出しで、節減令どこ吹く風の「夜の銀座」の狂騒ぶりを辛辣に、そしていささか、自嘲気味に伝える。

「夜10時、外苑通りの日航ホテル前にハイヤーがどっと集まってきた。駐車場所を確保するため、けたたましくクラクションを鳴らし合い、陣取り合戦。約50メートルの長さの駐車場所に、ざっと15台の車が斜め駐車し、その外側にも身を寄せるように車が列をなし、たちまち30台。
 かっぷくのいい紳士が3人、4人と車から降り、クラブやバーに消えると、かしこまっていた運転手らは外に出て背伸び、「お客さんが出てくるまで2時間は待たされるだろうな」「エネルギー危機なのにムダだって? ムダはわかるけど、こうやって使ってもらわないと食っていけないよ」
 そばでタコ焼きの屋台を出しているおばさんが、こうした光景を、冷めた目で見続ける。
 11時を過ぎると、客を降ろす車、迎えに来た車の往来が一段と激しくなった。



 大手ハイヤー会社の銀座営業所。ここだけで92台の車を置いているが、1日平均400件の利用があって車庫に車が遊んでいることはめったにない。大手建設、商事会社などがお得意さん。朝のお出迎えにはじまって、昼は商談、夜は12時から1時ごろまで接待、というケースが多いようです、と営業所の係が話す。この営業所だけで、1日入ってくるハイヤー料金は計200万円、使うガソリンは約3000リットルだそうだ。

 こんなスケッチも。
「店がはねる11時半過ぎ、家路を急ぐホステスと客が歩道を埋めた。有楽町や新橋駅へ向かう電車帰りの人たちだ。買い込んだトイレットペーパーを抱えるホステスもいる。流しのタクシーは「新宿まで1500円だよ」と、相変わらずの乗車拒否。
 近くのタクシー乗り場に長い行列ができたが、止まらない車が多く、30分以上も待ち続けるのはザラだ。そんなイライラを横目にハイヤー族が車に乗り込む。午前零時過ぎ、外堀通りは客を家まで送るハイヤーと、身動きできずにいら立つタクシーがひしめき合い、サイレンを鳴らした救急車が立ち往生、救急車はサイレンを鳴らすのをあきらめた。
 この間、銀座の大きなビルのネオンは消えていた。
 同夜、銀座に集まったハイヤーや高級車は延べ1000台以上、やっと駐車場所からハイヤーが姿を消したのは午前1時をまわっていた。

 そして23ページ目にある「社会面」は10段のスペースを使って、富士スピードウェイ炎上事故の詳細を掲載している。

「恐怖のカーレース」「激突炎上し4人死傷」「テレビ実況中 惨事、茶の間へ」
 もう見出しを並べただけで、内容もわかってしまうようなものだった。

――約10年前から始まった日本の自動車レースで4人が一度に死傷するという大事故は初めてだが、このレースはテレビで実況中継されていたため惨事の瞬間がテレビでそのまま茶の間にも送り込まれ、ブラウン管を赤々と染める火災と黒煙が大きなショックを与えた。



 すでに前回、読売の報道で事故の模様は紹介済みなので、重複する部分は省略するとして、「朝日」ならではの指摘部分については、極力拾い上げたつもりである。

 その書き出しは新聞記事というより、雑誌的な「情緒」をたたえたものだった。
「さる3月からシリーズで行われてきた排気量2リットルのレーシングカー・レース、富士グラン・チャンピオン・レースの最終戦、富士ビクトリー1200キロ(6キロコース33周)は、2万4000人=主催者調べ=のファンが見守る中で同日午後零時45分スタートした。競技長の振るスタートのフラッグを合図に34台の車が耳がつんざくような爆音をあげて一斉にスタート。約1キロの直線コースを、各車が先を争って飛び出した。コースはそこから右に急カーブ。しかも走路が、右下がりに30度も傾いている難所のバンク。主催者側の発表によると、第2集団にいた生沢選手が、バンクに入って間もなくスピンを起こし、その後ろにつけていた中野選手が、よけようとして、これもスピン。コース上部のガードレールに激突して車体がバラバラになり、あっという間に火炎につつまれ、走路を下へと落ちて行った」
 そこへ後続の3台があいついで追突。この3台も燃えあがり、一緒に転落していった、という。描写がつづく。が、事故の発生場所こそずれているが、半年後に起こったあの惨事と酷似しすぎる。



