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正岡貞雄のブログ一覧

2013年02月27日 イイね!

恥をしのんで特訓レース ~ミラージュCUP、そのセピア色の記憶~

恥をしのんで特訓レース ~ミラージュCUP、そのセピア色の記憶~  かねてより、呼び声ばかりが聴こえていた「ミラージュCUP同窓会」が、やっと開かれる運びとなった。3月23日、新宿のホテルが予定されている。ドライバーばかりではなく、レーシングガレージ、メカニックで関わった昔の仲間にも声をかけます、と幹事役の久保健さん(CATVスポーツ専門チャンネルの営業責任者として活躍中)から報告があった。幹事長は「新人ドライバー殺し」で有名な、あの小幡栄さん。幹事役に佐藤久実、田部靖彦といった「戦友」の名前が並んでいる。

 その報が伝わると、Facebookを中心にお互いの消息を確かめ合う交流がはじまっている。そこで、この際、昨年5月でフリーズしたままのレース参戦の記憶を、もう一度、呼び醒ますことにした。そのセピア色の記録から、何が伝えられるのだろうか。

 三菱ミラージュCUPが始まったのは1985年。あっという間に、華やかなワンメイクレースとして、モータースポーツファンを惹きつけた。



 翌年、そのエントリークラスとして、フレッシュマンレースが全5戦でスタートし、わたしも参戦した。そのとき50歳。あのころの若さ(?)と情熱が懐かしいし、自らを「ドン亀」と称しながらも、それなりのプライドも持ち合わせていた。
が、その初年度、それまでの4戦の戦績は第2戦の富士スピードウェイを舞台にしたときだけがポイント4点、あとの筑波(1、3、4戦)では各1ポイントずつという寂しい有様。合計7ポイントで、シリーズ12位。目標のベスト10入りには、最終戦で7位くらいに位置しないことには、届かない。

さて、困った。しかもそのころは新雑誌の創刊やら、映像マガジンの準備やらで、ロクに走りこみもできていない。その上、最終戦も苦手の筑波。結果は見えているじゃないか。

そこでスタッフから名案が出た。
「局長(いまでも、そのころのレース仲間はこの愛称で呼んでくれる)には荷が重いだろうけど、ミラージュの上のクラス(ちょいと気障にエキスパートと呼ばれていた)に出てみたら? ちょうど9月13、14日に第3戦が筑波であるから、いい練習になると思うよ」

 それは名案である。すぐに採用した。
 9月13日の土曜の朝、勇んで筑波に乗り込んだ、と思っていただきたい。わたしのベストカーミラージュ(1987年まで。ベストモータリングミラージュは88年度から)は、すでにテスト&サービスのスタッフの手によって、奇麗に磨きあげられ、出動を待っていた。
 チーフメカの宇賀神〈大明神〉が、いつもの柔和な笑顔で、ドキッとするようなことをのたまう。
「エンジンは最高に回っています。ブレーキパッドも特製の秘密兵器でバッチリ。1分12秒台はいけるはず」
 そら、きた。期待されているが故のプレッシャー。それも、今では懐かしい。

 さてコースイン。それからの1時間のフリー走行で上のクラスのミラージュスペシャリストたちに、さんざんに可愛がられてしまった。

*ゼッケン⑧はTSの鬼と謳われた真田睦明選手

 とにかくメンバーが凄い。TSの鬼、真田睦明がいる(以下、敬称、略)。そのころ、ハコに乗せたら一番速いんじゃないかと注目されていた中谷明彦がいる。清水和夫、小幡栄、小宮延雄、横島久、伊藤清彦。このほか、名前を聞いただけでも、なるほどと唸るドライバーばかり。
 各コーナーでコキーン、パキーンとぶち抜かれる。それでもなんとか離されまいと右足で踏んばるのだが、とくに最終コーナーの100Rにくると圧倒的に気圧される。マシンの向きが違うのだ、こちらは辛うじて、マシンが左へ流れるのをステアリング修正で抑えている程度なのに、彼らはマシンの行きたい方向へ、勝手に行かせながら、タイヤの向きを存分に左へ切って、快適なスピードで立ち上がっていくのだ、彼らは10秒台、こちらは12秒台後半を、時折マークする程度であった。
 1時間が終わって、こんなに疲れたのははじめてで、「どうでした?」と問われても、返事する元気もないほどだった。


