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正岡貞雄のブログ一覧

2012年07月25日 イイね!

『歴史の闇』と出会うルーツ探訪の旅

『歴史の闇』と出会うルーツ探訪の旅~プロローグ・第3回正岡祭りのあとで~

 マリナーズのイチローが新天地を求めて、ヤンキースへの移籍を自ら選んだのを、朝のTVニュースで知った。メジャー11年半で積み重ねた安打数が2523本。その38歳の「第2章」がはじまったわけだ。

イチローの「第2章」か。彼が大リーグ入りしたのは2001年だという。その1年前、新世紀である2000年に入った年の2月末に、株主総会を経て「ビデオマガジン」を主宰する責任者の椅子を、親会社である講談社からの後進に譲って、そのあとはなにをやってもいい身分を得ていた。とはいえ、ぼくを必要とする仕事は残っていた。

 たとえば、筑波サーキットでのNEWカーを集めて、レースさながらに競わせる「バトル」企画の収録には、ぜひとも立ち会って欲しいとの現場からの要請もあって、欠かさず足を運んでいた。バトル・スタートの旗振り役である。もちろん、トラブルが起こったときのメーカーとの対応や、出演キャスターの調整は、ぼくがいると便利だという裏の事情もあったろう。

 それでも、やっと、自由にできる時間がたっぷり生まれた。そこで、かねてから取り組みたかった「ルーツ探訪の旅」と、向かい合うことにした。

 ついでに、それまで乗り継いでいたセルシオ、マジェスタの大型FR路線を、分相応にプリウスにしようかな、と迷った末にボディサイズ(全幅)が1,700cmのFR車、プログレを選ぶ。操縦性と走行性能に配慮しているというので、3リッター、直列6気筒DOHCのエンジン搭載のiRバージョンとした。いまでも正解だったと満足している。そのプログレは、これといったトラブルもなく、ずっと手もとにあって、オドメーターはまだ85000あたりで、近年はとみに走行距離が伸びなくなってしまった。


*納車されたばかりで四国の旅に駆り出されたときのプログレ

 2000年10月、納車されたばかりのTOYOTAプログレを駆って、東京を離れた。東名、名神、中国、山陽の高速自動車道をひた走り、尾道から「瀬戸内しまなみ海道」を経て、四国・今治市まで、一気に……。念願の「ルーツ探訪の旅」が本格的にはじまった。

 それから、10有余年が経って、オリンピック並みに4年に1度、発祥の地・愛媛県松山市北条で催される『正岡祭り』世話人の一人になってしまっている。その第3回目を、つい先日の7月14日(前夜祭)、15日(式典とゆかりの史跡めぐり)の2日間で終わって、ぼくは3日目の朝を、搭乗してきた航空会社経営の、松山城の真向かいにあるホテルで迎えていた。残念ながら、東京から片道で、900キロ近いドライビングは、もう許されないものらしい。空路、松山入りを余儀なくされていたのだ。

 午前7時、朝食をとるため、14Fのレストランへ。ガラス窓越しに、松山城の本丸が目の高さで眺められる席が空いている。ホテルの部屋のドアに挟んであった地元の新聞を、期待をこめて、開く。


*2012年7月16日付けの「愛媛新聞」

 正岡子規を生み出したお国柄だけに「正岡氏」に関するイベントは、それなりの話題を呼ぶ。第1回の時などは、地元の愛媛TVの取材カメラも回り、愛媛新聞はもとより、読売の記者の姿もあった。が、3日回目ともなると、珍しさはない。それでも、地元紙の若い女性記者が暑い日差しのなか、熱心に取材する姿が、いかにも好ましかった。

 第8面。カラー写真を配した3段記事が掲載されていた。『「正岡さん」強まる絆 県内外70人集い交流』という見出しが目に飛び込んだ。ともかく、「正岡づくし」の記事である。あの若い女性記者のクレジットも添えられている。「正岡万弥」嬢か。いい名前だ。簡潔にまとめられているので、「正岡祭りって何?」という問いに答えるのに好都合だから、そっくりそのまま引用してみよう。