*当時の30度バンクのレースシーン(1974年6月2日の富士GC 東京12Ch放送録画より)

*同上放映シーンより、事故現場へ走る観客

「事故が起こったのは、スタート後1分足らず。もくもくとあがる黒煙に場内は一瞬静まり、すぐどよめきに変わった。現場を目ざしてファンがすすきの野原を走る。消防者と救急車がけたたましくサイレンの音を響かせて現場へ。この異様なふん囲気に、関東をはじめ、中部、関西から集まった“カーキチ”たちも、ただだまって見守るだけ」
 レースはそのまま続行されたが、観客のほとんどはレースなど見ていなかった。事故から2時間後、中野選手の死亡が公式に発表される。選手たちの話によると、病院に向かう前に中野選手は死亡していた、という。
 事故発生と同時に御殿場署は現場検証を行い、業務上過失致死牀の疑いがあるかどうか、関係者から事情を聞いているが、同署は「レース中の事故なので、刑事上の責任を問うのはむずかしい」とみている。

 それが半年後、黒沢・北野の両選手の接触が招いた多重事故の際の取り組みは、随分と温度差がある。そこが当事故を「序奏曲」と想定して、ながながと「朝日」「読売」の報道記事をおさらいする所以であり、池田英三さんが「引き金」と指摘したのも、肯けるではないか。

 辛辣で、率直な記事がつづく。改めて横書きの見出しで、こう謳う。

「マシンは高性能 追いつけぬ技術」「選手は賞金に血まなこ」
 ――4台が炎上するという大事故の現場に残っていたのは、焼けただれた醜い細い鋼鉄製の棒だけだった。高性能を追及するクルマ、それに追いつけない選手の技術、選手を血まなこにさせる賞金と商品、それにつけこむコマーシャリズム――事故は起こるべくして起こった。

 そして、マシンの高性能さの裏に潜む危うさに、こう言及する。
「死亡した中野選手の車は、排気量1975ccのシェブロンB23。エンジンは決められた排気量の中で、スピードがめいっぱい出るように改造され、車体も極端に軽くしてある。外見はいかにもカッコいいが、普通の車と違ってレーシングカーの中身は細いパイプばかり。そのうえ外装も軽金のマグネシウム合金の板。手で押せばへこみそうなほどチャチなもので、火に弱い。中野選手がガードレールに激突した瞬間、クルマ全体が火に包まれていたという」

 この危険性については津々見友彦選手をはじめ、心ある関係者は強くアピールしていたのは、事故後のAUTO SPORTの特集号でもうかがえる。その手当をしないまま、富士グラン・チャンピオンシリーズは、新しい1974年のシーズンに突入する。その状況を踏まえて、中部博さんの『炎上』が店頭に並んだ。

 どこを、どこまで書き込んだのだろう。心弾ませて、ぼくはページを開いた。
Posted at 2012/04/27 00:03:37 | コメント(3) | トラックバック(0) | 実録・汚された英雄 | 日記
2012年04月24日 イイね!

引き金となった前年の『炎上惨事』 ~1973.11.23の最終戦をめぐって~

引き金となった前年の『炎上惨事』 ~1973.11.23の最終戦をめぐって~ ノンフィクション作家の中部博さんから、4月15日付の丁寧な手紙が届いた。
「……4月25日に、自著『炎上 1974年富士・史上最大のレース事故』を文藝春秋より上梓することになりましたので、ご報告申し上げます。この本の原稿は、月刊『レーシングオン』に連載しました〈1974.06.02 まだ振られていないチェッカーフラッグ〉をもとにして書き上げたものです。(このあと、ぼく=正岡との交流への謝辞を頂戴しているが、ここでは省略)ノンフィクションを書き続けてきたわたしは、愛好するモータースポーツを、記録文学として成り立たせたいと傾倒してきました。いまだに文章修業の道なかばではありますが、その仕事がひとつかたちになったと思います。これからさまざまなご批評をいただくところでありますが、ともあれ日本のモータースポーツ発展の一助になれば幸甚とねがっております。拙著は版元からお手元へお届けする次第です」