*レース前のインタビュー

 一夜が明けて、筑波は快晴、なにしろ、この日のレースのメインイベントがミラージュCUPだったから、待遇のいいこと。決勝の30分前に、予選の結果順にインタビューつきの選手紹介が用意されているという。予選出走が25台、どん尻に壇に上がることだけは避けたい。

 そうは思ったものの、結果が出てみると、23位。タイムも1分13秒2、とフレッシュマンの時とさほど差はないから、当然の順位だった。ま、フレッシュマンとのダブルエントリー組が6人ほどいたから、どん尻は、辛うじて免れただけ。手近な目標は、なんとか米山二郎に追いつくこと。なぜか。彼はフロムAポルシェで、Cカーに乗っているドライバーじゃないか。



*18周目、後ろから迫るのは中谷選手。ということは……。

 レースは、第1コーナーでドン尻に落ちた。なにしろ、クリスマスツリー式の慣れないスタートとあって、わたしの周りは青ランプが点く前に。飛び出している。つまりフライング。こちらが2速に入れた時には、後ろから出たフレッシュマン仲間の照沼毅、高橋一仁の2台とも、わたしの前へ。

 ダンロップブリッジ下で、保田薫がミスってくれたり、標的の米山旦那がフライング組の代表でピットインさせられたり、村松康生、遠藤栄作の両選手がどこかでしくじったらしく、20周を走り切った時には、スタートと同じ、23位に戻っていた。


*シャンペン・シャワーを浴びる中谷、向かって左が真田選手

*8位の清水和夫選手は左コーナーごとに凹んだ左ドアを抑えてドライブ

 それにしても、18周目の第1ヘアピンで、トップの中谷明彦に追いつかれたのには 、腰をぬかした。その時のわたしは先行する高橋車をどうやってもパスできないので疲れ果てていた。
「よし、中谷の抜くところを見てやろう。いいチャンスだ!」
 右手を出して 、中谷に合図を送る。右側から抜いてくれ、と。ダンロップブリッジ手前の右折コーナーで、中谷がスイと前へ出る。と、あっという間に高橋を抜いたばかりか米山旦那までゴボー抜き。あんまり鮮やか過ぎて、何の勉強にもなりゃしない。



 レースが終わって、ヘアピンで観戦してくれた舘内端さんが寸評してくれた。
「前戦の時より、コーナーを出るとき、アクセルを踏み過ぎて、タイヤをひっかくようなことがなくなったのは〇。でも、コーナリングで、ブレーキを解くのが早過ぎるのが×。あと、ひと息、遅らせれば、もっとスムーズマシンの向きを変えられると思うよ」

 そんなわけで恥をしのんで志願した特訓レースは無事終了した。が、どうやら、わが「闘走心」に火がついてしまったらしく、つづくFISCOのエキスパート戦に、再びエントリーしてしまう。そこで待っていたのは、真田睦明親分の強烈な「特訓しごき」なのだが、それは次回の更新で。
 と同時に、久保君にメールを入れた。「同窓会の連絡を、真田睦明さんに済ませましたか?」と。なんだか、とっても彼に逢いたくなったのである。

2013年02月23日 イイね!

ガンさん監督の誓い『私は運転の仏様になる!』

ガンさん監督の誓い『私は運転の仏様になる!』~スーパーGT300クラス LEON RACING参戦体制発表会より~

 それでなくても明るいスポットライトを浴びて、壇上のガンさんは細い目をさらに細めて……いやいや、準備よくサングラスをかけて上手に隠してはいるものの、恐らく、眼鏡の奥の目は、涙でグッショリ濡れているに違いなかった。 

なにしろ、「モテるちょい不良(ワル)雑誌」LEONのフルサポートで、世界中の自動車ファンが憧れる「メルセデス・ベンツSLS AMG GT3」を駆って参戦するのだ。しかも、自身が監督を引き受け、1stドライバーに治樹、3rdドライバーに翼が起用されている。 目が細くならないわけがないのだが、チームのプロデューサーであり、「LEON」の総編集長でもある西園寺薫さんからマイクを渡されると、こうしゃべり出し、会場の取材陣を煙に巻いてしまう。