――正岡姓の人たちが集う「正岡祭り」が14,15の両日、松山市宮内の高縄神社などであり、県内や関東、九州などから約70人が参加。一族の歌の披露や、ルーツとされる史跡見学などで交流を深めた。
2004年から4年に1度開催し、3回目。大阪府立成人センター顧問の医師で「正岡会」会長の正岡徹さん(79)=大阪府池田市)=によると、中世の豪族・河野一族の北条経孝が約870年前の1136年、現松山市北条地区にある正岡郷に所領を受けて同神社神官となり、正岡姓を名乗ったのが起源という。
 15日は記念式典があり、同神社の正岡重岩宮司(70)らが健康や繁栄を神事で祈った。徹会長は「第1回の祭りから8年たち、亡くなった人もいれば新しい生命も生まれた。全員が仲良く過ごせるよう願い、できれば870年さきまで続けたい」とあいさつした。


*高縄神社舞楽殿で「正岡一族の歌」を披露する正岡美津子さん

 式典後、ソプラノ歌手正岡美津子さん(36)が「正岡一族の歌」を境内で披露。一行はバスで正岡氏ゆかりの城跡を巡った。
東京などから兄弟の4人で来た正岡孝紹さん(64)は「初めて参加したが、正岡氏の絆を感じて感激した。子孫にも伝えたい」と話した――。

 読み終えたとき、出来過ぎた話に聞こえるだろうが、新聞記事の最後のコメンテーターである、正岡孝紹(たかあき)さんが「お早うございます」と朝の挨拶をこちらに送りながら、現れたのである。
「読みましたか? 昨日の記事が載っていますよ」
 新聞をヒラヒラさせながら、ぼくは挨拶を返した。

「え!? もう記事が出たんですか」 
 孝紹さんが不思議がるのも無理なかった。前夜、彼の携帯電話に「お嬢さん記者」から補足取材のアプローチがあったのだから、まさか次の朝に、すでに活字になっているとは、予測できなかったのも無理ない。

「じゃ、ぼくはこれからORIXレンタカーの松山店までいって、クルマをピックアップしてきます。9時半スタートですから、ロビーでお待ちください」


*松山でレンタルしたカローラAXIO

 実はこの日、ぼくの特別ツアーとして、正岡孝紹3姉弟と従妹の方を加えた4人を、ある特別な場所へ案内する約束だった。そのための足として、レンタカーを調達したわけである。その行先が、実はこれからのテーマとしたい「400年前の歴史の闇に光をあてる」という試みである。歴史の正史からはうかがえない、正岡一族に語り継がれてきた「秘話」を確かめようというのだ。


*木々の間から覗ける石垣の址。

*こんな山間の僻地に、なぜこんな立派な邸宅があったのか? 明治40年に描かれたものだ。それが幻のように消えている


*現在はご覧のように石垣だけが残されている。

 ともあれ、ピックアップしたTOYOTAカローラアクシオでホテルまで取って返し、正岡秀章・孝紹兄弟に姉の巳奈子さん、従妹の伸子さんを乗せて、道後温泉のそばを抜けて行く国道317号線で、今治方向を目ざした。

 水ヶ峠トンネルを抜けると、下りのワインディングがはじまる。右手の灌木越しに、谷川が走っている姿が、チラチラと覗きはじめた。もうすぐ最初の目的地が待っていたのである。最近入手した日本画に描かれた屋敷の址を訪ねようというのだ。いまは忍び返しのついた石垣が残っているだけなのだが……。

 その謎解きは、次のアップまで、お待ちあれ。
Posted at 2012/07/25 14:31:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ルーツ探訪 | 日記
2012年07月21日 イイね!

雨の六本木も悪くない ~メルセデス・ベンツ コネクション1周年パーティ~

雨の六本木も悪くない ~メルセデス・ベンツ コネクション1周年パーティ~ クルマメディアで触れ合った仲間と逢えるのをたのしみに、できるだけ「業界」のイベントには足を運ぶようにしている。

 ところが、そんな日に限って、雨に見舞われる。7月8日の「マツダ広報部・西辰夫を送る会」の時は、新橋駅から銀座6丁目の会場に向かっている途中にバラ、バラッときた。運よく、首都高速下のスーパーマーケットでビニール傘(\350)を購っておいてよかった。会が終わって、たまには夜の銀座を歩いてみようか、と外へ出ようとしたが、それどころではない。土砂降りの雨。350円の出費がこんなに役立つとは!