 念願の本が書きあがって、世の中へ出る。物書きとしての期待と不安、達成感と反省。さまざまな想いがないまぜになってドッと押し寄せる。中部さんはいま、そのど真ん中で揉みしだかれる至福のなかにいることだろう。

 日を置かず、文藝春秋からその本は届けられた。早速、拝読。ここから先は、中部さんの『炎上』が書店の棚に並ぶ頃合いを見計らってから、感想やら収穫を紹介するのがマナーというものだろうが、この際、ぼくはその露払い役を務めたい。このノンフィクション作品の主題となる「1974年6月2日」が、突然やってきたのではなかった、という視点で、その「前夜」の出来事や世相を、幕が上がる前の「序奏曲」として記しておこう、と思い立った。


*1974年6月2日の炎上現場(当時の東京12チャンネルの録画放映シーンより)

 まず、これまで手元に集まっている資料を洗いなおすことから始める。

「74年シーズンの事実上のトリガー(引きがね)は、その全要因が73年11月23日に行われた富士グランチャン最終戦の惨事にスタートしている。その日富士30度バンクでスタート直後に起きた状況についてはあらためて書くつもりはないが、偶然この日から日曜、祭日のガソリンスタンド閉鎖が指導された例の石油ショックのスタートだっただけに、事故そのものよりのモーターレースに集まる何万人の観客のほうが社会的な問題としてクローズ・アップされてしまった。石油消費節減策の話題をまっていたマスコミにとっては、絶好のテーマとみられるように大きく扱われ、スポーツを罪悪視する空気が一気に広がった」
 この一文は「Auto Sport Year’75」に掲載された池田英三さん(故人)の「国内モータースポーツ’74~’75」の書き出しからの抜粋である。この当時、こんなに冷静に「富士多重事故」を解析し、将来への提言、処方箋まで目配りされたレポートが発表されていたことに、ぼくは注目していた。ちなみに池田英三さんは、稲門(早稲田大学)自動車部の草分けで、後年、AJAJという自動車ジャーナリスト集団の会長まで務めた重鎮のひとりである。

 池田さんの論述は、このあと石油供給不足のあおりでアタフタする自動車業界の施策に触れ、富士グラチャンのあり方についても、今になって読んでみても、なるほど、と首肯させられる内容であった。が、ここではひとまず、では、当時の新聞報道がどんなものであったのか、検証することから始めたい。



 まず、1973(昭和48)年11月24日(土)付け『読売新聞』朝刊の社会面。ど真ん中の10段を費やして「ガソリンスタンド休業初日」の様子を「“ガス欠”ハイウエー」と大見出しをつけて伝え、中見出し、小見出しが散りばめる。「相次いでSOS」「“知らなかった”“何とかなるさ”無関心、アツカマ族」「都内のスタンド99%休業」。読まなくとも、盛り込まれた内容が伝わってくる力の入れようだが、その左側を「浪費レジャー突っ走る」という黒地に白抜きゴシック文字が躍っている。
 そこへ「接触事故を起こし炎上するレースカー」とキャプションの添えられた2段にまたがる写真。さらに5段にわたってレポートが展開する。読んでみよう。

【御殿場】二十三日、静岡県駿東郡小山町大御神の富士スピードウェイで、時速二百キロのスピードを競う富士グランチャンピオンシリーズが開かれたが、前日から二日間のカーレース見物に二万台の車が押しかけたほか、出場車がハイオクタンのガソリンをまき散らす大量消費。同日の決勝レースが午後零時半からテレビで実況中継され始めると「ガソリンのムダ遣い」と抗議の電話が読売新聞社に相次いだ。そのあと事故でレーサー四人が死傷したためその後レースは中止、突っ走ってきた日本経済の現状を象徴するようなざ切の幕切れとなった。