*スピーチをするガンさん。左は『主婦と生活社」の遠藤会長

「え~、黒澤です。サングラスをかけたままで失礼しますが、美容整形をしたわけではありません。年寄り病の白内障にかかって、つい先日、右目の方を手術したばっかりで、照明のライトが当たると涙が出て困ります」

ありゃ、そうだったのか。ぼくの予想は、見事に外れてしまった。
ガンさんのトーク(Talk)力は、舞台がよければよいほど「え!?」と驚くほどに、聴く人を惹きつける。この日も、ガンさん節が炸裂した。「頑張ります」なんてお座なりのセリフは、絶対に口にしない御仁でもあった。



「今度のマシンの仕上がりは期待してもらってもいい。つい先日、MOTEGIでシェークダウンで走らせましたが、う~ん、いいですよ。あとはこいつら(と言いながら、治樹、2ndドライバーの加藤正将、翼の3人に視線を送りながら)を、どう乗せていくか、です。まあ、時勢柄、バットで尻を叩くというわけにもいきませんので、言葉で、と思って無線マイクをとったら、スイッチを切られていました。モノいう監督というわけにもいかないのかな。これまで、運転の神様、なんて言われたこともありましたが、これからは、どうやら運転の仏様にならなきゃいけないようです」



 会場がどっと来たところで、マシンを覆っていた白い布が、ふたりのレーシング・レディの手によって勢いよくはぎとられ、マットブラックの「メルセデス・ベンツSLS AMG GT3」が姿を現した。PRESSリリースによれば「勝つために選らんだこのマシン、V型8気筒、6208㏄、最大出力は600馬力以上とも言われ、ドバイ24時間レースでは表彰台を独占した戦歴をもつ」とも紹介されている。




*右から西園寺プロデューサー、加藤正将、黒澤翼の両ドライバー

 フォトセッションが終わったところで、ガンさんを会場の隅で捕まえた。
「これで正式に監督就任が発表されたから、一つ、念を押したい」
「はい、何でしょう?」
「4月の開幕戦に合わせて、あなたの新刊『新 ドライビング・メカニズム』の発売日を4月5日に設定したわけだけれど、そのサイン会を兼ねた読者ミーティングを、決勝当日、何らかの形で開きたいけど……大丈夫?」
「もちろん、何とか時間はとりますのでよろしく」
 というわけで、これから細目を煮詰めなくてはならないが、岡山国際まで観戦に来てくれる「みんカラ」フレンズやベスモ党の諸氏との、初めての交流会を予定した。




*表紙のデザイン、どちらにしようか?予価1500円(本体) 発行・販売/主婦と生活社

 少々、内輪話になるが、元ベスモのスタッフ、田部靖彦クンも「スーパーGT」の撮影はあるけれど、手伝ってくれるというし、萩の波田教官もわざわざ来てくれることになった。
 2月末には具体的な告知をしないと、あとが大変だ。
 ということで、今回は『速報』のかたちで、ガンさんの監督就任にともなう、ちょっとした「オフ会」開催へのとりかかりを、お伝えした次第である。

 お問い合わせの際は、当BLOGの「メッセージ」欄をご利用いただければ、ありがたい。




Posted at 2013/02/23 01:51:22 | コメント(12) | トラックバック(1) | ガンさんもの | 日記
2013年02月20日 イイね!

「峠の魔王」復活のドラマ ~HV120号、鑑賞記②~

「峠の魔王」復活のドラマ ~HV120号、鑑賞記②~ 一目でこちらのハートを鷲づかみにし、痺れさせてしまうクルマに、久しぶりにめぐり逢った――。

 1987年、ベストモータリングの創刊号を出すにあたって、なにがなんでも紹介したかったのが、200台限定生産(最終的には283台)のポルシェ959だった。テスト走行をさせるまでにはいたらなかったが、触ることはできた。そのころのクルマ好き野郎には妙に人気のあった川島なお美を起用して、《素敵なあなた》などと、コッ恥ずかしい通しタイトルをつけてまで、およそ身勝手な連載コーナーを用意して、御殿場のポルシェ・デポまで逢いに行った。ガレージから引き出され、朝の光に包まれ、グイッとうしろ足を踏んばるシルバーのポルシェ959。対面するだけで痺れてしまったのは、あの時が初めてだった。