 その折りに顔を合わせたモータージャーナリストの鈴木直也君から、「Face Book」経由で「久しぶりに会えて楽しかった」というメッセージが送られてきた。
 まわりに人が多くて、ゆっくり話せなかったのが心残りになっていたから、「今度、ゆっくり、昼のランチでもいかが?」とレスポンスした。駆け出し時代の直也君と、ベストカーで何回かつきあっていて、妙にウマの合う後輩のひとりである。最近のクルマ事情を、いろいろ訊かせてもらおう、と考えていた。


*今回の主役、鈴木直也君。FSWで開催されたF1観戦会のスタンドで。左端に中部博さんの姿も。

 すぐに直也君から第2信が入る。
「局長からじきじきランチにお誘いいただけるとは光栄です。来週金曜日(20日)に六本木ベンツコネクションの一周年記念パーティがありますが(たしかPM7:00オープン)、ランチではありませんがそのついでに、というのはいかがでしょう?」

 六本木のベンツコネクションは、3月11日にアップした『突然の《ベスモ同窓会》』の舞台だった。「それもいいアイディアだね」と、同意のメッセージを送る。それと同時にメルセデス・ベンツ広報部に、パーティに出席してもよろしいか、と了解をとる。

「だったら、午後4時から、プレス・コンファレンスがあるので、そちらもぜひ」という広報部からの上手な要請もあり、パーティだけでは失礼かな、と、そちらも出席することにした。

 7月20日、東京ミッドタウンにつながる地下鉄出口から外へ出ると、六本木の街は雨に濡れ、雨足も強くなっている。まわりで、あわただしく傘が開く。この日は用意万端、携帯用の折り畳み傘をバックに入れておいた。


*コネクション1Fの珈琲コーナー 下が2Fのバーラウンジ


 メルセデス・ベンツ日本(以下、MBJ)が、クルマを直接販売するのではなく、メルセデス・ベンツブランドの情報発信拠点として、六本木に18か月限定で開設したのが「メルセデスベンツ・コネクション」だった。1Fにカフェやレストランラウンジを用意し、むしろ積極的にクルマと関わりに無い女性層や若年層を引き寄せてきたという。くわえて、イベント会場、他ブランドとのコラボレーションの場として活用した。で、オープン以来、延べ66万人以上の来店があった、とMBJのスピークス社長は胸を張る。
 上野金太郎副社長が、付言する。
「ここは、契約上の問題で、当初の計画通り、来年の1月までとし、新しく現在の所在地から北西に、徒歩で1分の外苑東通り沿いに移転・新築オープンします。と同時に、大阪JR梅田駅前の再開発地域で来年春に誕生する〈ナレッジキャピタル〉内にも、〈メルセデス・ベンツ コネクション〉を新規オープンします」
 ヨーロッパの自動車メーカーの元気の良さを、まざまざと見せつけられたわけである。そして、その1周年を記念してのパーティが、プレス・コンファレンスのあとに控えていたのか。

 パーティの開始は午後8時だと、ここで知らされた。ぽっかり2時間ばかり、穴が開いてしまった。てっきり、直也君も記者会見取材に来ているものだと思い込んでいたが、姿は見えない。こちらの連絡が荒っぽかったのがいけない。ま、雨も小降りになったことだし、久しぶり六本木の裏通りを歩いてみるか。それも、いいな。途中、どこかでラーメンでもお腹に入れておくか。

 7時半、再び「コネクション」に舞い戻ってみると、ピシッとフォーマルスーツを着こなしたガンさんに逢った。これから、明日のスーパーGTテストに立ち会うため、鈴鹿にむかわなければならないという。そこへ、今度は徳大寺さんが、MBJ広報部員に先導されて、現れた。随分と体調も回復したようで、先の西君の送別会にも出席された。よかった。で、久しぶりに記念撮影を。と、そのころから、1Fフロアはコネクション会員を中心とした招待客で押すな押すなの盛況となる。人が溢れている。こりゃ、だめだ! 直也君と話をするどころではない。


