
中部博さんの『炎上』(文藝春秋・刊)が書店の棚に並ぶ頃合いを見計らって、感想やら収穫を紹介するのがマナーというものだろうから、と執筆を差し控えていた。
それでも、このノンフィクション作品の主題となる「1974年6月2日」が、突然やってきたのではなかった、という視点で、その「前夜」の出来事や世相を、幕が上がる前の「序奏曲」として記しておこうと思い立って、1973年11月23日に発生した「富士グランチャン最終戦の惨事」を解析した。主にこの死者まで出してしまった「多重事故」を引き金として、主要全国紙がどう報道していったのか、を伝えたつもりである。
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手元に届けられた『炎上』は、自動車専門誌「Racing on」2007年11月号から2009年4月号まで、18回にわたって連載されたものを、著者が改めて2年の歳月を費やして、加筆・再構成した、ノンフィクション作品である。それも、さすが、文藝春秋刊とあって、ハードカバーの四六判360ページ。装幀も、つい手にとりたくなるような、緊迫感でこちらに迫ってくる。使っている現場写真は、あの「稲田理人」氏のものだ。表紙カバーに巻かれている帯のコピーも、いささか煽情的ではあっても、許される範囲で盛りあげを図っている。ここも、さすがだ、というべきか。
●モータースポーツ史最大のタブーに挑む!
●マシン4台が爆発炎上、選手2名が焼死、観客関係者6名が重軽傷を負った大事故
●封印された真相が、38年目に明らかになる
●生き残ったレーサーたちが語る38年目の真実
●1974年6月2日、富士グランチャンピオン・シリーズ第2戦。スタート直後の多重クラッシュから始まった事故は、レーサー1名が書類送検、という意外な展開を見せる。
●接触事故は故意か、過失か?
●モータースポーツの光と影を描く傑作ドキュメント
中部博さんとは、この単行本の執筆活動中に面談している。最初は執筆中、2度目はちょうど『炎上』が書きあがったばかりで、出版社側からゲラ刷りが届くのを待っているところだった。そのとき、ぼくが入手したばかりのDVDによる「問題の映像」をお見せした。
さて、どこを、どこまで書き込んだのだろう。心弾ませて、ぼくはページを開いた。
定石通り、筆者は「事故の現場」にむかってクルマを走らせる。予備知識のない読み手にも、いまの「富士スピードウェイ」のロケーションがわかるように、丁寧に誘導する。
東名高速の御殿場インターチェンジに着いた。出口料金所はふたつ。ひとつは御殿場駅を中心とした市街地に出る第1料金所で、もうひとつは国道138号線バイパス側にある第2料金所。富士スピードウェイへむかうクルマは、ほとんどがこちらを選ぶ。レース事故の発生した1974年当時は、このバイパス・ルートは建設中で、その料金所はまだなかった。
料金所を出ると左折。国道246号線へむかう。晴れた日には前方に富士山が見える。246号線との立体交差点で、一旦、東京方向へ右折。しばらく直進。やがて静岡県小山町の交差点。ここからは、サーキットまでの道案内看板に従えばいい。雑木林を突っ切る一本道。急に風景が広がり、高級霊園として知られる富士霊園の参道にぶつかる。そのT字路を右に曲がると、すぐに富士スピードウェイである。その富士霊園には、その1974年のレース事故で夭折したレーシングドライバーの墓がある。その人の墓参をしてから、富士スピードウェイの事故現場を検証したい、と筆者は考えていた……。
非業の死をとげた二人のレーシングドライバー、鈴木誠一と風戸裕について、筆者は鎮魂の想いをこめて、丁寧に紹介する。その上で、事故がおきたレースに出走していたレーシングドライバー17人について、手際よくまとめている。
生沢徹と高橋国光は、レースに興味のない人でも名前を知っているほどのスター選手であった。とくに生沢はもっとも人気があった。レーシングドラーバーといったら彼の代名詞であるほどの知名度があった。
高橋国光はオートバイライダー時代にはホンダ・レーシングに所属してオートバイ世界GPに挑戦し、1961年(昭和36年)の西ドイツGP250ccクラスで勝ち、モータースポーツの世界選手権で初めて優勝した日本人。このレース事故があった1974年当時は、日本最強のレーシングチームといわれた日産自動車のワークスのエースドライーバーと目されていた。
そのほか、68年日本GPで優勝した北野元、69年日本GPの勝者である黒沢元治、このほか高原敬武、津々見友彦、長谷見昌弘などといった当時のトップクラスのレーシングドライバーが出場していた。
ここで筆者は、前置きの声量を一段と高める。