 そして、今回。その茶褐色と黄色が斑らに絡み合ったカラーリングのマシンから、なんとも妖しげなオーラが立ち上っている。行書体で描かれた「魔王」の文字のその奥から、静かではあるが、何かがチロチロと燃えさかっている目玉でこちらを見ている。地を這うような姿勢から、グイと張り出したリヤのスポイラーが、959を連想させた。ライムグリーンのシーサーインプレッサだって悪くない。フジタのFDだってなかなかなのに、このマシンと並べられると、いまひとつ、おとなしくなってしまう。アルボーのS2000にいたっては、同じ車種なのに、まるっきり少年っぽく見えてしまう。



 そうはいっても、ここはファッションショーのステージではない。勝負は走りだ。ところが、前回、紹介したように、1時間のセッティング走行で、底知れない走りのポテンシャルをみせつけたのが、J’s Racing S2000であった。初戦のワイルドカードでは土屋のドライブ、305のワイド・タイヤを武器に、1本目こそドローだったが、ポジションの先行が与えられ2本目では、左90度コーナーをうまく攻めて谷口信輝ドライブのアルボーを降した。

 勝ち上がった準決勝は、織戸学のドライブするC-SERインプレッサ。高速セクションで、J’sのV-TECサウンドがひときわ轟いた。1本目も、2本目もJ’sが圧勝。織戸がぼやく。
「勝負にならないよ。先に出たのに、コーナーひとつで差がなくなった」
 J'sの切れ味のいい走りにも、この段階で、すっかり心を吸い取られてしまった。この走りはまるで「妖刀村正」のようじゃないか、と。



 いよいよ、決勝が待っていた。相手はMCRのR35GT-Rに競り勝ったFEED-FD3S。ドライバーはノブ谷口。2台がドリフト走りでタイヤを温めながら、スタートラインへ移動していくのを見送るJ’sの梅本社長とFEEDの藤田社長が、こんな会話を交わしていた。
梅本「何回、これ、やっているんでしょ」
藤田「4回目じゃないですか」
梅本「また、たこやき対決ですわ。はい」
 J’sも、大阪から遠征してきたのか。わたしの中で、なにかが弾けた。が、その時はまだその正体を把握できないで、オリダーの解説に耳を傾けていた。
織戸「勝負はヘアピンの左立ち上がりコーナー、あそこで決まります」
 


 スタートを前にして、おのれに言いきかせるように、土屋が呟く。
「がんばろう。ノーミス、集中」
 1本目。先行するJ’s。加速はFEEDが有利。しかし、最初の左コーナーのブレーキングはJ’sが奥まで行ける。コーナーボトムスピードは互角。が、ヘアピンへのアプローチ・ブレーキングでJ'sが引き離す。
 ナレーションが、緊迫した状況を伝える。
「勝負どころの左90度。2台ともきれいに立ち上がった。J's土屋はブレーキングで築いた差をキープしたまま、最終コーナーへ。1本目はJ’sの勝ちィ」
 カメラは拳を突き上げ、次に拍手する梅本社長を捉える。その表情に、万感がこもっている。なにが彼をそこまで駆り立てているのだろう。わが心を吸い取ったマシンの創り手だけに、気になった。そういえば、この「魔王決定戦」の導入部で、彼は静かな口調で「魔王、取り返しにきました」と、いい切っていたではないか。それに呼応して土屋の、このマシンを操るサマは、いわば「降臨」もの。なにかが、間違いなく後押ししている。それがわたしの直感だった。

 2本目に入る前のひとときの休息。谷口が「やっぱり、カーブでジワジワと離されますね」と報告をいれる。それを受けて、大きく息を吐きながら「現役以来だよ、こんなに集中してるのは」と、土屋が応える。FEEDの藤田がため息混じりに梅本へ語りかける。
「やっぱり、305には勝てませんか」



 2本目。今度は谷口のFEEDが先行する番だった。1コーナー奥の切り増しポイントでJ’s土屋がピッタリと背後にはりついた。抗う谷口は2速キープで応戦する。土屋の車載カメラが谷口のブレーキングで点滅するバックランプを映し出す。なんという緊迫感だ。ヘアピンはJ’sが優勢。しかし高速セクションではFEEDが突き放す。が、最終で猛プッシュする土屋。こんなに猛々しい姿を剥きだすドリキンを見たのはいつ以来か。ゴールを2台が団子となって駆け抜ける。J’s が魔王となった瞬間だった。