*久しぶりのスリーショット

 ちょうど、顔を合わせた北畠主税君に、直也君への伝言を託して、消えることにした。その瞬間、会場のライトが絞られ、ディスコサウンドに乗って、天井からゴンドラが男女ペアを載せて、ゆっくりと降りてきた。マイクで歌う中年男性。頭部が見事に光っている。おお、スピークス社長ではないか。彼のたどたどしい日本語の挨拶。ほんものの熱意を感じとった観客、いや、ゲストが盛大な拍手をおくっている。それを見届けたところで、ぼくは会場を後にした。おそらく、乾杯のシャンパンを飲み干したあとは、かつての六本木ジュリアナ風の熱狂の時間が再現されたに違いない。そんなエネルギーがあのフロアに渦巻いていて、ぼくはすっかり、よそ者となっていた。徳さんは何を感じただろうか。



 帰宅して、PCを開くと、Face Book経由で、直也君からメッセージが届いていた。突然の急用で、パーティには顔を出せなくなったことを詫びてから、連絡先である携帯電話の番号が記されていた。気にしなくていいよ。たまには、こんな日があってもいいから。

 

 

 
Posted at 2012/07/21 14:10:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | ちょっと一服 | 日記
2012年07月18日 イイね!

峠の魔王VS.1000 馬力GT-R ~はじめての「群サイ」ロケの記憶~

峠の魔王VS.1000 馬力GT-R ~はじめての「群サイ」ロケの記憶~ 改めてHot-Version 116号を賞味している。

――峠マシンか、サーキットか。それぞれのステージで、その名を轟かしたマシンが、ここ筑波に集結! 無差別級、ストリートチューニング「バトル・ロワイヤルin筑波」!

 おどろおどろしいナレーションではじまる、この号の「目玉企画」。
「史上最大の激戦!」と銘打った峠派マシンvs.サーキット派のガチンコ勝負が、筑波を舞台にして、はじまろうとしていた。やっぱり、ベスモのDNAは、ステージが筑波となるだけで、いろんな想いが目を覚ますものらしい。この平野義和さんのナレーション、悪くはないが、神谷明さんだったら、もっといいのに、などと……。


*伊達にグンサイで煮詰めたわけじゃない! 筑波サーキットで峠派はかく戦えり!

 さっそく、編集長の本田俊也クンに、あることを電話で問い合わせた。すぐに「群サイ初ロケ」と題して、詳しい内容の返信がとどく。

体調不良ということですが、いかがでしょうか?
 お問い合わせのあった、群馬サイクルスポーツセンターの初ロケは、BM1991年11月号の「170ps New CIVIC緊急試乗 by 黒沢元治」です。

 HONDAからは発表前の車両なので、人目にさらされない場所での収録という条件でした。
 この企画を任された私は、当時アドバイザーであった白井氏(ダートドライバー)と、群馬サイクルセンターの存在を調べだし、巨漢ふたりで大汗をかきながら、貸自転車でコース内のロケハンをして、凄いコースであることを確認。当時、自転車振興会の管理物で、外部への貸し出しは一切NGだったのを口説き落としました。


 
*「ベストモータリング」1991年11月号でグンサイをせめるEGシビック 


 お電話でお話しした通り、ガンさんは開口一番、「素晴らしいコースだな」と、グンサイをテストコースとして好評価。
 シビックのインプレッションでは、「言葉を失うほどいいなぁ」という名台詞を残していただきました。

 その後、ベスモやホットバージョンで使用しているうちに、2000年ごろより全日本ラリーのSSとして使われるようになりました。2008年の大輔(伊藤)の事故では修羅場も経験させていただき、私がグンサイに関して、誰よりも思い入れは強いのは、そんな理由です。

 そうか。初めて群サイを知った遠い記憶が蘇る。念のため、1991年度のビジネス手帳で確認してみると、9月5日の早朝、ぼくは単身、そのころ手に入れたばかりのセルシオで、関越自動車道を北上、高崎の先の月夜野ICをめざした、と書きとどめている。確かに本田君の言う通りで、NEWシビックの発表会は5日後の9月10日だった。

 あの当時、サイクルスポーツセンターといえば伊豆にあるもの指していた。F40のプレス発表などで一躍有名になったテストコースだったが、なにしろ東京からは遠すぎた。くわえて、タイヤのブラックマークをつけるのは厳禁、などとコース側はなにかとうるさかった。で、あまり使いたくない。敬遠していた。ところが――。

 なんと、練馬ICから1時間30分少しで、群馬サイクルセンターに着いてしまった。山の中というより、緑の多い丘陵に切り開かれた6キロのサイクリンクコース。エスケープゾーンは、まったくない。が、バトルをするわけではない。Newカーを味見するクローズド・コースとしてなら、悪くなさそうだった。
 