――こうした当代一流のレーシングドライバーたちのすぐれた運転技量と豊富なレース経験を疑う余地はないだろう。だからこそ限度をこえた鍔迫り合いになって、二人のレーシングドライバーが死亡するほどの事故になったのか。それとも最上級のスポーツドライビング・テクニックの持ち主でも避けることのできない、想定すらできない事故だったのか――。
*6月3日付けの『朝日新聞』朝刊(東京版)社会面のトップ記事
そのようなレース事故が、1974年6月2日に富士スピードウェイでおきた。
翌日、6月3日の『朝日新聞』朝刊(東京版)は、社会面のトップ記事で報道している。「レーサー2人焼死・富士スピードウェイ・時速200キロ、一瞬の惨事・フェンス激突、炎上・観客ら6人重軽傷」の大見出しで、社会面の半分ほどをしめる9段抜きだ。
他の全国紙である『毎日新聞』と『讀賣新聞』の朝刊(東京版)は、社会面トップに首都圏の国電(現JR)停電事故をもってきているが、このレース事故の報道はどちらも社会面の約4分の1をさいた9段抜きの記事である。
このように、中部さんは全国紙も異例の報道ぶりだったことを取り上げているのだが、ぼくにとって、違和感がありすぎた。ご記憶のかたもいらっしゃるに違いない。2月20日にアップした当ブログは≪翌日の「朝日新聞」を読む~運命の第2ヒート・再び⑤~≫というタイトルで、こう検証していた。
<2日、富士スピードウェイで、二人のレーサーが死んだ。風戸裕選手は国際経験も豊富な「慎重派」。鈴木誠一選手は、オートバイとストッカー(市販車)で鳴らした筋金入りの「超ベテラン」。事故原因は調査中だが、よりもよって、なぜ、この二人が死んだのだろうか。
この日のスタートは、ペースカーが先導し、隊列をととのったのを見て、いっせいにスピードをあげて走りだすという《ローリング方式》。これまで停止したままエンジンをかけ、競技長の合図でいっせいに走り出す方式だったのが、昨年秋の死亡事故にこりて、ことしから安全なローリングに切り替えた。
だが、安全なはずのローリングが安全でなかった。事故の起こった午後の第2決勝ではペースカーが中途半端な走り方をしたため、ローリングを2周も回ってスタートの「緑旗」が振られ、正面スタンド前を通過した時は、17台の車がしりと鼻を突き合わすように1団となって、ばく進した>
これが、あの多重事故の起こった翌日、1974年6月3日(月曜日)、朝日新聞スポーツ面に掲載された記事の書き出し部分である。スペースは4段組みに、いわゆるベタ記事と呼ばれる地味な扱いであった。が、注目度は高い。プロ野球では巨人や阪神が圧倒的な人気を集めた時代だし、東京六大学で早慶両大学が競り合っていた。そんな華やかな記事に挟まれて、写真こそ付けられていないが、かなりエキセントリックな見出しが4本、踊っていた。「山下」という記者のクレジットが付されていた。
率直にいって、他紙に比べてこの朝日の妙に冷静な報道ぶりに、「おや?」と感じていた。しかし、間違いなく、国立国会図書館で縮刷版を閲覧した際、6月3日付けからは当該記事以外、見当たらなかったのである。
それが『炎上』では、スポーツ欄からのものではなく、社会面からの9段抜きの報道が紹介されている。狐につままれる、とはこのことだろうか。中部さんはこのあと、細密に朝日の第1報社会面記事を引用している。う~ん。これはもう一度、国会図書館に行ってみるしかない。
*国立国会図書館二景
5月中旬の水曜日、クルマで赴いてみると、駐車場に「休館日」の張り紙。出足をくじかれた。そして6月5日、やっと国会図書館へ。手続きをすませると、まっすぐ、新館4Fの新聞閲覧室をめざした。縮刷版はフロアーのもっとも奥にあって、自由に閲覧できるシステムになっている。もう何度も通ったコーナーだ。1974年6月分を取りだし、閲覧テーブルでページをめくる。
スポーツ欄には例の4段組の「山下レポート」はおさまったままだ。さて、最終見開きとなるべき「社会面」を探す。が、やっぱり、ない!! ページナンバーが、74でプツリと終っていて、左のページは77に飛んでいた。状態がよく飲みこめない。
見開きページの喉元を見る。と、何者かの手によって、75、76に該当する裏表の一枚が、無残にも剥ぎとられた形跡がある。綴じ代の糸がみえた。何者かのドス黒い意志か。それとも、単純な悪戯なのか。
確実にいえるのは、ぼくが初めて該当縮刷版を手にした2012年2月16日の段階で、すでに剥ぎとられていた、ということだった。
早速、図書館側に不祥事を報告する。幸い、マイクロフィルムが別途所蔵されていて、当該ページの内容は閲覧することはできたが、一体だれが、何の目的で、過去の記録の宝庫である新聞縮刷版から、「そのページ」をむしり取ったのか。
この悲しむべき事実を、早速、中部さんに伝えた。間違いなく、中部さんが閲覧した2年ほど前には「そのページ」は、縮刷版のなかで安らかな日々を送っていたことが確認できた。
(この項、つづく)