「よし!」両腕をつきあげてマシンから降り立った土屋の腕の中に、J’sの梅本が「ありがとうございます!」と叫びながら飛びこんだ。それを周りの全員が祝福する。まるで鈴鹿やFSWのビッグレースを制した時のシーンが、そこにあった。歓びがはじけ、群サイが一つになっている。
 形通りのセレモニーが済んだところで、土屋が「新・魔王」に問いかける。
「梅ちゃん、どうですか? 久々に帰ってきて、2年ぶり、王者に返り咲いて」
「はい、2年のブランクで……ほんとに」声を詰まらせる梅ちゃん。
「ゴールした時、涙ぐんでいなかった?」
「いや、もう、泣いちゃいましたよ」
 そこで土屋が座をしめくくった。
「レースで勝っても泣かないくせに……いいクルマ、つくるね。本気でつくったところは、違うよね」
 
 場面が変わった。大阪・茨木市にあるJ’sレーシングのファクトリーで梅本社長がホットバージョン編集部に、今回の魔王マシンについて、真正面から淡々と語っている。このあたりの仕掛けが「ベスモDNA」が生きている、と思えるほどの濃い内容なので、ここに収録しておきたい。



「前回までは、やはり、群サイに前乗りしたり、近所の峠を走りまわってセットを出しとったんですけども、スピードレンジの次元があがりすぎとるくらいあがってきているので、サーキットに持ち込んである程度のセットを出して、最終的に峠でチェックするという形にセットアップの方法を変えてみました」
 ある領域から、峠とサーキットとの隔たりはなくなる、というのだ。
「サイドボディを生かし切れる脚ではなかった、と気づいて、ジオメトリーの変更はもちろんのこと、ダンパーと、あとはスプリングのレートを、今回、かなり上げてきました。だから跳ねてしまう」
 迷いはあった。タイムをもとめてくると、どうしてもワイド(ボディ)であるため、スプリングレートはあがってしまう。だから、当初、土屋が跳ねて怖い、とアピールしたわけだ。
「今回は、タイヤは正直、まだ余裕があるくらいなんで、まだもう少し、コーナースピードはあげられると思います、逆に」

 HVが最後に問いかける。魔王号のさらなる進化はあるのか、と。
「リヤの跳ねであったり、もうちょっとのりやすいクルマで、同じタイムがだせればな、と思っている。あと、リヤのトラクションがまだ、足りないので、もうちょっと、それを克服したい。もう、永遠に、多分、終わらないんじゃないかな。敵がだれであろうと、どんどん進化していくのが、ぼくの意地です」
 梅本淳一、45歳。2年前の衝撃的な、不祥事に巻き込まれ、昨年初めに無罪判決をかちとってから1年――不屈のかつての魔王が、一皮も、ふた皮も剥けて復活した。その復活を、かれは新しい出発と捉えている。そんな、生きざまを、今回の「峠最強伝説」から読み取ることができた。


*当時、無敵を謳われたRE雨宮RX-7を破って新・魔王になった時のJ'sレーシングS2000

 改めて、彼が無敵の魔王「RE雨宮RX-7」を破った号、Vol.93を取り出してみた。
 同じS2000なのに、全く別のマシンのように見えてならなかった。苦境から這い上がってきた男の強さ、意地というものを、クルマを通して、久しぶりに知ることのできた濃縮された時間。手ごたえがあり過ぎた。心拍数は上がりっぱなしだよ。
Posted at 2013/02/20 01:28:04 | コメント(3) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2013年02月14日 イイね!

「一人はうまからず」という遺訓

「一人はうまからず」という遺訓~ホットバージョン120号鑑賞記①~


 復活して10号目のホットバージョンである。この号では、先に予告していた、New86の心臓にレガシーの3リッターエンジンを移植したマシンのインプレッションが披露されるものと期待していた。それが、最後まで出てこない。
 早速、本田俊也編集長に抗議の連絡を入れてしまった。

「そうなんです。この号は、魔王決定戦と、新しいレーシングドリフトのガチンコ団体戦なんですが、その2本の密度をあげたら、尺がなくなって……。次の4月売りで12月に筑波で収録したハチロク・バトルと一緒に紹介しますから。それで、出来はどうでしょう?」
「いや、ざっと流して観ただけだから。これからジックリと……」
「よろしくお願いします」