 ここで読売の記者は、ガソリンがどれくらい費消されたかを計算する。

 主催者の富士スピードウェイ会社の話では、この日の決勝レースに用意したガソリン(ハイオクタン)は約三千四百リットル。二千CCクラス三十四台が出場したので、一台当たりの消費ガソリンは百リットル、一台が二百キロ走ったから、一リットル当たり二キロしか走れない計算で、普通車の四,五倍もガソリンを食っている。
 しかも、前日のタイムトライアル、一週間前からのトレーニングを含めると、こんどのレースで計約八千リットルのガソリンが消費されたことになる。また、二日間にわたるレース中、見物に訪れたファンの車は延べ2万台で、このガソリン消費もかなりのもの。

 そこへ、レースの事故が加わったのである。

 この日午後零時四十五分ごろ、同チャンピオンシリーズ最終戦の決勝レースのスタート直後、第一コーナーのカーブ(傾斜角度三十度)で、レーシングカー八台が接触したり、ガードレールに激突して、うち四台がコース上で炎上、ほかに二台が勢い余ってガードレールを飛び越えて大破した。
 このため炎上した車を運転していたヒローズ(ヒーローズの誤植か?)・レーシング所属の中野雅晴選手(二四)は車に閉じ込められ、救急隊が救出して病院に運んだが、途中、全身やけどで死亡した。ほかの炎上車から自力で脱出した清水正智(二六)田島基邦(二六)岡本安弘(三〇)の三選手も御殿場市内の病院に収容されたが、両手足、顔などに二-三週間のやけどを負った。
 御殿場署の調べでは、先頭グループにいた生沢徹選手の車がスピンを起こした。このため後続の車が避けようとしてそれぞれ激突、三台が炎上した。

 おおかたの状況は、ここまでの記事で把握できるだろう。が、さきに黒井尚志さんが「偏見に満ちた記事」と指差した朝日新聞は、どんな報道だったのか、つづけて検証したいが、それは次のエントリーまでお待ちいただきたい。

Posted at 2012/04/24 00:09:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | 実録・汚された英雄 | 日記
2012年04月15日 イイね!

キミよ、永遠の異端児であれ!  ~ドリドリ土屋圭市、降臨!②~

キミよ、永遠の異端児であれ!  ~ドリドリ土屋圭市、降臨!②~ 新しくリリースされたホットバージョンVol.115。そのNEWハチロクの筑波アタックは必見である――そこでぼくが目撃し、感じ取った「土屋圭市、降臨」の実況を、次のアップまでお待ちあれ、と大見得を切っていながら、すっかり手間取ってしまい、お待たせして申し訳なかった。 
実は、ガンさんの『新ドライビング・メカニズム』の最終仕上げに専念していたためだから、ともあれ、お許しいただきたい。その間、あれほど練馬・千川通りで咲き誇っていた桜もすっかり散ってしまい、今では花びらの絨毯が、その名残りを伝えてくれるだけである。

 さて、ドリドリ土屋圭市のドライブする赤いNEWハチロクが、ゆったりとピットロードをはなれ、1、2コーナーをなめてから、S字をゆく。おのれを今の高みにまで導いてくれたハチロクが蘇ったのだ。どんな心境で、この筑波アタックとインプレッションに臨んだのだろうか。



 ダンロップ下をくぐり抜けて、開口一番、「タイヤがいいんだろうね、このエコタイヤ、バカにできないよ。クルマって楽しいなって思わせるのがこのタイヤかもしれない。お、扱いやすいなぁ。クルマの動きが穏やかに変わって……うん、どう動くかが手にとるようにわかる。ほめ過ぎだって言われるかもしれないけど、ホントに剛性がしっかりしているから、動きがわかりやすい」と、来た。で、タイムアタックに入った。さっそく、S字でシフトミス! 2速のギアの位置に異和感があったようだ。
 ベストタイムは1分11秒394。恐らく、本人は10秒台に入れなかったのをくやしがっているだろうが、当日は直前まで、ほかのドリフト走行会が入っていて、路面がクリアではなかったそうだから、気にするほどの悪いタイムではない。