 すぐそばの猿ヶ京温泉に前泊したスタッフは、すでにコースインしていて、撮影開始のサインを待っていた。5代目のNewシビック。170ps、1.7リッター、直4、DOHC,乗り手はガンさん。この時のガンさんのインプレッション第一声が「う~ん。言葉を失うほど、いいなぁ」だった。そしてつづけた。「(車載カメラの)テープはまだ大丈夫? もう1ラップ、してこよう」

 あれから21年か。いまやグンサイといえば「峠派マシン」を磨き鍛える《聖地》となり、ホットバージョンとは切っても切れない関係になっている。そして、バトルの聖地、筑波サーキットに乗り込んで、「サーキット派」ストリートマシンと対決するという企画が売り物になるわけか。いうならば、かつての「異種格闘技・王者決定戦」の現代版と考えればいいわけだ。


*先頭の赤いマシンが「ローンチコントロール」を作動させたMCR R35GT-R

 8台のバトルマシンが筑波のスターティンググリッドに勢ぞろい。ストレートでは敵わないまでも、1コーナー、第1.第2のそれぞれのヘアピン、ダンロップ下、最終コーナーでグンサイ生まれがどこまで本領を発揮してくれるか。見どころは多い。
 
 レッドシグナルが青に変わる。スタート!目を奪われたのは、イン側最後尾にいたMCR R35GT-R(650ps)のロケット・ダッシュである。F1で採用された「ローンチコントロール」を作動させて、第1コーナーにトップで飛び込んだ。その模様が何台もの車載カメラで見せてくれる。これは凄い。必見である。

 その一方で、250psのスプーンCIVICを荒聖治クンが駆って、かつての桂伸一クンのいじめられ役を演じて、湧かせてくれる。
 峠派代表の「C-SERインプレッサ(470ps)」は、なるほどと感心させられるポテンシャルを各コーナーで発揮してくれる。
 圧巻は織戸学クンが担当した「1000psRT-R」。まだできあがったばかりのHKSパーツで強化したマシンを、特に参加させたもので、織戸クンもユーモラスに腰の引けたコメントを連発していて、結構、楽しい雰囲気を招いていた。



「1000psといってもブーストを控えめにしていると聞いたのに、乗ってみたら、やっぱり凄いよ。加速したらすぐにブレーキを踏まなきゃなんない。コーナーなんておっかない、危ない。もう、ぼくは責任が持てません。凄かった。刺激です」

 バトルは5LAP。食い下がる「峠マシン」。簡単には抜かせない。間違いなく、心打つものがある。伊達にグンサイで煮詰めたわけじゃない。彼らの声が、確実にこちらに伝わる企画だった。

 このほか、新しい86と、BZRをグンサイに初めて持ち込んで、比較テストしながらチューニングの方向性を探っていく。土屋、織戸、谷口のトリオは、ここではいい仕事をしている。生き生きしている。脇役のSATOKOも楽しい存在だ。ホットバ―ジョンは、そこまでの領域で楽しくやっていれば、いいのか。それとも……。


Posted at 2012/07/18 16:51:39 | コメント(5) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2012年07月12日 イイね!

ご無沙汰した理由  ~あるいはその言い訳として~ 

ご無沙汰した理由  ~あるいはその言い訳として~  この週末、四国・松山へ久しぶりに翔ぶ。
 4年置きにオリンピックと歩調をあわせて催される『正岡祭り』の世話人の一人として、参加するためだ。

  1585年、豊臣秀吉の四国攻めで、主家河野氏とともに滅ぼされ、正岡一族が離散して430年が経つ。その正岡氏の末裔たち150人が、それぞれの生き方をしながら、はじめて一堂に会したのが2004年の7月。そして4年のインターバルを経て、今年が3回目というわけ。

  14日(土)は道後温泉のホテル椿館で前夜祭パーティ。15日(日)は、発祥の地・松山市北条の高縄神社での式典を終えた後、かつて正岡一族の首将が拠った幸門城址(今治市玉川町)に、全員で「登城」する段取りだという。そのために正岡会の地元世話人の手で、頂上本丸広場までの道、400メートルが、再整備された。特に急坂の箇所には階段を施したと聞く。