 電話を切ったあと、大きな体の割に、いつもひかえめな本田編集長の声に、これまでにない力がみなぎっていたのに気付いた。この号の献立と料理の味に相当な自信があるらしい。では改めてVol.120を、じっくりと賞味してみようか。



舞台は落葉が路面のあちこちに吹きたまった群馬サイクルセンター。「峠最強伝説 魔王決定戦2013」のオープニング。まず3人のレギュラーたちの賑やかなおしゃべりからはじまった。
織戸学が露払いをする。
「さぁ、はじまりましたホットバージョン120。120号ですよ、土屋さん」
土屋圭市が「ご老公」よろしく登場して、読者(ベスモ以来の呼び方を継承してくれている)へ感謝の言葉をおくる。つづいて谷口信輝が上手に締めたところで、ゲストたちにカメラが移っていくという定番。今回はさらにやたらテンションの高いSATOKOが乱入して3人にいじめられるという仕組み。前菜としては、もはや新鮮味に欠けるものの、安心して、いただける。

さて献立は――。駆動系別に勝ち上がってきたトップマシンが集結して、トーナメント形式で「魔王」の称号を争うという。その上、魔王経験のあるチューナーと読者からのリクエストにもとづいて特別枠を用意してくれた。が、エントリー・リストを見ると、FF車が抜けている。その内幕を土屋が素っ破抜く。
「実は出場予定のSEEKER だけどね、ここで走りこんでいたんだって。そしたら、最後にエンジンをブローさせて、来れなくなった。運がないよね」
 谷口が口をはさむ。
「見上げた根性じゃないですか」
土屋「凄いよ。1日、借りきっちゃうんだから」
織戸「噂だと、かなりいいタイムを出していたそうですね」



 かくして、まず登場するのがワイルドカードとしてS2000同士が選ばれた2台である。
 「魔王をとり返しに来ました」と宣言して、2年ぶりに登場したジェイズS2000。相手は群サイ常連のアルボーS2000。  
 ジェイズの担当ドライバー・土屋が、セッティング走行のために真っ先にコースへ飛び出した。「足回り、リヤのセッティングを大幅に変えてきました」という。入念にタイヤを温めたところで土屋が攻める。
「結構、跳ねるね」
 土屋のステアリング・ワークが、いつもより頻繁で窮屈だ。おまけに路面の落葉に乗ればスリップする。だからベストラインが極端に制限されるコンディション。1本目は平凡なタイム。ピットイン。



「跳ねすぎてダメだ」
 吐き捨てるように土屋がJ’sの梅本社長に告げる。前後のダンパーをソフト側に変更して2本目に入った。タイムを1秒強、縮めた。画面から聞こえる土屋の呼吸が荒い。
「怖え~。跳ねがやっぱり怖いなぁ~」
 再びピットイン。跳ねを何とかしないと、最後のあたりが横に跳んじゃって、踏めない、と訴える。ギャップに対して挙動を抑えるためにリヤの車高を1ミリ、下げた。今度はどうか!?
 ナレーションでレポートしてくれる。
「跳ねはあるもののコーナーを抜けるスピードは高い!」
 連絡用の無線スピーカーの声がタイムを告げる。
「25″57!」
 ピットで待つスタッフが「え!?」と揃って、奇声をあげた。区間レコードを叩きだしたのだ。が、そのことを土屋は知らない。冷静に連続するとコーナーと闘っていながら、まだ、迷っていた。
「ダンパーを柔らかくしたらケツが出やすくなった。さて、どっちをとるか、だな」



 一方、ワイルドカードでの対戦相手、アルボーS2000を駆るのは谷口信輝だった。
全体で50キロ近い軽量化がどう影響してくるか。後半セクションでいいところが出るはずだ、という期待を背負い、「どこまで安全マージンを削るか、です。ドキドキしますね」というコメントを残してコースイン! タイムは26″860。タイヤを発熱させるために、そのまま2本目のアタック。タイムは25秒台に入れてきた。が、もう一つ、谷口は気に入らない。どうも前後の動きに一体感がないらしい。
「軽くしてしまったことによって、いままでのしっとりした落ち着きが変わって、クルマがバンバン、軽く動いてしまうので、それがうまく消せたらなぁ」