 つづいて、ドリフトインプレッション。各コーナーでドリフトするNEWハチロクの動きを、素直に、無邪気に喜んでいる。それを、カメラも無邪気に追いつづける
「以前、修善寺サイクルセンターでBMWの2リッターに乗ったことがあるけど、それと同じくらいしっかりしている。うん、今までで一番、インフォメーションのあるクルマじゃないかな」
 マシンから降り立ったドリドリが、ひとまずインプレッションを、こうまとめている。
「こういうクルマを出してくれるというのはうれしいね。やはりハチロクの血をつないでいるんじゃないかな。うん、ここからさらによくなると思う」

 このあと、企画は今やHVの定番となった2012年モデルのGT-R〈トラックパック〉(550馬力、1470万円)の1番乗りへと移るのだが、ここでは先を急いで、ドリドリを本気にさせるコーナーへ。かつての「ベストモータリング」なら、ガンさんや中谷明彦、大井貴之クンらが加わって、本格的、多角的なフルテスト、バトルシーンへと展開していくのだろうが、ここは土屋クンをメインにするHVである。かつてサーキットを湧かし、2年間で消滅していったAE86によるN2レースの復活劇を仕掛ける……。

 筑波N2決戦の日まであと5日。ドリドリは再び筑波サーキットにいた。仕上がったばかりのN2決戦用のマシンと、もう1台、ストリート用のマイカー・ハチロクを持ち込んでシェークダウンにいそしんでいた。

 真っ白なボディカラーのAE86に鞭を入れる。コンスタントに1分6秒台で周回している。第2ヘアピンを立ち上がり、最後のストレートから、100R の最終コーナーをめざす。
惚れ惚れとした口調でドリドリが語りかける。
「古いけど、よく走るよ、いいクルマだな。いやぁ、ハチロクはその気にさせるね。これねェ、新旧対決したくなる、今度のハチロクと!」
 と、そのドリドリの想いに呼応するかのように、たまたま筑波サーキットにきていた谷口信輝選手が、その「新旧対決企画」に乗って、挑戦状を叩きつけてきたのである。

「土屋さんの《趣味の86》は速いね、6秒台とは。よし、近く、ぼくの新しい86が来るから、土屋さんのこのマシンと勝負したい! ぜひ、よろしくお願いします」
 嬉しそうに頷くドリドリだった。
「おれのは、1980年代のクルマだよ。やつけてやる、うん!」





 画面が変わる。スリックタイヤを与えられたN2ハチロクがシェークダウンのためにコースインする。タイヤが温まったところで、ペースアップ。が、まだ滑るらしい。頃合いを測っている様子を、車載カメラが忠実に伝える。足元のアクセルワーク、ブレーキングワーク。参考になる。これも必見だ。そして、1分01秒710をマークする。
「足が硬いなぁ」
 ピットイン。メカニックに症状を訴える。ジャッキアップして、タイヤをチェックする。摩耗の具合から、接地面のアンバランスを探り当てる。車高、キャンバー、減衰力を少しずつ調整し、コースへ復帰する。20周、30周。なかなかタイムは縮まらない。走る。とにかく、ドリドリが走りこむ。
「だんだん分かってきたぞ、ハチロクN2の乗り方が。身体が思い出してきたね」



  画面に緊迫感が醸し出される。
「ブレーキの踏み方、リリースの仕方。アクセルの入れるタイミングとかね、ハチロクならではの……こういう軽いクルマの乗り方を忘れてたよね」
 こう語りだしたあたりから、土屋の走りが激変した。エンジン音がひときわ高まり、シフトチェンジするリズムにキレが加わった。明らかに、かつての土屋圭市が覚醒していた。ナレーションがダメを捺す。

「……まるでベストラインを駆け抜けるもう一人の自分を追いかけて行くような走り。1本の線がピーンと張った状態。そんな張りつめた走りから、ついにこの日のベストタイムが生まれた。1分00秒955。タイヤは周回を重ね、グリップレベルは相当に落ちているはずだが、そんな状態でも、サーキットでは必ず何かを起こしてくれる男。あのころの土屋圭市が帰ってきた。やっぱ、それでこそハチロクのお蔭かな?」