*正岡会発足を記念して発刊した文集『正岡一族』
 さて、ぼくの担当は、前夜祭パーティでのパネルディスカッション。テーマは『全国正岡姓のMAPつくり』とした。そのための資料つくりに、この1か月、心とエネルギーを吸い取られてしまった。国立国会図書館通いが続いた。まずNTTの『ハローページ』から各県別に、正岡姓を拾い出し、そのデータをもとに、ゼンリンの住宅地図に載っている「正岡さん」と照合していく作業である。10年ほど前の「ルーツ探し紀行」で試みた手法だったが、根気はいるが、いろいろと収穫も多い。たとえば、なぜ三重県の津市と伊賀上野市を結ぶ街道ぞいの山里に、10軒ほどの「正岡さん」が肩を寄せ合うようにして暮らしているのか、などである。鹿児島、高知といった県でも、同じような発見があった。

 この1か月、そんな風に、すっかり「正岡祭」に心とエネルギーを吸い取られてしまった。そのため「みんカラ」BLOGをなおざりにしてしまって、あちこちからお叱りをうけている。

「ホットバージョン116号」の続編も、とっくにメモつくりと掲載写真の手当ては終わっているのに、文章にまで仕上げる元気が、もうひとつ、湧いてこない。

 7月5日には、マツダ広報部の名物男・西辰夫さんの歓送会に足を運んで、中谷明彦クンをはじめ、北畠主税、国沢光宏といった昔からの親しい仲間と交わした会話など、紹介したいことが山積みされたままだ。


*西辰夫さんと中谷クン


*北畠主税クンと飯田裕子さんに挟まれて


*なんと縁起のいい「7」の行列。なんの瑞兆だろう。ただし、このボリュームはけっして高くない。更新をきめ細かくやっている時なら、2000~3000は普通なのだ

 7月8日、管理用のページビュー・レポートを開いてびっくりした。そこには前日にあたる「7月7日」の訪問者数が開示されてある。「777」と。うん!? ズラリと7が五つ並んでいるではないか。結構、縁起のいい出来事で、ひとはそれを「瑞兆」とよぶ。

 そのせいだろうか、こんな出来事にもめぐりあった。9日の月曜日は「正岡祭」のための資料収集の仕上げで、朝から国会図書館に赴く。1時過ぎ、遅い昼食を摂るために、6階の食堂へ。ランチを食べ終わる頃、メガネをかけた青年が、控えめな仕草で、ぼくに声をかけてきた。「ひょっとして、ベスモの編集長をしていた…… 」と前置きして、ぼくの名前をあげたのである。

 周りの視線がぼくに集まる。なにか、特別に話したいことがあるらしい。新館・地下の喫茶室に席を移して、改めて話をきかせてもらうことにした。

 かりにK君と呼ぼうか。四国・高知県の出身で、現在、大分県の大学に進学して自動車工学を専攻しているという。なんでも父上がたいへんなベスモ愛好家で、幼児のころから強烈な影響下で育った。で、長じて、90年代のベスモを手に入れて、彼のクルマ観の軸に据えているという。特に「広報車33GT-R」を追及したころの号は、テープが擦り切れるほど視聴したとかで、ぼくの声もその時に聴いていたから、食堂のレジで注文するときの声で、間違いないと確信した、などと嬉しいことを言ってくれる。たまたま、上京し、国会図書館の映像資料をみに来たところで、針の穴を通すような確率で、ぼくに出会えたのだ、と。

 別れ際、彼からこんな伝言を頼まれた。ベスモを通じて、黒沢さんや中谷さんから「クルマを見る目」が学べてよかった。それが、いまの自分を支えてくれている。感謝しています、と。

「わかった。確実に伝えよう」
 そこでK君の携帯電話の番号を、ぼくの携帯に記録してもらった。 (この項、おわり)
 


Posted at 2012/07/12 03:34:40 | コメント(3) | トラックバック(0) | ちょっと一服 | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「岡田監督が”凄いことが起こるなあ”と呆れた1イニング4失策で、8回、5点のリードを持ちながら、ヤクルトにあっさり逆転されてしまった。舞台は本拠地甲子園。ショートの小幡が悪送球とトンネル、前川右京と森下が落球。これがいい薬になるかどうか、本番期待。収穫は青柳の開幕投手の確定濃厚や。」
何シテル?   03/09 10:58
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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