 谷口の指摘を受けて、柴田アルボー・チームはマシン調整のため、クルマをコースからひきあげる。その間も、土屋j’sは走り込みをやめない。それどころか、周回ごとにコースレコードを更新していく。一つ、一つのコーナーを抜けるリズムが軽快になっていくのが車載カメラが、正直に捉えている。
 マシンから降り立った土屋がグローブをとりながら、カメラに語りかける。
「いいねェ。あとは跳ねさえなくなれば、あとコンマ1秒はいけるね。安心していけるよ」

 一方のアルボーはどうか? フロントのアライメント調整とリヤのキャンパー角を変更した。谷口が走り出す。1コーナーの切り増しポイントで、前後のタイヤの接地するタイミングにずれが出ると指摘されていたが、それはどうだ? 谷口のステリング操作はまだ忙しかった。ラインの乱れは払拭できないでいる。それでもタイムはJ’sに拮抗している。



――1時間に及ぶセッティング走行が終わって、《TOUGE BATTLE》となった。皮切りは当然ワイルドカード戦。つまりJ’s とアルボーの究極のS2000 対決である。

 ここから先は、本編でぜひ「観戦」してほしい。確かに、この「峠最強伝説 魔王決定戦」はもはや、目新しいテーマではない。が、ここまで心血を注いで仕上げてきたマシンを、土屋、織戸、谷口らが神経を削り、より走りやすくするべく走り込み、助言する。そしていよいよ勝ち抜きトーナメントが始まろうとしている。

心臓の高鳴りは、抑えようもない。で、わたしは心拍数を測ってみた。お、なんという速さだ。普段なら60前後のものが、80近くまであがっているではないか。そして、ハッと気づいたことがある。こんなときこそ、この先の峠バトルの結果予想をしたり、マシンのでき具合にケチを付けたり、それをぶつける相手が、今、この時、そばにだれもいないということだった。かつては、出来上がったばかりのベスモやホットバージョン、あるいはBMスペシャルを、スタッフと一緒に、ワイワイガヤガヤやりながら、観たものだった。


*藤原さんのお供で丹波から城崎にクルマの旅。藤原さんは幼くして双親を失い、父の郷里岡山で祖母に育てられた。名作「秋津温泉」で若くしてデビュー、その後、1952年に「罪な女」で直木賞を受賞。代表作に「さきに愛ありて」「赤い殺意」がある。

「一人はうまからず」という言葉が浮かんできた。
 この言葉を遺訓としてわたしに植えつけてくれたのは、作家の藤原審爾さん(1921~1984)だった。恐らく、わが「みんカラ」友だちのほとんどは、この作家のことはご存じないにちがいないが、わたしの編集者駆け出しの時代から、生き方を指導し、温かく見守ってくれた父親代わりといってもいい、大事な存在だった。

「一人はうまからず」を、食事は一人で食べるより、だれかと一緒に食べるほうが美味しい……こう解釈しても、決して間違いではない。が、藤原さんはこう伝えてくれた。
「なぁ、正岡君よ」と前置きして、言葉を継いだ。「わたしは故あって、祖母に育てられた。祖母は格別学識のある女ではなかったが、人の道について厳しく、少年のわたしが独りたのしむことを許さず、たとえ遊び道具などでも、近所の子たちと一緒に使う野球道具のようなものであればすぐに買い与えてくれた」
あれはご一緒に丹波を旅した時の夜の宿で、だったか。

「あるときわたしは、裏山で野イチゴのみごとな群れをみつけ、それを摘み、竹籠に入れて戻り、独りで食べていたところを、祖母に見つかり、つよくとがめられたことがある。皆にわけて一緒に食べなさいというのである。わたしは山でそれを見つけ、独りで摘んだのだからといささか不満であった。その不満にこたえて、祖母は、山の幸は万民のものだと説き、一人はうまからずということばを、人としての心の持ちかたとして、私に教えた。これは世に遺った言葉ですよ、とも言った。この言葉には、この世に生きた人々の願望理想がこもっており、そういうふくらみへの感応が、時に人を動かす。強いて言えば、いまのわたしが、その一人だ」

 この一節は、藤原さんがのちに新潮社から出版した『遺す言葉』の冒頭に収録されているのだが、ホットバ―ジョンを見ながら、わたしは想いだしてしまったことの意味を、もう一度、噛みしめてみよう。わかっているのは、ホットバージョンを「一人で観るのはうまからず」ということではないだろうか。

 なお、一つ、報告を兼ねて追記することがありました。かねてより当BLOGで書き綴っているもののをカテゴリー別につないで、ひとまとめにしてみたい、と準備してきましたが、やっと公開できるようになりました。たとえば、「ホットバージョン」は下記の「関連情報URL」からつながります。どうぞ一度、お立ち寄りください。
Posted at 2013/02/14 22:43:28 | コメント(5) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2013年02月05日 イイね!