 舞台は一転。ホテルの一室で私服姿の土屋圭市が、N2決戦へ臨む心境を語りだす。このテのシーンは何度か見ている。彼が「ハコ乗りの名手」と謳われていた時代、さらに上を目指してF3に挑んでいったときにも、こうやって自分の想いをあえてさらけ出したものだった。静かに心の牙を剥く――実は、それが土屋圭市の「異端児」としての素顔である。


*GTウィングを装着したライバルN2マシン


「アマチュアだろうが、プロだろうが、レースに憧れた奴らにとって、その時代、いろんなレースがあったけど、ハチロクは別格、とびぬけた存在感、オーラがあった」
 にもかかわらず、土屋がやっと挑戦すべく準備ができた7年前、突然、消滅してしまったのがハチロクのN2レースだった。いわば彼がレース界に忘れて来たもの、味わえなかったもの、それを、この「筑波N2決戦」で取り返そうというのか。
「そりゃあ、今風のGTウイングをつけたマシンにはかなわないかも知れない。負けてもいい。でもボクはあえて、当時のままのシルエットで走りたい。それでGTウイングのやつらにどこまで太刀むかえるか。その面白さを伝えていきたい」



 それを実証する「実戦バトル」が、丁寧に収録されていた。ディレクターを確かめると、やっぱり仁礼義裕クンだった。内容も熱かった。走り終えたドリドリに観客は惜しみない拍手を送っていた。13台の86ファイターと闘いながら、いつの間にか降臨していくドリドリ。結構、観ているこちらも熱くなってしまう。ぜひぜひ「AE86筑波N2決戦」を、味わってほしい。
 土屋圭市、56歳。もっと、もっと牙を剥け! キミに異端児のままでいて欲しい。そんな身勝手なエールを、ぼくはキミに贈る。


 



Posted at 2012/04/15 12:11:04 | コメント(9) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2012年04月08日 イイね!

ドリドリ土屋圭市、降臨! ~ベスモDNAとHV115号~

ドリドリ土屋圭市、降臨! ~ベスモDNAとHV115号~ 4月8日は全国的に晴れ。山里・秩父の清雲寺にも春が訪れたようだ。樹齢600年の枝垂れ桜が、満開間近か、だという。そんな花便りと一緒に、復活「ホットバージョン」のVol.115が届いた。

 いそいそと封を切る。メインタイトルは『AE86 筑波N2決戦』とある。どうやら今号の舞台は「群サイ」ではなく、ベスモのメッカ・筑波サーキットらしい。能書きは抜きにして、再生機にディスクをセットする。
「筑波アタック、一番乗り!」
 おぅ、お馴染みのナレーター、平野義和さんの声が張っている。いつもより晴れやかで、乗りがよさそうだゾ。

「2月2日、TOYOTA 86(ハチロク)発表会場、そこからはTOYOTAの本気度がうかがわれる。床には道路をイメージしたペイントが施され、ハチロクに乗って登場したアキオ社長はなんとレーシング・スーツ姿ぁ。こんなことは超異例だ」
 言葉はいらない。それだけで、TOYOTAのハチロクにかける想いは判ってほしい、という演出だろう。



 そして発表会場となった幕張メッセに隣接するデモラン会場。カメラが移動してみると、そこには「パフォーマンスドライバー」がふたり、待機していた。織戸学と谷口信輝の両君。となれば、やることは決まっている。同乗走行しながら、超接近ドリフトをするしかないだろう。

 ちょいとオーバーなドリフトアングルタイヤでスモークを巻きあげながら、ピタリと停止。ドアが開く。右手を挙げながら会場の拍手にこたえるドライバー(実は谷口クン)。それがアキオ社長にすり替わっていたなら、こんな超センセーショナルなデモンストレーションはないだろうに……なんて連想が働くのも、久々の登場のFRスポーツなればこそ、か。





「そのTOYOTAハチロクをどこよりも早く、筑波アタック一番乗りィ」

 ナレーションに促されて、赤いハチロク、登場。谷口クンもオーダーしたのと同じ、上級グレードの6MTリミテッド、アバウトにいって、1998ccで200馬力の水平対向DOHC、16バルブ。お値段は、約300万円だそうな。






 ぐっと低く構えたフォルム、2×2の居住性、リアシートを倒せば結構、荷物もたっぷり収納できるスペースあり。なかなかに走り屋のツボを抑えた嬉しい設計。コクピットに配置されたシフトレバー、サイドブレーキの位置まで、きめ細かく説明してくれる。
 そして、お決まりのレーシング音。ピストンが互いの振動音を打ち消す水平対向エンジン。――こんなふうに、新型車をなめるように披露してもらえたのは、いつ以来だろう。   ハチロクの潜在能力の高さは、もう充分、予測できた。こうなれば、筑波アタックでどこまでハチロクを裸にしてくれるか、だ。そして、アタッカーは当然、ハチロクならこの人を置いてない、ドリドリ土屋圭市、降臨なるか!?

 率直に言って、このごろのぼくは土屋圭市クンから、かつての輝き、熱気を感じなくなっている。このレース界のあるカテゴリーで大御所的な立場にまで、彼が上りつめたからだろう。

 ちょうど30年前の’82年富士フレッシュマンレース第3戦(4月25日)のプログラムが手元にある。当時46歳だったぼくは、第2レースのNP1600Cクラスにパルサーを駆って出場している。その前戦、スタートでギアをバックにぶち込んでしまうという、信じられないことをやってしまった(俗に『逆噴射事件』とよばれる)お詫びで、また出場したというわけだ。その第5レースのP-1300Bに、サニーでエントリーしている②土屋圭市(26)の名前が載っている。この若者は、FISCOを湧かしつづけた。このあと、KP61(スターレット)やTSサニー、86レビンと乗り継ぎながら、どのレースでもトップ集団を走った。 
レースの合間、ヘアピンで観戦しながら、雑談した記憶がある。何でも、単独でマシンをトラックに積んで、小諸近くの東部町からやってきたという。目の輝きがひどく印象に残った。



 2年後、’84富士フレッシュマンで新しいカテゴリーがスタートした。NPオープンと呼ばれる、スカイラインターボ(DR30T)とレビン・トレノ(AE86)がクラス分けはされているが、混走するレースだった。
 これが大注目を集める。シーズン後半になると、このレースでの土屋クンの走りを見るために観客が押しかけたくらいだ。萩原誠、粕谷俊二らのドライブするスカイラインターボに直線で置いて行かれても、100R,ヘアピン、300Rからニューコーナーで土屋トレノがマシンを真横にしながら、抜いてしまう。
 特にウェットコンディションになろうものなら、非力な土屋トレノが「どっかんパワー」のスカイランターボ勢をカモってしまうバトル・シーンは、見るものにある種の感動を与え、FISCOの語り草になったほどだ。

 『ベストモータリング』をスタートさせて半年、なかなか軌道に乗せられない時期があった。そこで打開策の一つとし、そのころ「ドリフト・キング」として勇名を馳せていた土屋クンがキャスター候補となった。改めて会ってみて、それまでにない「新しい風」を感じた。

 土屋圭市起用は大当たりだった。この人が登場するだけで画面がパッと明るさを増す。少年のようにキラキラと輝く目。コメントも、自分の感じていることを平易に表現できる。加えて聴いていて気持ちのいい声。これも大事な要素だ。かつては音楽の道を考えたほどだったが、ヤマハの「つま恋音楽祭」の信越地区で3位入賞に終わったのが気に入らなくて、レースの方を選んだというから、相当のレベルにあった――そんなふうな紹介文を書いた記憶もある。

 この号のNEWハチロク・アタックは必見である。ここからは、HVのVol.115でじっくり味わっていただきたい。が、もう少し、この号でぼくが目撃し、感じ取った「土屋圭市、降臨」の実況を続けたい。それは、次のアップまでお待ちあれ。 
Posted at 2012/04/08 23:53:57 | コメント(7) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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