鏡と向かい合う時間   ~何シテル? 拡大版~

鏡と向かい合う時間   ~何シテル? 拡大版~ だんだんと散髪にいくインターバルが長くなってきた。年齢とともに、髪の伸びる勢いが衰えたためだろう。近年は、2か月に1度というペースになってしまった。

 前回が2012年の12月6日だったから、3日前の土曜日に行きつけのヘアーサロンに予約を入れたのは、いつものペースといっていいだろう。ここのマスターとは、もう10年近い付き合いになってしまった。こちらから何の注文をする必要もない。黙って彼に任せていれば、わたしの好み通りのヘアースタイルに仕上げてくれる。


*2か月に1回のペースでここのマスターのお世話に。

 お互いの近況を、それとなく短く会話することはあっても、ほとんど静かな時間が過ぎていく。洗髪、パーマ、髭剃り、頭皮のマッサージ、整髪。その間、わたしは鏡に映る自分と、ずっと向かい合っていなければならない。そして頭の中を、一つ一つ、整理をしていくのを習慣としている。その時間をもつために、2か月に1回、この物静かで腕のいいマスターのいる、一つ隣りの、駅近くにあるヘアーサロンを選んだといっていいだろう。


 いろいろとやりかけのことが滞ってしまったことに、焦っていたわたしのやつれ顔が映りこんでいる。「みんカラ」は2週間も更新できないでいる。プリウスの開発ストーリーで主査に抜擢された内山田さんが、和田副社長の大胆な指示に面食らったところで、フリーズしたままだ。

 それもこれも、この10年間、曲がりなりにも継続してきたわたしのホームページ『正岡ワールド』をいったん閉じて、新しくブログスタイルに切り替えようとしたためだった。


*縦書きで読めるコーナーをテスト中  http://www.s-masaoka.com/kazahayaki/

 まず、それまでのサーバーを2月10日までに閉鎖しなければならなかった。そこではじまったデータの移し替え。そのつもりで、かなり前から残して置きたいものは、適宜、衣替えのつもりで、たとえばPDF化するなどして、手は打っていた。その一つが、今回の移転の主旨でもある、縦書きにして、1冊の本のように読むことができないか、という想いからわたしの「ルーツ探訪譚 風早へ 久萬山へ」を一括してダウンロードできるスタイルである。これによって、いつでもオンデマンド印刷にシフトすることが、1冊の単行本にすることが可能になった。

 実は、そのテストを兼ねて、すでに1月の末から、リニューアルした『正岡ワールド』はご覧いただけるようになっている。すでに「みんカラ」ともリンク済みだから、いつでもお立ち寄りいただきたい。

 そうだ、近く、ホットバージョンのVOL.120が届く。これまで、再開してからのHVにベスモのDNAがどのように伝承されているかを検証してきたので、それらを一括して読んでいただけるコーナーを用意しようじゃないか。そのためのホームページ・リニューアルじゃないか……こうして鏡の中の自分と向き合っていると、さまざまな想いが湧いてくるのだ。

 黒沢さんの「30度バンク多重事故」「不死鳥伝説」、ベストカー創世記に触れた「環八水滸伝」、45歳からのレース挑戦記「わが闘走」など、「みんカラ」に取り組んできたこの1年半。テーマがあちらに跳んだり、こちらに寄り道したりで、気まま過ぎたのではないか。そうだ、これもテーマごとにくくってみようか。どんなコーナーになるか、ちょっとした新しい試みになるかもしれないぞ。
  
 たっぷり、2時間。料金は10000円。その分、リフレッシュできたわたしは、いそいそと降りかかってくる午後の陽射しを楽しみながら、我が家までの1キロあまりの道をウォーキングした次第である。
 
Posted at 2013/02/05 09:32:50 | コメント(4) | トラックバック(0) | ちょっと一服 | 日記
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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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